プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

アメリカ在住です。


歴史の授業で 中国 韓国 日本について習ったのですが、
1590年に 日本の侵略者が 韓国の文化を導入するために 韓国の職人をさらった 、
と書いてあるのですが、そんな話 あまり聞いたことがありません。(反日の方が言っていそうですけど)

なぜそんなことが書いてあるのでしょうか?
アメリカも本当は反日だったりするんですか?


あと、日本が韓国を中国と ロシアから独立させてあげたってよく聞くのですが、そんなことわざわざしてあげる意味もわかりません。(>_<)
韓国が ロシアや中国の属国であると、韓国が日本に近いからそこから武器や食料を蓄えて日本が攻められやすなるとかですか?

ググってみましたがピンとくるものがヒットしませんでした。

よろしければご回答よろしくお願いします。m(_ _)m

A 回答 (19件中1~10件)

>歴史の授業で 中国 韓国 日本について習ったのですが、


>1590年に 日本の侵略者が 韓国の文化を導入するために 韓国の職人をさらった 、
>と書いてあるのですが、そんな話 あまり聞いたことがありません。(反日の方が言っていそうですけど)

おそらく文禄・慶長の役の事を書いてらっしゃると思うのですが、
この時代「韓国」という国はありませんので正確には李氏朝鮮ですね(^^)

日本では「朝鮮出兵」という言い方が一番普及していますので以下「朝鮮出兵」と書きます。


>韓国の職人をさらった

職人とあるので朝鮮陶工の事だと思いますが、陶工に関しては好条件を示し、
今で言うスカウトをしました。
つまり合意のもと日本に来てもらいました。

当時、李氏白磁などは世界的には「美術品」としての価値が低く二束三文で輸出され、
衰退の一途を辿っていましたが、日本では「用の美」があるとして評価していましたので
朝鮮陶工たちは高待遇で迎え入れられました。

しかし陶工として働き続けた人は一部でかなりの人が転職をしてしまったり
目新しい技術は特に無かったりと、各大名は困ってしまい帰国したい人は帰していました。
実際帰国した人は少数ですが。

九州にある有田なんかは、李参平を「陶祖」として奉る神社もあるほど
日本人は朝鮮陶工を大切にしていました。

※余談ですが、李参平という朝鮮陶工が有田焼を始めた、陶石を見つけたなどという説もあったりするんですが
実際には既に磁器に染め付けを施す有田焼は存在していました。
一体どんな功績があって「陶祖」と呼ぶ人がいるのか分かりませんが、
当時の日朝友好の表れではないかと思っています(^^)


・・というわけで
最初の質問の「韓国の文化を導入するために 韓国の職人をさらった 」と言う事実はありません。

質問者はかなりお若い方だと思いましたので、できるだけ分かるように書いたつもりですが
ご理解いただけたでしょうか?
    • good
    • 6

アメリカ人は実はチョンボは人とは認めることはありません。

トンスル飲んで北に帰って死んでほしいっていってる。1950年ぐらいに独立した朝鮮民主主義人民共和国の北朝鮮の食糞の民族は、野呂ウイルスを撒き散らすため、Health Departmentから衛生処分されたはずです。



参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/トンスル
    • good
    • 1

念の為ですが, 「神社」という観点でいえば「韓国人の神様」というものも全くおかしなことではありません. 「どこの国の人か」が問題な

のではなく, 「神として祭るにふさわしい存在かどうか」が問題なのです.
    • good
    • 2
この回答へのお礼

そうですね 神として奉られるにその方はふさわしかったんですね。 

私は「えっ韓国人の神様??外国の人の神様でしかも日本をたびたび嫌っては見下す国の方が?? いや、 これを韓国の人が知ったらきっと見下しと「日本の文化の起源(神)は俺」のネタになりそう・・」

と思ってしまいました。

補足ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/07 06:56

>歴史の授業で 中国 韓国 日本について習ったのですが、


>1590年に 日本の侵略者が 韓国の文化を導入するために 韓国の職人をさらった 、
>と書いてあるのですが、そんな話 あまり聞いたことがありません。(反日の方が言っていそうですけど)

さらったのか、同意のもと連れてきたのかはわかりませんが、当時の朝鮮の職人は奴隷階級でしてとても悲惨な待遇でした。なので、日本に来て武士として厚遇されたためとても日本をきにいったそうで、逃亡する機会や、朝鮮に帰りたいなら送ると言われても、日本ぢ住みたいと言って定住したそうです。

なので、一般的に考えられている、誘拐して働かせたというのとは違うようです。
ちなみに磁器の職人達で、これ以後では磁器の生産、特に青磁の技術は途絶えてしまいます。


>あと、日本が韓国を中国と ロシアから独立させてあげたってよく聞くのですが、そんなことわざわざしてあげる意味もわかりません。(>_<)
韓国が ロシアや中国の属国であると、韓国が日本に近いからそこから武器や食料を蓄えて日本が攻められやすなるとかですか?

なぜなら、当時の大多数の朝鮮人が独立を求めたからです。
なので、日本の国益とも合致したので支援したという訳ですね。

だからなのか、第二次大戦終了直前までまともな反日運動は起こりませんでした。
    • good
    • 1

 誤記がありました。



>原型は6世紀中国時代ですが、年度素材に釉薬をかけて焼く

の部分は正しくは

>原型は6世紀、中国の南北朝ですが、粘土素材に釉薬をかけて焼く

との誤りでした、お詫びして訂正します。
    • good
    • 0

厳密には磁器の回答をすべきで、陶磁器を講釈すべきではない。



磁器
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%81%E5%99%A8

陶磁器
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B6%E7%A3%81% …

これによると「当時の文化」では無く、「当時の技術」と言う記載がふさわしいでしょう。


余談になりますが、


アメリカには何でもある。
アジアのの国は何もない。

だからイエローは自国の文化すら全て他国から輸入に依存しているのだ。

アメリカ人は頭のネジが5本緩んでいます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

すみません 正しくは「朝鮮の技術者の技術の導入の為」と記述されていました。



余談

私の母のアメリカ軍の旦那がそういうこと言っちゃう人でした。

お礼日時:2013/01/07 06:34

 沈寿官 で検索してみるといいかもです。


 司馬遼太郎の小説にもなっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

沈寿官で検索しました。 
秀吉の時代に拉致されたとされる家が作った陶器が出てきました。 
近代でも続いていたそうです。

キーワードの提供感謝です。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/07 06:22

 何やら悪質な雑音が着込まれている様子ですので、その部分を訂正しながら、「近代の東アジアと日本」に関しての補足をさせていただきます。



>韓国では今でも食器や箸は金属製が主流ですが、当時は今以上に陶磁器は下層階級の食器でしか無く、また、職人というべき陶工の社会的地位は最低ぼランクでした

この「陶磁器」の説明ですが、当時の朝鮮では「白磁」と呼ばれる陶器が作られています。原型は6世紀中国時代ですが、年度素材に釉薬をかけて焼くことで白地の陶器を作る技術があることを前提とします。それ以前にも高麗の青磁があります。共に焼き物ではあるものの、日本で独自に開発された技術は殆ど見当たりません。また焼き物を作成するには窯が必要であり、日本には元々窯がなく、土器を作るにも野焼きの形で作られ、現在の考古学では須恵器とともに古墳時代中期に朝鮮半島からもたらされたとされています。
 そして「今以上に陶磁器は下層階級の食器でしかなく」との評価ですが、景徳鎮で量産されたものも二種類に区別されています。一つは「生活道具」そしてもう一つは「芸術品」 。特に後者はドイツのマイセン窯に多大な影響を与えたとして評価されている事実を、上記の回答は理解できていない。

【近代の問題】
先だって書いた「アヘン戦争から1945年に至る歴史的過程」とは
(1)アヘン戦争の意味
(2)近代国家として西洋を模倣した日本
の問題があります。

 (1)ではイギリスと中国(清朝)の間で砲火が交えられた背景と黒船による開国の問題、があります。
アヘン戦争は当時インドに植民地を持っていたイギリス(東インド会社)は清との間での貿易関係を持っていました。しかしながら、大量消費地として見込んだはずの中国に対する支出と実態の乖離が激しかったことなどが起因となり、インドで栽培するアヘンを密輸することでその穴埋めを企図したとの背景もあります。
 他に当時のイギリスはアメリカの独立戦争とそれに伴う戦費調達もあり、銀の国外流出を抑制せねばならないとの財政的問題を抱えてもいました。
 また同時に、アメリカもその仲間入りを企図していましたが、西欧列強と異なりインド及び東南アジアに拠点を持たなかったとのことから、植民地としての東アジア地域(中国)と太平洋航路と中継基地を確保する必要があり「黒船外交」の形で日本に開国を迫ることとなります。


 (2)開国後から明治維新期にかけて、日本のスタンスは両面に分かれます。一つは幕末の不平等条約を解消する。もう一つは、それによりアジアで唯一の近代国家としての位置を築く。
 当時の欧米は帝国主義段階にあってそれこそ弱肉強食とも評されます。わかりやすく言えば、植民地獲得競争です。この問題に関しては「脱亜論」「壬午軍乱」「閔后暗殺」「庚申事変」「天津条約」「甲午農民戦争(東学党の乱)」「日清戦争」「下関条約」「三国干渉」「ジョン=ヘイ」「門戸開放宣言」「義和団事件」「北清事変」「日英同盟」「日露戦争」「ポーツマス条約」「第一次日韓協約」「第二次日韓協約」「第三次日韓協約」「ハーグ密使事件」等々をお調べ下さい。 また少なくとも「なぜアメリカが日露戦争後のポーツマス条約に介入したか」を調べれば、これらの背景にある問題に気付くこともできるはずです。キーワードは「帝国主義」にあります。 
    • good
    • 0

「韓国の職人をさらった」というのは嘘です。

アメリカ人は頭が悪いので、そうとしか理解できないだけの話です。

本当のところは、朝鮮の陶工が日本への亡命を希望し、その希望を日本の大名が叶えただけの話です。脳みそがあれば分かる話です。もし「日本人に見つかったらさらわれてしまうぞ」と噂になれば、皆逃げるはずです。逃げないまでも農民のふりをすればスカウトの声もかからなかった筈です。朝鮮出兵の際、日本は農民は一人たりとも連れて来ていません。当時の日本の農村は人口過剰で土地不足なのです。だから土地の奪い合いで戦国時代になってしまった訳で。人が余っているから武士が生まれた訳で。

アメリカ人は頭が悪いから、そういう日本の事情を理解できないんです。アメリカは日本と逆で土地が余りに余っていて、労働力不足に悩んだ国ですから。だからアメリカはせっせと黒人奴隷を買っていたわけです。

しかし日本は土地不足ですから、わざわざ朝鮮から農民をスカウトする意味は全く無かったわけです。では大名は陶工と農民をどうやって区別したのでしょうか。陶工だけが固まって住んでいる街があったというのでしょうか。そんな訳ありません。朝鮮人本人から「自分は陶工だ。日本に連れて行ってくれれば役に立つぞ」と自己アピールしない限り、分かるわけがないのです。「どれどれ、そういうならお前が作った陶器を見せてみろ」そう大名は応じた筈です。農民のなりすましは困りますから。

日本への亡命が本人の意思だった証拠に、江戸時代になって朝鮮から刷還使が日本に移住した陶工を連れ戻そうとしましたが、ほとんど帰国する人は居なかった。陶工本人が刷還使に見つからないように必死に逃げ回ったからです。刷還使は3度続けられたが、本人に帰国の意思なしとようやく判断して朝鮮はあきらめてしまいました。

「捕虜」といった用語で表現している記事もネットで散見されますが、これも嘘です。

当時の李氏朝鮮は激しい身分差別の国で、国民国家ではなかった。特権階級である両班の過酷な支配を受けていた被差別階級は、豊臣秀吉による朝鮮出兵を千載一遇のチャンスと受け止めたのが実態だったのです。
戦後の日本も日本共産党は進駐軍を解放軍と位置づけて、共産革命のチャンスと考えた。似たような話です。

臨海君・順和君という二人の朝鮮王子がいました。臨海君は募兵に出かけたが逆に日本軍に呼応する朝鮮の民衆に捕らえられて加藤清正に突き出されてしまいました。王族なら捕虜にする価値はあります。日本に無事帰還させないなら、報復として捕虜を殺すぞと李氏朝鮮を脅かせますから。しかし陶工など捕虜にする価値はありません。加藤清正は臨海君・順和君を捕虜にはしたけど丁重に扱ったのです。そのエピソードについては「臨海君 加藤清正」で検索されたい。

次に「日本が韓国を中国と ロシアから独立させてあげた」のくだりの説明です。日本の歴史教育は肝心な事を全然教えない出鱈目な自虐教育だから質問者さんが怪しむのも当然です。

日本が日清戦争の講和条件として、遼東半島の割譲を要求したのは、遼東半島の旅順・大連がロシアの軍港にされてしまえば日本の独立が脅かされるからだった。ところがそれが逆にロシアに利用されて三国干渉を招いてしまった。ロシアは三国干渉を清に恩に着せて、逆に旅順・大連を租借地にしてしまったのです。
それが1898年に清とロシアが結んだ「旅順(港)大連(湾)租借に関する条約」です。

日本が日露戦争に打って出たのは、日清戦争の失策を取り戻す為だった。それが成功して日本は旅順・大連の租借地をポーツマス条約でロシアから割譲させました。それが関東州なのです。有名な関東軍は関東州を防衛する為の軍だったわけです。

日清戦争は朝鮮の独立をめぐる日本と清の対立が原因でした。これも裏目で清は朝鮮から手を引いたが、それはロシアが朝鮮に進出するチャンスにもなってしまった。

1896年の露館播遷。ロシア軍と結んだ朝鮮の親露派によって高宗がロシア領事館に拉致され、高宗はロシアに鉱山採掘権・鉄道敷設権・山林伐採権を売り飛ばす羽目に陥ってしまったのです。その行き着く先は、釜山がロシアの軍港にされてシベリア鉄道でモスクワと直結するということです。

シベリア鉄道は1894年の露仏同盟によって、フランスの技術支援、資本投下をロシアが得て、建設が加速しました。釜山がモスクワと鉄道で結ばれれば恐怖という以外にないのです。元寇の再現というしかない。

だから日本は高宗が売り飛ばした鉱山採掘権・鉄道敷設権・山林伐採権をロシアから買い戻しました。それは朝鮮をロシアの属国にさせないでした。李朝は財政が破綻していて宮廷費用も賄えないほどだったのです。

わざわざじゃない。鎌倉幕府が高麗を見殺しにした結果、高麗は元の属国となって元寇を引き起こした。もし李氏朝鮮を見殺しにしてしまえば、李氏朝鮮はロシアの属国となって再び元寇を起こします。それを当時の日本は恐れたのだ。もし日露戦争の時点で釜山がロシアの軍港になっていれば、日本の勝利は100%有り得なかった。

史実は、李氏朝鮮がアメリカ人事業家モーリスに売却した京釜鉄道の鉄道敷設権を渋沢栄一らが買い取っていた。京釜鉄道というのは、京城(現在のソウル)と釜山を結ぶ朝鮮最初の鉄道路線です。現在の韓国にとっては日本の東海道線に相当する程の主要幹線なのです。

考えてみてください。明治初期の日本が東海道線の鉄道敷設権を外国に売り払っていたら日本はどうなっていたか。
    • good
    • 4

質問者様が受けた「歴史の授業」とはどこの国でのものでしょうか。


アメリカでも州によって違いがあるとも聞いています。

>なぜそんなことが書いてあるのでしょうか?
>アメリカも本当は反日だったりするんですか?

回答:反日とは関係なく、事実を言っているだけです。
しかし、当時の世界では侵略は悪ではありませんでした。
それを言い出したら、過去の大国の発生の経緯は侵略でしかなく、歴史上の英雄は全て大量殺人の人でなしです。
中国の歴代王朝もはじまりは小さな部族単位の集団でしかありません。
ローマや大英帝国の領土拡大は何によるものでしょうか。
アメリカの建国自体も、ネイティブへの侵略や虐殺の結果ではないのでしょうか。
欧州やアメリカに黒人がいるのは何故でしょうか。
今の生ぬるい正義感や常識で当時の状況や価値観を評価する方が間違いです。

秀吉は朝鮮に出兵しましたが、当時の朝鮮の学者には、過去の元寇が原因になっていると言う者もいます。
その元寇をモンゴル皇帝に進言したのは朝鮮王であり、対馬や壱岐での残虐行為の主犯は朝鮮人でした。

陶工を連れ帰った事は事実です。
当時の日本では、茶道が大流行しており、多くの茶器が求められていました。

当時の朝鮮では職人や商人の地位はとても低く卑しい仕事として蔑まれていました。
しかし、日本では彼等に仕事を正当に評価し、ふさわしい身分や収入を与えて厚遇しました。
その為に、江戸時代になって彼等に帰国の許可がでても、殆んどの者が残っています。

実は、当時の朝鮮王朝は圧政や腐敗政治の為に、民衆から非常に憎まれていました。
その為、民衆は秀吉を侵略者というよりは解放者と見て、日本に協力していました。
王族が都を捨てて自分達だけ逃げたとき、民衆は王宮や役所を襲撃して燃やしています。


A>あと、日本が韓国を中国と ロシアから独立させてあげたってよく聞くのですが、そんなことわざわざしてあげる意味もわかりません。(>_<)
B>韓国が ロシアや中国の属国であると、韓国が日本に近いからそこから武器や食料を蓄えて日本が攻められやすなるとかですか?

回答A:清国(当時の中国)から独立させたのは事実ですが、ロシアからはその後に併合(侵略)されるのを防ぎました。
当時の清国はアヘン戦争の敗戦で、列強の半殖民地状態でした。
朝鮮は、そんな清国の属国で搾取されていましたが、清国を盲信しており、しかも世界でも最貧国でした。
当時の日本は、西欧列強に対抗する為に、清国や朝鮮にも近代化を勧めていましたが、彼らはその必要性を理解しませんでした。
その為、日本は朝鮮を清国から独立させて、近代化させようとしました。

回答B:そうです。
攻められる理由ですが、当時のロシアは外洋に出る為に、凍らない港を渇望していました。
その為に、欧州でクリミヤ戦争や露土(トルコ)戦争を戦いましたが、それを得る事はできませんでした。
その結果、残った可能性は朝鮮半島だけとなり、朝鮮半島への影響力を強めていきました。
朝鮮半島を取られると、太平洋を日本海によって封鎖している日本が攻められるのは明らかでした。


日本の朝鮮併合を「侵略による殖民地化」や「強制的な」併合という意見がありますが、それは全く違います。
併合は自業自得の失政で破綻した朝鮮の要請を日本が受け入れたもので、日本が侵略したのではありません。

李氏朝鮮は、建国当時から中国(明、清)の属国でした。
それを、日本が日清戦争に勝って、清国から独立させました。
日本は朝鮮に援助や指導をして、近代化を助けようとしましたが、既得権益や旧弊を離そうとしない者達が多かった為に、スムーズには進みませんでした。
実際、彼らは失政や身内での権力闘争を繰り返し、外国勢力(ロシア)の介入を招き、経済も破綻し、自力で国家の運営ができない状態に陥りました。
日露戦争は、そのような朝鮮をロシアに併合されるのを防ぐ為に起った戦争です。
日本は、辛うじて勝ちロシアの朝鮮半島への進出を防ぎましたが、その後も朝鮮では内部で権力争いを続けました。
併合は、そのような状態に陥った朝鮮が、日本に求めてきたもので、侵略したのではありません。

日本には併合するメリットなど、全くありませんでした。
併合とはその国の一部として受け入れることですが、そうなると、それまでの朝鮮の全ての失政の後始末や他国への借金の返済を日本がしなければならなくなります。

当時の朝鮮は、日本の平安時代程度の文明レベルしかない世界一の最貧国で、取れるものなどありませんでした。(動画参照)
日本が朝鮮の富を略奪したという意見は大嘘です。

日本が放置すればロシアが侵略することは明らかで、そうなった場合、日本も危険に晒される為に、国防上の理由から併合を決定しました。
当時の世界も、この併合は両国の合意に基づく平和的なものだと評価しています。
当時の朝鮮人も列強の一等国である日本人になれたことを喜んでいました。

日本は朝鮮のインフラを整備し、教育を普及させ、農業指導をして食料を増産させ、朝鮮人の暮らしを豊かにしました。(これらは、当時の外国からも評価されています。)
朝鮮人を差別や虐待してもいません(強制連行や、従軍慰安婦や、創氏改名の強制は、事実ではありません)。


李成玉(アメリカ全権公使)
現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面を保つことは出来ない。 亡国は必至である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。
欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本はちがう。
日本人は日本流の道徳を振り回してうるさく小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。
そして、日本人は朝鮮人を導き世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。
それ以外にわが朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。

ドーハム・スティーブンソン(アメリカ人の朝鮮外交顧問)
朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、頑迷な朋党は、人民の財を略奪している.
その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない。


ところで、アメリカは原爆の使用についはどのように教えているのでしょうか。
いまだに東京裁判を「文明による裁き」などと言っているのでしょうか。

    • good
    • 3

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A