No.5ベストアンサー
- 回答日時:
認識しえないのは脳の中には神を理解出来ないんでしょう。
全知全能が神ならば、自己と他者との境界がないので、全ては一つであり一つは全てである。
森羅万象ひとつひとつが神の一部であり=神である。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。
○ 神は 人間の精神ではない。
こう捉えておいででしょうか?
★ 森羅万象ひとつひとつが神の一部であり=神である。
☆ 神の遍在という主題であるようです。
ただまだあいまいだと思われるところは
★ 神の一部
☆ とは何を言うか? これがはっきりしないところです。
○ 神は 無限ですから その一部というのは どの一部をとってもやはり 無限です。
だから
★ 神である。
☆ というのは・つまり 《遍在》を言うのはいいとしても その無限あるいは絶対ということのあり方が まだはっきりしません。
★ 自己と他者との境界がないので
☆ この自己や他者は 人間のことを言っておられますか? まさか神のことではないでしょうから。つまり もしあなたと わたしとで その境界がないというとき それはやはり 神の遍在のことを言っていますよね? つまり それは・そのことは われわれ人間に分かることですか? 分からないと思うのですけれど。
つまり
★ 認識しえないのは脳の中には神を理解出来ないんでしょう。
☆ ですからつまり このように《われわれ人間の脳は 神のことが分からない》というのになぜ
★ 自己と他者との境界がない
☆ と言えるのか? これが あいまいだと考えます。
つまり
○ 神は 人間の精神ではない。
と言っていないとはっきりしないと考えます。精神とは 脳のことでしょうから。
No.8
- 回答日時:
「見よ、神はいと高く、私たちには知ることができない。
」 (ヨブ36:26) ぼけゆさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
▲〔ヨブ記(口語訳ですが)〕 ~~~
36:22 見よ、神はその力をもってあがめられる。
だれか彼のように教える者があるか。
36:23 だれか彼のためにその道を定めた者があるか。
だれか『あなたは悪い事をした』と言いうる者があるか。
36:24 神のみわざをほめたたえる事を忘れてはならない。
これは人々の歌いあがめるところである。
36:25 すべての人はこれを仰ぎ見る。
人は遠くからこれを見るにすぎない。
36:26 見よ、神は大いなる者にいまして、われわれは彼を知らない。
その年の数も計り知ることができない。
~~~~~~~~~~~~~
★ 「見よ、神はいと高く、私たちには知ることができない。」 (ヨブ36:26)
☆ というかたちで 知ることになるのでしょうね。
つまり 神は 人間の精神ではない。と。
No.7
- 回答日時:
A6です。
伝えるのがむづかしい。
理解してもらうのがむづかしい。
これを簡単にするのが美を慈しむ心です。
美は感性の輝きであったり開花であったりする。
これは非思考でなく言葉に表せます。
しかしそれだけだと自らの心にたどりつく事で、神とは無縁であったりするかもしれないけども、そう考えるのは現在の私の美の表現能力から来る、迷いと言うか、自信の裏付けの無さです。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。
つまり 美が 有効な伝達手段であるかも知れません。
表現――つまり 自己表現――と言えば たとえばスポーツででも出来る。
世界選手権でのなでしこの優勝は 一編の美であった。
でも言葉では伝わらない。相手の状態にも問題がある。
言いかえると 一対一でじっくりと話し合いを持たないと 相互理解はすすまない。
とは思うのですがねぇ。
No.6
- 回答日時:
最近のあなたのほかの質問とも合わせて言いたいことは理解できるのだが、反応することは難しいよ。
私は精霊と戯れていてね、
父が聖霊を使わす。
こう表現するときの父そのものであったり、
私自身がセレビィであったりする。
この辺りの複雑な事柄にあまり悩んでないよ。
むしろ楽しんでいる。
ご回答をありがとうございます。
そうですね。
三つくらい 種類がありましょうか。
全然知らなかったというほどの質問。うっすらと・あるいは或る程度は知っていても 関心が薄く無頓着で しかも質問を立てる前にも情報検索をしないまま 問う場合が ひとつ。
かなり問い求めがすすんでいるのだけれど あとで気がつくとうっかり見落としていたところがあったと分かるような場合で そういうときには 途中から自信を取り戻して 回答者と丁々発止とやり取りをすることになる。
すでにほとんど分かり切っている。けれども そのことが 一般のジョウシキにならない。それは どうしてなのか? という場合。この質問が それです。
★ ~~~
私は精霊と戯れていてね、
父が聖霊を使わす。
~~~~~
☆ この《せいれい》は 使い分けていますか?
聖霊は 人間の精神ではなく 非経験。つまり 神。
精霊は 到るところに感じられる場合がある。早く言ってしまえば 聖霊なる神の分身。あくまで その感覚は 主観のもの。その範囲を出ない。
そうして
★ ~~~~
私は精霊と戯れていてね、
父が聖霊を使わす。
こう表現するときの父そのものであったり、
私自身がセレビィであったりする。
この辺りの複雑な事柄にあまり悩んでないよ。
むしろ楽しんでいる。
~~~~~~
☆ これはこれでいいんでしょうが――そして この質問とは直接には関係しませんが―― 問題は そのような体験を得ていて そのあと その体験がどう活かされて来るのか。ではないでしょうか?
そこのところは じつは 表現がむつかしい。
ちょっとやそっとでは 表現が伝わるというものではないらしい。という問題がつきまとう。
とは思います。
なぜなら わたしの考えでは そのように《たのしむ》のは 人びとに伝えるためであると思うからです。
けれども 神は人間の精神であると思っているかぎりでは そもそも表現能力の以前に壁がつくられている。といった情況があります。これを問題にしています。
きれいごとをなじっておられましたが そういう問題でもあります。あたまで立って逆立ちしているという問題です。うまく作文すればよいとでも思っているようです。それは 神が人間の精神であると思うところから来るのではないか? うんぬんです。
No.4
- 回答日時:
処が、なかなかその出会いのきっかけが掴めないでいます。
道元でさえ『全ての人に備わっていながら、どうして修行をしなければならないのか?』と言う疑問から、仏門に入っています。『一切衆生悉有仏性』と言う意味は、花も、木も、或は生きとしいけるものが持っている『備わっている働き(遺伝子も含めての)』を働く意思の事を云っています。
その意志(意識)は『自分が無意識の時に働いています。』眠る場合では、自分はその者に身体も心も預けています。そうしてその預ける作業が終了した後に、その者が、身体も心も熟睡に入らせています。
人間(自我意識)はそういった一連の作業を、全て自分(自我意識)がやっていると勘違いしています。
その勘違いの最多たるものが『不眠症です。』現代の最先端の医学を持ってしても、『その原因は分かっていませんが?』その原因は、二つの意識の仲違いです。つまり『心の矛盾』によって発症しています。
その意味するところは『自我意識単体で眠りに付こうとしている事です。』無意識の力を借りようとしないか、借りる事が出来ないでいる状態を指しています。
無意識の力を借りる事が出来る場合は『自我意識が』眠る事を忘れた場合です。自分(自我意識)を忘れた場合のみに『人間の心も身体も行動も』正常になります。
貴方の場合にはもう『悟り』を得ている事を意味します、何故なら『二つの意識が上手く同調出来ているからです。』
二つの意識の分裂は『心の悩みや深刻な疑問にまで』発展しているからです。心に違和感や、漠然とした不安が、湧き上がる場合を『二つの意識が争う』と表現できるからです。
くだらん。問いが違う。
仏性(ないし神の霊)を宿すことと 神であることとは別だ。
人間が自我意識だという見方しか出来ないから 神経のやまいをかかえこむのだ。
これでもご投稿は感謝すべきなのだろうか。
みなさんや サポート担当の方たちに申し上げます。
この回答者とは もう百回は同じことをやり取りして来ているということです。
No.3
- 回答日時:
お久しぶりです、お元気そうで何よりです。
貴方が思索する世界からは『神の姿は見えません』この意味するところは、『言葉を使わない脳の中に、神が存在するからです。』神には言葉が有りません、貴方の脳の使い方の問題です。
神が存在する脳の機能だけになって、『言葉を使う脳に血液が流れ難くなった、脳科学者の体験による動画』を載せてみます。参考になるなら有り難い事です。
禅問答が解ける場合も同じです。意識する脳が『意識しない脳の意識』と出会う場合に『神と出会う事』を意味します。
人間を人間たらしめていて、人間の命そのものを働かせている意識を『神』と形容しています。腹が減った事を『言葉によらない情報として』送っている意識です。
高いところ上がった時に『怖いという感覚と一緒に、どの位の高さなのかと言う情報も瞬時に送っている者です。』
自分を自分として『認識させている者』です。寒い事も暑い事も『自我意識に知らせている意識です。』
毎日毎日、五官から入る情報を『送り続けています。』
動画です。
URL:
ご回答をありがとうございます。
それは ふつうの自然本性としての身(感覚)と心(精神の三つのハタラキ)のことです。
★ 人間を人間たらしめていて、人間の命そのものを働かせている意識を『神』と形容しています。
これなら 信じるも何もありません。生まれつきそなわっているのですから。
No.2
- 回答日時:
私は神は人間の精神だと思いますよ。
理由はこうです。
あなたがベッドで眠って夢を見たとします。
その夢は、1000人以上もいる繁華街の夢でした。
この1000人もの人々は全部、ベッドで眠っているあなたの心から出ているからです。
その一人一人の精神の中にはベッドで眠っているあなたの精神があるからです。
ベッドのあなたを神とした場合の話です。
この世界は実在の世界ではなく、神の夢の世界なのです。
ご投稿をありがとうございます。
ここまでとは思いませんでした。
ちょっと反応がありません。
そうですね。
○ 神とは何か? その定義がもしあれば 明らかにしてください。
というところでしょうか。
質問者の持つ定義をも明らかにしておきます。
【Q:なぜ神を勘違いしたままでいるのか?】
○ (信仰類型論から見た神とは何か?) ~~~~~
§1 考えても 分かるか・分からないかが 分からないこと
世の中には およそ 二つの事柄がある。考えて分かること(Y)と考えても分からないこと(X)と。
Y=考えれば分かること。
(いまは分からなくとも いづれ経験合理性に基づく科学行
為によって分かるようになると考えられること)。
(科学が真実と判定したあと 真実ではなかったと判明する
場合にも その誤謬について 〔有限ながら〕合理的に説明
しうることがら。)
X=考えても分からないこと。
(いやむしろ分かるか・分からないかが 分からないこと)。
(人間の知性を超えていて もはや経験合理性によっては そ
のことの有無・可否・是非などを 判定しがたいことがら)。
(もしくはつまり むしろこのように想定してしまっておくこ
とがら。 )
ひょっとすると 世の中は Yの経験領域のことがらだけであるかも知れない。X は 経験を超えた領域のことであって それが有るとも無いとも 決められないことがらである。
経験領域(Y)を規定するならば 《経験領域(Y)でない領域》は 規定済みとなる。もはや超経験領域(X)は その定義の中に――あるいは その外に――織り込まれているとも言える。だが それとして重ねて触れたほうが 説明のしやすい場合が多い。それゆえ 用語に加えたい。つまり あらためて
超経験の領域= X
超自然・非経験・絶対・無限・永遠・
〔そしてこのような意味での〕神・
〔人によっては次のごとく言う〕無・無神・空
人間の精神は X ではない。人間じたいも 経験存在 Y であり その精神も有限であり Y に属す。《精神は 永遠なり》というのは 想定上 《 Y は X である》と言っており――冗談でない限り―― 間違いである。(→§3)
さらには 《無意識》はどうか。これも 経験領域 Y に属すのであって 非経験 X ではない。神でもなければ 絶対法則でもないだろう。
§2 《考える》と《信じる》
考えるのは そして考えたことを表現するのは そしてまた表現をとおして意思疎通をおこなうのは さらにそして大きくこの意思疎通の歴史を記録し伝えあっていくのは 人間である。特にこの人間を 経験領域 Y の中より取り出して その位置を捉えよう。
人間存在 = Z
とすれば 経験領域 Y に対して人間 Z が取る態度としての関係が いまの議論では 《考える( Y-Z )》である。だとすれば 取りも直さず 非経験の領域 X に対するわれわれ Z の関係は 《考える》ではない。ありえない。考えてもよいが それが意味をなすかどうかは 分からない。
《考えても 分かるか・分からないかが 分からないもの(= X)》に対するわたし Zi の関係は 一般にも 《信じる( X-Zi )》と称される。
これは 《考える( Y-Z )ではない》という意味で 《信じない・もしくは無を信じる( nonX-Zi )》と名づけても 同じことである。そもそも X が 経験世界で言う有であるか無であるか 分からないゆえ X=nonX であり どう表現しようと 《わたし Zi 》の勝手なのである。(信教・良心の自由という公理)。
したがって わたし Zi は 信じる(つまり 信じないの場合も同じ)の対象(したがって すでに非対象)を 《空(欠如) 》 X-Za と言おうが 《阿弥陀仏(無量寿・無量光)》 X-Zb と言おうが 自由であろうし 《神》 X-Zcとも 《ヤハヱー》 X-Zd とも 《アッラーフ》 X-Ze 等々とも 言い得る。
逆に 気をつけるべきは 信仰において 信じる対象は わたし Zi がわたしの精神によって思考し想像して抱く神の像ではないということである。すなわち《神》といったことば・概念・想像は 《考える Y-Zi 》の問題である。
人間 Z が信じるのは 道徳規律でもなければ 倫理の信念でもなく 神という言葉じたいでもない。神という文字でもなければ 聖典なる書物じたいでもなく むろん k-a-m-i という発音でもない。X( X-Z )は Y( Y-Z )ではない。後者( Y-Z )には特に 精神とその産物を含むゆえ この想像物としての神( Y-Z )と 想定上の神( X-Z )とは峻別しなければならない。
§3 超自然 X が 経験世界 Y ないし人間 Z の
歴史( ΣY-Zn )に介在しうるか。
これに対する答えは むしろ簡単である。
絶対者 X を想定したときから すでにわたし Zi は その X による介入を受けて来ている。もしくは 介入などありえないという形(=無神論 nonXーZi )において 関係が想定されている。
介入という表現が 適当でないとすれば わたしとその世界( ΣY-Zi )は 思議すべからざる絶対者 X (= non‐X )に対して 開かれている。閉じられていないということが 重要である。考えても分からないことなのだから 締めたり閉じたりするわけには行かない。
しかも ややこしいことには わたし Zi たる人それぞれによって その介入のあり方( X-Y-Zi )は 決して一様でないことである。同一人のわたしにしても その人生のなかで さまざまに変化するかも知れない。(宗旨替えなどと言われることが起こる)。
議論を端折るかたちになるが 問題は いまの介在のあり方について その基本の形態を 一人ひとりが 明確に判断し 仮りに変化を受けたとしても・変化を経ながらも その《信仰》形態を自分のもとで つねに 確認し得ていることではないだろうか。
信じる( X-Y-Zi )か 信じない( nonX-Y-Zi ) か これが いま確認すべき基本の形態である。しかも この〔無信仰を含めての〕信仰の基本形態は変更しうるけれど その時々の現在において明確に保持していることが 重要ではないだろうか。
いま一歩進めるならば このおのおのの《信じる》の基本形態について 自身が最小限度 言葉で説明しうるということが 望ましい。その点を一度明らかにしておくならば そののちの話し合いにおいて 余計な誤解や不必要な対立を 防ぐことができるからである。互いにみづから交通整理しつつ 社会におけるコミュニケーションを円滑に進めることが望ましい。
信仰の基本形態からあとさらに具体的に展開されるという歴史(人生)の過程 つまり言いかえると たとえば神 Xi が人間の歴史( ΣY-Z )に このように・かのように介入したなどという過程 この問題は そもそも話し合い(《考える》)では 埒が開かないものである。
もっとも これを逆に言えば やはりたとえば そんな介入などには 一切 目もくれないのだという見解の提示(無神論)をも含めて わたし Zi の《神( X )体験》ないし神学ないしいわば《 神 X 史観》については 自由に話し合えばよいと言える。そして そのとき コミュニケーションが成り立つかどうかは はじめの大前提としての信仰の基本形態に合致しているかどうかによって判断されるものと思われる。
もし問題があるとすれば その大前提についてあらためて 想定の仕方や規定の内容を 議論しなおせばよい。
以上の定義だけの理論は 次が その心である。
吾人はすべからく互いの差異を 自由に批評し合い コミュニケーシ
ョンを進めながら つねにその差異を認め合わざるべからず。
~~~~~~~~~~~~
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