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この教えて広場の質問をみていて、時々びっくりするような投稿を見ますね。
特に、‘モーツァルトに並ぶくらいの才能のある作曲家は・・?’という質問にドラゴンクエスト
の曲をずらずらと並べた人がいましたが、本当にドラクエの音楽がモーツァルトに匹敵すると
思っているのでしょうか? (信じられないことに、質問者さんはその回答をベストアンサーにしていました・・・・!) 
私からみると本物のモーツァルトと比するのもばかげていると思うのですが・・・。
このことをどう思いますか?
若い人たちのクラシック離れと思いますか?
ロックやポップス、イージーリスニングしか聴かない人たちの、音楽感性の違い
だとしても、ちょっと問題ではないでしょうか? クラシックを聴かない、理解しようとしない人たちが
大人になって社会を支える側になった時、クラシックは崩壊してしまうのでは?

A 回答 (7件)

こんにちは。



#5さまのご回答に大変共感いたしました。

質問者さまの危惧されるお気持ちも わからなくはないですが,ここでの質疑応答は非常に狭い世界の話しであり,また,例の質問も質問者さま自ら『質問内容が良くなかった』とおっしゃられていたように,○○の作曲家に匹敵する才能がある作曲家…という比較は,私も大変難しいと思っています。

私もモーツアルトは苦手でした。当時私は相当お馬鹿でしたが。(今も…ですが,笑)どなたかが発言されていますが,モーツアルトの音楽は『○○でも聞ける』音楽ではないと思います。(○○という言葉は公的な場において,不特定多数の方を対象に使うべき言葉ではないと思いますが。それにモーツアルトに限らず,○○でも聞ける音楽なんてこの世に存在しないのでは?)
私が思うには,クラシックにさほど興味ない方にとって,モーツアルトの音楽は退屈ではないでしょうか?

もっと華やかで派手な感じを受ける作曲者の方が 一般的には好まれる傾向にあると私は感じます。(一例を挙げるとしたら,チャイコフスキーやピアノ曲で言えばショパンなど)

もちろん これも私が感じる傾向に過ぎず,一概に決めつけられることではないですし,#5さまのおっしゃる通り,音楽の好み(だけではないですが)は人それぞれで良いし,それを否定することも,見下すことでもないですし。

若い人に限らず ある程度年輩の方でも,クラシックが苦手な方は多いと思います。
だからと言ってクラシックが崩壊するとは到底思えないですけどね。
ポピュラーを好む方との比率から言えば 少数になるのかもしれませんが,それは今に始まったことではなく,若い人たちのクラシック離れとも思いません。


私個人的には,クラシックは,かけがえのない大変素晴らしいものですし,モーツアルトも大好きな作曲家であり,かけがえのない存在です。

ただ一つ思うことは,どんなジャンルにしても 音楽を心から楽しめることが重要であって,音楽によって より豊かな気持ちで人生を送れることが,偉大な作品を残してくれた作曲家たちへの 最大の恩返しに繋がる気がするし,真の音楽愛好家の姿だと思うのですが…


繰り返しになりますが,あの質疑応答は『モーツアルト』が素晴らしい作曲家だと感じる一人の質問者さまと『すぎやまこういちのドラクエ』が素晴らしいと感じる一人の回答者さまに特定された例であり,一般論とは性質の違うものだと思いますので,若い人のクラシック離れでもなく,将来的なクラシック崩壊の危機でもないと思いますので,あまりご心配なさらなくて良いと私は思います。

長文 失礼しました。
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この回答へのお礼

結局、この回答者さまの言っておられることが正論のように思います。
クラシック音楽がより豊かな気持ちで人生を送れる音楽の礎を築いたということは間違いがない
でしょう。クラシック離れやクラシック崩壊の危機にはならない、ひいてはクラシック
が消えてしまうようなことはない、というご意見に元気をもらった感じがします。

お礼日時:2012/07/23 11:36

これで最後にしますが、



>あなたの主張だと

私の主張ではなく、よく知られた事実です。

たとえば
http://ongakusitanbou.seesaa.net/article/2423550 …

>シャイベはその論評の中で、バッハの音楽は複雑すぎて自然な快適さに欠けていると断じています(中略)
>それに対する「自然な快適さ」こそが、新しい時代の音楽のあり様を表しているといえるでしょう。
>これこそが、流麗で親しみやすい主旋律を簡潔な和音伴奏が支える前古典派の音楽様式ということになります。

単純、複雑ということは一言ではなかなか説明しにくいですが、
たとえばこの二曲の違いがそうです。

バッハ モテトBWV227


モーツアルト アヴェ・ヴェルム・コルプス
https://www.youtube.com/watch?v=DsUWFVKJwBM

この回答への補足

モーツァルトは当然バッハから影響を受けていますので、彼の楽曲の中には
バッハに類似したようなものもあります。私から見るとむしろアベェ・ヴェルム・コルプス
のほうがバッハ的に見えますね。(これはバッハの曲で器楽演奏の練習をしたことのある人なら、
私の言っていることがわかると思います)
確かにモーツァルトのピアノソナタなどの中には主旋律を簡潔な和音伴奏が支える楽曲が
いくつかありますが、それはルネサンスや、ルネサンス以前の音楽理論を踏襲したからで
あって、モーツァルト自身が何か斬新なアイデアを音楽理論にのっとってやろうとしたときには
単純とはいえない、かなり創造的なことをやっています。
とくに今は作者不詳となっていますが、オルガン曲でおそらくモーツァルトが作曲したと思われる
楽曲の中には(少なくともバッハ以降の人が作曲したオルガン曲)複雑さにおいてバッハをはるかにしのぐ曲が数多くあります。ただ、今現在、あなたの言っているような論調を押し通すために
そういったものは封印されているように見えますけれど・・・。
とにかく、ロマン派のシューベルトなんかは別として、それより前の時代のモーツァルトが単純なんてことはないと思いますね。宮廷音楽は時代を経るごとに複雑化していたと思います。
それと、バッハは教会音楽を主とする音楽家で、絶対王政とは関係ありません。
音楽理論には普遍性がありますので、時代を問わず共通の観念というものがあります。それが文化
というものだと思いますし、ちょっと極端な言い方をすると、今は民主主義(もしくは社会主義)の時代だからバッハやモーツァルトのようなのはだめだとかいうのは逆にファシズムでしょう。
私だけがこういう意見なのかもしれませんが・・・以前はポップス曲というのはとても聞けたものではないものが多かったように思います。(ちょっとギターをやっている人が、曲を作ったから聴いてくれ・・
みたいなのを高価な楽器でやっていた)が、単純でもちょっと音楽理論に即して作られるようになってから、今のようにイージーリスニングとして聴けるようになったと何かで読みました。

補足日時:2012/07/23 11:16
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モーツァルトが好きな人にとってはドラクエがモーツァルトに匹敵すると言われるとショックなのは共感できますが、それは価値観の問題でモーツァルトが好きな人にとってはモーツァルト以上の人はいなくて、バッハが好きな人にとってはバッハ以上の人はいません。

ドラクエが好きな人には、すぎやまこういちが一番です。人それぞれでよいと思います。

私は、突然、モーツァルトが好きになり、今も大好きです。最初から好きだったのではありません。むしろ、物足りないと思っていました。ベートーヴェンやブラームス、ブルックナー、ショスタコーヴィチなど、ずっしりしたものを聴かないと物足りませんでした。

音楽のことを語るとき、モーツァルトが少し好きという人とは、美しい、明るい、楽しい、リラックスできる、こんな言葉でモーツァルトを表現します。モーツァルトが大好きな人と話すときは、物寂しげ、悲しみ、絶望的、こんな言葉にも共感を得られます。

モーツァルトが天才と呼ばれる理由は、幼少の頃から特別な才能を発揮したことだと思っていました。しかし、そうではなく、音楽の質が天才と呼ばれる理由だと思うようになりました。作曲技法のことではなく音楽の質です。表面的な美しさや楽しさだけでは短期間で興味をなくしてしまいます。例として、当時、モーツァルト以上に人気があったそうですが、チマローザは楽しいですが深まることはありません。音源数や知名度の点でも、現在ではモーツァルトの方が圧倒的に人気が高いです。

クラシック音楽を好む人の割合は小さいかもしれませんが、そうマイナーだとは思いません。また、クラシック・ファンだけでなく、将来、世界で活躍する演奏家も続々と出てくると思います。

この回答への補足

あの質問者の人は‘誰の音楽が好きか・・?’とは聞いていませんでした。
‘モーツァルトよりも才能のあるのはだれか・・・・?’と聞いていたのです。
はっきり言って、この質問に答えるにはかなり音楽のことを理解していなければならないと思いますが
回答者さんも質問者さんも考えなしに回答し、ベストアンサーを選んでいたように見えました。
だから、ドラクエの曲のほうがモーツァルトよりも優れているというのは
ナンセンスではないかと改めて問おうと思ったのです。
ドラクエなどのポップス曲などは曲のフレーズの進め方や動機の選び方がイージーすぎますからね。
でも、この回答者さんみたいにただ何となく‘楽しい、明るい、リラックスできる’みたいな
なんとなく・・の感覚でいくとドラクエもモーツァルトも似たり寄ったりに聞こえるのでしょうか?
でも、‘モーツァルトよりも才能のある・・’の質問に答えられるほど音楽のことを分かっている人たちには見えません。

補足日時:2012/07/23 10:31
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「才能」という言葉を,高度な音楽理論や作曲技術を駆使する能力ととらえるならともかく,享受者の求めるものにフィットしたものを作り十分な満足を与える能力ととらえれば,ドラクエの曲を推す人がいても,秋元康(作曲家じゃありませんが)と答える人がいてもおかしくないでしょう。



そもそもモーツァルトだって純粋に芸術のためだけに作曲したわけではなく,パーティーやオペラや,何か具体的な目的のために求めに応じて作曲したわけで,当時ゲームがあってドラクエのための曲を依頼されたとしたら,きっとすぐに書き上げたことでしょう。
それが今のドラクエの曲のように,ゲームの世界にマッチしたカッコいいものになったかどうか,知るすべもありませんが……。

クラシックが崩壊(?)することはまずないと思いますが,万が一崩壊したとしても,べつにいいんじゃないでしょうか。
もともと日本の音楽じゃないんですから。

ちなみに私が「モーツァルトに並ぶくらいの才能のある作曲家は?」と訊かれたら,迷わずメンデルスゾーンと答えます。
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混乱して見えるのは、あなたがバロックとバッハについて誤解しているからでしょうね。



すべての声部が対等というルネサンス音楽に対して、バロックではじめて通奏低音やモノディ様式が導入されて特別な声部が生まれました。ここでルネサンスの伝統は崩れ、以下、バロック期はより単純な音楽へと向かう経過期となり、古典期の主旋律と伴奏という形に収斂していきます。バッハという人は、このバロックの単純化への流れにすら逆らってルネサンスの対位法音楽を追求した人で、しかも単にルネサンスの対位法を模倣するだけでなく機能和声に完全に従う形の対位法を完成させました。

だから何の混乱もないですよ。

この回答への補足

対位法を声楽の技法だと思っているように見えますが・・。
モノディ様式ってレチタティーボのことですか? ベルカントに近いのかな・・・。 
むしろ、ルネサンス以降にポリフォニーが発達してきたので、声楽における音楽楽曲は
単純化に向かうというよりは、非常に豊かになったと思っていましたが・・・。
それは、ベートーベンの第九なんかを聞けば分かる通りです。
モーツァルトも非常に美しいポリフォニーのオペラやオペラセリエを残していますね。

あなたの主張だと、モーツァルトはまるで交響曲やオペラを作曲していないかのように聞こえますけれど
それでは、ハイドン以前だということになってしまうでしょう。
交響曲は主旋律と伴奏の単純な楽曲ではないですし、それはバッハ、ハイドン以降はっきりしています。
モーツァルトは、8声の和声からなる有名な教会音楽から発想を得て、ものすごく重層な楽曲を
作曲していますし、到底単純とは言い難いと思いますが・・・。

補足日時:2012/07/22 20:18
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個人的には対位法的な音楽が好みなのでモーツアルトはほとんど聞かないですねぇ。


古典派ならアイコンに使ってる顔の人が大好きです。

なにをもってモーツアルトが作曲技法の最高峰と言うのかは知りませんが、
かつては対位法技法の極致をきわめたルネサンス音楽がバロックという経過期間を経て基本ホモフォニーの古典音楽にかわっていきました。作曲技法の最高峰というなら、ルネサンス音楽も間違いなく作曲技法の最高峰なのにです。同じようなことが今現在進行していて、20世紀という経過期間を経て、音楽の様式は古典派以来の伝統的な音楽は現在のいわゆるポピュラー音楽に完全に移り変わりました。数百年後の音楽史の教科書には、ルネサンス音楽が古典派音楽に移りかわったという記述と同様に、古典派以来の音楽は20世紀をはさんで、「今で言ういわゆるポピューラー音楽」-数百年後になんて呼ばれているかはわかりませんが-に移り変わったと書かれるだけです。20世紀以降、ジャンルごとにどれだけの曲が作曲されているかを見れば、既にいわゆるクラシックが死んでいることは明らかです。

こういう音楽の変遷の渦中にあっては新しいものをよしとする人、古いものにこだわる人、双方が存在するのはある意味当然です。バッハなんていうのはまさにこの新しい潮流に逆らいつづけた人ですが、古い音楽に固執したバッハの音楽が優秀で新しい潮流に乗った古典派が程度が低いとかいうことは全くありません。逆もまた真なりです。

ということで、これらの音楽の間に絶対的な優劣なんてありません。ただ、どの様式の音楽もその中には駄作もあるし傑作もあります。ですが、時代を経ている音楽は時間の篩にかけられてある程度駄作はふるい落とされていますが、現代の音楽は淘汰が進んでいないので駄作も傑作もおもいっきり混淆しています。それゆえ、現代の音楽は人の評判ではなく自分の耳のみで判断するという必要があり、この点が根本的に異なります。既に評価の定まったものに乗っかるっていうのはある意味ものすごく楽です。

現代という時代は、せっかくリアルタイムで音楽の様式の移り変わりの真っ只中にいるのですから、新しい音楽の中でなにが残りなにが残らないのかを自分の耳で聞かないと言うのはものすごくもったいないですよ。

この回答への補足

なんだか、ものすごく混乱があるように見えますが・・・・・・。
バロックとルネサンスとどちらが古い時代なのでしょうか?
まあ、とにかく対位法なんて言うものはすべての音楽の基本で、
実はバッハが対位法の専門書を書く以前から存在している作曲技法です。
当然ルネサンス時代もそれ以降の近代に近い音楽にも使われている技法で、
専門に音楽をやってらっしゃる方でなければわからないかもしれませんが、モーツァルトの楽曲にも対位法が使われています。だって、宮廷音楽ですからね・・・。
いま現在も、例外ではありません。
音楽の様式の移り変わり・・と安易にいっていますが、はっきりいってポピュラー音楽が
人気を得ているのは、たかだかここ50年程度の間のことにほかありません。
ウィーン学派の歴史だけでも500年以上あるわけですし、全体としての音楽の歴史は、2000年以上あるわけですから、ポピュラー音楽に様式が変わりつつあるというのは考えが浅薄に過ぎるでしょう。
2000年かけて構築されてきた音楽理論には普遍性がありますので、今現代のポピュラー音楽の作曲家が甘い考えで、その音楽理論にまったくかすりもしないような亜流の楽曲をどれだけ作ってみたところで
長い歴史の時間に耐えうるものは絶対につくれません。
要するに、マイケル・ジャクソンだか、モリコーネか何だか知りませんが、
ものの100年もしないうちに瞬く間にそういうポピュラー音楽は消えてしまい、人々の記憶にも残らないことは間違いがないでしょうね。
ちなみに、バッハやイタリア音楽も素晴らしいのですが、私が宮廷音楽で最高のものだと思っているのは、フランスの宮廷音楽です。
楽譜が禁退出だったと思いますので、一般にはまったく演奏されることはなく、聞いたことのある人は
ほとんどいないと思いますが・・・。それ以外で、近代に近い音楽で最高峰なのがモーツァルトだということです。

補足日時:2012/07/22 17:25
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そうですかね~? まぁそんなものだと思ってましたけど。


モーツァルトあれこれ評価する人達なんてそんなもの・・・率直に言うと「音楽に疎い人」なんです。

日本国内において、ジャズや洋楽に比べクラシックは比較的「音楽に疎い人」にも手を出される西洋音楽ジャンルの1つだと思います。
そんなクラシックの中でもモーツァルトほど所謂「音楽素人」受けだけが突出している人はいないと思います。(要するに口が悪いですが‘馬鹿’でも聞ける音楽・・?) 他のクラシックは「なんだか難しくて聴き方が解らな~い」というような人でも、「モーツァルトだけは聞けるわ」というような人は非常~に多いはずです。まぁそれはモーツァルトのいかにも「単純明快で安易で俗っぽい」音楽性からも明らかだと思いますが。

逆に言うと、こういったモーツァルトへの評価に対し「いやいや天才だから」みたいに言う人は・・・ちょっと音楽センス(音楽経験?)は怪しいです。そういう人はおそらく「ヨーロッパの下手なポストロックやクラブミュージック、おるいは米国のブラックミュージックなんかの方が、下手なクラシックよりもよほどアーティスティックで高度だったりする」という現実すらも全く知らないような人でしょう。
別に何を好んで聴こうと構わないのですが、少なくともモーツァルトが「単純明快で安易で俗っぽい」と言われる意味くらいは理解した上で聴いて欲しいものです。

この回答への補足

誰もモーツァルトが天才というイメージだから、モーツァルトがいいといっているわけではないのですが
(神童というイメージだからではない)、実際にモーツァルトを研究している研究者の話なんかを聴くと
なるほどなと思います。いったい、あなたが具体的にどんなヨーロッパのクラブミュージックやポストミュージックなどを念頭に置いていっているのか、はっきりしませんが、大抵のちょっとましなイージーリスニングは比較的に音楽理論などにしたがって作曲されているからましに聞こえるのです。その作曲技法の最高峰が古典音楽ですので、古典音楽でも天才的といわれているモーツァルトに
イージーリスニングが勝てるわけがないのです。ひとこと言わせてもらいますと、単純明快で安易で俗っぽいのはあなたの言っているイージーリスニングのほうで、私なんかだとそういう曲はいとも簡単に耳慣れして飽きてしまいますね。安易でかったるくてゆるい音楽がほとんどです。いったいあなたが、音楽理論を理解したうえで言っているとは思えませんが・・・。たとえば、現代音楽のドビュッシーなんかのほうがいいなんて暴言を言う人がいますが、ただ単にちょっとだけ絶対音楽と違う和音をばらけて装飾音をつけて並べただけの曲だったりしますよ・・・。作曲に本当の意味で興味のある人は、まったくドビュッシーなんかから得るところはないといいます。あなたが、高度だと思い込んでいるイージーリスニングも
動機が安易だったり、和音がばらけているだけだったり、案外その程度なのにあなたがわかっていないだけではないんですか? ちなみにいま現在、巷にあふれかえっているモーツァルトと称する楽曲のほとんどが本物のモーツァルトの曲ではないと思います。あなた方みたいにモーツァルトなんてイージーでこんなものだろうという思い込みで作られている偽物がほとんどではないでしょうか・・。

補足日時:2012/07/22 14:31
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