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失礼します。

ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えて、宗教裁判に
かけられましたが、
その時の教会側の天動説主張の根拠はどこにあったのでしょうか?

ヨシュア記10章12節のヨシュアが太陽!止まれ!と祈っているところから、
太陽は動いているものであるという根拠から天動説が唱えられたとも
聞いているのですが、真意はどうなのでしょうか?

ご存知の方教えてください。
よろしくお願い致します。

A 回答 (5件)

これは科学裁判ではなく宗教裁判です。

ローマ教会は科学的に主張するものではありません。ローマ教会の大義は異端によってカトリックが傷つけられるのを防ぐばかりです。
ですから科学の議論はされません。
あくまでも聖書に基づいてローマ教会が認識している世界観が漠然とあって、何よりも教会関係者ならびに信者が、「疑問」を持つような解釈の乱立を招く事が罪なのです。ガリレオの科学が自然科学として間違っていたからではないのです。
ローマ教会の解釈とは違うから今後はそういう内容の出発活動は止めるようにと忠告を受けていたガリレオが分からず屋のようにまた出版を試みたのですから有罪です。
日本風に言えば、最初は、告発に対応しながらも、感心する事ができたが、さすがに、今度は、前回と今回の告発者の言うとおりだという次第です。
判決文は、ガリレオが「蓋然性」を聖書に持ち込んだという批判です。聖書は抽象的であっても構わないが複数の解釈が同時代にあっては困るのです。その蓋然性はないのです。
つまりガリレオの考え方はローマ教会の考え方ではないというのが、ガリレオが誤りである根拠です。じゃあローマ教会の考え方とその整合性を公表してくださいよじゃないのです。太陽と地球の動きに関するガリレオの考え方は我々とは違う、それは間違いのない事実であり、ガリレオ流の解釈を人々に教えたという罪です。
自粛することもなく有罪回避をはかるように技巧を凝らした文体の出版行為が充分に悪質と見なせたのです。それが有罪の根拠です。
現在も、専門家の委員が認めていない新しい原理で、無許可の業務を行えば、異端審問同様の観点から判決が出されますよね。江戸や明治の日本人ならガリレオびいきだったでしょうが、よく教化されている現代日本人の常識はローマ教会と同じ善悪観ではありませんかね。どんなに正しくても無許可は犯罪だ、法的手続きが正当性という。
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 手もとに資料がないので思い違いがあるかもしれませんが、たしかガリレオ裁判においては地動説の真贋が争われたわけではなかったはずです。

つまり、裁判のタテマエとしては地動説と天動説のどちらが正しいかをめぐって裁判したわけではない、ということです。

 山本義隆など読むと、意外にも当時の教会ではガリレオをはじめとする科学の新しい知見を受け入れる素地があったことがわかります。そのため、ガリレオも注意を怠るわけにはいきませんでしたが研究成果を発表することができましたし、高位の聖職者とつき合うこともできました。
 もちろん、いっぽうでは原理主義的な人たちも大勢おり、対立が昂じればジョルダーノ・ブルーノの処刑などにいたるのですが、どうもこの境目になるのは学説そのものよりも社会的な影響であったようです。
 ラテン語で発表するなどしているかぎり、あるいは教養人の間で議論しているかぎりはかなり許容されたし、科学好きの聖職者もそれを支持できました。しかし、民衆に向けて語るのなら看過できない、というわけです。
 ガリレオが問題視されたのはまさにこの点です。当時、彼ほどわかりやすく科学の成果を広く一般に知らしめ、科学的思考法を広めた人物はいませんでした。

 ガリレオの地動説をめぐっては二回、異端審問の裁判をしています。普通言われるのは二回目のものですが、そこで問われたのは一回目の判決をめぐる対応です。
 一回目の判決では以後地動説を流布しないことを誓約したことになっていますが、どうもこれは後に偽造された疑いがあります。実際には判事(枢機卿)から、天体の運行を予測する仮説としてなら研究をつづけても構わないし発表してもよい、ただし教会批判はしない、を条件として言われたようです。

 ガリレオもその後は気をつけて行動していたようですが、『天文対話』が異端の疑いありとして告発されてしまいます。その中で教皇ウルバヌス8世を揶揄したと疑われたことがきっかけというか、真の動機であったと言われています。つまり、ウルバヌス8世が個人的に頭に来たことが理由だというのです。ただし、ガリレオの真意はわかりません。
 裁判の過程においては一回目の判決において約定しながらそれを破ったのではないか、出版の許可を得るにあたってインチキがあったのではないか(肝心なところを見せなかった)、が争点になりました。結果としてはご存じのとおりです。

 お尋ねの天動説を支持する教会の根拠ですが、果たして聖書に求められていたのでしょうか。すみませんが、わたしはこの点について浅学で確言できません。しかし、思うに当時は聖書がどうこうよりアリストテレスの学説にあるから、が理由だったのではないでしょうか。トマス・アクィナス以来、アリストテレスは教会において真理と認められており、アリストテレスは彼の字時代の最新の合理的見解としてプトレマイオスの天動説を採用しています。
 教会がこれまでの教説に反する見解に反論するのにいちいち聖書を持ちだすのは、宗教改革の結果聖書の知識が民衆に普及してからのことで、この時代は過渡期であり、かつイタリアという旧教の総本山においては、逆に聖書の一字一句にこだわる姿勢はそれほどありませんでした。権威の根拠は聖職者の言葉であり、教会の儀式にありました。

 また、実際の観測・予測という点でも、当時は天動説と地動説にさほどの差はなく、むしろ経験を重ねてきた天動説のほうが正確だったそうです。しかし、もちろんそれを説明する原理の簡明さでは雲泥の差がありました。とはいえ、理論を理解するつもりのない人たちにとっては実利的な差が見えないなら、天動説を疑う理由もなかったでしょう。

 というわけで、ズバリと答えられずに申し訳ありませんが、時間と興味がおありでしたらアリストテレスと神学の関係などお調べになってはいかがでしょう。もしそれで答えがわかりましたら、教えていただけるとわたしも嬉しいです。
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この回答へのお礼

詳細は回答ありがとうございました
大変勉強になりました!
感謝です!

お礼日時:2013/01/08 20:16

 


 虚々実々 ~ ガリレイとカトリックの駆け引き ~
 
…… アリストテレスは、最上のフルートは最上の演奏家に与えられる
べきだと語った。それは、フルートにとっての目的に適っているからだ。
 当時は自然界が、そのような秩序を保っていると考えられていた。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20100606 (ハーバード白熱教室より)
 三段論法 ~ 豊富な事例、意外な比喩、攻防の反問 ~
 
<PRE>
 Aristoteles   BC-384‥‥ Greek BC-3220307 64 /古代ギリシア哲学
 Galilei, Galileo 15640215 Italy  16420108 77 /ピサ大学中退
</PRE>
 
 ガリレイの地動説は、アリストテレス(逍遥学派)の天動説に対する
アンチテーゼ(反論)とみられます。つまり、アリストテレスの学説が
すべて誤りではなく、ガリレイの仮説にも誤りがあったからです。
 
 当時の、ローマ・カトリックの権威に対するガリレイの慎重な配慮を、
翻訳者が「イタリアにおける散文文学の傑作の一つ」と絶賛したのは、
金持の友人が、弟子と故人(古代の学者)を招いての、架空の対話です。
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/4003 …
── ガリレイ/青木 靖三・訳《天文対話(上)19590825-19701030-岩波文庫》
……(原題)《二大世界体系にかんする対話 16320222 Firenze》
 
…… これらの考えを対話の形式で説明するのが非常に目的にかなって
いると考えました。というのは、対話であれば数学上の法則に入念な注
意を払わねばならぬということはなく、またときとすると主要な論証に
劣らず興味ある脱線の余地も多いからです。〔序言〕(P16)
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2013/01/06 13:57

木星の衛星などについての難点はありますが


天動説でも天体現象はある程度説明できます。
ただ、それがあまりにも複雑で、不自然だ
ということです。

アポロニウスの周転円とかプトレマイオスの体系
などが知られています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8B%95% …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!

お礼日時:2013/01/06 13:56

根拠なんか無いでしょ キリストが天が動いてるって思ってたんだからそれが正しいと教会は思ってただけ


証拠なんか何もないんだよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

お礼日時:2013/01/05 22:40

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