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秀吉の実弟、豊臣秀長について「大和大納言」の呼び名から
所領は大和国と思っていたのですが、Wikipediaを見るとその所領は
「大和・紀伊・和泉の3ヶ国に河内の一部」であったと書かれていました。
この人の立場を考えれば、確かに大和一国では少なすぎますよね。

で質問ですが、河内についてのみわざわざ「一部」としているということは、
大和、紀伊、和泉の三国については全部ということで良いのでしょうか。
(若干の例外はあるかもしれませんが)
また、河内の「一部」というのがどのあたりかというのも分かれば
お教え下さい。

A 回答 (3件)

紀伊の国も機内と同じく伝統的に寺社の勢力は強い。


高野山領は自立していて江戸時代で2万余石。地域的には広いですよ。一度調べて見れ下さい。
ほかに粉河、根来、熊野、等々。
これらはまあ常識ですので紀伊一国領有というときこれらは含まれません。

彼の所領は石高だけでいうと100万に達していなかったと思われます。ただしいろんな役得やほかの収入の
おかげで日本では兄に次ぐ裕福さだったのは確実。
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簡単にいうと、秀吉の所領も細切れで、全国各地の荘園や金銀鉱山の集まりで、一国全部が誰かのものという状態ではありません。


秀吉の所領は九州から関東まで幅広く点在してます。
秀長も同じで、主城の郡山城があるから大和ということです。
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内訳は詳しい方が回答されると思いますが、この地域は寺社の領土があり、大和国も興福寺と春日大社の領地が2万石程度有り、全土が豊臣秀長の封土という訳ではないと思います。

この回答への補足

こういった領地を「若干の例外」としたつもりです。

補足日時:2011/06/15 22:12
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