天使と悪魔選手権

私は男で24年間一度も恋をしたことがありません、心身ともに至って健康です。
自己分析するにあたって、なぜ自分は恋をしないのかと気になりました。
性癖も普通なのでノーマルのエロビデオを見て性欲処理はしますので性欲がないということもゲイだということもありませんが、生身の女性が必要だと思ったことはありません、売春婦が嫌いなので風俗の類にも全く興味ありません。

学校生活でも女子に全く興味がありませんでした、中学で性知識が出て道端で拾ったエロ本に興味はあっても、女子をそういう対象で見たことはありませんでした、女性との接触も私はおとなしくて自分から話しかけることもないので会話したこともかなり少ないです。

つまりエロ本やAVの女性で性欲処理はしても、外で見る女子には恋をする原動力である性的対象にすらならないんです、それが不可解なんです、別段不利益があるわけではないので悩んではいないですが、理由が説明できないので気になってます。

子供が欲しかったり結婚したくなったらナンパをすればいいと考えています、ただ物語にあるような胸がドキドキするような恋を経験することがないのだと思うと寂しくあります。

A 回答 (10件)

既婚男性です。



>自己分析するにあたって、なぜ自分は恋をしないのかと気になりました。

「恋」というのは、本来、「招魂」(たまこひ)という言葉が示すように、相手の「魂(心)」を所有したいという欲求に発します。
相手の心を所有したければ、まずは自分の心を相手に委ねる必要があるわけで、こうして男女間のコミュニケーション(インタラクション、インターコース)としての「恋」が実現すると考えられます。

>性癖も普通なのでノーマルのエロビデオを見て性欲処理はしますので性欲がないということもゲイだということもありませんが、生身の女性が必要だと思ったことはありません、

「性癖も普通」とおっしゃいますが、失礼ながら、決して「普通」ではないと思います。
なぜなら、「普通」の男性なら、性欲の《一方通行的》な「欲求処理」としてのオナニーだけでは充たされず、「生身の女性」を《性的欲望対象》と見なし、セックス(インターコース)したいと思わずにはいられませんから。
その意味では、質問者さんの場合、「普通」の男性とは異なり、女性を《卑猥で淫蕩な性的欲望対象》、つまり《一個の女体(モノ)》としてではなく、《意思と人格を備えた精神的な存在》、つまり《一人の人間》と見なしていると考えられます。

>売春婦が嫌いなので風俗の類にも全く興味ありません。

質問者さんは、「売春婦」や「風俗嬢」に《嫌悪感》を覚える自分が、なぜ「AV嬢」には《興味》を覚え、性的に《興奮・欲情》するのか?と一度でも考えたことがおありでしょうか?
ちょっと考えてみるとお分かりいただけますが、質問者さんの場合、前者に対しては、これを《人間》視し、しかも《穢れた人間》と見なすが故に《嫌悪感》を覚えているとしたら、後者に対しては、これを単なる《女体(モノ)》視するが故に、安心して性的に《口吻・欲情》し、「欲求処理」に至ることができるのではないでしょうか。

そして、「普通」の男性にとっての女性とは、《一人の人間》であると同時に、《一個の女体》でもあるが故に、女性とセックスしようとして、《女体》を覆っている、《人間性》(衣装)を剥奪したり、侵犯したりするわけです。

当然ながら、女性の合意なくして、こういう《行為》を強行すると、立派な《性犯罪》なり、法的に厳しく罰せられますが、男女が合意の上で、同じ《行為》、つまりセックスをする限り、男女の愛情は深まり、かつ新しい生命がもたらされることになります。

その点、「生身の女性」とセックスするには、やはり、女性を《一人の人間》ではなく、《一個の女体》と見なすことが必要不可欠で、そのためにも、そう、一歩間違えば《性犯罪》を構成しかねない欲望を女性に安心して受け入れてもらうためにも、男性には女性に愛情や思いやりを示すことが求められるのではないでしょうか。

質問者さんは、女性の「魂(心)」を所有したい、そのためには自分の「魂(心)」を女性に委ねて信頼を得る必要がある、と考えたことがおありでしょうか?
こういう願望なり、欲求なりがいわゆる「恋」なのではないでしょうか。

「エロビデオを見て性欲処理」するだけなら、相手はAV女優という、単なる《一個の女体》、《性的欲望対象》にすぎませんから、質問者さんの性欲の《一方通行》だけで可能ですよね。

ということで、質問者さんの場合、男女間の相互交流(愛し合ったり、共感し合ったりする一方で、否定し合ったり、拒否し合ったりもすること)に対する切実な必要性を感じない限り、「胸がドキドキするような恋」も生れようがないと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。知らなかったことばかりでとても興味深いです。
恋とは相手の心を所有したいという欲求というのは目から鱗です、私は「好き」という感情を持つことが恋だと思ってました。そうではなく恋とは好意を寄せることでなく、対象の心の所有欲を持つというわけですね。

そして私の性癖は特殊だということですね、普通はオナニーでは我慢できず、女性を性的欲望対象として見てセックスをせずにいられないということですね、このへんちょっとわからないです、性欲は射精することで発散できますよね、なぜ普通の人はそれで性欲を満たせないんですか?性欲を発散してもセックスしたがる欲求が別にあるんでしょうか?


>その意味では、質問者さんの場合、「普通」の男性とは異なり、女性を《卑猥で淫蕩な性的欲望対象》、つまり《一個の女体(モノ)》としてではなく、《意思と人格を備えた精神的な存在》、つまり《一人の人間》と見なしていると考えられます。


うーん、普通は女性を物として見てるんですか、それは驚きです。私はそれはおかしなことに思えるのですが、私の方がおかしいんですね。


>質問者さんは、「売春婦」や「風俗嬢」に《嫌悪感》を覚える自分が、なぜ「AV嬢」には《興味》を覚え、性的に《興奮・欲情》するのか?と一度でも考えたことがおありでしょうか?


まともに考えたことはないですが、性欲と価値観は別モノだからだと思います。


>ちょっと考えてみるとお分かりいただけますが、質問者さんの場合、前者に対しては、これを《人間》視し、しかも《穢れた人間》と見なすが故に《嫌悪感》を覚えているとしたら、後者に対しては、これを単なる《女体(モノ)》視するが故に、安心して性的に《口吻・欲情》し、「欲求処理」に至ることができるのではないでしょうか。


だいたいあってます、売春婦は自ら人間の尊厳を売り渡し、家畜に堕ちた元人間だから嫌悪してます。
そうですね、性欲処理用の家畜を利用して性欲処理するのは正しい利用方法であり道理だと思っていますから安心して性欲処理に至ることができます。



>そして、「普通」の男性にとっての女性とは、《一人の人間》であると同時に、《一個の女体》でもあるが故に、女性とセックスしようとして、《女体》を覆っている、《人間性》(衣装)を剥奪したり、侵犯したりするわけです。


つまりセックスとは人間としての尊厳を犯す行為ということですか?そうなると売春婦との違いがわからなくなります、いや金品などと交換物として売るか、異性への愛情表現かの違いで区別すればいいのかな?でもセックスが人間性の剥奪とかってのは解りかねます、恋愛物では女性視点からでも好きな人とセ繋がるのは幸せなことで男性から与えられ満たされるような描かれ方がされています、つまり一方的に奪うのではなく、お互いの愛を確かめるための愛情表現だと思います。


>質問者さんは、女性の「魂(心)」を所有したい、そのためには自分の「魂(心)」を女性に委ねて信頼を得る必要がある、と考えたことがおありでしょうか?
こういう願望なり、欲求なりがいわゆる「恋」なのではないでしょうか。



人の心を所有したいと思ったことはありませんね、そういえば持っている物もあれば便利という実用的なものだけで、コレクションみたいな所有することが目的の物はひとつも持っていませんね。これも普通じゃないんでしょうか。
心を委ねるというのはよくわからないです、信頼の証として行動の決定権を譲るということですか?
つまり恋人には私はお互いに行為を持っていればそれで十分だと思っていましたが、女性の心を所有して、女性には自分の決定権を譲る必要があるというですか?


>ということで、質問者さんの場合、男女間の相互交流(愛し合ったり、共感し合ったりする一方で、否定し合ったり、拒否し合ったりもすること)に対する切実な必要性を感じない限り、「胸がドキドキするような恋」も生れようがないと思われます。


ふむふむ、よくわかりました、とても楽しめました、ありがとうございます。またの回答をお待ちしています。

お礼日時:2012/11/21 17:18

こんにちは。



>となると後は無意識しかないですね。無意識になら操られてもいいですね。無意識は自分自身ですからね。

はい、確かに世間では「無意識」と呼ばれています。
が、質問者さんは、自分の認識や理解が世俗的な常識や概念のレベルと同一であることに不満を覚えませんか?
質問者さんの場合、「無意識」という常識的、概念的な定義をして事足れり(=終わり)としたがる傾向があまりにも強すぎますよね。
「なら、自分の無意識の正体・真相をちょっと探ってみようか」という気にはなかなかなりませんよね。
その前に、「どうせ分かるはずがないのだから」と簡単に決めつけてしまいますよね。
ちなみに、「概念」というのは、「おおよそ、おおむね、大体の意味」、つまり「いい加減な意味」という意味にほかなりません。

>私が思ってるのとは逆ですね、私は主に争うために正義が利用されてると感じました、米国なんか正義を理由に民衆を扇動して戦争しまくってますよね、まぁ米国に限らずのどの国も戦争するには大義文明ってのが必要なんですが。民衆が正義で動かされるのもそれで正義が魅力的なんですよね、綺麗だから魅力的なんじゃないでしょうか?

ウ~ン、あなたの言う「正義」といわゆる「大義名分」とでは、どこがどう違いますか?
その意味では、質問者さんは自分の信ずる「正義」を振りかざしているつもりでも、実際には、世間で幅を利かせている「大義名分」の言いなりになっているだけ、自分自身を喪失した《他律的》なあり方でしかないと言えるかもしれませんね。

>他人の正義なんてどうでもいいです。仮に正義同士で衝突するなら戦うだけです、手段を問わず相手の正義を排除します。私に限らず正義の使い方ってのはそういうものです。

はい、もし、質問者さんがこういう「正義」観で生きてこられた結果、何のトラブル、困ることもなかった、とても快適だったと自己評価できるなら、今後もご自身の「正義」を貫かれたらよろしいのではないでしょうか。
でも、このように生きてきた結果、しばしばトラブルに遭遇してきた、今後、できればトラブルに遭遇する機械を減らしたいと願うなら、少しはご自分の「正義」を見直された方が賢明かもしれません。

>成り立ちには全く興味がありません、成り立ちなんて知らなくても利用方法(言葉の意味)さえわかってれば誤用なく正確に使えます。

この限りにおいて、質問者さんは「道」や「勧善懲悪」(の基準)に、そうと気づかずに操られている傀儡(=ロボット)でしかないですよね。
たとえ、質問者さんの方では、《自分自身の意思による》と信じて疑わないにせよ。

>うーん全くわかりません、みにくい鏡ってのがさっぱりわかりません。見にくいんですか?それとも醜いんですか?あ!つまりみにくい鏡とはとても変な形をした鏡ってことなのかな?だとしても意味がわからないですね・・。

この台詞、うろ覚えだったので、実際に脚本をひもといてみたところ、「(恋とは)おのれの醜さの鏡で相手を照らすもんだ」とありました。
より一般化して言えば、「相手が羨ましく見えるとき、自分には相手が持っているものが《ない》という自覚を伴う」ぐらいの意味です。

たとえば、美しい人には美に憧れる《必要》がない、醜い人だけが美に憧れる《特権》を有するとも言えます。
異性に恋するときでも同様で、ここでいう《醜い》とは、自分自身を省みて発見した、何らかの意味での《欠如・不足》を指してのこととご理解いただきたいところです。

ということで、もし、質問者さんに「おのれの醜さ(欠如・不足)」の自覚がないとすれば、つまり自分自身に《自足》している限り、いつまでたっても《恋の衝動・必要》に駆られることもないと言うしかありません。

この回答への補足

補足をつけます。

私の分析にするにあたりこれまでの説明では足りないと思いました、なので自分の情報を交えながら自分の正体を考えてみました。

私には願望があるんです、ですがその願望が何を目的としているのかわからないんです。
私は戦記モノの小説が好きなんです、そして私の願望とは独裁者になることなんです。なぜ独裁者かというと全てにおいて自分を納得させたいからです。戦記モノが好きなのも非合理的な行いを主人公が正すことが多いからですね

私は生来からわからないことは納得の行くまで追求する性格なんです。だからこの世のあらゆるものが納得いかなくて不満だらけで、たぶん自分のこと以外のこと全てに対して諦めてるんです。そう考えれば他人も何もアテにしない考え方になるのも納得できます。

だから世の中の全てを自分の納得のいく世界にしたいという欲求があるからイコール独裁者になりたいという願望なんだと思います。そしてこれは支配欲とは異なると思いました、独裁者になってなにをしたいかというと、全て合理性に従って統治したいんです、私には他人を自分の思い通りにしたいという支配欲がありません。ただ他人を合理性に従わせるのに独裁者こそが適任だと思ったからなりたいんです。

私の住む日本の政治が全て合理性に従っていればこんな不満をいだかなくて、不満を解消するための願望も抱くことはなかったと断言できます。私には思想の部分でオリジナリティは思い当たりませんでした、私は物事を判断するのにほぼ合理性に頼っていました、だからこそ自分が正しいと信じて疑わないんだという自信の根拠を確認しました。今でも合理性こそが唯一どの視点から見ても正しいと思っています


私の正体はたぶん合理性に従う信者ですね、これは全ての人間にとって共通する公正かつ公平であり正義だと信じてます、なぜなら合理性を反対する正当な理由がありません。合理性と正当は同じ仲間ですしね。
そして合理性の信者だからそ、我欲を満たす満たす為に他人の権利を犯す行為は罪の度合いによるが絶対に許せないという信念があります、これも確かに他律的なんですが、合理性の信者だからこそ作られたものであって他人からの借り物ではないものだと信じています。

補足日時:2012/12/02 17:34
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>はい、確かに世間では「無意識」と呼ばれています。
が、質問者さんは、自分の認識や理解が世俗的な常識や概念のレベルと同一であることに不満を覚えませんか?
質問者さんの場合、「無意識」という常識的、概念的な定義をして事足れり(=終わり)としたがる傾向があまりにも強すぎますよね。
「なら、自分の無意識の正体・真相をちょっと探ってみようか」という気にはなかなかなりませんよね。
その前に、「どうせ分かるはずがないのだから」と簡単に決めつけてしまいますよね。
ちなみに、「概念」というのは、「おおよそ、おおむね、大体の意味」、つまり「いい加減な意味」という意味にほかなりません。



世間の常識と同じだということで不満を感じたことはありませんね、逆に世間の常識に納得いかなくて不満を持つことならよくありますけどね。
自分の無意識の正体、深層ってどうやって調べるんでしょうか?解るのなら正体を知りたいです。


>ウ~ン、あなたの言う「正義」といわゆる「大義名分」とでは、どこがどう違いますか?
その意味では、質問者さんは自分の信ずる「正義」を振りかざしているつもりでも、実際には、世間で幅を利かせている「大義名分」の言いなりになっているだけ、自分自身を喪失した《他律的》なあり方でしかないと言えるかもしれませんね。


私の正義は・・不正・不道理・不道徳を許さない、つまり人々が理想とする正義と一緒ですね、けど細部は違う、オリジナルの部分もあります、私は人に直接危害が加わえられることだけに憤りを感じます、著作権侵害とか人に危害が加わらないものには、あまり関心がありませんね。そこが世間と全く違います。


>はい、もし、質問者さんがこういう「正義」観で生きてこられた結果、何のトラブル、困ることもなかった、とても快適だったと自己評価できるなら、今後もご自身の「正義」を貫かれたらよろしいのではないでしょうか。
でも、このように生きてきた結果、しばしばトラブルに遭遇してきた、今後、できればトラブルに遭遇する機械を減らしたいと願うなら、少しはご自分の「正義」を見直された方が賢明かもしれません。


トラブルは合ったことないですね、今までは明確性な正義とかなかったと思います、昔から親の転勤による都合で遠くへの引越しを繰り返し、その度に仲の良い友達とも別れてしまい、高校生にもなると人づきあいも消極的でゲームばかりしててひどく無気力でしたからね。そういえば青春時代って言えるのは中学前半までだったかな、それ以降は無気力だったから気にかけられても淡白な反応して自分から突き放してましたね、親でさえも。今は生まれ変わったかのように立ち直ってまともです。

それで無気力だったけど、色んな物語を読んで感動して、それに憧れてその物語にある理想の正義を自分のものにしたくなったんですね、私の正義観が財産文化侵害には関心が薄くて、人が傷つけられる事柄に特化してるのも、他律的なのもそのせいでしょうね。楽しい過去なんて忘れたから過去を振り返るなんてしたくないから自分でも気づかなかったですね、その正義がオリジナルなのか、借り物なのか。

今思えば無気力な状態から立ち直ったのは色んな物語のおかげでですね、物語を読むたびに色んな感情が揺さぶられて影響されて、それが何度も繰り返されることで人間らしくなったのだと思います。
そう、思い起こせば今まで恋どころか他人を気にする余裕なんてなかったんです。それをすっかり忘れてました(笑)。

趣味や嗜好などは全部オリジナルですが、対人関係に関してはオリジナルは無いようです、本来なら思春期に育つはずが、無気力になり接触を拒否し続けたことで育たなかったからでしょうね。めんどいから拒否しようという気持ちもありますが、物語のような人間ドラマを楽しみたいという気持ちもあります。
それが恋をしたいという気持ちですね。

正義観も借り物なのは間違いないですね、というかオリジナルの正義観って何なのか全くわかりません、どうやって身につけるんですか?どうやって育むんですか?

>ということで、もし、質問者さんに「おのれの醜さ(欠如・不足)」の自覚がないとすれば、つまり自分自身に《自足》している限り、いつまでたっても《恋の衝動・必要》に駆られることもないと言うしかありません。

フムフム、自分の欠点はわかってるんですが、醜いとか不足とは思わないですね。欠点は怠情なところなんですが、必要に迫られればやりますから別にって感じですね。逆に欲しいものはあります、悪人を成敗したり、危険から人を助けたい、その活躍の場ですね。イメージトレーニングを繰り返す内に恐怖も抑えられるようになりました。

お礼日時:2012/11/30 17:47

こんばんは。



ご回答いただき、ありがとうございました。
で、これは半ば覚悟はしてましたが、いただいた回答内容に照らす限り、質問者さんは、残念ながら、あたかも自分自身から「恋」をしたくなるために大切な必要条件をことごとく追放しようとしているかのように見受けられました。

>それは・・より正確な事がわかるのなら究明したいと思います、何より自分のことですし。
>しかし、その方法がありません。

誰にも「正確な事」なんか分かりませんし、「その方法」がどこかに転がっているわけでもありません。
ただ、質問者さんはお気づきでないでしょうが、私が驚かざるを得ないのは、質問者さんの場合、自分自身の正体・真相に対する興味・関心がる好奇心が、驚くほど稀薄であるという点です。

>あらゆる情報を取捨選択し整理するのは自分です。

ですから、この「自分」の正体・真相、あるいは「自分」を裏で操っている《黒幕》こそが本当の意味の《自分自身》だということに是非気づいていただきたいのです。

>そこへいくと人間関係は、相手の気持ちを読み取るのは不得意だし確証が取れないので、放置しようとしても絶えず直面するのでめんどいのです。

はい、こと人間相手となると、これを「白黒分け」ようとするやいなや、モノ相手の場合と違い、相手は「お前の分類や判断の基準は自分の思い込み、身勝手、恣意的でしかない」といった否定・拒絶の反応を示してくるからですよね。
そこで、質問者さんの場合、人間と関係、交流を試みようとすると、やや過剰反応せざるを得なくなるのではないでしょうか。

>自分も含めて人を利用するために作られた「正義」だって美しいから惹かれますよね、それと同じなんじゃないかと考えました。

「「正義」だって美しい」とおっしゃいますが、「正義」といったところで、所詮、お互いに利害意識の異なる人間同士がいたずらに衝突し合うのを予防するための、つまり、人間世界を快適に生きていくための、たいへん便利なマニュアル以上でも以下でもないと言えますよね。

その点、「正義」の中身も決して一義的でないどころか、時代・社会によって異なるどころか、100人いれば、100通りの「正義」があるとも言えるわけです。
ところが、質問者さんの場合、こういう《相対的》な思考にはほとんど興味・関心がありませんよね。

>私の倫理観や言動は、その「オリジナルの秩序」に従います。もちろん、「他人の良し悪し」も、私が決めた秩序に準じて判断します。

是非、質問者さんにお持ちいただきたいのは、ご自分のこういう《固定的》な信念がアカの他人の目にはどのように映っているだろうか?という視点、発想です。
なぜって、こういう視点、発想こそが、質問者さんの、他人に対するより正確な理解や認識を可能にしてくれるからです。

>人に道を正されたり勧善懲悪を学ばなかった人間は陽の当たる道を堂々と歩くことができない、哀れな人間になっていたでしょうね。

できれば、質問者さんのおっしゃる「道」や「勧善懲悪」の歴史的・社会的な《形成要因》や《形成過程》について、徹底的に考えてみませんか?

>??よくわからないですね、物事に原因と結果があるのは誰でもわかってることでしょう。その上でそれが自分に関係あるかどうか価値判断下して生きていくんじゃないですか。
価値判断を下せなかったら何も行動できませんよ、そんなものただの記録媒体じゃないですか。

今ある質問者さんという存在自体も、やはり「原因」あっての「結果」でしかないですよね。
「価値判断を下す」質問者さんにしても、質問者さんにそうさせる「原因(=黒幕)」に操られている傀儡(=操り人形)にすぎないと言えなくもないですよね。

最後に「恋」の話題に戻りますが、昔観たお芝居の中で、高貴な女性に片想いする老人が、自分を嘲笑する若者に対し、「恋とはおのれのみにくい鏡に相手を映すもんだ」と言い放ち、なかなか言い得て妙だと感心させれたのを想い出します。

人は「恋」をすると、やはり自分が惨めに思えたり、謙虚になったりするものです。
その点、自分に自信のある人は、「恋」ではなく、女性を「ナンパ」することしか考えなくても良いのかもしれません。

この回答への補足

>できれば、質問者さんのおっしゃる「道」や「勧善懲悪」の歴史的・社会的な《形成要因》や《形成過程》について、徹底的に考えてみませんか?


すみませんぐぐってもわからないので考えるのは無理です、成り立ちも知らないのでは考えることができません

補足日時:2012/11/30 10:05
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ですから、この「自分」の正体・真相、あるいは「自分」を裏で操っている《黒幕》こそが本当の意味の《自分自身》だということに是非気づいていただきたいのです。

となると後は無意識しかないですね。無意識になら操られてもいいですね。無意識は自分自身ですからね。


>「「正義」だって美しい」とおっしゃいますが、「正義」といったところで、所詮、お互いに利害意識の異なる人間同士がいたずらに衝突し合うのを予防するための、つまり、人間世界を快適に生きていくための、たいへん便利なマニュアル以上でも以下でもないと言えますよね。


私が思ってるのとは逆ですね、私は主に争うために正義が利用されてると感じました、米国なんか正義を理由に民衆を扇動して戦争しまくってますよね、まぁ米国に限らずのどの国も戦争するには大義文明ってのが必要なんですが。民衆が正義で動かされるのもそれで正義が魅力的なんですよね、綺麗だから魅力的なんじゃないでしょうか?


>その点、「正義」の中身も決して一義的でないどころか、時代・社会によって異なるどころか、100人いれば、100通りの「正義」があるとも言えるわけです。
ところが、質問者さんの場合、こういう《相対的》な思考にはほとんど興味・関心がありませんよね。


はい、ありませんね、他人の正義なんてどうでもいいです。仮に正義同士で衝突するなら戦うだけです、手段を問わず相手の正義を排除します。私に限らず正義の使い方ってのはそういうものです。


>是非、質問者さんにお持ちいただきたいのは、ご自分のこういう《固定的》な信念がアカの他人の目にはどのように映っているだろうか?という視点、発想です。
なぜって、こういう視点、発想こそが、質問者さんの、他人に対するより正確な理解や認識を可能にしてくれるからです。


それは難しいですね、実際に聞くことができません。こんなこと現実で言えません、言われた方も反応に困るのがわかりきってます。私でも「ふーん、それで?」って反応しますよ。


できれば、質問者さんのおっしゃる「道」や「勧善懲悪」の歴史的・社会的な《形成要因》や《形成過程》について、徹底的に考えてみませんか?

成り立ちには全く興味がありません、成り立ちなんて知らなくても利用方法(言葉の意味)さえわかってれば誤用なく正確に使えます。


>今ある質問者さんという存在自体も、やはり「原因」あっての「結果」でしかないですよね。
「価値判断を下す」質問者さんにしても、質問者さんにそうさせる「原因(=黒幕)」に操られている傀儡(=操り人形)にすぎないと言えなくもないですよね。


存在自体も黒幕によって作られたってことですか?無意識は私の意識が生まれたと同時に生まれるからそれはないんじゃないかな。まさか原因(黒幕)が無意識のことではないなんてのはありませんよね、
モノを操るには、終始干渉するためには継続的な力が必要ですからね。そんなことができるのは無意識以外にありえませんよ。


>最後に「恋」の話題に戻りますが、昔観たお芝居の中で、高貴な女性に片想いする老人が、自分を嘲笑する若者に対し、「恋とはおのれのみにくい鏡に相手を映すもんだ」と言い放ち、なかなか言い得て妙だと感心させれたのを想い出します。


うーん全くわかりません、みにくい鏡ってのがさっぱりわかりません。見にくいんですか?それとも醜いんですか?あ!つまりみにくい鏡とはとても変な形をした鏡ってことなのかな?だとしても意味がわからないですね・・。


>人は「恋」をすると、やはり自分が惨めに思えたり、謙虚になったりするものです。
その点、自分に自信のある人は、「恋」ではなく、女性を「ナンパ」することしか考えなくても良いのかもしれません。


目からうろこです、つまり恋とは相手に依存することであり、その相手に振られるということは即ち自分の存在価値の否定ですね、それで惨めになり自信喪失になるわけだ。
そうなると初めから子供の頃から他人に依存しない私には恋なんて土台無理な話だったわけですね、恋をしない謎が解けました。仮にナンパして伴侶を手に入れても伴侶に依存しないだろうなぁ、物理的な意味でなくて。

お礼日時:2012/11/30 09:56

自分に胸をはる?


セックスが単なる快楽で低レベル?
子供の頃の道徳の授業の延長線上か?
まあそうだからそうなるんだろうが。

この世のお前が尊敬するような賢人達は、やりまくってるよ。悪いが、聖人のような奴ですら、むしろやりまくってるよ。
そしてそれを肯定し積極的になることはあっても、悪とも否定などこれっぽっちもしないわ。
そいつらも人生の経験の中から真実を学んでいったな。

何千冊本を読んでも、未経験では何も学べないって言ってんの。
お前の価値観が子供だから、それをパラダイム転換してくには、経験しかないの認めろ。認めなけりゃお前の未来はない。

他の連中と屁理屈ごっこしてるが、ま~ったく意味ない。
2つだけ。
●未経験は、どんなに努力しようとも絶対に真実を知りえない。未経験が本当に欲することはない。なぜならどんなに情報収集したところで所詮が他人情報だから感じ得ない。
●未経験期間が長くなってくると、自分で自覚も認識もしない場合が多いが、それらを求めてないという抑制心が働き始める。
ましてやそれを理屈で処理しようとすると尚更だ。未経験の理屈というのはどうにでも説明・解釈できるものだ。
人間は感情の生き物だ。

生まれたばっかの赤ん坊が、人を好きにならないエッチしたいと思わないけどどしたらいいって聞かれたよ。
お前はそれと一緒。

この回答への補足

補足日時:2012/11/28 12:40
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この回答へのお礼

お礼日時:2012/11/28 13:46

こんばんは。



今回は、質問者さんが女性と恋愛したくてもそれを妨害している諸要因を明らかにするために、ちょっと気になった点について、私の方からご質問させていただきますね。

>それで正解するのは誰にでも思いつく合理的な判断でしかありません、その人の思想、価値観に基づく考え方は理解できませんね。

誰にも「その人の思想、価値観に基づく考え方は理解でき」ないのは当然でして、重要なのは質問者さんの側に「その人の思想、価値観」を根底で支配、規定している、「その人」の根本的な人間性・性格等に対する興味・関心があるかどうかの方ではないでしょうか?

>たとえば思春期によって性欲を認識してしまったけど、女性をそういう対象で見たくないし恥ずかしいから、それで無意識に忌避するようになってしまったとか。

まあ、世間や常識ならこういう類型的な説明で事足れりとしたがるにせよ、質問者さんご自身は、ご自分の「性欲」の特徴、嗜好傾向、さらにはその形成過程、形成要因等についてとことん究明したいという願望はお持ちでしょうか?

>人間関係というのはめんどくさいと思ってます、物事というのは白黒はっきりして単純明快が好ましいと思ってるからなおさらです。こういうのって否定的っていうんでしょうか?

質問者さんの本音の思い、その裸形の姿がほんの少しだけですが垣間見えたような気がします。
たとえば、「物事というのは白黒はっきりして単純明快が好ましいと思ってる」とのことですが、はじめからルールが決められている《ゲームの世界》を除き、現実社会・人間世界には先験的に「白黒はっきりして単純明快」なモノ・コトなんて一つとして存在しないのは《自明の事実》だとは思えませんか?(ただし、特定の宗教に帰依している場合は除きます。)

>貞操を重視する私の価値観と正反対だから嫌いですね、他にも不正、不道理なことを平気でする価値観を持つ人間は私の価値観と逆正反対なので大嫌いです。価値観が逆の人間とはお互いに相容れないので嫌い合うものではないしょうか。

人間は、「貞操」という観念・美徳をどういう《切実な必要性》に駆られて発明したのか?
と一度でも徹底的に考えたことがおありでしょうか?
あるいは、質問者さんが「不正、不道徳」と判断することについて、どういう確たる根拠にもとづいて「不正、不道徳」という価値判断を下すのか?と一度でも徹底的に考えたことがおありでしょうか?
さらには、質問者さんの「価値観」を根底で規定しているものは何であろうか?と一度でも徹底的に考えたことがおありでしょうか?

>私はやはり、自分の行動は自分の意思でやてtると感じますね

質問者さんは、ご自分の「意思」の形成過程、形成要因、さらにはその根本的な拠り所が何であるか?と一度でも徹底的に考えたことがおありでしょうか?
と言うか、そういう必要性を痛感したことがおありでしょうか?

>子供時代にサボりとか色々なことで親にビクビクしてたことが何度もありまして、もう不安におびえて、後ろめたいを隠して暮らことに懲りたのです。

敢えて申し上げるなら、もしかして、質問者さんの現時点での人となりの形成要因の一つとして、こういうご両親との親子関係の影響が挙げられるかもしれませんね。
ただし、質問者さん以外にも、程度の差こそあれ、似たような経験が全くない人なんて一人もいないとは思いますが。

終わりに、われわれが物事を考えるとき、その思考傾向は、既成の判断基準等があることを自明の前提にし、これにもとづいて価値判断(評価)を下したがる傾向と、モノ・コトのすべてを《原因》と《結果》の因果関係の相で捉えたがる傾向との二種類に大別できるとすれば、質問者さんの場合、そうと自覚なさっているかどうか、かなり顕著に前者の傾向を示していると言えます。

その点、質問者さんの「意思」を含め、物事全般についても、いずれも何らかの《原因》あっての《結果》でしかないことに気づかれることで、これまで見えなかった《自己》の本当の正体・真相と出遭えるのではないかと思われてなりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


>誰にも「その人の思想、価値観に基づく考え方は理解でき」ないのは当然でして、重要なのは質問者さんの側に「その人の思想、価値観」を根底で支配、規定している、「その人」の根本的な人間性・性格等に対する興味・関心があるかどうかの方ではないでしょうか?


そこはみなさんと同じだと思います、その人の容姿・行動を見て「好感の持てる人」「どうでもいい人」「嫌いな人」と分けて、この中で「好感の持てる人」にだけ関心を持つと思います。


>まあ、世間や常識ならこういう類型的な説明で事足れりとしたがるにせよ、質問者さんご自身は、ご自分の「性欲」の特徴、嗜好傾向、さらにはその形成過程、形成要因等についてとことん究明したいという願望はお持ちでしょうか?


それは・・より正確な事がわかるのなら究明したいと思います、何より自分のことですし。
しかし、その方法がありません。今まで自己分析に当たってネットで無料の「各種性格診断」「各種占い」をぐぐってやってきましたが、性欲に関することはわかりませんでした。


>質問者さんの本音の思い、その裸形の姿がほんの少しだけですが垣間見えたような気がします。
たとえば、「物事というのは白黒はっきりして単純明快が好ましいと思ってる」とのことですが、はじめからルールが決められている《ゲームの世界》を除き、現実社会・人間世界には先験的に「白黒はっきりして単純明快」なモノ・コトなんて一つとして存在しないのは《自明の事実》だとは思えませんか?(ただし、特定の宗教に帰依している場合は除きます。)


そりゃそうです、あらゆる情報を取捨選択し整理するのは自分です。デスクトップ上にでたらめに散らばってるファイルを自分のやり方で取捨選択し整理します、それは誰でもやってることだと思います。その整理能力に各々の差異が出るんだと思います。

私がやってるのは得た情報を自分でわかりやすいよう白黒分けて単純になるよう整理しているんです、どちらでもない灰色もあります、まだ振り分けられてない無色もあります。
そこへいくと人間関係は、相手の気持ちを読み取るのは不得意だし確証が取れないので、放置しようとしても絶えず直面するのでめんどいのです。


>人間は、「貞操」という観念・美徳をどういう《切実な必要性》に駆られて発明したのか?
と一度でも徹底的に考えたことがおありでしょうか?
あるいは、質問者さんが「不正、不道徳」と判断することについて、どういう確たる根拠にもとづいて「不正、不道徳」という価値判断を下すのか?と一度でも徹底的に考えたことがおありでしょうか?
さらには、質問者さんの「価値観」を根底で規定しているものは何であろうか?と一度でも徹底的に考えたことがおありでしょうか?


ないですが、今考えたのはクジャクが綺麗な羽を持ってることと同じですかね?生き物は美しいモノに惹かれます、自分も含めて人を利用するために作られた「正義」だって美しいから惹かれますよね、それと同じなんじゃないかと考えました。

誰かの言葉を借りますが、私は社会的秩序を基本として「オリジナルの秩序」を成長と共に確率してきました、私の倫理観や言動は、その「オリジナルの秩序」に従います。もちろん、「他人の良し悪し」も、私が決めた秩序に準じて判断します。
全てはそれに基づいて判断を下しています。これは誰にも変えれない、揺さぶられもしない私の人格を構成する重要なパーツです。


>質問者さんは、ご自分の「意思」の形成過程、形成要因、さらにはその根本的な拠り所が何であるか?と一度でも徹底的に考えたことがおありでしょうか?
と言うか、そういう必要性を痛感したことがおありでしょうか?


考えたことないですが、やはり子供時代の環境、経験が大部分で、後は読み物ですね、私はキャラに感情移入しやすい方なので映画や漫画に小説、ゲームに影響されやすい方だと思います。
必要性を痛感したことは全くありません、どういう時に必要性を感じるのかも思いつきません。


>敢えて申し上げるなら、もしかして、質問者さんの現時点での人となりの形成要因の一つとして、こういうご両親との親子関係の影響が挙げられるかもしれませんね。
ただし、質問者さん以外にも、程度の差こそあれ、似たような経験が全くない人なんて一人もいないとは思いますが。


それはそうでしょうね、環境が劣悪だったり悪いことしたり怠けたりして叱られなければ間違いなく、今とは別の人間になっていたでしょうね。人に道を正されたり勧善懲悪を学ばなかった人間は陽の当たる道を堂々と歩くことができない、哀れな人間になっていたでしょうね。



>終わりに、われわれが物事を考えるとき、その思考傾向は、既成の判断基準等があることを自明の前提にし、これにもとづいて価値判断(評価)を下したがる傾向と、モノ・コトのすべてを《原因》と《結果》の因果関係の相で捉えたがる傾向との二種類に大別できるとすれば、質問者さんの場合、そうと自覚なさっているかどうか、かなり顕著に前者の傾向を示していると言えます。


人は誰でも前者ではないんですか、ただ物事を原因と結果で捉えるのは、それが目的の研究者くらいなのでは?


>その点、質問者さんの「意思」を含め、物事全般についても、いずれも何らかの《原因》あっての《結果》でしかないことに気づかれることで、これまで見えなかった《自己》の本当の正体・真相と出遭えるのではないかと思われてなりません。


??よくわからないですね、物事に原因と結果があるのは誰でもわかってることでしょう。その上でそれが自分に関係あるかどうか価値判断下して生きていくんじゃないですか。
価値判断を下せなかったら何も行動できませんよ、そんなものただの記録媒体じゃないですか。



どうもありがとうございました、またの回答をお待ちしています。

お礼日時:2012/11/28 10:38

恋愛も一緒だよ。


セックスは買えばいい?
その机上の理屈が未経験者の台詞だっていってんだよ。
セックスは単なる処理じゃねえんだけどわからんよな~
欲しなくてもえーから勉強だと思って、何人も付き合ってエッチしてみろ。そしたら同じ台詞はかなくなるよ♪

この回答への補足

次の回答に書き込めないからここで書きます

思い込み激しい人ですね、私がセックスしたくないとか色々勘違いしてるかのような書き方ですねえ。
今までの回答も全て的外れですよ、セックスをしろと言われるために立てた質問じゃないんですよ。

どうやって人は恋をするのか、その仕組みを教えて欲しくて立てたんですよ、それなのにあなたはセックスすることしか頭にない、そんなのでもお情けで相手して上げただけんですよ、これに懲りてもう回答しないでくださいね

補足日時:2012/11/29 11:33
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

善意から快楽を勧めてくださってるのはよく伝わります。
でも私は、自分に胸を張れる道を歩むと決めてるんです、そのために悪魔の囁きにも快楽ごときにも屈したりしない。

お礼日時:2012/11/28 10:51

ただ未経験だからだけのこった。


喜びを体感したことないのに、味がわからんのに食べたいと思わんよ。
特にえっちは、しまくらないと、ほんとにしたいと思わんよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

経験者は語るですか。
食事や性行為で分泌される脳内麻薬エンドルフィン
特に性行為で出されるそれは病みつきになるほど、中毒性ってわけですね。

でも私がしたいのはセックスじゃなくて恋愛です。セックスしたいならめんどくさい恋愛より、気軽に変える売春婦を買えば済む話ですよね。

お礼日時:2012/11/26 22:05

No.1、2です



>建設的な議論になるといいなとは思いますが、私はネット上だけでリアルで正式な議論もしたこなく、基本も知らないので知らずにタブーを犯しているかもしれません、ご面倒おかけしますが、その都度教示していただけると幸いです。

「建設的な議論」にしていくには、自分とアカの他人とでは意見や主張が大きく違うことについて、質問者さんがどの程度肯定的に受け止められるか?が問われてくるかもしれませんね。
そのためにも、相手の意見なり、主張なりを一義的、一面的に捉えて、自説、持論と違うかどうかを判断するのではなく、より多義的、多面的、立体的、多層的なものとして捉えられた方がより賢明でしょうね。

>異性間で交流したことがないのでは片想いすらあり得ないということですね。

はい、「片想い」、「ネット上」のやりとりでは、アカの他人同士の直接的な【触れ合い】、【交流】だけが約束する、ある意味【劇的】でもある《烈しい化学反応》は期待できず、結局は質問者さんの脳内で自己完結してしまう出来事だけで終わってしまいますから。
その限りにおいて、質問者さん側には、良くも悪くも、発展どころか、ほとんど変化も起こりようがないですよね。

>恋愛はしてみたいと思います、大抵の物語には男女の恋愛がつきものなので、一度くらいは経験したいという好奇心からだと思います。何より私のお気に入りの物語にも恋愛要素が入ってますから。

「恋愛」は一人の意思や希望だけでできるわけでも、一方的に相手に《与える》ことでも、相手を《奪う》ことでもなければ、【GIVE&TAKE】でもありません。
私が思うに、「恋愛」は、特に性交渉を伴う「恋愛」では、男女を【GIVE=TAKE】という、一種の逆説的な関係で、しかもより深く、強く結び付ける力があるのではないでしょうか。

>いえあります、私でもそれも含めた色々な犯罪などの禁忌的な妄想くらいしてます。

でも、これまでは【バーチャルな次元に留まる】ということだったのですよね。
その理由について、質問者さんは「他者への思いやりと理性がある」からとおっしゃいますが、失礼ながら、本当は、他者と深く交わろうとなさるとき、自分でもそうと意識しないレベルで、ある種の恐怖感、忌避感、不安感等に近い感情に襲われることはありませんか?
その結果として、「架空の世界を作り架空の住人に対して欲求をぶつけて発散し、自己完結してるのかもしれません」ね。

>>女性との間で「心」のやり取り、相互交流(インタラクション、インターコース)を重ねることで、女性から愛情なり、信頼感なりを得ることが、男性にとっては必要不可欠となるのです。

>ふむふむ、つまり装飾するわけですね。私も本人の許可があればセックスが欲望のはけ口だろうと構わないと思います。

いいえ、質問者さんが「装飾」とおっしゃるのは、ご自分の内部に「相互交流」への欲求、願望、衝動等が見出せないからではないでしょうか。
他者に働き掛ければ、良くも悪くも、他者から【予想外の反応】(反発、共感、拒否、賛同等)が返ってきますが、質問者さんの場合、もしかして、他者の【予想外の反応】、思いがけない【反作用】を受けることについて、肯定的に受け止めるか?、それとも否定的に受け止めるか?が問われているのかもしれません。

>売春婦の中身、思想人間性が嫌いなんです、

なら、質問者さんをして「嫌い」と思わしめている根本的な【原因・理由】が必ずあるはずですから、それをとことん追究してみることで、これまで未発見のまま放置してきた、ご自身の隠された一面、もう一人のご自分の正体・真相を発見する契機になるかもしれませんね。
とにかく、先天的、生理的に「嫌い」なんてことは断じてあり得ませんから。

>合意の上でのセックスは衣服の剥奪でも権利の侵犯でもないと思います。

はい、こと人間社会では、女性の「合意」なくして女性を性的欲望対象と見なせば【セクハラ】となり、「合意」なくして女性を愛撫すれば【痴漢】となり、「合意」なくしてセックスを強要すれば【レイプ】となります。
逆に、女性からの「合意」さえあれば、SMプレーや緊縛プレーを含め、たとえ倒錯的なセックスをしたところで、男女の愛情を深めるだけに終わるという点が、生身の肉体によるセックスの呈するきわめて興味深い一面です。

>私自身は好きなように生きればそれでいいと思ってます、自分の行動に胸を張って生きてるので他人の目なんか全く気になりません。

私自身は、自分の人生の90%以上が、自分で気づかないものの、本当は自分自身の、固有の、独自の意思によってではなく、むしろ【歴史的、社会的、文化的、生理的】な被支配・被影響のもとに展開していると感じております。

>こう考えるとゲームみたいで楽しそうに思えてきました。

一つ懸念されるとすれば、質問者さんは「ゲームみたいで楽しそう」と思っても、相手の女性も「ゲーム」と割り切って、質問者さんとの【恋愛ゲーム】に付き合う気になれるかどうかという点ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お待ちしておりました、興味深い回答を毎度ありがとうございます。


>「建設的な議論」にしていくには、自分とアカの他人とでは意見や主張が大きく違うことについて、質問者さんがどの程度肯定的に受け止められるか?が問われてくるかもしれませんね。
そのためにも、相手の意見なり、主張なりを一義的、一面的に捉えて、自説、持論と違うかどうかを判断するのではなく、より多義的、多面的、立体的、多層的なものとして捉えられた方がより賢明でしょうね。


いかにも、そうですね。私も相手の立場になって考えることはとても重要だと思います、でもそれで正解するのは誰にでも思いつく合理的な判断でしかありません、その人の思想、価値観に基づく考え方は理解できませんね。理解できなくても受け止めるだけならできます、人の価値観は人の数だけありますからね、他の価値観を受け入れない!なんてことはしません。ところで、今までのは議論だったんでしょうか?私の心理を分析していただいてるとは思いましたが、対等の立場で何か議論してるとは思わなかったのですが。


>でも、これまでは【バーチャルな次元に留まる】ということだったのですよね。
その理由について、質問者さんは「他者への思いやりと理性がある」からとおっしゃいますが、失礼ながら、本当は、他者と深く交わろうとなさるとき、自分でもそうと意識しないレベルで、ある種の恐怖感、忌避感、不安感等に近い感情に襲われることはありませんか?
その結果として、「架空の世界を作り架空の住人に対して欲求をぶつけて発散し、自己完結してるのかもしれません」ね。


ふむふむ、意識しないレベルならわかりませんね。なぜそういう感情を抱くのか心当たりがありません、トラウマを持ってるわけではないですからね、そういえば思い出したんですが、中学の最初まではクラスの女子とも交流してましたが、進級してクラスが変わったのを境に交流しなくなありましたね。
思春期が何か関係してるんでしょうか。たとえば思春期によって性欲を認識してしまったけど、女性をそういう対象で見たくないし恥ずかしいから、それで無意識に忌避するようになってしまったとか。




> いいえ、質問者さんが「装飾」とおっしゃるのは、ご自分の内部に「相互交流」への欲求、願望、衝動等が見出せないからではないでしょうか。
他者に働き掛ければ、良くも悪くも、他者から【予想外の反応】(反発、共感、拒否、賛同等)が返ってきますが、質問者さんの場合、もしかして、他者の【予想外の反応】、思いがけない【反作用】を受けることについて、肯定的に受け止めるか?、それとも否定的に受け止めるか?が問われているのかもしれません。


人間関係というのはめんどくさいと思ってます、物事というのは白黒はっきりして単純明快が好ましいと思ってるからなおさらです。こういうのって否定的っていうんでしょうか?




>なら、質問者さんをして「嫌い」と思わしめている根本的な【原因・理由】が必ずあるはずですから、それをとことん追究してみることで、これまで未発見のまま放置してきた、ご自身の隠された一面、もう一人のご自分の正体・真相を発見する契機になるかもしれませんね。
とにかく、先天的、生理的に「嫌い」なんてことは断じてあり得ませんから。


貞操を重視する私の価値観と正反対だから嫌いですね、他にも不正、不道理なことを平気でする価値観を持つ人間は私の価値観と逆正反対なので大嫌いです。価値観が逆の人間とはお互いに相容れないので嫌い合うものではないしょうか。


> 私自身は、自分の人生の90%以上が、自分で気づかないものの、本当は自分自身の、固有の、独自の意思によってではなく、むしろ【歴史的、社会的、文化的、生理的】な被支配・被影響のもとに展開していると感じております。


食事にセックス、毎年初めの神社への参拝、クリスマス、社会マナーの尊守などなどのことでしょうか?
違ってたらごめんなさい、私はやはり、自分の行動は自分の意思でやてtると感じますね、寝食忘れて趣味に夢中になることがあるし、神社に参拝しないし、クリスマスにケーキを食べないし、社会ルールも人に迷惑かからないと思ったら守らないし、改めてみると私はとても自由な人間ですね(笑)


>一つ懸念されるとすれば、質問者さんは「ゲームみたいで楽しそう」と思っても、相手の女性も「ゲーム」と割り切って、質問者さんとの【恋愛ゲーム】に付き合う気になれるかどうかという点ではないでしょうか。


ゲームというと悪く聞こえてしまったでしょうか、私は人間関係に嘘はつきません、後ろめたいことは嫌いですからね、なぜかって子供時代にサボりとか色々なことで親にビクビクしてたことが何度もありまして、もう不安におびえて、後ろめたいを隠して暮らことに懲りたのです。
それでゲームと言ったのは恋愛するための交流・駆け引きがゲームみたいに思えたからです。
本来ならめんどくさいから当たり障りなく、自分を曝け出さないで壁を作ってやってたんで、能動的に交流しようとすることがそう思えたんですね。


どうもありがとうございました、またの回答を楽しみにしています。

お礼日時:2012/11/26 21:55

既に立派な回答がありますからいわずもがなですが、ちょっと気がついたことを。

これは趣味に関することであり、言うべきではないことかもしれませんが、一般的に思いつくことですのでできるだけさりげなく言ってみます。私見では質問者様は年齢にしてはたいそう倫理的な、見事な社会人だと思います。それが多少過剰に倫理的な部分があるのかもしれないと思います。風俗嬢やAV嬢に対する嫌悪感にそれが感じられるのですが、その感じ方があるいは恋愛をはじめにくい心理をつくっているのかもしれないとは思われませんか。嫌悪しながらもアダルトもののお世話になっているという一種の矛盾のようなものを感じるのは、それはそれで割り切っておられるということでしょうが、正面からそれを考えればなんらかの望ましい突破口がそこにあるかもしれないと思ってしまいます。
これは真剣に読まれなくても結構ですが、私は、確かに上記の彼女達は性という社会倫理の一線を越えた女性だとは思いますが、必ずしも普通の女性と異質だとは思いません。みな美人だということを別にしても、むしろ精神的なある意味においては女性として平均以上に好ましい性質を備えた、一般的な言葉で言えば素直な、男性に好かれやすい、愛すべき人間性を持ったひとたちではないかと思っています。貴方の身辺にいる、あるいは将来結婚するかもしれない平凡な市井の女性ともあまり変わらない女性たちなのだと思います。もちろん、彼女たちと結婚するべきだといっているわけではありません。ただ、彼女達を毛嫌いするのは少し違っているのかなと思うだけですが。

男性がそうであるように、女性にも当然ながら性欲はあります。お互いがおたがいを必要と感じ、プライベートな生活を共有したいと思うのはこの性欲がベースになければならないわけです。
まだお若いのですから深刻に考えず、まだチャンスがないだけなのだと考えてそのときを待たれたらどうでしょうか。男女は縁のものといいますから、前向きに思っておられたら、きっと好きな人が目前に現れると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

他の人は気にせずあなたの感じたことを教えてください、私は専門家に伺ってるのではなく、色々な感性を持つ普通の人にもお伺いしています、意見というものはそれが正しいか正しくないかに関わらず、同じ意見として公平に扱うものだと思っています。


>私見では質問者様は年齢にしてはたいそう倫理的な、見事な社会人だと思います。それが多少過剰に倫理的な部分があるのかもしれないと思います。


ありがとうございます、お褒めいただき恐縮です。確かにこれまでの文章を読めばそう感じるんでしょうね、けど実は、私はとても非情で冷酷な人間なんですよ、自分の論理感から外れるものには情け容赦ないんです。幻滅して回答くれなくなったら楽しみが減ってしまうから言いたくないんですが・・。
アクメツって漫画をご存知ですか?あれ大好きなんですよ、あれはものすごい共感しました。

私はあれを読む以前から似たような妄想を幾度となくしていました、則ち汚職政治家連中の私刑です。
論理感が立派だと言ってくれて嬉しいのですが、私はそういう人間なんです、しかもそれを隠そうとしない、非人道的なことだと承知していながら胸を張って人に告白するという、自分の思想、価値観、信念に絶大な自信を持っている、自分の負の面に微塵も罪悪感を感じず、胸を張って堂々と告白する。

なんとふてぶてしく厚かましい人間なんだろうか。人は皆自分の負の面には少なからず罪悪感を抱き、他者には隠して生きているというのに。お聞き苦しいことを聞かせてしまってすみません、要は私はそんな立派な人間じゃないと伝えたかったのです。


>感じ方があるいは恋愛をはじめにくい心理をつくっているのかもしれないとは思われませんか。嫌悪しながらもアダルトもののお世話になっているという一種の矛盾のようなものを感じるのは、それはそれで割り切っておられるということでしょうが、正面からそれを考えればなんらかの望ましい突破口がそこにあるかもしれないと思ってしまいます。


AV嬢含めた売春婦らには何も人間を感じないんです、だからアレら対して何も感情を抱かないんです。
整理反応を起こさせる道具としか見なしてないんです、散々嫌いだと言いましたが、無関心というほうが正しいかもしれません、誤解させるような言い方してすみません。ただどうして無関心なのかと問われれば嫌いだからこそ、無関心なのだと思います。けどモノ扱いしても悲鳴が出るようなハードなAVを見れませんね、たぶんモノが人間らしい激しい感情を出してるのを見ると人間として観てしまうからだと思います。


>確かに上記の彼女達は性という社会倫理の一線を越えた女性だとは思いますが、必ずしも普通の女性と異質だとは思いません。みな美人だということを別にしても、むしろ精神的なある意味においては女性として平均以上に好ましい性質を備えた、一般的な言葉で言えば素直な、男性に好かれやすい、愛すべき人間性を持ったひとたちではないかと思っています。貴方の身辺にいる、あるいは将来結婚するかもしれない平凡な市井の女性ともあまり変わらない女性たちなのだと思います。


上記を書いてて気付いて来ましたが、私はAV売春婦らを同じ人間と認めたくないんでしょうね、あんな道を選んことを理解できないからこそ同じ人間と認めたくないんだと思います、あんなのが普通の女性だなんて絶対に認められない、AV売春婦らをモノ扱いして人間として認めないのは、女性に幻滅したくないからこその反応なんだと思います。なので何を言われようがアレらは愛玩道具としか見れません、ケダモノらが愛玩道具を使ってる様子をみてる私は確かに矛盾していますね。

今までこんなこと深く考えないで本能のおもむくままに視聴してたので矛盾には気づかなかったです。
気づいたからには即刻AVを利用するのはやめようと思います、他に性欲処理する方法はいくらでもありますからね、ありがとうございます、おかがでスッキリしました、矛盾に気づくきっかけを作っていただき感謝しています。


>男性がそうであるように、女性にも当然ながら性欲はあります。お互いがおたがいを必要と感じ、プライベートな生活を共有したいと思うのはこの性欲がベースになければならないわけです。どうでしょうか。男女は縁のものといいますから、前向きに思っておられたら、きっと好きな人が目前に現れると思います。


恋愛の原動力は性欲だというのはわかってます、ですが私にはその他者を必要とする深層心理レベルで、その性欲を向けられなかったから今まで興味もなく疑いもしなかったんです。
ですが恋愛(異性との交流・駆け引き)を楽しむために物語を参考にした架空のキャラクターファイルを作り私の空っぽなフォルダに入れてやってみようかと思います、なんかゲームみたいで楽しそうですよね。私はゲームは大好きなんです。


またの回答をお待ちしています

お礼日時:2012/11/23 04:23

再回答させていただきます。



質問者さんは、他人と会話なり、意見交換なりをするのが好きでしょうか?
あるいは、自分と違う考え方や価値観を有する人と議論したとき、議論が建設的に展開していきますか?
また、私がこういう質問をする真意なり、魂胆なりについて、少しはお察しいただけるでしょうか?

>私は「好き」という感情を持つことが恋だと思ってました。そうではなく恋とは好意を寄せることでなく、対象の心の所有欲を持つというわけですね。

いや、大切なのは、恋とは「対象に『好き』という感情を持つことか?」、それとも恋とは「対象の心の所有欲を持つことか?」のいずれかということではなく、「恋」が男女間で心のやり取り、心の交流なくしては成立しようがないということだと思いますよ。

となると、質問者さんに、自分と異なる考え方や価値観を有する女性との交流(付き合い)に対する欲求、願望がどれほどあるか?によって、現実に「恋」ができるかどうかも決まると考えられます。

>普通はオナニーでは我慢できず、女性を性的欲望対象として見てセックスをせずにいられないということですね、このへんちょっとわからないです、性欲は射精することで発散できますよね、なぜ普通の人はそれで性欲を満たせないんですか?性欲を発散してもセックスしたがる欲求が別にあるんでしょうか?

平均的な(「普通」の)男性の性欲というのは、その性行動の実態を表層的、個別的に観察する限りでは、ほとんど千差万別としか言いようがありませんが、少し掘り下げて、その基本性格に目を向けてみると、ほぼ次の三種の欲求に大別できると考えられます。

(1)ペニスの生理的快楽を求める《射精欲》
(2)女体が帯びている性的禁忌性に対する《侵犯欲》
(3)女性を性的に攻略、支配、所有せんとする《征服欲》

質問者さんの場合、もしかして、性欲は《射精欲》に限られ、(2)、(3)の欲求に駆られたことはほとんどないのではないでしょうか。
そう、たとえば《性的禁忌性》を帯びる女性の裸体(特に乳房や性器等)に対する性的好奇心、つまり《禁忌侵犯欲》とか、羞恥心から抵抗したり、拒否したりする女性を性的に攻略、支配、所有せんとする《性的征服欲》とかに駆られたりしたことがほとんどないのではないでしょうか。

要するに、男性が「生身の女性」に対して性的に興奮、欲情し、セックスの衝動に駆られるとき、実は単なる生理的快楽欲でしかない《射精欲》よりも、むしろ《禁忌侵犯欲》や《性的征服欲》といった欲求に大きく促されているということです。
なお、「生身の女性」に対する《禁忌侵犯欲》は、性・セックスに対する社会的規制によって、《性的征服欲》は、望まぬ妊娠を避けようとする女性とそれ故に禁欲を強いられる側の男性との間の、性的利害得失をめぐる、微妙な性的駆け引きによって、それぞれ男性の内部に育成、蓄積されたと考えられます。

>うーん、普通は女性を物として見てるんですか、それは驚きです。私はそれはおかしなことに思えるのですが、私の方がおかしいんですね。

質問者さんが「おかしいか」どうかはともかく、平均的な男性は「生身の女性」を性的欲望対象と見なすことで、はじめてセックス欲に駆られます。

>まともに考えたことはないですが、性欲と価値観は別モノだからだと思います。

「性欲」といっても、質問者さんの場合、先天的、生理的な《射精欲》に特化気味であるのに対し、平均的な男性の場合、(1)の《射精欲》よりも(2)の《侵犯欲》、(3)の《征服欲》の比重が高いからこそ、より「生身の女性」とのセックス欲の形を取りたがるのだと考えられます。

しかも、「生身の女性」にセックスに応じてもらおうと働き掛けても、通常は簡単に応じてもらえないどころか、むしろ反発、拒否、抵抗を受けることが多いわけです。
だからこそ、女性との間で「心」のやり取り、相互交流(インタラクション、インターコース)を重ねることで、女性から愛情なり、信頼感なりを得ることが、男性にとっては必要不可欠となるのです。

>だいたいあってます、売春婦は自ら人間の尊厳を売り渡し、家畜に堕ちた元人間だから嫌悪してます。

ところが、質問者さんの観る「エロビデオ」に出演し、お金のために自分の性器や性交シーンを他人の目に晒しているAV女優に対しては「家畜に堕ちた元人間だから嫌悪します」と言いませんよね。
こういう自家撞着については、すでにお気づきでしょうか?

>つまりセックスとは人間としての尊厳を犯す行為ということですか?そうなると売春婦との違いがわからなくなります、いや金品などと交換物として売るか、異性への愛情表現かの違いで区別すればいいのかな?

いや、婚姻制度の成立事情を考える限り、その是非はさておき、売春とさほど変わらない、一種の《身売り》に近いところがあったのは否定できないと思いますし、その名残、痕跡が《結納》であることはどなたもうすうすご存じのところだと思います。
もっとも、これとて、セックスで一方的に妊娠する側の女性の、男の旺盛な性欲を逆手に取った、ある意味したたかなサバイバル戦略と見なすこともできますが。

>人の心を所有したいと思ったことはありませんね、そういえば持っている物もあれば便利という実用的なものだけで、コレクションみたいな所有することが目的の物はひとつも持っていませんね。これも普通じゃないんでしょうか。

ここも、《一方通行》的な意味での「所有」ということではなく、実質的には男女間のやり取り、交流、駆け引きに類することとご理解いただけませんか。
要するに、「相手の心を所有する」とは、実際には「相手に心を所有される」という意味でご理解いただきたいところです。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます、いつも楽しく読ませてもらっています。

>質問者さんは、他人と会話なり、意見交換なりをするのが好きでしょうか?
あるいは、自分と違う考え方や価値観を有する人と議論したとき、議論が建設的に展開していきますか?
また、私がこういう質問をする真意なり、魂胆なりについて、少しはお察しいただけるでしょうか?


はい、会話や意見交換するのは好きです。自分とは他人の異なる考えや価値観は私の好奇心、興味をかきたてます。建設的な議論になるといいなとは思いますが、私はネット上だけでリアルで正式な議論もしたこなく、基本も知らないので知らずにタブーを犯しているかもしれません、ご面倒おかけしますが、その都度教示していただけると幸いです。
質問の真意ですか、やっぱり私が知らずのうちに失礼なことをしでかしてしまったんでしょうか?
それでしたら申し訳ないです、ご教示いただければ改善します。


>いや、大切なのは、恋とは「対象に『好き』という感情を持つことか?」、それとも恋とは「対象の心の所有欲を持つことか?」のいずれかということではなく、「恋」が男女間で心のやり取り、心の交流なくしては成立しようがないということだと思いますよ。


ふむふむ、異性間で交流したことがないのでは片想いすらあり得ないということですね。


>となると、質問者さんに、自分と異なる考え方や価値観を有する女性との交流(付き合い)に対する欲求、願望がどれほどあるか?によって、現実に「恋」ができるかどうかも決まると考えられます。


それがあるのならとっくにやってると思います、私には恋とやらはできないようです。
けど、恋愛はしてみたいと思います、大抵の物語には男女の恋愛がつきものなので、一度くらいは経験したいという好奇心からだと思います。何より私のお気に入りの物語にも恋愛要素が入ってますから。



>質問者さんの場合、もしかして、性欲は《射精欲》に限られ、(2)、(3)の欲求に駆られたことはほとんどないのではないでしょうか。
そう、たとえば《性的禁忌性》を帯びる女性の裸体(特に乳房や性器等)に対する性的好奇心、つまり《禁忌侵犯欲》とか、羞恥心から抵抗したり、拒否したりする女性を性的に攻略、支配、所有せんとする《性的征服欲》とかに駆られたりしたことがほとんどないのではないでしょうか。


いえあります、私でもそれも含めた色々な犯罪などの禁忌的な妄想くらいしてます。他者への思いやりと理性があるので実行に移すことなど考えもしないだけです、もしかしたら目の前にいる現実の女性にそういう欲求を抱かないのは、そういう欲求を持つことでさえ忌むべきことであり、他者の尊厳を踏みにじる行為だとして、架空の世界を作り架空の住人に対して欲求をぶつけて発散し、自己完結してるのかもしれません、色々思い当たる節があります。


>しかも、「生身の女性」にセックスに応じてもらおうと働き掛けても、通常は簡単に応じてもらえないどころか、むしろ反発、拒否、抵抗を受けることが多いわけです。
だからこそ、女性との間で「心」のやり取り、相互交流(インタラクション、インターコース)を重ねることで、女性から愛情なり、信頼感なりを得ることが、男性にとっては必要不可欠となるのです。


ふむふむ、つまり装飾するわけですね。私も本人の許可があればセックスが欲望のはけ口だろうと構わないと思います。


>ところが、質問者さんの観る「エロビデオ」に出演し、お金のために自分の性器や性交シーンを他人の目に晒しているAV女優に対しては「家畜に堕ちた元人間だから嫌悪します」と言いませんよね。
こういう自家撞着については、すでにお気づきでしょうか?


私は売春婦にはAV嬢も含めていたつもりです、一般的には売春婦とAV嬢は別物なんですか?
嫌いといっても憎いから嫌いなのではなく、そういう道を選んだことを軽蔑していますし、売春婦の中身、思想人間性が嫌いなんです、ですから中身に触れる接触を拒否しても、カメラを介して外見を目に入れることには拒否しないのです。それに射性欲も自己完結できればいいのですが慣れると起たなくなるんで仕方ないんです、食い物と違って数日置けばいいものということでもないところが厄介ですね(笑)
全く・・原始的な欲求のくせに我儘だと思いません?


>いや、婚姻制度の成立事情を考える限り、その是非はさておき、売春とさほど変わらない、一種の《身売り》に近いところがあったのは否定できないと思いますし、その名残、痕跡が《結納》であることはどなたもうすうすご存じのところだと思います。
もっとも、これとて、セックスで一方的に妊娠する側の女性の、男の旺盛な性欲を逆手に取った、ある意味したたかなサバイバル戦略と見なすこともできますが。


私は両想いのセックスが侵犯だとは思いません、所有土地への侵入が権利者の合意の上かどうかで侵犯かそうでないかが変わるのと同じく、合意の上でのセックスは衣服の剥奪でも権利の侵犯でもないと思います。
売春婦とのセックスだって互いの合意の上なら侵犯でもなんでもない、ただプライドを金品で売ったその人間性が嫌いなんです。


>ここも、《一方通行》的な意味での「所有」ということではなく、実質的には男女間のやり取り、交流、駆け引きに類することとご理解いただけませんか。
要するに、「相手の心を所有する」とは、実際には「相手に心を所有される」という意味でご理解いただきたいところです。


つまり、権利者から譲りうけて所有したいかどうかを聞かれてたわけですね、勘違いしていました、
所有したいとは思いません、私は寂しがり屋ではないので他者には依存しないし、欲求は全て自己完結できるので必要ありません。これまでがそうだったのだから、性格と同様にこれからもそれはほとんど変わらないと思います。

だけど客観的に物語や他人から見聞きする他者の人生と比べて、私の他者を必要としない孤独な人生なんてあまりに寂しいんじゃないかと、何かトラウマでも負ってるかのような人生だと思いました。
だからそう思った時、人生を変えるために恋してみようかなと思ったんです。

要するに今まで何の興味もなかったのに、今更恋をしたいという、その動機は自分の欲求ではなく他者に影響されて自分の生き方が惨めに思えて、それを変えたいと思ったということですかね、文章にして整理すると自分でも気づかなかったことを発見できるのはいいですね。

でも他者から見ると惨めに見えても大抵は本人は意外と別になんとも思ってないものなんですよね。
私自身は好きなように生きればそれでいいと思ってます、自分の行動に胸を張って生きてるので他人の目なんか全く気になりません。なのになぜ他人と比べて生き方という重大なことを変えるのか、それは自分でも自分の生き方があまりにもつまらなそうに見えたからですね、食わず嫌いはいけないことだと教わりました、それは正しい、その通りだと思います。なので恋愛を楽しみたいと思いました

それで欲求のない自分に恋愛をさせるには、借り物のキャラクターを演じる必要があるんでしょうね、いやそもそもオリジナルがないのだから、演じるとは言わないのかな。スイッチするんじゃなくて、空白のところに新しくいれたんだしね。こう考えるとゲームみたいで楽しそうに思えてきました。
今は他のことで忙しいからできないけど、そのときが楽しみです。



これに対する回答をお待ちしています。

お礼日時:2012/11/22 19:07

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