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近年、サッカー人気がうなぎ昇りです。
W杯ベスト16、アジアカップ優勝、五輪での活躍、ビッグクラブで活躍する日本人選手とサッカー人気は過去最高となっています。
この人気の発端はなんだと思いますか?
また、サッカー人気を底から救いだした救世主、立役者の選手を一人選出するなら誰を選びますか?色んな意見が聞きたいです

A 回答 (9件)

 底が聞きたい、’06ドイツWカップ中田ヒデ引退後を底とするなら、影の立役者はオカチャンではなく、反町五輪コーチだと思います。

海外雄飛の今の人気選手;長友・ウチー・香川・吉田・本田さんかく、達はなぜか皆、ソリマティーチルドレンです。香川ウッチーはWカップで岡田氏に外されました。
 五輪3連敗のあの弱かったチームでの悔しさがバネになったか? でも反さん・関さん、といかにも地味ながら、戦術面ではちゃんとユースを鍛えましたよ。それら選手がザックのチーム支えてます
 
 ほんとのどん底'70年代を知る私らにとっては、救世主は'80に来てくれたラモス氏で、それまで見た事ないプレーぶり(ほとんど遊びのよう)。
 ドイツで最初にレギュラー張った、奥寺さん。欧州チーム相手に始めてドリブルで(縦まっしぐらデハナイ)翻弄した金田のぶとしヨッパライのテクニックには、ああやっと日本にも出てきたんだ、と希望を抱いたものでした。それら複数選手のエフェクトが、KAZUにつながったのでしょう。
 選手への好みはそれぞれですが、客観的には上に挙げた人々への評価は変らないはずです。
ただ御指摘の今人気は、代表に限った事と皆さん言ってるように、本当は地域クラブと草サッカーが確実に根付かないと、本物とは言えません。
 反吐が出る程の'70どん底代表を応援して来た感覚に比べれば、J2ゲームでも十分おもろいよ、特にスタジアム観戦なら。
 今は天国のようよ。シュートだけは下手になったかもしれないけど。 
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この回答へのお礼

近年の人気の底ということではドイツW杯のあとかなと思ってました。
やはり北京世代の面々なんですね☆ありがとうございます

お礼日時:2012/12/03 11:38

> サッカー人気を底から救いだした救世主、立役者の選手を一人選出するなら誰を選びますか?



私も#2の方と同じく三浦知良選手を選びます。 15才で兄の泰年さんと一緒にブラジルに渡り、そこでプロの選手になる。 これからという時、日本のサッカープロ化を後押しするために帰国。 その後の彼の功績は数え切れません。

ブラジルで学んだサッカーのプロフェッショナルプレーヤーとしての心構え、生活態度といった個人的な情報だけでなく、サッカー業界をどうやって繁栄に導くかといった経営者としての企業経営の真髄をも伝え、しっかりと定着させてくれました。 そして四十代の後半に差しかかろうとする今でもなお現役としてプレーする。 彼はサッカーそのものです。 彼に影響を受け、彼を尊敬する選手は世界中に数知れません。 

三浦知良選手は日本サッカーの黎明期に出現した『救世主』であり、『伝説(legend)』そのものです。 
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こんにちは。

 

サッカー人気が高まって来たのはなんといっても『Jリーグ発足』と『ワールドカップ開催』のふたつだと思います。 

●Jリーグの成功は次のふたつによって支えられています。
(1)地域密着型のチーム構成
(2)ユース、ジュニアユースとしっかりした下部組織を作り、自前の選手を育て上げる
(3)少数精鋭の英才教育ではなく、すそ野を広げ、機会を全選手に与える
(4)指導者の育成に力を注ぐ
(5)アジア枠を作り、広くアジアの選手にも門戸を開く

お隣の韓国は典型的な『少数精鋭による英才教育』を踏襲しています。 ですからユース年代では圧倒的に強く、アジアユース選手権を十回も制覇しています。 しかし、フル代表のナンバーワンを決めるアジアカップではここ二十年間全く優勝していません。 一方、日本はこの間に四回も制覇しています。(92,00,04,11年)

日本の代表チームは日本人の身体的な特徴を最大限生かす戦術の開発に力を注いでいます。 これも隣国韓国との大きな違いです。 目先の勝ち負けよりも、むしろその選手の将来性を重要視した選手育成に心掛けて来ました。 

最近では小学生の時からヨーロッパのクラブに送り、キャンプに参加させています。 ジュニアユースやユースのワールドカップで初めて世界と接するのでは遅すぎる。 14~5才では世界レベルの技術を身につけている。 そんな選手がたくさんいるのです。 

これからのジュニアユースやユースの年代では成長の早い韓国勢に後れを取ることはあるでしょう。 しかし、フル代表では日本の方が圧倒的に強くなっています。 
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個人的に思うところですが、



(1)今、サッカー人気が頂点にあるとは思わない。

日常レベルでは、Jリーグ開幕時の方がすごかった。
代表チーム人気では、ワールドカップ・フランス大会アジア予選
の頃の方がすごかった。

Jリーグ人気に関しては、開幕時が異常で、今は普通にサッカーが
日常に溶け込んだということだと思います。プロ野球よりもずっと
短い期間で、人気で肩を並べそうなところまできた、というだけで
すごいことだと思います。

代表チームは、ドイツ大会で惨敗してから、一度、下降した人気が復活
してきたという印象です。今は、世界との距離感が、普通のサポーター
にも理解されてきて、無駄には熱くならない落ち着きが出てきたと
思います。

(2)人気の発端

やっぱりJリーグの創設だと思います。また、そのスローガンがプロ野球と
一線を画していて、特徴的で良かったと思います。
つまり、企業の宣伝広告の一環ではない、地域に根ざしたスポーツ文化
という理想。これがなければ、経済環境の良くない日本で、プロチームが
維持、拡大できなかったでしょう。

いくら代表チームの人気があっても、土台となる国内リーグが発展して
いかなければ、代表は強くならないし、新しい人材も生まれてこなかった
でしょう。弱い(アジアでも勝てない)代表は、人気などなくなるに
決まっています。

(3)救世主・立役者

やっぱり、カズの果たした役割は大きかったと思います。
好き嫌いは別として、高校年代からブラジルで技を磨き、プロになって
帰ってきて、代表選手にまで上り詰めるなんて、今の若者にはなかなか
出来ないかも知れません。当時に比べ、今は若年層からの強化が盛ん
なので、有望選手はプロのユースチームや地域のトレセンで強化されて
いて、そういう中からプロに上り詰めるだけで大変ですから、単純比較
は出来ませんが、気持ちの強さは、プロ選手には絶対必要ですから。

ただ、女子のなでしこジャパンもそうですが、諸先輩、裏方スタッフなど
綿々と受け継がれてきたものもないと、人気が定着することはありませんね。
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他の方も書いてますが、サッカーがにわかに世間の注目を集めるようになったのは1992年ごろ。

それ以前はサッカーがスポーツ紙の一面を飾ることなんてなかったし、代表戦の視聴率が話題になることも、ワイドショーでサッカーの話題が取り上げられることもありませんでした。
92年以降も、98年のワールッドカップ初出場、02年の自国開催とかありましたし、人気が盛り上がったりちょっと下火になったりはありましたけど、92年以前と比べたら「高値安定」ですね。92年ごろを境にした劇的な変化と比べたら、それ以降の人気の浮き沈みなんてごく小さな波でしかない。いつからサッカーが今のような人気スポーツになったか、どこかで線を引くとしたら92年ごろと言うしかないです。
じゃあその頃サッカー人気を牽引した立役者をあげろと言われたら、カズしかいません。他の選手の名前をあげるのは無理がありすぎる。範囲を広げればドーハ組の代表メンバーたちということになるかもしれないけど、一人に絞るならやっぱりカズ以外は考えられないですね。
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おはようございます。



関西在住ですが、今まで3度だけ「行かねば」と、東京国立へ応援に行ったことがあります。

一回目 1985年 W杯アジア予選 日本1-2韓国
二回目 1991年 親善試合  日本0-1アルゼンチン
三回目 1993年 Jリーグ開幕戦 ヴェルディー1-2マリノス

この3試合とも国立が満杯だったのが、ただただ嬉しかったのですが意味合いは随分違っていました。

サッカーが日本で「他国並み」に人気スポーツになったのは色々なことの積み重ねと偶然もあったかもしれません。とにかく「Jリーグ創設」がすべての始まりでした。

今に至るまで、功労者をあげるとしたら私なら、サポーター、ファン、そして「自然」とサッカーを理解していった普通の人たちを思い浮かべます。さらに冬の時代でも日本サッカーの未来に「夢」を抱き続けて尽力されたすべての方たちも思い浮かべます。

「冬」の厳しさがあったからこそ「春」に花々が花開いた・・。

良い時も悪いときもあります。時には熱狂的に喜び、時にはボロクソに代表を非難する・・それはまさにサッカー先進国の姿でした。どんなことがあっても見捨てない、信じてあげる。日本のサッカーファンは世界に誇れる存在だと思います。

1人選ぶとしたら、オフトでしょうか。初めての外国人代表監督。「個人」と「組織」が融合した代表を初めて見ました。そして、初めてのアジアチャンピオンになりました。「ドーハの悲劇」でワールドカップに行けなかったのは今となれば良かったと思います。「ワールドカップ出ることの困難さ」や「サッカーでは何が起こるか分からない」ことを国民みなが思い知ったはずです。オフトスタイルは、現在に至るまで進化しながら代表に継承されているような気がします。

特に功労者がいるのではなくて、サッカーが日本で国民的スポーツになったのは「サッカーの面白さ」をみなが気づいたからで歴史的必然だったかもしれませんね。
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発端は日本がワールドカップへ初出場が決まった辺りからのような気がします。


アジアのみならず世界と戦える力がついてきたあたり。
もちろんそれよりも前にJリーグ開幕やドーハの悲劇も
日本サッカーの人気をあげるきっかけになりました。
W杯に初出場した1998フランスW杯の目標を「一勝一敗一分け」と
岡ちゃんが掲げましたが結果は3連敗。
日本人みんな期待に夢膨らんでいましたが、世界の壁を痛感しましたね。
そして新たに呼ばれた監督がトルシェ監督。トルシェの欧州仕込みの
組織プレーは斬新で、選手も中田や小野などの黄金世代もあって、
そこでさらに人気が加速したと思います。
そして2002日韓W杯でピークに達し、順調にドイツW杯に進みましたが、
そこでの惨敗で人気に陰りが出た気がします。
そして次の山場は2010W杯ですね、ここで本田や長友などの次世代のスターたちが、
ベスト16の活躍を見せたことにより陰りのあった人気が再び加熱し始めました。
岡ちゃんの中村俊輔切りも名采配でした。
その後は世代交代もおき、監督も本場のイタリア人、ザッケローニ氏に代わり、
選手たちも海外に多数移籍、こういった一連の発展が人気上昇の理由だと思います。

あと立役者を一人選ぶならカズかなぁ。上手くてスター性もありましたね。
カズは元々ブラジルにサッカー留学をしていて、そういうところも話題になり、
数少ないアジア以外の世界を見てきた日本人が、チームを引っ張るとなると
期待せずにいられなかったですからね。
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まあ、敢えて一人だけ選べと言われたら三浦カズしかいないんじゃないでしょうか。



30年サッカーを見ていますが、現在に続くサッカー人気は1992年頃に始まったものです。1985年の、メキシコW杯出場を賭けた韓国との試合(木村和司がFK決めた試合)は注目されましたが、極端に言えば一日だけの盛り上がりでした。アウェーのソウルでの第二戦は、2-0で勝てばW杯出場という試合でしたけどテレビ中継すらありませんでした。1988年のソウル五輪予選、1990年W杯予選も、世間で特に注目されてはいませんでした。

サッカーが注目を集めるようになったのはプロ化が具体的になった1992年頃で、この年はまずキリンカップで日本代表がアルゼンチンに善戦(日本代表の青いユニフォームはこのとき久々に見ました)、日本・韓国・北朝鮮・中国で争ったダイナスティカップで優勝、そしてアジアカップで初優勝。かつてない日本代表の活躍に加えて、翌1993年にJリーグ開幕でサッカーブームが巻き起こり、その後ドーハの悲劇というまあドラマチックな出来事があって代表人気も確固たるものになったと思います。(日本のサッカー人気が代表>クラブなのは、そもそも代表の活躍でサッカー人気が始まったからで、そういう経緯を考えれば仕方ないですね)

あの頃の日本代表、Jリーグ開幕当時圧倒的に人気のあったヴェルディ川崎、そのエースはブラジルから帰国した三浦カズでした。(ご存じだとは思いますが)
やっぱり当時の代表とヴェルディが強かったのはカズの力に負うところが大きかったですし、実力だけでなくスター性もあって、まさに当時のサッカー人気を象徴する選手でしたね。
もちろん他にもスター選手は、挙げようと思えばラモスやゴン中山、ジーコやアルシンドなどがいましたが、日本サッカー界にとっての重要さという点ではカズにはまったく及ばないでしょう。
あとは選手以外で、川渕三郎氏を始めとするプロ化に尽力した人たちも大きな役割を果たしたと思いますが、やっぱスポーツは試合そのものが魅力的でなければ人気は出ませんからね。(っていうかご質問は「立役者の選手」でしたね)

正直、私は当時カズのプレーもキャラクターも、必ずしも好きではなかったです。でもやっぱり日本のサッカー史は彼抜きでは語れないですね。偉大な選手だと思います。
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元々のサッカーファンであれば、J開幕当初からまたはその前からサッカー好きかと思いますので、カズとかラモスの名前が挙がりそうですが。



日本のサッカーファンを増やすきっかけとなった人物を考えた場合、フランスW杯が発端のような気がします。
よって、岡野、中田英、岡田監督ではないでしょうか。

「サッカー人気を底から」ということで、一度下火になったものを再熱狂させたということであれば、南アフリカで結果を残した岡田監督ですかね。このときの注目を浴びた選手は、本田△です。

こう考えると岡ちゃんの活躍は凄まじいですね。
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