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レオ10世いわく、
寄付金箱にチャリーンと金貨が鳴れば、
天国にビューンと飛ぶであろう。

とか。

本願寺顕 にょいわく、
免罪符を買えば、すべての罪は許される。
極楽浄土する。



ぼく、いわく
金の亡者ですか?教祖わ。
詐欺としか思えない。

A 回答 (12件中1~10件)

教祖、いわゆる宗教宗派の創始者は、貧しい布教の旅で施し・寄進を受け、彼を信ずる者たちは、彼を敬い寄進をつづけたのでしょう。



人には皆、そういう心があります。

ときが経ち、お互い、その行為を自分自身の欲望とし、豪華な衣をまとい、うまいワインを手にする豚のように太った司祭が現れたり、自身の栄達、栄耀栄華を極めることしか考えない僧侶が現われたのでしょう。
自身が天国に、極楽に行きたいがために、搾取し、貧しいものから、さらに盗み続ける者たちが現われたのでしょう。

人には皆、そういう心があります。

だます方も、だまされる方も悪い!
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聖職者という目で見ているから、普通に生活費が必要であっても、


そういう厳しい目で見られるのでしょうね。
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カネ使って得る快楽の方が、成仏目指して修行つづける快楽よりも好きなんじゃないかね。

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托鉢において、お米を出すのと、お金を出すのとで、何か


違いがあるのでしょうか?
そもそもそれは、インクで汚れた紙切れや手アカで汚れた
金属片に過ぎず、貨幣は、物々交換の延長として、遠くで
間接的に「交換」するための、“助けてもらった感謝のしるし”
あるいは“この人は他人の役に立つので助けてあげて下さい”
という助け合いの情報こそが本質なのです。

ところが、その汚れた紙切れに独立した価値があるように
考えて奪い合い、助け合いの心を見失う、その心の在り方
こそが悪なのです。
もし宗教者が過度にお金を求めれば、それは悪だし、
信者の方も、金を欲しがるのは悪だといって、適度な喜捨を
惜しむのもまた悪です。
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どちらかと言うと信者の方から


喜んでお金を差し出す事が多いです

信者は何故お金を出したがるのか?
その分の見返りを期待してしまうからなのでしょうかね

貢ぐためにお金を稼ごうとする事は生きる力にもなりますので
悪い事ばかりでも無いです
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 こんにちは。



 ★ カネを欲しがる
 ☆ のは 《牧師や坊主》に限らないと考えます。誰れもがです。誰れがこう彼れがこうと言っても始まらない つまり 五十歩百歩だと見るべきでしょう。

 ★ レオ10世 / 顕如
 ☆ が何を言ったとしても それに従う人間がわるいでしょう。
 一人では人間が弱いとすれば 力を合わせて間違いをただす手立てを考えて行くべきでしょう。




 組織宗教に対する弾劾は 人間の歴史として遅れていると思います。

 万人が司祭という方式を取ったとしても 組織は存続しましょう。

 みなが互いに同朋という考え方は まあまあいいのではないでしょうか? 信仰者の集まりであるけれど 互いにその主観を自由に発言し合い 向上を期すというのみの寄り合いであるのならば。

 組織宗教に対しては 自己解体を勧めましょう。
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「牧師や坊主は、なぜ、カネを欲しがる」



とうのは、ちょっと長く書き直せば、

「牧師や坊主という立場になる人は、誰一人としてカネなど欲しがることは無いはずなのに、カネを欲しがるような牧師や坊主もいるのはなぜか」

という意味ですよね。

牧師や坊主ですら、そういう人がいるのですから、いかに、自分を見つめ、自分を知り、自我を乗り越え、自分を高めるのが難しいかということです。

もう一つ、組織になってしまっているという問題があります。
そして、その組織を守ろうとするとカネが必要になることが多いです。
組織というのは、常に気をつけないと「腐敗」する方向に向かいます。
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世の中のことを、つまり人間をよく知って


いるからだと思います。

パクリですが、こんな話しがあります。


ある所に、若いお坊さんがいました。
そのお坊さんは真面目な人で「悟り」について
一生懸命考えていました。

あまりに根を詰めて考えていましたので、
師匠である偉いお坊さんが、心配して、こう言いました。

「寺で座禅を組んでいても、何も解らぬじゃろう。
 旅に出てみないか」

その言に従い、若いお坊さんは、旅にでました。

旅は言語に絶するほど辛いモノでした。
雨の日も、風の日も、雪の日もありました。
犯罪にも遭遇しました。
そうやって苦節30年。

若いお坊さんは、身も心もボロボロになり
這うようにして、お寺に帰ってきました。

そして、師匠のお坊さんに、告げました。

「遂に、悟りを開きました」
「おお! で、悟りとは何かな?」
「はい。金が総て、です」

師匠のお坊さんは、はたと膝を打ちます。
「偉い! よくぞ悟りを開いた!」

その後、二人は金儲けに邁進し、幸せな一生を
送りました。

メデタシメデタシ。
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生ぐさ坊主は昔から定番です。

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本願寺は金の亡者というか、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗は、それが教義ですよ。



えげつないぼろもうけや詐欺まがいのことは、どうかと思いますが、牧師さんもお坊さんも生きていかなければならないし、維持費もかかるのだから多少は仕方ないのではないでしょうか?

別に信者ではありませんけど。
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