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よく侍が切られる時、「無念じゃ~」と言ってお亡くなりになられます。

現代でも、くやしい・悲しい時に「無念です」と使います。

"無念"という言葉を辞書で調べると、悔しいという意味を持っていますが、言葉そのものを見ると
"念が無い"=「すっきりした気持ち?」 と読めます。

なぜ"無念"=「悔しい・残念な気持ち」 となるのでしょうか?

ご存知の方おりましたら、よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

「無念」には二つの意味があります。

まず、「邪念がなく、無心であること。すなわち正念」。もう一つは、「正念を失って口惜しく思うこと」です。したがって、無念には、「無心」と「残念」の相反する意味があることになります。「無念無想」のときは前者で、「残念無念」のときは後者です。

「無念無想」とは 心を無の状態にして、妄念邪念から脱却し無我の境地に至るということです。

「正念」簡単に言うと悟りを開くということです。

「念」と言う言葉自体が 「邪念」か「正念」かの2つの意味があり、どちらでとるかで意味が正反対になると考えられます。

ちなみに無念ともよく使いますが、残念無念というのもよく使われます。
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この回答へのお礼

皆様方、ご回答どうもありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。m_ _m

やはり、無念には二つの意味合いがあるのですね。理解する事ができました。

これで侍様も成仏できる事でしょう^^

お礼日時:2005/05/12 09:06

#1です。

補足します。

>またかねての望みなどをあらわしますが、

望みがなくなることから、残念!の意味になったと思われます。
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むねん→ぶねん 【無念/不念】




(名・形動)[文]ナリ
不注意なこと。考えが足りないこと。また、そのさま

ということからご理解できるのではないでしょうか。
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 本当は心の中では残念な気持ちだけれども、自分自身に言い聞かせる様な気持ちで「無念」と言うのを、実際の心情を汲み取って「悔しい・残念な気持ち」という意味合いに変わってしまったのではないのでしょうか。

 
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下記、参考URLからの引用です。

 

「むねん」というと時代劇などで「むねんじゃ」などと使われますが、一般には非常に悔しいこと、残念なことをいいます。

 この無念の「念」は観念や思想、心にかかること、またかねての望みなどをあらわしますが、これが「無」の状態が仏教語での「無念」となります。

 つまり執着の無い正しい思いや、とらわれた心の動きを離れて無我の境地に入り何事も思わないことが仏教本来の意味です。

 ですから悔しいこと、残念なことがあった時には「むねん」に思うだけでなく心を落ち着けて「無念」になってみることも大切でしょう。

参考URL:http://www3.ocn.ne.jp/~toudaiji/butujimonosiri.htm
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