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テレビ「笑点」の司会でお馴染みだった、 先代三遊亭圓楽師匠(馬圓楽)
弟弟子の三遊亭圓丈師匠の著書「御乱心」によると、落語協会脱退、三遊協会設立は師匠圓生師匠や兄弟子圓楽師匠に振り回された迷惑以外の何者でもないと非難しております
圓生師匠が死去した後、圓楽師匠とその弟子以外は落語協会に復帰し、今回の圓生襲名騒動も圓楽党(圓楽の弟子の鳳楽師匠)と落語協会側(弟弟子の圓窓師匠 圓丈師匠)との意見の食い違いで起こったと聞きました
先代圓楽師匠の行動が一門の溝を深めたとされております
この辺りのことを詳しくお知りの方がおられたら教えて戴きたいと思います
宜しくお願い致します

A 回答 (1件)

独立騒動の少し後(若竹開業の頃)で、当時の若手落語家数名と飲んだことがあります。

芸協の方達で、三遊亭一門でも当時の落語協会会長だった小さん一門でもない、ある程度ニュートラルな連中です(別に選んだわけではない)。

で、その中で「ご乱心」の話になったとき、「あの本の書き方は、円楽さんに対して一方的すぎる」「師匠の悪口を書きたくないからといって兄弟子を貶めていいというものではない」という流れになりました。その後、志らくか昇太の文章でも似たような事を読んだことがあります唐、この当たりの認識が落としどころなのでしょう。。
ですから、「ご乱心」自体は数少ない一時資料ですが、内容は割り引いて考えた方が良いと思います。

で、wikiだと、円楽の陰謀ではなく完全に圓生主犯説ですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD%E8%AA%9E% …

まあ、圓楽には「圓生を看取ったのは俺だ」という気概があり。それ故、妙関を残したいという気持ちも強かったのでしょう。止め名跡となっていたので放置していたのでしょうが、事態が起こってからクレームをつけた圓窓や円丈もなんか後味が悪いですね。
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