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空気が支配する村社会的日本と山本七平空気の研究で述べられてますが、人類の歴史をみると村社会的な空気はどの世界でもみられたもののように思えます。
それに抗う自由というのはどのようなことで起こったのでしょうか??
一神教をあげられることが多いきがしますが、イスラムでは村社会のような気がします。
カトリックとプロテスタントとの対立から自由が生まれた?
そこらへん解説おねがいします。

A 回答 (7件)

根源は人間本来の基本的欲求だと考えます。

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生産手段(=生活手段)の個人保有から個人の自由が生まれた。


生産手段を持たない限り、個人は組織や社会からの呪縛から解放され得ない。
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面白い質問ですね。

山本七平のことは、ちょっと置かせてもらいます。というのも、私があまり読んでいませんから。イスラム教のことも、実はあまりよくわかっていません。そこで近代的な自由についてだけ答えますが、これはカトリックvsプロテスタントの問題というより、むしろ、キリスト教vs古代ギリシア的民主主義の問題だと思います。結論を先取りすれば、自由を勝ち取ろうと民衆が蜂起した十八世紀のヨーロッパでは、時代を支配する「空気」であるキリスト教に対し、古代ギリシアの文化を支えに抵抗が起きた、と言えると思います。

この点を考えるには、まず、「近代的な自由」を認める法律とは何かを考えることが、議論の始めになるでしょう。近代の自由を認める基盤となったのが、フランスの人権宣言です。ここで自由はいいものだとされています。たとえば、第一条ですが「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」。人権宣言はこのように自由を認めることから始まり、さらに、五条では「法は、社会に有害な行為でなければ、禁止する権利を持たない」と自由を可能な限り尊重しようとします。
なぜ、自由が大切なのか。それはルソーの社会契約説の考え方があるからです。これは、かいつまんで言えば、人間は自由を享受すればするほど、立派になるという前提で話が進んでいるわけです。人間が悪いことをするのは抑圧されて、人間が歪んでしまうからに過ぎないと考えるのです。わかりやすく言えば、性善説です。
さて、では、人権宣言だとか、ルソーに影響を与えた文化や思想とは、どこに起源をもつのか。それは端的には、古代ギリシア文化です。フランス革命期には、民主主義を古代に実施しえたポリスにあやかろうと、ギリシアの文化が多くとりいれられました。実際、法律のみならず、芸術においても、新古典主義という様式がヨーロッパを支配したのです。民主主義とは何かを民衆に知らしめるべく、公的機関の建物は、巨大な円柱がそびえ立つギリシア様式に改築されたのです。

一方、当時のキリスト教と言えば、王権を支持する宗教です。そして、キリスト教では、基本的に人間は原罪を背負った罪深い存在です。自由になったら、人間何を始めるか知れないので、教会が管理しなければなりません。魔女狩りとか、地獄の強調とか、恐怖によって民衆を管理していたわけです(ジャン・ドリュモーの『恐怖の歴史』など参照してください)。もちろん、近年のキリスト教が変わってきたのも事実ですが、中世から十八世紀までのキリスト教は性悪説の側面を強調していたと考えられます。山本七平の議論に対応するか私はわかりませんが、かつてのヨーロッパにも「空気」と呼べるものがあり、それはキリスト教であったと、私は考えています。

さて経過の説明を飛ばして結論だけ書けば、十八世紀のヨーロッパで、ギリシア的民主主義とキリスト教的王権支持が闘って、ギリシアの方が勝利したのです。その結果、現代の法律の多くは、ギリシア的な、つまり、新古典主義の法モデルに根ざしているのです(日本もその一つです)。
でも、人間、自由になったら、何をしでかすかわかりませんね。人権宣言に多大なる影響を与えたルソーが障害者に性的虐待を加えていたとか、ミラボーが変質者だったとか、ギリシア的自由の信奉者らは、あまりにそれを謳歌し過ぎる傾向にありました。自由になった結果、たがが外れてしまった人が出現するのは、現代でも同じことかもしれません。
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社会性(分業化・組織化)の発達につれ、肉体的な衝動とは別に、


自己存在のための必要(社会的行動)が出てきた。

そこには、そうした“自己の生命性の肉体の外への延長”を認識
(社会生命的自覚)し、自律的に社会行動をとる(愛による助け
合いとしての社会)ほかに、お金や出世といった社会的な二次的
価値(馬車馬の目の前のニンジン)や、法規やモラルといった
外的権威(自己の衝動の充足とは別の罰から逃れる事による
社会行動)といった他律的社会行動の2つの方向性があった。

要するに、必要性を自覚し、それを自発的に行えば、生きる事
自体が喜びとなるのに対し、そうした認識の深まりを省略し、
社会制度の方の複雑化により“自由の抑制”による、かろうじて
苦痛から逃げる事による結果的生となる。
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共産主義的社会構造に於けるヒエラルキーの解体に際し


多神教的連立ピラミッドに相当する,一神教の多重人格化
(台形ピラミッドの形成)による,頂点分散型の多様化を目
指す,村イズムを基盤とする政教分離の実現を目標とした
のがプロテスタントではないだろうか.もって近代的自由
を獲得したかのように思えたのも束の間,あまりに人間的
であり肉欲的である人間は,資本主義による資本家を頂点
としたヒエラルキア的ヒエラルキー社会を実現してしまう.
結果,資本家による資本家の為の自由となった.この政資
合一が政教合一を思わせるのは気のせいだろうか.

ボクはキリスト教には詳しくないので
 さっぱりなんですが。(´ω`;)
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個人的に



村社会からの自由 → 2,3男が無宿者へ流れる、現代はホームレス
国家社会からの自由 → 無政府主義者、巨大資本による利益行動(企業体)
宗教からの自由 → 無神論者、世俗主義(国家政体として)
道徳からの自由 → 犯罪者、芸術家の創造的行動

それぞれ原因としては内因外因いろいろあるでしょうが、積極的な原因としてはなにものにも縛られないより広範囲な心身的行動への希求があるわけで、人間の持つ本質的なものではないでしょうか。だれだって縛られることは苦痛なのです。
それが社会的に大きな動きになるのは、やはり何らかの大きな事件がきっかけになっている学習的行動による場合が多いと思いますが、それは様々な歴史的な記述にあるとおりです(西洋の歴史には疎いです)。

空即是色、色即是空という言葉にも精神の自由が感じられますし、たとえば明治以前の日本人社会においても、人民は単に土地に縛られ、それこそ村落社会の掟に縛られ、おかみに監視されて生かされず死ぬ自由もなく、しかしのほほんとそれが当然と思って生きていたのでは必ずしもないと思います。「長いものにはまかれろ」とか「赤児と地頭には勝てぬ」とか仲間うちではぼそぼそいっておかみを内心バカにしていたわけで、祭りでの無礼講やら、お伊勢参りの高揚やらありましたし、彼らの心うちはそうとう自由だったのでしょう。でもこれらがおっしゃる近代的な自由とどうつながるかはわかりません。
申し訳ありません。
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NO・6 です。



>赤児と地頭には勝てぬ

訂正
「泣く子と地頭には勝てぬ」でした。

失礼しました。
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