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「自分へのご褒美」

この言葉を悪い意味で捉える人がいます。

「甘い」
「結局は自分のお金じゃないか」
「褒めるのは他人がすること」

しかし、自分で自分を評価するのは本当にそんなにダメなことなんでしょうか?

私は人それぞれ能力というのは違うと思います。
脳みそをコップに例えたら、
生まれつきそのコップの容量は違うと考えます。
大きさが違えばある一つのこと(勉学・仕事etc)
を成し遂げるのにコップが大きければ小さいよりたくさん入るし
小さい方に比べたら容易いでしょう。
平均点70点のテストを受けるのにも、
少し頑張ったら70点取れる人と、
少し頑張った人の倍努力しなければ70点取れない人もいます。

倍努力をした人が言いました。
「めちゃくちゃ頑張ったよ、私は努力したよ」
こう自分への慰めの言葉を言うと
少ししか頑張らなかった人は
「これで頑張った、努力したなんて甘い、自分へのハードルが低いよ」
こう言う人がいますよね。

これってあくまでその人の尺度で見てのことですよね。
でも、本人からしたらすごい努力したと思うんです。

自分の努力を認めたりする言葉はそんなに良くないことでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

いえ、自分へのご褒美は、


私も素晴らしいことだと思います。

確かに努力や結果に至るまでの過程など、
他人からしたら大した評価ではない場合が
あります。
社会人として仕事をしてる人なら、
必ず経験があるはずです。

でも、「自分自身が頑張ったかどうか」っていう
評価も、ものすごい大事なことだと思います。
だって、それが自信につながると思うので。

私も自分で目標を設定し、
それがクリアできたら自分にご褒美をするように
いています。
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子どもの頃は、出来て当たり前のことでも、よく褒められました。


若い人は、一人前のことが出来れば、褒められます。
そして、年齢を重ねるだけ褒められることはなくなり、厳しくなるばっかりです。
褒められたい気持ち、それが能力を伸ばすために役立つことは、変わらないんですけどね。

「自分へのご褒美」・・それは自分で自分を褒めることですね?
これが出来る人って、自分を人と見比べない。
人の評価に振り回されない。
過大な期待や評価はしない。
自分にいいペースを知っている。
自分にご褒美を上げる人は、要らないストレスを抱えこまない方法がわかっていて、自分の扱い方が上手い人だと思います。

私は野球には全く関心はないのですが、イチローのインタビューを見るのは好きです。
彼は、人の評価は二の次ですね。
どれだけすごいことをしたのかも。
自分にこなせそうな高さにハードルを上げて、地道な努力をしてそれを超えた時、自分へあげるご褒美が、人の褒め言葉よりずっとうれしい気持ちが伝わってきます。
人はその人なりのペースで、その人なりのハードルを越えたらいいのだと、インタビューを見る度に思います。

>「これで頑張った、努力したなんて甘い、自分へのハードルが低いよ」。こう言う人がいますよね。
ええ、いますね。
でもそんな人は、充実感を得るのは難しいですね。
きっと、ストレスいっぱいだと思います。
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> 自分の努力を認めたりする言葉はそんなに良くないことでしょうか?


多くのご回答同様に私も、「自分へのご褒美」それ自体は何も悪いこととは思えません。

相当な努力や苦労のあげく何かを成し遂げたときなど、他人の評価とは無関係に「われながらよく頑張ったよなあ」と自分で自分をほめてやりたい気分というのは、誰にでもたいてい経験のあることでしょう。
また、そんな気分の時に、普段とはちょっと違う贅沢をして「自分へのご褒美」と言ったりすることも、ふつうは誰でも理解や共感できることだと思います。

ただここで問題になったのは、それを他人にしゃべったことが発端で、
> 「自分へのご褒美」【なぜ】悪い意味で言われるのか?
のご質問になったわけですよね。

例えばAさんが「これは自分へのご褒美です」と言って高い買い物をするのを知ったBさんが
> 「甘い」「結局は自分のお金じゃないか」「褒めるのは他人がすること」
と(悪く)言うのはナゼでしょう、と言うご質問と考えます。

この場合、Aさんが「自分へのご褒美」をすることに対して、Bさんが否定的である理由は、私が考えるに次のうちのどれかではないでしょうか。

Bさんは
1)Aさんの努力した内容をよく知らない、
2)Aさんの努力した内容は知った上で、「努力した」は自分が贅沢したいための口実に過ぎず、「ご褒美」には釣り合わないと考えている、
3)Aさんの努力した内容はよく知っているし評価しているが、自分を甘やかして高い買い物をする行為を諫めたい、
4)Aさんの努力した内容はよく知っているし評価しているが、具体的な結果(成果)については評価できない。また、主観的努力はともかく客観的成果を軽く見ているAさんを諫めたい、
5)Aさんの努力した内容や成果はよく知っているが、Aさんに好意を持っていないので評価したくない、「自分へのご褒美」に共感したくない、ケチをつけてやりたい、
6)「自分で自分をほめてやりたい」という感情がそもそも理解できない

Bさんから水を差されたAさんが考えなければならないのは、
1)の場合ならば「Bさんは私がどんなに努力したか知らないんだから仕方ない」と考えてあまり気にしないこと。
2)3)4)の場合だったら、もしAさんが社会人であるなら、Bさんのキツイ言葉をむしろありがたく考えて、「自分へのご褒美」が「努力」に見合うものだったかどうか、また他人から見てどう見えるのか、などをこの際ふり返ってみるきっかけにして見る。それと、「これは自分へのご褒美なんだ」などと言うことは自分だけで思っていれば良いことで、ヘタに他人にしゃべるからこういうキツイ言葉をもらってしまうんだと言う教訓にする。
5)6)の場合だったら、Bさんと言うのはそういうヤツなんだと割り切って、気にしないこと。
……などではないでしょうか。

以上ご参考までに
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変な日本語だからじゃないの。


もともと褒美って、身分の高い人が格下の相手に対してするものでしょ。
現代では人間と犬とか。

「自分へのご褒美」なんて頭悪そう。
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「自分へのご褒美」があるから目標達成できる、ってありますよね。



しかしコマーシャルで使われる時は宝石だったり豪華な旅行だったり、余りにもご褒美の線から大きく外れている感じがします。

男性はすでにいつでもやってるので、今更ですね。一仕事終わったらビール飲もう、といった感じで。

ご褒美が欲しいのは、どんなにがんばっても節約が身に染み付いてしまって、120円の缶ジュースでさえ、家に帰って麦茶を飲めばいいから、我慢してしまう団塊の世代のバブル前の方々です。

どんなに節約して貯めても子供と孫にパっと遣われてしまうんだから、もっと自分にご褒美してあげていいんですよ。

しかし、自分の努力を認めるのはご褒美より、達成感ではないでしょうか。レベルが上った喜び。そこでビールと枝豆が付けばもっといいかも。
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「自分へのご褒美」ねぇ・・・肯定的な意見が多いけど、個人的には「単なる浪費癖の正当化」


ってイメージが強いです。

なんでだろう?「傍から見て頻度が多い」イメージになります。

まあ、単なる思い込みですけどね。後、男性はこの言葉を使う人が少ないイメージもあります。
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言いたいことは分るし、それなりに筋も通ってるのに共感できないのは、


多分、そういう人ってそんなに居ないからでしょうね(笑)。

仮に私が自分で自分を褒めた人に「甘い」という時があったとしたら、
本当に(客観的に見て)甘い時です。
悲しい事に私は大人なので、例えば職場の部下で結果も出てないのに、
そんな事を言う人間が居たら、甘いと指摘するでしょう。
努力の量ではなく、結果で見せろ、と。
あるいは、自分で自分を褒めるのなら他人が見てないところでやれ、と。
(そこまで文句を言うのはおかしな話だとは思いますから)
人前で自分を褒めるのは、アピールでしかありません。
仰る通り努力の尺度はひとそれぞれですから、
自分の尺度でアピールされても賛同しづらいのは仕方ないでしょう。

もちろん私の目から見ても、結果はさておいてもよくやった、と思うような場合には、
そのアピールに乗ってあげることでしょう。

ちなみに、

>少ししか頑張らなかった人は
>「これで頑張った、努力したなんて甘い、自分へのハードルが低いよ」
>こう言う人がいますよね。

これはちょっと事例としても違うかな。
他人に「甘い」と言えるのは、先述のとおり別の観点で指摘するケースか、
でなければその人以上に頑張った人です。

…とまあ、割に反対の立場で書きましたが、
基本的には、自分を褒めたいときは褒めればいい、と思ってます。
他人に褒めてもらうことを求めてしまうと「?」となりますが、
そうでない限りは、モチベーションアップの為にも自分で自分を認めてあげた方が良いですもの。
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何にしても文句を言いたがる輩は居るってだけの事。



深く考えても人それぞれだから仕方ないです。
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「自分へのご褒美」なぜ悪い意味で言われるのか?


「自分へのご褒美」
この言葉を悪い意味で捉える人がいます。
‥‥え~、そんな人いるんですか?知りませんでした‥。

自分の努力を認めたりする言葉はそんなに良くないことでしょうか?
‥‥良くない事ではありませんよ。人の、個人の勝手だと思います。

ただ、私は自分の努力は死ぬまで続くので その途中途中で自分にご褒美をあげていたらキリがなく、ご褒美毎に使われるお金も『塵も積もれば山となる』だろうから、自分へご褒美はあげません。

でも自分へご褒美をあげる事は 甘えではないと思いますよ。何分 人の勝手でしょうから。
自分にご褒美をあげない勝手もあるだろうし‥。
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「自分へのご褒美」 私もとても素敵なことだと思います。



ただ、こうした表現が出来るようになったのはかなり最近のことだと思います。具体的に言うと、
フォーク歌手の高石ともやさんが書いた詩の一節、そしてオリンピックランナーの有森裕子さん
が「自分を褒めてあげたい」と喜びを表した、あの頃から一般的な表現として耳にするようにな
ったと思います。

しかし、古来、この日本では、自分自身を自らが持ち上げる表現などは遠慮だとか謙譲の精神に
反するはしたない行為だとされてきました。自分自身は、本心はともかく、外に対しては常に一
歩下がって卑下した位置に置くのが慎ましやかで礼儀にも沿ったものだという国民性から来てい
るものだと思うのです。

なぜそんな礼儀が生まれたのでしょう。想像ですが、そこには年間を通じてムラの人たちと常に
協調し合うことでつつがなく平和に暮らすしかなかった農耕民族ゆえにいつしか出来上がった感
覚ではないでしょうか。ひとり良い子になって突出してしまい、それがためにムラ中で嫌われて
は生きていけない、そうした警戒感覚が作用していたのでしょう。

それから長い年月を経た現代、それでもまだそうした感覚が残っているのは事実です。そして、
どちらかというと保守的な感覚の持ち主にとっては、自分を自分で褒めるなんて…と、とっさに
感じてしまうのでしょう。

人の感じ方はいろいろ、でも、時代は変わりますし人の受け取り方も変わります。いいじゃあり
ませんか一部の人がなんと言おうと、素晴らしい結果を出し得た人は、誰はばかることなく自身
を褒めてあげる、それってとても素直で素敵なことだと思いますよ。
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