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まだ幼かった頃によく耳にして、自分でも歌っていた記憶がある懐かしい曲、どんな曲でしたか?

わたしの場合は、尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」とか、山本リンダさんの「狙いうち」とか…かな。

A 回答 (24件中11~20件)

50歳の男です。



私の記憶にあるのは、4歳の頃、初めて人前で歌ったマイク真木の「バラが咲いた」です。

たしか、近所の小学校で、何かのイベントの「飛び入りのど自慢」があり、それでステージに上がって歌いました。

それ以来(?)、私は中学・高校・大学と人前で歌うことが多くなりました(笑)。

あ、ちなみに「狙い撃ち」は、後輩の結婚式の余興で「振り付き・原曲キー」で歌い踊ったことがあります(笑)。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

バラが咲いた バラが咲いた まっかなバラが
淋しかった僕の庭に バラが咲いた♪

「バラが咲いた」…、いい曲ですよね。わたしもポップスの教室の仲間たちと、ステージでハモっ
て歌ったことがあります。

巨匠浜口庫之助さんがサン・テグジュペリの「星の王子さま」のバラの一節からイメージを得て
作詩作曲をしたと言われ、レコードの原盤は、日本ビクターが当時の新興楽譜出版に依頼して
制作したと言われています。
昭和41年(1966)年にリリースされたこの「バラが咲いた」、浜口庫之助さんらしい軽快でシンプ
ルなメロディーラインと、マイク眞木さんの伸びやかな歌声がマッチして当時大ヒット、以降のフォ
ークソングブームの契機となったそうです。
わたしも、こんなフォークが一世を風靡した時代に生きて、歌うことを楽しみたかったなと思います。

「狙い撃ち」、振りをつけて…、原曲のキーで…って、なんだか恐怖(^^)、後輩さんの結婚式の披
露宴、さぞかし盛り上がったことでしょう。

お礼日時:2012/11/06 22:25

小学校低学年の頃、「お富さん」春日八郎、意味も解らず口ずさんでいました。

向かいの女の子(同い年)は学校で島倉千代子さんの「この世の花」を歌って、先生に叱られた。と言っていました。
三橋美智也さんの「星屑の町」、「♪両手を~回して~、帰ろ~・・・」の「両手を回して」の意味が解らなったけれど、歌っていましたね。(好きな歌でした)
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

春日八郎さんの「お富さん」…

歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし:通称 切られ与三郎)」をモチーフとして作
曲され昭和29年(1954)にリリースされた。
歌詞のテーマは歌舞伎の定番世話物でありながら、当時最新の音楽であったブギウギのリズムを
取り入れたことから、その軽快なメロディーがうけて大ヒットとなった。
粋な黒塀、見越の松、他人の花といった仇っぽい名詞句の本来の意味も知らぬまま、大の大人から
子供たちまでみんなが盛んに歌った…とか。

島倉千代子さんの「この世の花」…

当時の大衆芸能雑誌「明星」に連載されていた北条 誠の小説「この世の花」が昭和30年(1955)に
映画化され、この映画の主題曲を島倉千代子さんが歌った…のだそうです。

三橋美智也さんの「星屑の町」

昭和37年(1962)にリリースされたこの曲、両手をまわして帰ろ ゆれながら 涙の中をたったひとり
で…、なるほど、歌詞を検索して見てみますと、なかなか味わいがあるけれど、解釈は難しいですね。

華やかな街のどこかでお酒を飲んで、その場限りではあるけれど、とてもいい気持…
両手を後ろでつないで、ぶらぶらと、身体が揺れるのもいとわずに…
この大きな都会には、もうさよならを言うしかない…
これまで楽しかった思い出はたくさんあった…
そうした大切な思い出が逃げて行かないように、まぶたを閉じて…
帰り着く先は(ふるさとは・夢の実現は)まだ遠いけれど…

こんな意味なのかしら、よろしければご解釈を教えてくださいませ。

昭和29年といえば、「もはや戦後ではない」という言葉とともに、戦後復興と経済発展の事実上の
出発点となった文字通りのターニングポイント…と教わってきましたが、どんな時代だったのでしょ
う、とても興味があります。

お礼日時:2012/11/06 21:53

オヤジです



先日、カーラジオから「青い三角定規」の「太陽がくれた季節」が流れて来た時には思わず「オォ!」と唸って妻や息子たちに「この曲は~」とひとしきり語りましたが「めっちゃリアクション薄!」という結果に・・・

まぁ、この曲が発表された時に妻は新生児、息子たちは当然まだ影も形も無かったわけですから当然と言えば当然なんですが。

でも久し振り(おそらく20年以上)にフルコーラス聞いてとても懐かしかったですね。
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この回答へのお礼

ああ、かわいいワンちゃんの方、ご回答有難うございます。

君は何を今 見つめているの
若い悲しみに 濡れた眸で
逃げてゆく白い鳩 それとも愛…♪

青い三角定規の「太陽がくれた季節」
ええ、良く耳にした曲でメロディだけですが知ってます。最初に聞いたのは、学校に行くようにな
った頃ぐらいかなぁ。

昭和47年(1972)、日テレ系で放送された青春ドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌ですよね。売
上げが100万枚を越え、同年に日本レコード大賞の新人賞を受賞、NHKの紅白歌合戦にも初
出場を果たすなど大ヒットとなった曲だということです。でも、その後とても息が長く、今でも時々
耳にします、素直でとても聞きやすいいい曲ですよね。

青い三角定規、その後いろいろあって結局は解散、いいグループだったのに残念です。でもメイン
ボーカルだった西口久美子さんは今でも活躍なさっているとか。

奥様やお子様たちにリアクション薄…、歌ってそういう宿命みたいなものってありますよね、残念で
したね。でもクラス会なんかだと、きっと「そうだった、懐かしいな」って方がいらっしゃいますよ。

お礼日時:2012/11/06 16:40

今日の様な、曇った冬日になると思い出す曲があります。



小泉今日子さんの『切ない片想い~♪木枯らしがなんちゃら~』です。

小学四年の12月。授業中、先生から緊急帰宅命令が。
父方の祖母が・・・。
両親、姉と共に家族四人、飛行機で山口県へ超特急。
というのも、親父は4人兄弟の次男坊でして、
養子先の祖母が亡くなったということで。
親父が喪主!私、息子も、もう大変。
次から次にいらしゃる、知らない大人にご挨拶。
テレビの部屋やストーブがある部屋には居場所がなくて。
二つ離れた姉に手を引かれ、布団の部屋に隠れていました。

その時に姉が教えてくれた曲でした。
手書きの歌詞を渡されて、覚えなさいと。
二人で川の字に寝そべって何度も何度も教わりました。

お正月も向こうで過ごすという長期滞在。
ご挨拶やらお寺やら、もうへとへとでして、
『片思い~♪』なんて意味もわからず、それでも拠り所はこの曲でした。

きっと姉貴は忘れていると、思うのですが。
弟は、この歌を胸に今日も元気にやっています♪
歌詞も曲名も、忘れてしまって、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

…切ない片想い~ 木枯らしがなんちゃら~…

出逢いは風の中 恋に落ちたあの日から
気づかぬうちに心は あなたを求めてた
泣かないで恋心よ 願いが叶うなら
涙の河を越えて すべてを忘れたい
せつない片想い
あなたは気づかない♪

小泉今日子さんの「木枯らしに抱かれて」…ですよね。

お父様のご養子先の、つまりお父さまのお義母様、その方のご葬儀、
ふだんあまり行き来がない地方のご親戚や知人友人の方たちがお集まりとあっては、
なにかと勝手も分からず、居場所さえ見つけられない、
暮れから新年にかけて、大変な緊張の連続だったことでしょう。

それだけに、お姉様とお過ごしになった小さな布団部屋、
その時のひとときのやすらぎは、この曲とともに、終生忘れられないことでしょう。
折りがあったら、ぜひお姉様に歌って聞かせてあげてくださいませ。

お礼日時:2012/11/06 16:10

三橋美智也の



   古城 です

この曲は高校の時に文化祭で市民ホールで
合唱したことがあり、とても懐かしい曲です。

そして名曲と思います
歌詞も情景をとても美しく詠っております。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

松風騒ぐ 丘の上
古城よひとり 何偲ぶ
栄華の夢を 胸に追い
ああ 仰げば佗びし 天守閣♪

三橋美智也さんの「古城」…、 良い曲、良い仲間たち、良いステージ、とても恵まれた素晴らしい
思い出をお持ちですね。わたしも高校生の方々の混声合唱を聴いてとても感動したことがありま
す。一度でいい、わたし自身、合唱で歌ってみたい曲だなあと思っていました。

この「古城」は昭和34年(1959)にリリースされた三橋美智也さんのシングル。三橋美智也さんの
代表曲のひとつですが、売り上げは約300万枚に達するとも言われます。歌詞も気高く美しく、と
ても品の良い曲ですし、今日では合唱曲としても定番のまさに「日本の歌」のひとつだと思います。

作詞は高橋掬太郎さん、作曲は細川潤一さん。三橋美智也さんは昭和34年の第10回NHK紅
白歌合戦でこの曲をお歌いになったそうですが、この当時は紅白の建前上、異性のコーラスが禁
止されていたため、女声コーラスの部分はボーイソプラノの少年コーラスが付いたそうです。

お礼日時:2012/11/06 15:47

加山雄三さんの歌を小学生の頃歌っていた記憶があります。



「夜空の星」「旅人よ」「蒼い星屑」等。

エレキブームでテケテケテケの時代でした。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

あっ、アイコン、知ってますよ~、田河水泡さんだったかの「のらくろ上等兵」、ああ、誤解しな
いでくださいね~、わたし、そんな歳じゃないんですから。

僕の行くところへ ついておいでよ
夜空にはあんなに 星が光る
どこまでも二人で 歩いて行こう♪

「夜空の星」「旅人よ」「蒼い星屑」…、たしか、加山雄三さんがワイルドワンズなんかとコラボ
していた60's の名曲じゃなかったかな。ベンチャーズに対抗して自分たちのGSを立ち上げて、
例のテケテケテケテケ…、なんだか、当時のGSって、今聴いてもいいものですよね。

お礼日時:2012/11/06 11:29

こんにちは。


出だしを覚えている限りでは、
・「若いおまわりさん」:「も~し、も~し、ベンチでささやく、おふたりさん・・・」
・「喜びも悲しみも幾年月」:「おいら岬の~、灯台守~よ、・・・・」
は、当時よく流れていて、出だしを歌いながら遊んでいた記憶はありますね。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

もしもしベンチでささやく お二人さん
早くお帰り 夜が更ける
野暮な説教 するんじゃないが
ここらは近頃 物騒だ…♪

昭和31年(1956)に曽根史郎さんが歌ってヒットしたという「若いお巡りさん」、快活で優しくていい
曲ですね。

おいら岬の灯台守は 妻とふたりで沖行く船の
無事を祈って 灯をともす 灯をともす…♪

「喜びも悲しみも幾歳月」

昭和32年(1957)松竹が制作・公開した、木下恵介監督の同名の映画の主題曲。いい曲ですよね。
わたし、なんて言うのかな、男の方が歌う曲なんかですと、こうした堂々とした感じの曲が好きなん
です。別れた恋人の面影を忍んでひとり旅に…なんてグジグジした演歌なんてあまり好きじない。

実はわたし、この映画これまで名画鑑賞会だとかテレビでもう何度も見ているんです、でも大好きな
作品なんです。佐田啓二さん、高峰秀子さん、そしてそれぞれ美しい灯台のある風景、とても素敵。

…ともに過ごした 幾年月の 喜び悲しみ 目に浮かぶ 目に浮かぶ…♪
夫婦っていいものですね…。

お礼日時:2012/11/06 11:07

 幼稚園児だった頃、親戚の家に行った時に聞かされたレコードで、加山雄三さんの代表曲である「君といつまでも」「お嫁においで」


 幼心にも、強いインパクトを受けた曲で、同時に、幼稚園で教わる歌は、どれもつまらない歌ばかり、とも思いました。
 自分でこれらの曲を歌うことは、あまりありませんでしたが、台詞の「幸せだなぁ・・・」の部分のマネは、したことがあったかな、と記憶しています。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

「幸せだなぁ・・・」、アハハ、今でもよく耳にしますよね。

「君といつまでも」は、加山雄三さんの5枚目のシングル。昭和40年(1965)年のリリース。
「お嫁においで」はその翌年の昭和41年に公開された同名の映画のテーマ、同年にリリースさ
れてで大ヒットしたのだとか。わたしもよく知っている曲ですが、そんなに古い作品だとは思いま
せんでした、とてもいい曲ですものね。

作曲はもちろん彼自身、弾厚作さん、そして加山さんの曲の多くはなんと、あの洋画の邦訳と吹
き替えでは超一流の岩谷時子さんの作詞。岩谷時子さんといえば越路吹雪さんの「ラストダンス
はわたしに」だとか「愛の讃歌」の翻訳では、原曲の歌詞よりも美しいとさえ言われていますね。

お礼日時:2012/11/06 09:30

理由を考えても思い当たらないのですが、森昌子さんの「せんせい」をよく大声で歌っていた記憶があります。



自分の好みで考えても絶対に 山口百恵さん>桜田淳子さん>森昌子さん のはずなのに・・・。

あと、鼻歌で(多分、歌詞が理解できなくて覚えられなかった)「キーハンターのテーマ」もよく歌ってました。(笑)
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

森昌子さんの「せんせい」、昭和47年(1972)にリリースされた森昌子さんのデビューシングル。
女の子にとっては先生って特別な存在、オトナで知的で、厳しくて優しい、ある意味、理想の男
性像。わたしにも、誰にでも、あの熱くて切ない思い出があるものなんです。

「キイハンター」 (KEYHUNTER) は、TBS系列のテレビドラマで、昭和43年(1968)年から毎週
土曜日に放映されていたアクションドラマ、全262話で最盛期には視聴率が30%を越えてい
たといいますから、う~む、見たかったねェ。丹波哲郎さんも野際陽子さんもお若くて格好良かっ
たんでしょうね。

お礼日時:2012/11/06 00:07

歌った記憶はないのですが、強烈に覚えている曲に「黄昏のビギン」があります。


http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%BB% …
水原弘が歌っているバージョンのものです。

はるか昔、私が小学校高学年あたりです。
父親の兄弟の上の兄ですから伯父にあたる人が新車(トヨタコロナマークII)を買って、お披露目走行で箱根に行きました。
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ …

運転は伯父、助手席は父親、後部座席は私と母親です。
伯父は自慢したくて誘ったのですが、当時我が家は決して裕福とは言えず、ただその自慢する車に乗って黙っているしかありませんでした。
その時に、箱根あたりで流れていた曲がこの黄昏のビギンで、当時カーステは8トラックカセットでダッシュボードのレコーダーに入れて聞くものでした。
悔しそうに黙っている父親と、自慢げに運転する伯父の対比で、何か悲しくなったものですが、この曲はそれを思い出させてくれます。

子供の時は歌のメロディとサビしか覚えていなくて、大きくなっても石原裕次郎が歌っていたに違いないと勘違いしていたのですが、ようやく水原弘だったということが分かりました。
今度は私が、機会があったらカラオケで歌いたいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

「黄昏のビギン」、いい曲ですよね、1959年にリリースと言いますから、え~と、昭和34年のヒット曲。

昭和34年ってどんな時代だったのでしょう。でも最近ウィスキーのCMだったかな、ああ、いいなあ…
とひと目惚れ、それから大好きになってしまって、よくカラオケなどで歌います。

水原 弘さんの歌い方もとてもいい雰囲気だと思いますが、わたしは、どちらかというとちあきなおみさ
んの歌い方が好きかな、でも、彼女の歌い方の、あの妖艶さには到底及ばない。一度ステージで歌っ
てはみたけれど、こりゃダメだと自分で恥ずかしくなって、それ以降人前では封印してます。最近では
岩崎宏美さんのもいいですよね。

伯父様がお求めになったトヨタコロナマークIIのピカピカの新車のお披露目走行…の顛末、お父様の
お気持ち、よ~く分かりましてよ。こういったエピソードがあったりすると、その当時に耳にした曲は鮮
烈に記憶に残りますし、その曲を口にする度にその時の光景や思いがよみがえります。切なくもあり、
懐かしくもあり…でしょうね。

お礼日時:2012/11/05 23:54

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