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松本清張の講演より引用します。

天孫民族がやってきました。
<こういう彼らが「出雲民族」のいる大和や河内地方に割り込んできた。そのため「出雲民族」は、地理上でいえば、出雲地方と紀伊地方に分裂してしまう。あるいは吉備地方も孤立してしまう。ですから出雲の信仰である「熊野信仰」が出雲地方にも紀伊地方にもあるというわけです。>

熊野信仰は、地元の紀伊地方に当然あったのですね。
大和や河内地方では、天孫民族は当初この信仰を持っていなかったのですが、上皇が頻繁に熊野詣をするほどに、次第に流行ったのですね。
松本によれば、出雲地方や吉備地方では、熊野信仰が残った、ようですね。

質問は、古代、出雲地方や吉備地方には、熊野信仰は残った、のですか?

A 回答 (4件)

> 質問者である私も、不謹慎ながら 「熊野信仰」の実体がよく分かりません。


> 神や信仰について、粗っぽく次のように考え始めました。
①縄文時代 神は身の回りにいる、よく行く森にいる、遠くても見える山にいる。
②弥生時代に入って、神は見えなくても遠くてもいる。(これが、松本がいいう、出雲・吉備で思われている熊野信仰、のかなと考えていますが、熊野信仰というほどのことでなく、一般的な信仰のことだろうな、と思っています)
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「熊野信仰」もかなり不明確ですが、「信仰」も相当に不明確です。
縄文や弥生の土偶に何か祈願や魔除けの願いがあったり、遺体の埋葬に花や生前の権威財を使ったり、壁画を描いたり、あるいは狩猟や収穫、整地、伐採、種撒き、洪水や日照り、山火事・野火、冬至からの変化、病気や怪我からの回復を願い、これから交易や戦闘に赴く際に無事を祈ったり、出産の無事を祈ったり、そのようなことは、おそらく、日本列島でも、2000年、3000年でもあったでしょう。 清水の湧き出る所を大事にし、水が涸れたりしないことも祈願したのではないでしょうか。
「一般的な信仰」というのは、何か「教義」のようなものの存在を前提にしたイメージでしょうか。 そのような教義を伴う信仰というのは、日本列島では、仏教伝来以前にはなかったと思います。 鎮護国家のような効果を求めたり、建築や各種の先進文化を取り入れる過程で、その文化の中核の担い手が重視しているものが仏教だったので取り入れたということでしょう。 実に、「実利最優先」の発想です。 その伝統の上に、院は熊野に詣でたり、密教の呪術に期待したのでしょう。
なお、熊野神という認識が出来たのは、9世紀らしいです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E …
後拾遺和歌集の作られた11世紀には「熊野」の表記で、どこのことで、何の目的で行くところなのか、上流社会では常識になっていたのでしょう。
「熊野信仰」という熟語はまだないとしても、「熊野」が効験ある地あるということは枕草子や大鏡の記載でもわかります。 
ただ、「熊野神社」と称する神社は多くて、その大半が、紀伊の熊野の招聘といっているようです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E … 稲荷社でも同じですが、何かの効験をもたらしてくれそうなものは、どんどんと並べて祀ってしまうという特殊?な心情(信仰なのか疑問です)がごく一般的な社会であったということでしょう。(葬儀は仏式で、阿弥陀仏や大日を拝み、何カ所もの神社に詣で、お札をいただく)
このような状況だと、「熊野信仰」は「信仰ではない」と言いたくなりますね。

信仰とは、
イ) キリスト教神学的には、神の存在と啓示を真実として信じること。
ロ) ある宗教を信じて、その教えをよりどころとすること。
ハ) 人やものごとを信用・信頼すること。 証拠抜きで信じようとすること。
ニ) 神や仏などを信じること。  証拠抜きで信じようとすること。

この、イやロではなくて、ハやニなのでしょう。
サプリや健康法、コンサルタント、先生、親、夫や妻、子、広告、ネットの評判や得点、政府や会社の発表、専門家や上司の言、天気予報、交通情報、花粉情報、台風の進路でも、とにかく「頼ること・信じること」が安心と自分の行動の出発点・ガイドラインにするという「実利最優先」の《信仰》が相当昔からあったのだと思います。

そのような意味で、熊野信仰も、10世紀以降、たぶん11世紀には日本の各地に広がり、15世紀以降各地に熊野神社が出来たのでしょう。

「(ある部族集団が)大和や河内地方に割り込んできた」のが3世紀頃だとしても、その頃には熊野やイヤ、ヤフ、その他山に囲まれた奥地を神聖視したり、効験のある神のいますところであるとみなすような社会状況はなかったと思います。 
日本列島は基本的に山ばかりです。特別の地形とみなす要件があるのは、山体・山の形、水、そうした視点で、付近にあるものとはひどく特異である必要があるでしょう。

役行者や山岳修験者、そうしたものが、各地に展開し、生活費を稼ぐと共に、密教的、修験道的効用・効験を期待させて、熊野社を作らせる一助になったことはあるのでしょう。 ただ、日本全国に社、祠が無茶苦茶あり、道祖神や地蔵、観音などが無茶あるのをみれば、修験者の活躍などなくても、どんどん社は作られたのだと思います。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
私もおそらく古代は<「熊野信仰」は「信仰ではない」と言いたくなります>
<熊野やイヤ、ヤフ、その他山に囲まれた奥地を神聖視したり、効験のある神のいますところであるとみなすような社会状況はなかった>のですか。
私は当時神がいたる所にいた、と思っていました。しかし、次第に各地の神は淘汰され熊野に収斂したのだろう、と思っていました。
その後、天孫族の、仏教にあきたらない末枝まで熊野は取り込んできたのだ、と思っています。
勝手なことばかり書いて・・・ご退屈さまでした。

お礼日時:2023/03/18 17:44

岡山県に住んでいます。



倉敷市の林という所に熊野神社があり修験道の中心地でした。
役の行者が流されて来た際、5人の弟子が近くに修験道場を開いた。そのひとつ尊瀧院(そんりゅういん)は熊野神社のすぐそばに現存しています。
他にも熊野神社に関係あると思われる神社や寺はたくさんあります。児島の由加山、清田八幡宮、一等寺など。さらに「熊野神社」という名前の神社は倉敷周辺にいくつもあります(紀伊熊野神社との関係は調べていません)。
備前熊山(古代山城がある)も熊野神社と関係があるとかいう。
近隣には熊野神社の神徳を布教する僧侶集団がいたとも(熊野比丘)。

中途半端なことばかりで申しわけなかったですが、以上は私が聞きかじったもの。伝承が多く、どこまでが史実なのかはっきりしません。興味がおありならこのようなキーワードで捜してみてください。

私が住んでいる地区には役の行者の石像があり今でも祭りをしています。こんな地区は多いんではないかな?


↓ 熊野神社 (Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E9%87%8E …

↓ 五流尊瀧院 (Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%B5%81 …
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
熊野信仰は吉備地方(全国的にも)で隆盛なのですね。
遠くはなれた熊野の鬱蒼たる自然(樹や岩に)に霊感を得たのでしょうか?

お礼日時:2023/03/17 17:11

「熊野信仰」の実体がよく分かりません。

 その状況では、「熊野信仰」が広範囲に広がっているのか、数カ所で「熊野信仰」があったのか、見極めようもありません。
天平5年(733年)に成立したいわゆる出雲風土記には、
133 出雲神戸 郡家南西二里二十歩 伊弉奈枳麻奈
134 子坐熊野加武呂乃命 与五百津鉏々猶所取々
154 熊野大社 夜麻佐社 売豆貴社 賀豆比乃社
という文字があります。
この134 154は、熊野が固有名詞のようにも読めると思いますが、仮に「伊弉奈枳の命のいとし子でいらっしゃる熊野加武呂の命」の意味だとしても、「信仰」の実体があるようには思えないです。
https://genbu.net/saijin/kusimike.htm
なお、江戸時代になる以前に、すでに、庄原市西城町熊野の比婆の熊野神社は事実上廃れていて、明治になってから比婆山御陵の遥拝所として再興を図ったようです。 
https://www.city.shobara.hiroshima.jp/main/2020/ …

吉備については調べてもないですが、大同小異でしょう。

質問されている「古代、出雲地方や吉備地方には、熊野信仰は残ったのか」の「熊野信仰」とは何かを明確にしないと、どうにもならないでしょう。

熊野権現ですと、浄土思想、本地垂迹などの日本流の発想が生まれ、普及する以前に、そのような信仰は起きようがないでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
質問者である私も、不謹慎ながら<「熊野信仰」の実体がよく分かりません。>

神や信仰について、粗っぽく次のように考え始めました。
1.縄文時代 神は身の回りにいる、よく行く森にいる、遠くても見える山にいる。
2.弥生時代に入って、神は見えなくても遠くてもいる。(これが、松本がいいう、出雲・吉備で思われている熊野信仰、のかなと考えていますが、熊野信仰というほどのことでなく、一般的な信仰のことだろうな、と思っています)
ご笑話下さい。

お礼日時:2023/03/17 12:45

熊野信仰が出雲地方や吉備地方にまで広まったかどうかについては、明確な資料が存在しないため、断定することはできません。

しかし、出雲地方や吉備地方が山岳地帯であり、熊野信仰の本拠地である熊野三山に近いことから、少なくとも影響を受けた可能性があるとされています。

また、熊野信仰は古代から中世にかけて全国的に広まった宗教であり、特に熊野本宮や熊野速玉大社が巡礼地として知られ、多くの信徒が参拝に訪れたとされています。熊野信仰が出雲地方や吉備地方にまで広まったかどうかは分かりませんが、全国的に影響を与えた宗教であることは確かです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
1。<出雲地方や吉備地方が山岳地帯>のためですね。
2.<熊野信仰は古代から中世にかけて全国的に広まった宗教>なのですね。

お礼日時:2023/03/16 09:00

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