プロが教えるわが家の防犯対策術!

野球には興味がないので無知に等しいです。

過去、一番早く(短い期間で)オーナーが撤退した球団はどこですか?
チーム名、オーナ企業名、期間を教えてください。

A 回答 (2件)

日拓ホームフライヤーズが最短でしょうが、球団消滅にまで至った下記2例も付記すべきと思います。



西日本新聞を親会社とする西日本パイレーツ。1950年セリーグ発足時に加盟するも
このシーズンが終わるとわずか1年で西鉄ライオンズに吸収される形で消滅しました。
まだ当時は地方都市福岡に2球団存在するのは無理があったということですね。

また、1954年、当時パリーグは7球団制で必ず1球団お休みとなる変則体制を解消するために
高橋財閥の個人球団として生まれた高橋ユニオンズ。いざスタートするもあまりの経費の多さと
不人気のため、翌年はトンボ鉛筆に名義を貸してトンボユニオンズと改名
(今で言うネーミングライツです)。
しかしトンボも1年で撤退、再び高橋ユニオンズに戻るも多額の経費に高橋財閥も音を上げて
1956年の1年で休止、消滅しました。一部の有望選手のみ大映スターズに引き取られたのみでした。
わずか3年なのに毎年名前を変えていた薄命の球団でした。
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この回答へのお礼

日拓ホーム・フライヤーズ
勉強させていただきました。
1990年以降だと、どこになるのでしょうか?

お礼日時:2011/10/29 11:47

日拓ホーム・フライヤーズ



現在も首都圏でビル管理パチンコ店経営など盛況の不動産業者「日拓」が、不動産ブームの利益で、
長く東急・東映グループで経営していた東映フライヤーズ(株式会社東急ベースボール倶楽部)を
1973年1月16日買収、日拓ホームフライヤーズ(オーナー西村昭孝氏)と改称、日替わりユニホーム等で話題を呼んだが、
一リーグ化を狙ったロッテオリオンズの吸収合併計画に失敗、累積赤字を恐れて、
一年もしない、1973年11月19日に日本ハムへ売却してしまった。

 幸い、人格者の新オーナー大社義規氏(永久欠番名誉背番号100)の陣頭指揮で
新生した日本ハムファイターズは、長期低迷を脱し
北の強豪 北海道日本ハムファイターズとして今日に至る。
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この回答へのお礼

日拓ホーム・フライヤーズ
勉強させていただきました。
1990年以降だと、どこになるのでしょうか?

お礼日時:2011/10/29 11:47

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