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あけましておめでとうございます!
今年も宜しくお願いします!

早速ですが初質問させてください(笑)。

近代まで(一部では現代においても)のヨーロッパでは、国・地域ごとに多種に渡る爵位が存在し、貴族達が名乗ってきましたが、余りにも多すぎてその等級の順番が分からない(資料等でも名言されない)という状態が多々あるように思います。

例えば、神聖ローマ帝国領内における爵位には "***graf" 、日本語で「~伯」と適訳されるものが複数ありますが、これらの等級の順番ってどうなってるんでしょうか?
自分で調べた限りでは、方伯(Landgraf)が公爵(Herzog)に匹敵し、辺境伯(Markgraf)や宮中伯(Pfalzgraf)が概ね侯爵(Fürst)と同等と見做されていた(時代によって差異あり)というのは分かったのですが、他は分からずじまいでした。
一応、ニュルンベルク城伯領がブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯領とブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯領(バイロイト侯領)に別れた点から見れば、城伯は辺境伯(≒侯爵)より上位だと思うのですが、確証はありません。
その他の「~伯」に至っては謎のままです……。

このあたりの知識に明るい方、詳しいご説明お願いします。

A 回答 (1件)

爵位に順位はありませんでした。


上級貴族、下級貴族、騎士階級があるだけです。

上級貴族は、皇帝や東フランク王などに叙任された貴族で、下級貴族は、上級貴族に叙任された者を言います。

ですから、「伯爵よりも辺境伯のほうが上」とか、「侯爵のほうが伯爵よりも偉い」といったことはありません。
これは、日本の江戸時代の大名と同じと考えてください。

公爵は、国王や皇帝の親族が叙任された領地の統治者で、日本の親藩大名にあたります。
侯爵は、国王の同盟者や従属者を言います。江戸時代の外様です。
伯爵は、国王の臣下、譜代大名になります。
城伯とか宮中伯というのは、国王が派遣した官僚が貴族化したもので、江戸時代の奉行や大阪城代などにあたります。
日本の100万石の前田家や、島津家などは、3万石程度の親藩よりも格下ということはありません。

宮中伯とか、城伯などは、正式に叙任されたものではなく、国王や皇帝の家臣が土着したものですから、場合によっては、子爵や準伯爵などの扱いを受ける場合がありました。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

順位は無いとの事ですが、それは「書類上・名目上では」という意味でしょうか?
本当に申し訳ございませんが、私の頭では今一納得し難いです。
もし宜しければ詳細なご説明を頂けないでしょうか?

そもそも爵位自体、その都度任命されるはずの官職が任命者たる君主の権力弱体化によって世襲を許してしまった事が発端であるという事は周知の通りですが、長い年月を経る中でその様式は多少の変化を遂げており、そのような中では「事実上の」序列というか格の違いというものは絶対に存在したと思うのですが……。
例えば、領地・勢力の拡大に伴って伯爵(Graf)から侯爵(Fürst)へ、辺境伯(Markgraf)から公爵(Herzog)や大公(Großherzog)へ爵位が変遷したという歴史的事実がありますが、それは裏を返せば等級・格の違いがあったという事ですよね?
複雑すぎて当時の君主・貴族達も把握し切れていない部分はあったのかもしれませんが、順位が無いというのはちょっと理解し難いのですが……。

あるいは順番が無いからこそ、王(ボヘミア)・公爵(ザクセン)・辺境伯(ブランデンブルク)が同様の資格を持つ「選帝侯」という役職を受け持つ事になったという解釈の仕方は出来ますけど。

>上級貴族は、皇帝や東フランク王などに叙任された貴族で、下級貴族は、上級貴族に叙任された者を言います。

つまり、誰に叙任されたかが重要であり、上級貴族とされた伯爵もいれば下級貴族とされた侯爵もいたという事でしょうか?

すみません、頭の回転が悪くて恥ずかしい限りです……。
お手数おかけしますが、お答え頂けると幸いです。

補足日時:2013/01/03 19:33
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