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人って何のために生きてるんですか?
別に死にたいとかそういう感情はないんですけど、
なかなか答えがでません。

生意気かもしれませんが
回答には、反論すると思います。
反論がでない答えを出した人をベストアンサーにしたいと思います。

返事も遅くなってしまうかもしれませんがお願いします。

A 回答 (31件中1~10件)

どうも。

No.17と20のwsg48です。

>苦から楽になる
ってのは幸せになりたいことに結びつくのではないのでしょうか?

そうですね。そうだと思います。
今現在の自らの苦の部分から自己改善点を見出し、自助努力によって克服し、結果的に生きていくことが少しでも楽になる。
例えば、勉強して資格試験に合格した(資格手当てがついて収入が増えた)とか、アルバイトで新しい仕事を覚えてできるようになって時給が上がったとか、スポーツで練習をして試合に勝ったとか、持病があるので生活を改善して少し良くなったとか、
その時は幸せを感じるでしょう。豊かさもここに入ってくると思います。
(そうしてその時感じた幸せを基準にすると、さらによりよく生きていくためにまた新しく自己の改善点が見えてくるので、それの改善の繰り返しによる、その頭でっかちではない実際の自主的な経験の積み重ねこそが揺るぎない自己の普遍的な幸せの持続の糧につながります)

ということで、No.20の、
「生きること」=「感じること」から、
「幸せ」=「感じるもの」と置き換えられるでしょう。
(「豊かさ」=「感じるもの」)

であるから、「幸せ」とは、究極は、自己の中の改善点の克服である(自己改善をしていなくて自信がなくて自己改善していて自信があるように見せたいから物欲に走る人がいるんですけど)から、「自分以外へ求めるもの」ではないと思います。
自分が幸せになろうとしてまわりの人を変えようとしても、「幸せ」の究極は自己の中の改善点の克服であることを考えると、人それぞれに改善の仕方があって感じ方もあるので、自分の幸せのやり方が必ずしもまわりの人にも当てはまらないから、結果的に自分のまわりの人を変えようとしても幸せにはなりにくいです。

なので、根本的には自らの改善点を自分中心で改善することが一番最初です。
(それから初めて相手があって意見交換をするとか協調するとかということから自分と外とのバランスの取れた幸せを共有できたり、思いやりとか絆が生まれてくると思うし、そうあるべきだと思う)

ここで、「幸せ」を感じたことがないというのはなぜかと言うと、

・自己の改善点に気が付いて知っているかどうか
・最初から社会一般のものに照らし合わせすぎてこんなもんだと思いすぎて、自分自身の具体的な改善点が見えなくなってしまっていないか
・地に足着いて改善する気力があるかどうか
・なぜ無気力なのか
・今までのほとんどが言われたままに言われたことだけをやってはいなかったか?

とかなんとか、ここは他人ではわかりかねるし自分自身で見つけていくものですが、

もっと楽に生きてみないか
http://www4.plala.or.jp/k-k/

これを読んでいくと、自己のどこに改善点があるのかがわかってくるのではないかなあと思います。

参考URL:http://www4.plala.or.jp/k-k/
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簡単に回答しますので、質問があったらして下さい。



これから書く事は、理論ですので、理論だけでは『本当の意味において分かった事にはなりませんが、分らないよりは良いという軽い気持ちで書いてみます。』

尚本当に分かったと言う意味は体得したと言う意味になります。言葉にするなら『彼岸に至る』です、或いは”道に達する”です、或は自分自身を知る事を意味します。専門用語では『見性』です。つまり”悟りを開く”です。

人間の心は子供時代では『一つのものとして働いています。』処が、大人の脳になると言う場合『脳の機能分化が完成する。』事を意味します。この脳の機能の分化が完成する場合に、人間の心は二つになって争う場合が有ります、この現象を聖書では『失楽園』と表現しています。

つまり『知恵が付いて神に背く』と言う意味は、心が二つに分かれてしまって、争いを始めるという意味です。

次なる言葉『神に背く』と言う意味は『右脳の意識に背く』と言う意味です。右脳の意識を脳の障害のために体験している動画が有りますので参考にして下さい。

URL:

この右脳と左脳は脳梁を介して常に情報交換しています。自分自身の心が対話している現象です。

もう一つ科学的な研究成果を載せて置きます。ウイキペデアからです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

この二つの意識が争う時『人間は意識の根底で、苦悩している事を意味します。』

この苦悩から解き放たれる事を『自分の性を見る』つまり見性したと表現しています。禅では『生死の問題が解決した』と表現します。

貴方の問題として置き換えるなら、子供時代には『人生が何だろうか?』とは考える事が無かったはずです。子供時代では『生きる意味』など考えなくとも充分幸せを感じていた筈です。

処が脳の機能完成を待って、疑問を感じています。是は貴方の中に『疑問を感じさせる者が存在するからです。』

この疑問を感じさせる者との出会いが『悟りを開く事』を意味します。学ぶものが在るなら『禅』です。鈴木大拙博士の著作したものによって、自分の性を見た経験が有ります。

生きる意味は『自分自身から提出された問題です。』答えは自分自身の心の中に存在しています。

この回答への補足

自分の世界観がかわりました。

おかしいとおもわれるかもしれませんが、
幸せを感じたことがありません。
そもそも幸せってなんでしょうね。

楽しいと思えることはたくさんあるのですが、
幸せか?って考えると違うと思います。

補足日時:2012/05/20 13:12
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こんにちは。



生きる意味なんて考える必要ありません。
動物は生きる意味なんて考えません。

人間は理性があるけど、所詮動物の一種です。

バルザックの言葉に「理性は人を殺す」という名言があります。

私は生きる意味なんてどうでもいい。
ただ、生きている。それで十分じゃないですか。

この回答への補足

すいません。
受験なのでしばらくもどれません。
しばらくしたらまた返事しますね。

補足日時:2012/02/05 16:02
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NO.15です



お礼いただきありがとうございます。

悔やむことのない死は本望ですね。

悔やむことがないということは欲に対して

全てを全うしたことにもなりますから

そのようなことは現実にはなかなか無いと思います。

その悔やみをなるべく少なくするために人は日々

努力していると思います。
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この回答へのお礼

それは幸せになりつづけるために生きているってことにも当てはまりますよね?

お礼日時:2012/05/20 13:17

>仏知紳力のことがよくわからないので、


もう少し説明していただけると助かります。

回答NO5の続きです。
仏知とは最高の知恵です。たとえば現在の経済危機をどうすれば、克服出来るのか?、病気をどうすれば治せるのか?。それに対する最高の回答出来る知恵です。
神力とは、生命や自然現象を動かす力です。最近は、医学があまりに無力で、仏教やその他の宗教をみなおさなけれる動きが出てきていると考えます。薬師如来は病気を治す仏様ですが、迷信ではありません。病気を治すには、身病心患ともに安心がなければ直せません。また正しい食生活を実践できなければ直せません。酒を飲み放題のみ、煙草を吸い、肉を沢山食べ、白砂糖の菓子を食べていては直せません。安心は自律神経を健全に働かせるためには必須の条件です。
自律神経は睡眠、呼吸、排泄など、無意識ななかで生命維持のために4.6時中働いております。
医学は発達したとはいっても、また遺伝子について大分解明されているといっても、生命につ対しては、まだまだ無力です。
無力だけでなく、病気の多くの部分が、薬害や医療の失敗からきている医原病で占められているのが現状です。
これは病気になってみると、いかに現代医学が無力であるか、思い知らされます。結局は、安心を頂いて、自律神経を健全に働かせて頂き、正しい食生活によって、つまり自然の力によって直して貰うほか無いんです。そしてそのための意志力が無ければ、直せません。
生命は偶然、この地球上に存在しているのではありません。存在させている大いなる存在、それが神です。釈迦、空海はただの人間ではありません。仏知神力を備えたかたです。
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この回答へのお礼

たしかにいまはいろんなものに頼っているところがありますね。

26に自分なりの考えを書いたのですが
仏教ならではの観点で意見をいただければ幸いです。

お礼日時:2012/05/20 13:16

No25の回答が分かり辛いだろうなと思ったので再度




【私は家族の為に生きています】
『じゃあ家族がいない人は生きる意味ないの?』

【私は将来の夢を実現する為に生きています】
『じゃあ将来の夢がない人は生きる意味ないの?』
『夢を叶い終えたらもう生きる意味はなくなるの?』

【私は私がやりたい事をする為に生きています】
『じゃあ自分のやりたい事が事情により出来ない人は生きる意味はないの?』


こんなやり取りしてたって
全員に共通する生きる意味なんか見出せません

家族が生きがいの人は家族が生きがいなんです、嘘偽りなくね
家族がいない人の生きがいなんか知ったことじゃないです

他の方も似たような事をいってる人がいましたが、
僕らに生きていかなきゃならない神に授けられたような使命はありません
全人類に共通している生きる理由なんかありません
たまたまかぶった程度ならありますけど


以上のことから個々の『生きる理由』に目を向けたところで
全人類に共通している共通点なんか一個もありません
くどいようですが、たまたまかぶっていることはありますが
『生きる理由』を見出した思考の根源に目を向けてみてはどうですか?
生きる理由が出来上がる一番最初の工程に欲(欲する気持ち)がありますから。

生きる理由とは
個人個人の『欲』が
姿かたちを変え、最終的には全く異なった形になっているイメージです


人の生きる意味に
『じゃあこの場合はどうなの?』なんて反論したところで

え?しらねーよそんなもん
俺には俺の形があって
お前にはお前の形があるだろ?

ってなもんです


生きる理由とは
個人個人の『欲』が
姿かたちを変え、最終的には全く異なった形になっているイメージです
全人類に共通している生きる意味は
【理由や意味】の部分ではなく自分自身の思考によって【理由や意味が生まれる前】の部分です。


で、僕らが持っている【生きる理由】は
僕らの勝手な後付理由ですが
本人にだけ適応される嘘偽りのない生きる理由、生きる意味です。
洗脳されてたり脅迫されてんなら違うけど
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この回答へのお礼

大変遅くなってしまい申し訳ありません。
なかなかまとまった時間が取れなくて、やっとひと段落しました。

だんだん自分のなかで答えが見つかりかけてきました。
欲(幸せになりたい欲求)→幸せになったらそれを維持し続ける(死ぬまで)
これの繰り返しではないかと思います。

これなら誰にでも共通するものだと思いますがどのように感じますか?

お礼日時:2012/05/20 13:04

No12です


またまたお礼を有難うございました
こうやって話合いをするのは僕は好きですので
また返信しますが、返事は特に要求しないので
気が向いたらでいいです


>それを訂正するなら
>やりたい(生きる意味、いきがい)ことがある→そのために生きなきゃいけない→生きていくために仕事をしなければいけない

>それで、なんで納得しないかというと
>人の心を100%理解することが不可能だからです。
>なぜなら主観というものがどの人にも備わっているからです。

貴方の言うとおり人の心は100%理解できませんし
他人がそれぞれ勝手に持ってる生きる意味の解釈なんか分かるはずもありません

○家族の為に生きている
○趣味の為に生きている
○大切な人を悲しませたくないから生きている
○この世には楽しい事が沢山あるから生きている
○将来の夢を実現するために生きている
○大切な人とめぐり合うために生きている
...等々

しかし、生きる意味を見いだした核はみな同じです
それが【欲】です
表現は絶対に【欲】である必要はないかもしれません
【意思】【自分の気持ち】【望む事】
なんでもいいかもしれませんね
しかし余計にややこしくなりそうなので(自分だけかもしれませんが)
例に挙げた全ての言葉に関係している【欲】と言う言葉を僕はチョイスしただけです

>欲がなくなったら(寝たきり、植物人間)になったら生きる意味がなくなるのでしょうか?

はい、本人には生きる意味も死ぬ意味もありません
寝たきりはまだ意思があるので分かりませんが
植物人間になれば本人に生きている意味はありません
他人が生きる意味をその人に押し付ける事がよくありますね
まるで本人の意思かのように。

本当に生きる意味がない人は意識のある植物人間になります
自殺志願者さえ生きている意味を持ってるんです
それが本人にとって正解か、間違いか
後悔するか、しないかは別として。


>ちなみにこうやって、答えを出していくやり方を弁証論といいます。
>それが根底の共通している何かを探すということです。

考える事は楽しいですよね
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この回答へのお礼

26に自分の考えをまとめたので拝見していただけるとありがたいです。

遅くなってしまいすいません。

お礼日時:2012/05/20 13:13

NO.15です



お礼をいただきありがとうございました。

補足をさせていただきます

生きるという意味は

自己の力で生きるという意味ですから

かけがえの無い人だから生きていて欲しい人の

こととは別次元の話になります。

回答者さんからいろいろ生きる意味のことが出てきますが

悔やむことの無い一生を過ごしたいものです。

ここに生きる意味があります。
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この回答へのお礼

ぼくの考えがひねくれてると思いますが、


悔やむことの無い一生を過ごしたいものです。

ここに生きる意味があります


これを言われると、
悔やむことのない人生の時に死ぬことも
ありなんじゃないかと思います。

そこのところご意見お願いします。

お礼日時:2012/01/28 23:25

回答No.14です(^_^)



お礼有り難う御座いました(^O^)

あ、カマキリですが…極稀に逃げ出す雄が居るようですが殆どの個体が大した抵抗無しに捕食を受け入れ(?)ます。

〉このカマキリの雄のように、やりきったら死ぬくらいの生きる意味が欲しい

確かに憧れ?ますよね(笑)
でも人間はカマキリやマンボウのように「大量の赤ちゃんを産んで数撃ちゃ当たる生き残り術」ではなく、進化上「少数をより確実に育てる術」をとっています。

だからカマキリのように産んだら「増殖完了」でない限り、長いスパンで子育てする人間はすぐに役目をやりきったという状態にはならないのですね…。

ですが我が子の為に命を捨てなければならない状況なら、人間もカマキリと変わりません。(私を含め恐らく多くの親がそうです)

カマキリも死ぬ必要が無ければ死なないのかも。

さて、追加で頂いたご質問ですが…

〉よくモテるために…そういう人たちは本来の役目は終えているのですか?

教授の持論から考えると、「増える」のが本来の役目ですので「モテるために部活に入った」だけでは増えておらず、途中経過ではあるものの「役目を終えた」訳では無さそうです。


他のご回答者様が仰っていたように「子供が巣立つまで死ねない」というのが、まさに「増える」という役目を果たす状態なのではないでしょうか(^_^)

子供がまた子供を産み「増える」事が可能になるまで、人の親が根本的な役目を果たしたとは言えないのでしょうね(^_^;)


因みに伴侶の浮気が嫌われる心理傾向にあるのも、そういうのが関係あるみたいですよ。

例えば旦那さんが浮気にうつつを抜かしている間に襲撃などがあった場合、子供の生存率が下がって「増える」という役目が脅かされる…というのが深層心理としてあるんですって(^_^;)

まぁ、天敵の襲撃なんか滅多にない環境を作り上げてきた現代では「お金や愛情を入れてくれないと子供の成長に関わる」という風に変化してるかもしれないですね。


うちは女子大だったので特に教授の「繁殖力の無い人は本来の役目としては終わっている」発言に非難轟々でした(^_^;)

…が「生物学と心理学は密接なんだ。
だが生きる本来の役目を果たせないからと言って生きる価値が無い訳では無い。
まして“増えること”に貢献する事だって出来る、だから生きる意味は作ればいいんだ。」

って言ってました(^_^)

この回答への補足

大変遅くなってしまいすいません。
26番さんのところに自分なりの考えを書いたのでそれをみてください。

ただし、これは人間だけのことなので
動物には含まれない考え方です。

繁殖のことはたぶん新たな幸せを求めているのだと自分なりに解釈しました!

補足日時:2012/05/20 13:06
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#9です。



お礼での質問に答えてみます。

1.人生の目標は多様にあるってことですね。その根底に共通する部分はないのでしょうか?
 >欲望と恐怖。

2.生きるいるというのは、どのようなことなのでしょうか?簡単な質問に見えますが、意外と悩みます。
 >悩むこと。

この回答への補足

言い切るだけでなく、具体的に説明してください。

補足日時:2012/01/28 23:16
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