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以前も似たような質問を出したことがあるんですが、再審議したいと思います。

小中学生の夏休みの宿題の中でも、もっとも嫌われているのは自由研究じゃないでしょうか? 私も小中学生の頃を振り返り、疑問を感じました。いくつか問題点を挙げてみます。

(1)「研究」というからにはお金がかかることも しばしばあり、小中学生にお金を使わせるのか、親に出してもらうのか、金銭的な問題があります。

(2)自由研究も種類によっては危険を伴うものもあり、自由研究が原因で事故などが起きた場合に、学校の責任はどうなるのか。

(3)自由研究をするには、多くは普段は行かないようなある程度離れた場所を移動して行動したり、人と接触することも多くなることが考えるが、特に女子生徒が犯罪に巻き込まれた時はどうするのか。

(4)子供によっては夏休みにどこにも親に連れて行ってもらえない子もいるし、また子供の家庭がどの程度恵まれているかなどが、自由研究の作品に如実に反映されることが多い。

これに対して、前回の質問では 次のような意見をもらいました。

>そこで質問ですが、上記の問題点があるのに、自由研究の意義とは何でしょうか?
総合的な学習の「ねらい」である
自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。 ・・・・建前上はそうでも、どうも不公平感はありましたね。



(1)お金が掛からないように工夫するのも、「研究」の内。
・・・しかし、毎年賞を取っているものは明らかにお金をかけていると感じました。

(2)危険な事をさせた親の責任。・・・・結局、どれだけ親が協力してくれるかの裏返しのような気もします。


(3)親の責任。・・・・これも同様です。

(4)そんな事はない。「どこかに連れて行って貰えない。家庭が恵まれていない、だから自由研究の出来が悪い。」は単なる言い訳。・・・・これに関し、思いだすことがあります。 同じクラスの生徒で
一人は旅先の海岸で拾ったキレイな石を集め標本にしただけなのに 先生から「きれい」だと褒められたのに、もう一人の生徒は夏休みにどこにも連れて行ってもらえず、家の近所の石を集めて同じように標本にしたら先生から手抜きだと怒られました。私もその生徒に同情しました。

それでは、私個人のエピソードです。私が中学生のころ、花粉や蝶の燐粉などを顕微鏡で観察し、
私は絵があまり上手でなかったんですが、それでも一生懸命色鉛筆で何度も描き直しスケッチしました。ところが、夏休み明けの作品発表会で 私と似たようなテーマでもっと高性能の顕微鏡で しかも写真まで撮っている作品があり、私は恥ずかしい思いをしたと同時に 羨望を感じました。 もちろん、
私と似たテーマの生徒が金賞を取り、私のは番外でした。道具だけの問題ではないかもしれませんが、私の作品があまりにも幼稚に見えてしまいました。

おそらく、小学生の自由研究だったら私の作品でも通用したかもしれませんが、中学生の自由研究として 「科学」の視点を入れた場合、下手でも一生懸命書いた絵と写真では 価値が違うのだと実感しました。

似たようなことは、私の姪の中学校でも起きています。姪の学校の場合は天体観測でしたが...

長くなりましたが、みなさんは そんな自由研究についてどう思いますか?

まあ、ここは対戦的な回答を好む人が多いので反論は覚悟していますが。

A 回答 (9件)

自由研究って、先生から押しつけられた問題をこなすんじゃなく、自分の好きなことを、自分の好きなようにやるから楽しいもんだと思ってましたが、いつのまにか「コンテスト」と化して、そういう楽しいものじゃなくなっていっているように感じています。



私の姪っ子、甥っ子(現在、高校生~大学生)たちが子供の頃、その親たちがぼやいてました、「自由研究って、親がするんだよ」って。「親が手伝うレベルじゃなく、親が最初から最後までやって、ようやく評価されるんだよ」って。

バカじゃないのかと思いました。

我々の子供のころは、親が手伝ったことがバレただけで評価はぐんと下がりました。「手伝った」だけでです。教師は親が手伝ったかどうかを見抜き、そういう「ズル」をする子供を叱ったものです。

それが今では「手伝った」程度では評価されない、大人が立派に仕上げないと評価されない、つまり、教師は親にへつらい(「まあ、お父様、立派に仕上げましたね」「お母様、家計が苦しい中、お金をかけましたね」と褒める)、子供の想像力及び創造力に見向きもしない。

教師の質が下がり評価できなくなっただけなのか、「こんなに立派なものを仕上げたのに、こんな成績とはどういうことか」と怒鳴り込む親に対応できないからなのか。そのへんは分かりませんが。

以来十年ほどたっていますが、こういう質問が出るということは、今でもそうなんでしょう、きっと。

で、質問者さんはどういう答えをお求めですか。
ここまで、いろいろな回答者さんがそれぞれに回答してくださっていますが、論点がぼけてきたとか抽象的だとか、お気に召さない回答ばかりのようです。

後日、論点をはっきりさせて質問しなおすそうですが、最初から結論ありきのような質問にも思えるので、だとしたら結局、同じ答えしか返ってこないような気もしますが。

私自身は、最終的には「教師及び親がバカである(故に子供もバカである)」に尽きるような気がしますが……。

※たぶん私の回答も意に沿わないものだと思います(第一、全く質問の番号どおりに堪えていない)が、ちょっとかみ合っていないと思ったので口出ししました。
どうも失礼しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>我々の子供のころは、親が手伝ったことがバレただけで評価はぐんと下がりました。
これって、子供の足では行けない所に連れて行くのも入るんでしょうかね?

>ここまで、いろいろな回答者さんがそれぞれに回答してくださっていますが、論点がぼけてきたとか抽象的だとか、お気に召さない回答ばかりのようです。
論点がぼやけたのは、私の質問の出し方が悪かったからです。無駄な記述が多すぎました。

>たぶん私の回答も意に沿わないものだと思います
いや、そんなことありませんよ。これまでで一番有意義な回答でしたよ。
ただ、欲を言えば pandaAppleさん自身が自由研究に疑問を感じておきながら、自由研究の存在意義について どうお考えなのか結論を出されていないことが残念です。

お礼日時:2012/08/14 19:26

お礼ありがとうございます。

いただいたお礼について、疑問があったので再回答失礼します。

> 学校では 普段の勉強やスポーツで平等な条件で常にやっていることですよね。そして、それは大学入試までは平等ですよね。ですから、学校が生徒自身の力ではどうにもならない不公平を前提とした競争をさせるのが、自由研究の本来の意義とは大きくかけ離れているような気がするんですが。

何をおっしゃいます。
「自由研究」に関わらず、学習、体育、芸術、芸能等すべてにおいて、子ども自身の力ではない「不平等」だらけです。
親が塾や家庭教師を与え、親が教師、教授などで教示することも可能です。
少年スポーツクラブ、水泳、体操すべて親が金を出して、子に体験させるのです。
音楽、美術等、親が金をかけて体験、刺激させるのです。

公において与えられる“学習の機会”は「平等」ですが、社会環境は平等ではありません。
私立の学校が成り立つのはそのためです。
親はいくらでも関与できます。

質問そのものに関わる回答ではありません。申し訳ありません。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

>何をおっしゃいます。
「自由研究」に関わらず、学習、体育、芸術、芸能等すべてにおいて、子ども自身の力ではない「不平等」だらけです
これについては否定しません。そもそもこれは学校の裁量の埒外ですし、最初から子供はみんな平等だとは一言も言っていませんが。しかし、学校は課内授業においては少なくとも公正に努めているはずです。また、409409409さん自身、どんなに親がお膳立てしても生徒の努力と素質がなければダメみたいなことを示唆していたじゃないですか?
しかし、質問でも対戦的な回答を好む人が多いと言いましたが、409409409さん自身、対戦に気を取られて方向を見失っていませんか? 私としては 料理対決の喩えについての
感想を伺いたいと思いました。

お礼日時:2012/08/15 12:14

「お礼」を見て回答しています。


私の言いたいことをよりわかりやすく説明できる文章をいただきありがとうございます。

>ただ、私見では k-841さんの「我が家の献立」は地味だし、自由研究のテーマにはやや不適なような気もします。でも、私なら このテーマで行くのなら 献立のイラストを描くことで視覚に訴え、また、そこから発展して 栄養バランスだけでなく、料理の材料の原産地を調べたり、食品添加物とかまで発展させると より完成度の高い自由研究になっていたと思います。そして、教師たちも そこそこの評価はしていたと思います。

これが「大人の発想」なのではないでしょうか(ちなみに「栄養バランス」とは書きましたが、それがすべてではないですけど・・・)。

大人は子供時代を過ごしているので子供のある一つの発想は大人のわかる範囲内に収まっているかもしれないし、大人の考えも及ばないような発想が出てくるかもしれない。そのどっちもいいと思うし、悪いことなど一つもないと思うのです。自由研究の意義は、子供の自由であること、そしてやりたいと思ったことを実際にやることだと思うのです。少なくともそれを実践している自由研究に対して、否定する要素は一か所もありません。現代の自由研究の評価がどのようになされているかわかりませんが、大人の発想がまず押し付けられるような流れがあるとすると非常に残念でならないし、我が国の将来が不安で仕方ありません。

先の回答で教師の評価は散々とは言いましたが、否定されるようなことは一言も言われていません。いい先生でした。

余談ですが、私はこれまでいくつかの研究テーマを扱いいくつかの論文を書いてきましたが、本当の意味で「自由」な研究はできていません。理由は質問者様の私に対する評価と似たようなもので、単純に自分の力が足りないためにゼロベースでオリジナルな研究を行うだけの力やアイデアがなかっただけなのですが、小学校の自由研究の経験がなければ、研究というものに対して大きな誤解を持ったままこれまでの自分の著書に満足していたかもしれません。まだマッドサイエンティストになる前に踏みとどまれそうです。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

>これが「大人の発想」なのではないでしょうか(ちなみに「栄養バランス」とは書きましたが、それがすべてではないですけど・・・)。
確かに私が書いたのは大人の視点に立った模範ででしょうね。しかし、恐縮ですが k-841さんの自由研究は文面を読む限りには 子供らしい創意や工夫も感じられないんですが。
実は前回の回答のお礼で書き忘れましたが、私が小学生の時、冬休みに家庭科の宿題があって それが k-841さんの自由研究のテーマと一緒だったんですよ。 k-841さんは男性の方でしょうか?
でも、k-841さんの自由研究のテーマでも女の子だったら 子供らしくて もっといい発想ができると思います。お母さんの料理の手伝いを積極的にすることで 親子のコミュニケーションも深まり、献立を食べるだけでなく 作る側にも立つことで もっと広い視点で考えることもできたと思うんです。これも、大人の発想と言われれば それまでですが...

お礼日時:2012/08/15 10:46

「自由研究」という宿題は、どうも評価と意義が乖離しているらしいですね。



私(男性)が小学校6年生の時に出した自由研究は、「我が家の献立」でした。我が家では母親が毎日食事を作ってくれているのですが、ある期間母親にも内緒で献立と材料をメモして、夏休みの後半で家庭科の教科書とにらめっこで栄養バランスとかをまとめて提出しました。

お金はかからない、危険ではない、自宅だけで済む、でも人並みにどこかへ連れて行ってもらっていた。教師の評価は散々でしたが、私はこれまでにやった研究の中では一番研究らしい研究をしたと今でも思っています(一応学者の端くれです)。

こうやって自己満足に浸れる人にとっては、評価などある意味どうでもいい話なのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

先生たちが不公平な審査をするために出す自由研究にそこまでポジティブに考えられるひとはすごいと思います。
私の中学校の先生だったら「こんなの研究じゃなく、レポートだ。」とか皮肉っていたかもしれません。
ただ、私見では k-841さんの「我が家の献立」は地味だし、自由研究のテーマにはやや不適なような気もします。でも、私なら このテーマで行くのなら 献立のイラストを描くことで視覚に訴え、また、そこから発展して 栄養バランスだけでなく、料理の材料の原産地を調べたり、食品添加物とかまで発展させると より完成度の高い自由研究になっていたと思います。そして、教師たちも そこそこの評価はしていたと思います。
失礼ですが、自己満足に浸るにはちょっと不十分な気もしますけどね。

お礼日時:2012/08/15 02:39

>小中学生の夏休みの宿題の中でも、もっとも嫌われているのは自由研究じゃないでしょうか?



私は逆で、夏休みの宿題のうちで毎年楽しみなものが自由研究で、「夏休みの友」(皮肉なネーミングですね)などというワークブックが一番嫌いでした。

自由研究が好きだった理由は、何でも自分の思い通りにできるからで、やってみると必ずしも自分が予想したとおりの結果にならないこともありましたが、それはそれで「どうして予想した結果にならなかったのだろう」と考えるきっかけになりました。

この自由研究に関しては親は別に手助けはしてくれませんでした。それどころか「腐敗の研究」と称してものが腐る経過を観察したときには「汚いからやめろ」と言い出す始末でした。私が小学生・中学性だった1960年代には、優れた作品が理科室に展示されていたように思いますが、細かな序列を付けるような評価はなかったように記憶しています。私は自分の好きなことができれば、他人の評価はあまり気にならない性格なので、私の作品に対する学校の評価は覚えていません。

1960年代と比較して、現在では親の経済力や支援が自由研究の出来の良し悪しに占める割合が増えているのではないかと考えますが、それは、そのことの是非は別として、自由研究だけでなく学習一般に言えることでしょう。そうした現実は踏まえた上で、それでもある程度は好きなことができる貴重な機会が自由研究だと考えますので、夏休みの宿題として自由研究は止めた方がよいという結論にはならないと思います。ご指摘の費用の負担をどうするかや危険防止の必要性など考慮すべき点は、個別に解決すべきことではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自由研究が好きだった人もいるんですね。もちろん、私は自由研究の本来の意義は否定しませんし、先生たちも本来の意義に則って考えているなら理想でしょう。

>ご指摘の費用の負担をどうするかや危険防止の必要性など考慮すべき点は、個別に解決すべきことではないでしょうか。
もっともなようで、問題の核心から逃げている巧みな結び文句ですね。

お礼日時:2012/08/15 02:07

>まあ、ここは対戦的な回答を好む人が多いので反論は覚悟していますが。



多少痛い言葉でもOKということでしょうか。


まあ
法的に因果関係がないことまで自由研究に責任を求められても困りますね。

蛙の解剖で、精神的に残虐にならないか、メスとかの刃物があぶないとか、感染症はないかとか、
事故の責任はどうするのかとか。

私は心理学系の人間ですが
上記の理屈をこねる人は道徳発達が4段階止まりですね。

コールバーグの道徳発達理論より

4.権威志向 この段階では、法律や秩序、権威などが重要になってきます。
つまり、自分の義務を果たすこと、社会的なルールに従うことこそが善なのです。
(例)確かに彼の奥さんにはその薬が必要よ。
でも、だからといって彼は法を犯してまでそれを手に入れようとするべきじゃないわ。
誰もが法の下では平等なの。だから、奥さんが病気だからといって窃盗を正当化することはできないのよ。




さてそれはさておき
私事で申し訳ないが会社ではカイゼンということをやっています。
カイゼンできることを資料にまとめて、どれくらいカイゼンできたか数字で示せ。
まるで自由研究ですね。
そして数字で表現します。
定量的であることが必要です。

将来お子さんは就職先が事務でも現場でもこのようなことをするでしょう。
これができるためにどのような教育が必要でしょうか?
自由研究という経験がなければ、会社という是非成功させたい場所が初めての経験になるでしょう。
うまくいくのでしょうか?
自由研究以外に経験値が上がる学習法があるのでしょうか?
レポートの書き方という講座でも作って教室で学習しましょうか?

自由研究のご褒美は金賞ではなく
将来への経験値獲得ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

論点がぼやけた質問になってしまったので、後日整理して新たに質問を出します。

お礼日時:2012/08/14 18:27

親が金をかければ成功すると言いたげですが、どれだけお金をかけようと評価できない題材及び成果であれば、賞は取れないでしょう。



結局は、親が子の教育に積極的に関与するかしないかという家庭の問題ではないでしょうか。
1】も3】も4】親の教育観による。

2】は自由研究は関係ない。
家で出来ることもあります。それを子が(親も協力して)探せるかどうか。
外部には、自由研究提供ツアーみたいな安易な金儲けの催しもありますが。

もちろん金をかけて精度、細度があがることはあります。
自由研究として出来る事の振れ幅は家庭環境、親の関与に大きく左右されると思います。
それで賞ととったとしても、それは子どもからみても評価される研究だったのではないでしょうか。

目的は、
>自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること
ですので、意味はあると思います。
自分の課題を自分で思考し解決するという経験は得たはずです。

結果に賞をつけるなど、「相対評価をすること」が嫌なのではないでしょうか。

ただ人の意欲を擽るには、絶対的に競争原理は必要です。
「平等」「不公平」など、差をつけることを悪とされているようですが、「差」を感じなくては人は成長しません。競争が出来ない人が今の現状を嘆き哀しみ、殻に閉じこもったり、ひきこもりのようになるのではないでしょうか。

この回答への補足

>親が金をかければ成功すると言いたげですが
少し違いますね。金をかければ賞をとれなくとも せめて 自由研究として見栄えのいいものはは出来る。 賞を狙うには、もちろん、生徒の創意と努力だけでは難しい部分がある。
ということです。まあ、料理対決とも似ていますが。料理に喩えれば 本職の料理人がありあわせの材料で作った料理と、家庭の主婦が最高の食材で作った料理が互角というのに似ています。

補足日時:2012/08/14 15:56
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なんか抽象論の話が進んでいますが....


私も自由研究の「建前」の趣旨は否定しません。

でも、自由研究って 親の協力度 しいては親子関係、そして、生徒の家の裕福度なども含めた品評会に感じていました。

>それで賞ととったとしても、それは子どもからみても評価される研究だったのではないでしょうか。
子供にしてみれば、自分の実力によるものでなくとも、賞を貰えば優越感は感じますよ。

>ただ人の意欲を擽るには、絶対的に競争原理は必要です。
それはそうですが、それなら 学校では 普段の勉強やスポーツで平等な条件で常にやっていることですよね。そして、それは大学入試までは平等ですよね。ですから、学校が生徒自身の力ではどうにもならない不公平を前提とした競争をさせるのが、自由研究の本来の意義とは大きくかけ離れているような気がするんですが。

お礼日時:2012/08/14 15:47

(1)お金をかけないのも工夫 その通り


   賞がどうのこうのこだわることにほとんど意味はない

(2)(3)親の責任当たり前
   学校に身の安全の全部まで押し付ける気ですか 
   危険を回避することを教え能力を育てるのも親の仕事です

(4)先生に褒められるなどたかが一人の価値観の評価である
   課題を見つけやり遂げたという一連の行動に価値がある

周りの目を気にしすぎです
自分は自分、自尊心と存在意義をしっかりもっていきましょうよ
周りと違っていいんです、それが個性だから
コピー商品みたいななんでも「普通」の人間なんて気持ち悪いです、私は

そもそもなぜ学校に通い学習をするのか
その答えを探すのに自由研究はよい材料だと思います
ただ流されてやるのとはっきりした目標を持って学習するのでは意欲も効果も全然違います
まず学校で教えるべきは職業適性と夢や目標を持つこと、それにいたる進路だと思いますね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

#1さんとも考えが似ていますが。

rokomettoさんもすばらしい考えをお持ちのようです。
ただ、rokomettoさんの考えが正しいとすれば、実際の本音としての自由研究は rokomettoさんのコンセプトと食い違いがありますね。

お礼日時:2012/08/14 13:58

こんにちは。



(1)金銭面
やろうと思えばタダで出来たけど、見た目と自分が楽をするためにお金
を払っていた、と思います(何もしてない昆虫採集セットとか)。その
手抜きの為に親に説得し、親がお金を払うことを了承してるんですから、
お小遣いの金額と同じく、お金の使い方に関しては家庭の問題であり、
他の家庭がとやかく言うべきことではないと思います。

(2)危険性
危険って例えばどんなことでしょう。その内容を学校が強要したのであ
れば問題あると思いますが、子供たちが自らの意思で選んでいるんです
よね?。それが危ない可能性があるというのは親が実行前に口を出すべ
き事じゃないでしょうか。

(3)事故・犯罪面
んー、自由研究とは関係なしに、夏は事故・犯罪にあう確率はあがって
いると思います。私は普段から外をかけまわる子供なら大差ないと思い
ますが、自由研究によりどれくらい上がると思いますか?。(うちの子
は普段外出ないから確率があがるというなら、そもそも社会勉強の一環
として親がきちんと教えろという話になると思うのです)

(4)金銭、親の力による評価上昇
(1)で書いた見た目なんか如実ですねぇ。親のヘルプが入ったと明らかに
わかる作品もあるようで。でもこれは評価する学校の問題だと思うのです。
「金がかかってるだけ」「親が手伝っただろ」そういう評価を出せない
先生に問題があると思うのです。

そしてそういう理不尽な評価を受けるということを学ぶ機会であると大
人視点では感じます。


結論、先生の評価に問題あり、自由研究自体は問題はあまりないのでは、
と思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>他の家庭がとやかく言うべきことではないと思います。
これは大人の論理であって、子供にしてみれば大きな不公平感を味わっているわけですから子供には通用しないと思いますよ。もっとも、大人でも不公平感が嫉妬のタネになり、それでもめたりするんですけどね。特に女性は...

>んー、自由研究とは関係なしに、夏は事故・犯罪にあう確率はあがって
いると思います。
もちろん、自由研究はほんの一部ですが。私の知っているのでは 同級生が自由研究のために山林に入り迷子になり、家族が犬に同級生を探させて無事見つかったということがありました。

>でもこれは評価する学校の問題だと思うのです。
残念ながらそういう学校が多いのが現状です。

>そしてそういう理不尽な評価を受けるということを学ぶ機会であると大
人視点では感じます。
私が中学ですでにそういうことを学んでしまったので、少しすねた性格になってしまいしまた。中学では早すぎた体験かもしれません。

>結論、先生の評価に問題あり、自由研究自体は問題はあまりないのでは、
と思います。
先生の評価に問題があれば、自由研究自体にも問題が出てくると思いますが。

お礼日時:2012/08/14 13:52

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