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平安時代の貴族の結婚について質問させて頂きます。<(_ _)>

(1) よく奥さんのことを「北の方」と呼んでいますが、これはどうしてでしょうか?
「北の対屋」に住んでいたからでしょうか?
(2) 平安時代は夫が妻の家に通う「通い婚」だったと思うのですが、妻が夫の家で一緒に住むこともあったと思います。
どのような場合、妻は夫の家に入るのでしょうか?
(3) 複数の奥さんが一緒の屋敷に住んでいる場合、部屋割りはどのようになされていたのでしょうか?
やっぱり、「東の対」「西の対」という様に、対ごとに分かれて住むのでしょうか?
またこの場合、誰がどの部屋(対)を使うかということは、どのように決められたのでしょうか?
身分や立場によって、ある程度決まるものなのでしょうか…。

質問ばかりで申し訳ありませんが、どうぞ宜しくお願い致します。<(_ _)>

A 回答 (3件)

ご質問の件、あまり深く考えたこと無かったです。

(笑)
でも、気になって調べてみました。

(1)奥方の住んでいた場所が、寝殿造りの北の方角にあったためらしいですね。
http://www.asahi-net.or.jp/~hy6t-ymgc/1-01a.htm
「おかあさん」の項参照

(2)「通い婚」というのは、元々結婚の当初は男が女のもとに通い
  その後一定期間が過ぎると夫方か妻方かのどちらかに同居す
  るものだったと思います。
  ただ、女性は男性の経済状態に左右されなかった=父親の身
  分に左右されたので、実家の状態にもよったのではないでし
  ょうか?
  基本的に、夫婦となるには「世間に認められる」事が前提に
  あったはずですので、身分にもよったと思います。
  源氏物語でも、明石の方は身分が低かったせいで、世間的に
  は「妻」としてお披露目されていなかったですよね?

http://www.heian-library.com/yamato/yamatoes01.h …
(通い婚のリンク参照)
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kajyu/genji.htm

(3)これに関しては、ちゃんとした資料がないので、あて推量なの
  ですが・・・。
  源氏物語で光源氏が晩年、関わった女性達をすべて自分の屋
  敷内に引き取ったという部分がありますが、それぞれの女性
  は、対の中に部屋を割り振られていたと思います。
  もちろん人数が少なければ、対毎に別れて住んだということ
  もあったかもしれません。
  どこに誰を住まわすかについては、男性が決めたのではない
  でしょうか?

きちんとした資料を提示できればいいのですが、ちょっとみつかりませんでした。
すいません。
でも、調べてみておもしろかったです。(^-^)
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この回答へのお礼

色々と調べて下さって、ありがとうございますっ! <(_ _)>

「おかあさん」の語源が「北の方」だったというのは、初めて知りました!
平安時代の言い回しって結構好きなので、こんなに身近な言葉に残っているということがちょっと嬉しかったです♪ (^。^)
寝殿造の北の方に住んでいるっていうことは、きっと「北の対」ですよね。
寝殿内に一緒に住んでいるわけではないんですよね? (^^ゞ

通い婚についてもとても勉強になりましたっ★
教えて頂いたURLには面白い情報がいっぱいで、思わず読み耽ってしまいましたよ~(笑)。(^^)
大和和紀さんのエッセイも面白いですし、平安時代の女性が今よりもずっと男性と対等に生きていて自由であったことにびっくりしました。
通い婚…いいかも(笑)。

ちなみに、源氏物語の六条院は東京ドーム数個分の広さがあったので、中に別々の棟を立て、それぞれ奥さんを住まわせたそうです。(@_@)
恐るべし…ですよねっ! (^_^;)

お礼日時:2001/09/27 17:53

私も平安時代は好きなほうなのですが,資料とかありませんので,私の推理を展開させて頂きますね。


まず(1)ですけど、昔は一夫多妻制だったんですよね。そして本妻(正妻)は北の対の屋に住むことが習わしでした。それで本妻のことを「北の方」と呼んでいたようです。
(2)は分からないんですが,皆さんのおっしゃっているように年月がそうさせるのではないかと…。ただ私の意見としては,どこぞの後宮のように気に入った奥さんを自分の家に呼び寄せていたのではないかという気がします。
(3)昔は方角によって季節が決まっていたらしいんです。例えば東が春で,南が夏,西が確か秋だったような…。そしてそれぞれの対の屋のお庭にはその季節の花が植えられていました。東の対の屋だと,方角が春ですから,春の花を中心にしたお庭だったそうです。部屋割りはその季節に合った方がそこに住まれていたんだと記憶しています。東の対の屋だと、春のイメージに合った方がそこに住まれていたようです。身分や立場によって,旦那様のお部屋から遠ければ遠いほど身分が低いとされていました。
・・・・・・・・・と一通り答えては見ましたが何せうる覚えなもので、間違っていましたら申し訳ありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。<(_ _)>

やっぱり、正妻は北の対に住んでいたんですねっ! (^.^)

方角によって季節が決まっていたっていうのは、初めて知りました~♪
なんだか雅ですよね。
季節を模した庭に、そのイメージにあう奥方…。(^.^)
平安時代のそういう感性って、とても好きです★
私だったらどの辺の部屋だろう…と調子のいいことを考えてみたりして(笑)。/☆▽<)ドカッバキッ

お礼日時:2001/09/27 20:37

先に書いた方の事と合わせて考えて下さい   私も源氏物語が好きで小説もマンガも  だいたい読んでいるので  源氏物語を参考にします   平安時代の貴族は光源氏に限らず  何人も奥さんがいたのですが  


1 北の方 になれるのは一番地位の高い奥さんです  奥さん自体が地位の高い場合(三の宮など)もあるし  奥さんの親や兄弟(葵の上や朧月夜など)が地位の高い人もいます  でも大体が実家が高い身分の人が 北の方  になります    
2 最初は通い婚から始まって年月と共に同居するみたいです   でも家や財産は娘の方に譲られるものだったらしいので  貴族の男子は金持ちのお嬢さんを探して通っていたんですよね  光源氏はお金もちだったのでその辺は気にしていなかったみたいです  かえって気の毒な女性を探していました 
3 光源氏の家はものすごく大きくて棟も東 西 南 北 とちゃんと分かれています   それぞれ合う所に光源氏が振り分けました  
でも光源氏は女性の書いた理想の男で  かなりマメ男くんなので  必ずしも平安貴族が皆 同じ事をしているわけではありません   貴族の中にも金持ちもいれば落ちぶれる人もいたみたいだから・・・ 
最近ちゃんと読んでないので勘違いしてる所もあるかも知れないですが  大体そんなものだったと思います   小説で読むのは長いし読みにくい所もあるので  まんがを読んでみてはどうですか?  あさきゆめみし  が代表的ですが他にもまんが版はたくさん出ています  それぞれに面白いですよ  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。<(_ _)>

私も古典が好きで、源氏物語や枕草紙、今昔物語等々をよく読んだのですが(マンガもですっ♪)、「あさきゆめみし」は面白いですよね!
源氏物語の世界がすごく素敵に描かれていて、大好きです。(^.^)

やっぱり、「北の方」は身分で決まるんですね。
最初に「北の方」の地位にいても、自分よりも身分が高い人が奥さんになった場合は、「北の方」の座を譲らなければならないとなると、かなり切ないですよね。(^_^;)
これって、例外はないのでしょうか?
紫の上の場合は相手が女三宮だったので明らかに身分差があり過ぎましたが(皇族ですから…)、微妙な身分差の場合どうだったのかな? というところが気になります。(^^ゞ

どうもありがとうございました!

お礼日時:2001/09/27 20:30

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