プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

最近私は動物や他の生き物の命の尊さについて疑問に思っています

かわいそうとかではなく簡単に命を奪いすぎなのではないかと

今自分が生きている事がどれほど奇跡的なことなのかとよく考えてます
物凄い数の人や生き物が生きてきた中での自分で全ての命が一回だけの命
裕福でもないですし病気などもしてるので凄く幸せとかではありませんが産まれた事が本当に幸せな事だと思ってます

そう思うと肉や魚など他の命を食べていて良いのかなと思いました

でも私が食べなくても結局出荷される量はかわりませんしそれでは単なる偽善、自己満なんだと自分で思いました

どんな生き物だって食物連鎖で成り立っているのだし仕方のない事だとは思います
自分なりに勉強をしてそれが生きるということだと学びました

だけど売れ残りなど殺処分が多く命を無駄にしてるのが理解出来ません

その命は1つしかないその時だけの命で消費する側としては感謝し無駄にしてはいけないと思います
自然界では無駄に殺したりはしないしそれゆえに色々成り立っている

動物の虐待や処分が多すぎます

人間の場合それなりに罪も重いです

猫や犬など殺しても罪は本当に軽いです

なぜ同じ命なのにこんなに罪の意識や重さが違うのでしょうか?
行為的に命を奪う、いたぶるなんて最低の行為

こんなこと言うのはよくないですが人や動物を行為的に殺した人は処分で良いとおもうのです
犬が人を噛んだだけで、猫が言うことをきかないだけですぐ処分されてしまうのですから

現在食事は毎日していますがなるべく無駄にしたりせず感謝して食べています
蚊すら殺す事が出来ません
自転車に乗っている時ですらアリを踏まないようになど命を自分なりに大切にしているつもりです

偽善だと思う方もいると思いますがこれがまだ私(人生観の甘い20代女)の意見です

色々書きましたが質問というより色んな方の動物の命への意見が知りたいです

動物実験など例えたらキリがないので書いてある中での意見をもらえるとありがたいです

あくまでも人間の虐待は良いととか言っているのでは全くなく動物の事について書いているのでそこは了承下さい

乱文になりましたがご意見のほどお願いします

A 回答 (11件中1~10件)

私も同じことを毎日思っています。


人間はお金儲けのために命を物のように扱いすぎだと。

>売れ残りなど殺処分が多く命を無駄にしてるのが理解出来ません

本当にこれは、特にペットショップの殺処分は法規制を作るべきだと
思います。海外では、ペットショップ経営が禁止されている国もあります。
日本も、いつか、いつになるかわかりませんが
そのようになるといいなと思います。

食肉や生魚に関しては、
ただ、殺されて捨てられるだけなんて、
あまりにも残酷だと常々思っています。
できるなら、あまった物は購入し、
全て料理にしたいくらいです。

>自然界では無駄に殺したりはしないしそれゆえに色々成り立っている

実は自然界でも遊びで殺してしまう事はあるのです。
しかし、知性が圧倒的に人間よりも劣る動物と
人間を比較してどうでしょう。
人はお金儲けのために命を死や痛みを
知りながら殺してしまいますからね。

>現在食事は毎日していますがなるべく無駄にしたりせず感謝して食べています
>蚊すら殺す事が出来ません
>自転車に乗っている時ですらアリを踏まないようになど命を自分なりに大切にしているつもりです

その気持ち、大切にしてください。
あなたのような方がいてくださって、私もうれしいです。

>動物の命への意見が知りたいです

食料として、食べるために殺す事は
ある意味仕方がないと思っています。
人間の体も、たんぱく質でできていますし
たんぱく質が不足すると体に不調がでてくる事があります。
動物のお肉はたんぱく質として
人間の体には必要な物なのだと今は思っています。

しかし、私は、犠牲になり食料になった動物達を決して残しません。
それが一番の供養だと思うのです。
ありがたく、おいしくいただき、私の命になっていただく、
このような気持ちが大切だと思います。

動物達にも心があり、痛みも感じ
喜怒哀楽もしっかりあります。
そして、ただ、生きるために毎日を必死に生きています。
理性がある人間は、彼らの命も尊重するべきだと思います。

あと、毛皮、あれも禁止すべきです。
現在は、フェイクファーを作る技術も発展していますからね。
    • good
    • 1

日本人には質問者さんのような思想を持つ方が少なくないですが、実はそれは仏教による影響によるものなんです。

仏教には輪廻転生という考えがあって、「虫の命も人の命もみな同じ命。我々の命は輪廻転生でグルグル回っている」とされているからです。
実は、世界的に見るとこの考え方は少数派なんです。

一神教、つまりユダヤ教、キリスト教、イスラム教では、旧約聖書で「神はすべての生き物を創造し、最後に自分の姿に似せて人間を作られた」と教えられています。つまり、「人間は神に似せて作られた神に準ずる偉大な存在」という仏教的日本人からすると実にゴーマンな思想があるのです。これによると、牛やら豚やらは「人間の食べ物として神が作りたもうた」ということになるので「食べても問題ない」となるのです。イスラム教では教祖ムハンマドさんが「豚は食うな」といったので食べちゃいけませんけれども。少なくとも彼らにとって家畜やら犬猫やらは「神が人のために作りたもうた」ので、人間が好きなようにしていいのです。
だからキリスト教原理主義者なんかは「地球は神が人類のために作りたもうたものだから、環境破壊とか気にしなくていい。人間がやりたいようにやっていいのだ」と恐ろしいことをのたまいます。

なにがいいたいのかというと、要するに宗教観が違うと思想もまたぜんぜん異なるということなんです。我々からするとキリスト教原理主義者の考えは狂ってるとしか思えないのですが、一神教の影響にある人たちからすると「命はみな平等」という考えも「理解できねえよ」となるわけです。

質問者さんも農家をやって畑の作物がイノシシに食い荒らされれば「アイツらぶっ殺してやる!」と思いますよ、当然。質問者さんのおっしゃることは理想論だけど、都会の世間知らずの世迷いごとであるのもまた事実です。
    • good
    • 0

…私が最近思うのは


「強かであれよ」ということ。

これから、人の世がどれくらい続くか?なんてわかりません。
最近の世界の傾向を見る限り「そう長くないんじゃないかなぁ?」なんて悲観してしまいます。
この世に永遠とか、不滅とか言うものはありませんから、人の時代もいつかは終わります。

だから、というわけでもないですが、強かであれ、滅ぶなよ?と思うのです。
人の世が無くなっても、生きて欲しい、とね。

大丈夫。
人間もいわば、地球から見れば他の生き物たちと同じ「種」です。
長い長い時間軸で見れば、人が滅ぶのもひとつの「種の絶滅」です。
…たくさんの、生物が実は絶滅してはいるのです。
しかし、ウィルスが進化して生き残ろうとするように、新たな種は生まれ続けます。

人は確かに、ある意味この地球にとって「最悪の生命体」かもしれません。
しかし、それを卑下することは、人間である私には出来ません。
…だからこそ、他の生命体の「生命力」を頼りたいのです。

人は奪い、殺し、そして傲慢になります。
しかし盛者必衰…必ず終わりは来るものです。
その未来を…どれだけ先かはわからないけど…思うのならば、振り返るならば、無益な殺生もあまりしないで済むのではないでしょうか?。

今は「保護」という言葉だけが先走りして、中身が全く無い時代です。
少なくなったから保護する、という言い分は、自分たちが「神」にでもなったかのような傲慢さを感じます。
それよりも、自らの命のはかなさを、自らの生の短さを思うほうが、私はずっと良いことなのじゃないかとおもうのです。
殺奪の「くだらなさ」を万人が知るとき、ようやく人間は少し「マシ」になるし、生を長くつなげると思うのですけどね。
    • good
    • 0

自分も一度考えたことがありますね。


ヒューマニズムというのの矛盾です。
ライオンに食べられるガゼルを助けるのは弱肉強食という自然の摂理を壊すからダメ。
じゃあ強い人間が弱い人間を殺し奪おうとしたら?
ほっといたら罪に問われますよね。

考える中人間はいつか宗教、言葉、文化の壁を越えて1つになると想像しました。
それにはまだ数千年かかるというのも考えました。
つまり今の人類は未成熟でその問題の解決に向かうのは無理だと結論付けました。
人間が霊長類などといって慢心した考えが当たり前になってる今の世ではまだまだ受け入れられないでしょう。
かといって強引にすればグリーンピースのような強硬手段になってしまうでしょう。
考えることが人間の最大の強みなのは確かなので、考え問題提起することは続けていくべきですが。

ただ今の日本は命の尊さを大人も知らない、だから子どもも学べない、こんな状況です。
いただきますとごちそうさまを言わない人が多すぎるからです。
いただく命と素材を集め調理してくれた人への感謝の言葉がないということは、どちらにも感謝してないということですから。
生きることは殺すことだ、極端に言えばこれもまた真理でしょう。
    • good
    • 0

質問者さんが偽善だなんて思いませんよ。


仮に偽善だったとしても、「そんな事どうでもいいじゃん」の一言で片付けてしまうよりか遥かにマシです。

ただ、良くも悪くもその考えは非常に「人間的」ではありますが、裏を返せば「非野生的」である(動物の事情を考慮していない)という事を自覚していらっしゃるでしょうか?

>自然界では無駄に殺したりはしないしそれゆえに色々成り立っている

動物が、縄張り争いや雌の取り合いで殺し合うのをご存じないのでしょうか?
肉体的能力に優る動物が、自らよりも劣る動物をいたぶり殺すのをご存じないのでしょうか?(例、食べる訳でもないのに猫が鼠を捕まえる等)
それらを「動物達が生きる上では必要な事だから仕方がない」と断言しきれますか?
本能という名の遺伝子的プログラムによってもたらされる行為は、逆に言えば「仮に理性があるならば抑える事ができる」という事でもあります。
そういう意味では、食物連鎖を除く動物達の争い(命の奪い合い)は、不必要かつ全くの無駄な行為であると言わざるを得ない事になってしまいます。

人間では、他人を殺傷した事がある人よりも無い人のほうが圧倒的に多いです。
でも、動物は直接的に殺傷をした事のある種のほうが圧倒的に多いんです。
そう考えると、動物達は随分と身勝手に、恣意的に生きているとは思いませんか?

>なぜ同じ命なのにこんなに罪の意識や重さが違うのでしょうか?

違くありませんよ。
ただ、人間が法律という形で勝手に決めているだけです。
また、罪の意識もそれに伴っているだけです。

馬鹿馬鹿しい話ではありますが、かの犬公方・徳川第5代将軍綱吉の「生類憐みの令」が廃止される事なく現代まで続いていたとしたら、きっと現代の日本人は犬を始めとする動物を殺傷する事に対してものすごい罪の意識を持つ国民になっていたんじゃないでしょうか?
罪の意識、つまり道徳や倫理と言ったものは文化や慣習の積み重ねで生まれるものですから、あながち的外れでは無いと思います。

>こんなこと言うのはよくないですが人や動物を行為的に殺した人は処分で良いとおもうのです

「処分」とやらの具体的内容がわかりませんが、文脈から察するに「命をもって購う」という意味だと解釈します。
しかし、処分するには処分する役目の人が必要であり、処分という行為を実行した場合、それは「作為的に命を奪う」事に他ならないと思うのですが……。
「行為的に命を奪う、いたぶるなんて最低の行為」という論理が破綻していますよ?
それとも、法の殺人たる死刑制度のように「処分に伴う殺人行為は特例として許可」という考え方なのでしょうか?
命を尊んでいるのか、テロリズム的報復是認主義なのか、よく分からない考え方ですね。
あるいは、動物の命が軽んじられている怒りのあまりに人間の命を軽んじるという、本末転倒な考え方になっていませんか?
命の重さを同じと考えるなら、人間も動物も関係なく、奪われてもいい命なんて存在しないと考えるのが普通だと思うのですが……。

>蚊すら殺す事が出来ません

それは結構ですが、少なくとも蚊は血を吸う時に人間や動物の事を思いやったりはしていません。
ぷくりと腫れて痒くなろうが、マラリアに感染して死んでしまおうが、蚊からすれば血さえ吸えれば(生きる為の栄養摂取ができれば)他は関係ないんです。
それが大義名分になるという訳ではありませんが、少なくとも蚊を叩いたからといってそれを「無駄に命を奪った」と表現するのはかなり無理があるように思えます。

最後に一つ。
質問者さんのように、「動物の命の尊重」を説かれる全ての方に共通している疑問・矛盾点なのですが、

>肉や魚など他の命を食べていて良いのか

その言い方ですと、逆に植物ならば食べても良い・問題無いと考えているという事ですよね?
ならば、その根拠は何でしょう?
植物も生きてますよね?
生きているという事は命があるという事ですが、植物の命ならば食しても良いと考える明確な理由は何なのでしょうか?
あるいは、植物の命が動物の命よりも軽視されているという事実に他ならないからだと思いますが、それならそれで、質問者さん(及び、同じ考えを持つ方達)は「命の尊さを口にしながら命の差別をしている」という事になってしまいます。

話を大きくし過ぎましたね(汗
でも、(嫌な言い方で申し訳ありませんが)無闇に動物の命について論を講ずるのは、無意識の内に他の何かを蔑ろにしてしまう事へと容易に繋がってしまうんです。
近所に梨農園があるのですが、夏場になるとカブトムシを始めとする昆虫(農家の方からすれば害虫)が大挙して梨を齧るので、売り物にならなくなってしまって困るという話を聞きました。
また、ある菜園ではカラスによる被害が酷く、畑の作物が丸ごと出荷中止になったという話も聞きました。
質問者さんはこの農家の方々に、面と向かって昆虫やカラスの命の尊重を説く事できますか?

間違っているとは思いませんが、それが正しい意見だとも思えません。
人間も動物も、生きていくには何らかの折り合いが必要だと思います。
そもそも、質問者さんの考え方自体、「人情味がある」と言える一方で、「限りなくエゴイスティックである」とも言えます。

故に、「柔軟な思考って大切だな」というのが私の最終意見です。


※蛇足
文中で「行為的」という言葉を使われていますが、「作為的」の間違いではないかと思います。
    • good
    • 1

無駄な死を少なくする努力は素晴らしいと思います。



でも、基本的に命ってのは他者の命を犠牲にするって上で成り立ってます。
人間も動物ですから、例外ではないです。

他の方も書いてますが、他者を無駄に殺す行為は人に限った話ではないです。
チンパンジーは共食いもします。
群れの秩序を保つ目的があるそうです。
アシカはペンギンを遊び目的で殺すと聞きます。

弱肉強食が支配する世界ではある意味で仕方ないのかも知れません。
ただ、人間は技術でこれを変える事はできるでしょう。
命を粗末にしない食事はテクノロジーでやがては可能になるでしょう。
牛肉や豚肉だけを細胞から培養すればいいのです。
やがては人間が一切の命の犠牲なしに生活できる社会も夢ではないと思いますよ。
まあ、そんな世界が実現しても殺人や戦争がなくなるとも思えないですけど…
これは生物としての性なのかも知れません。
    • good
    • 0

人類も地球の中に存在する生物です。



莫大な人口増加、食料の不足、それに伴う高度成長と呼ばれる環境破壊など、人類は地球にとっては非常に困った存在になっています。

また、正当な理由を付けて、他の種を絶滅させたり、開発という名前の環境破壊はどしどしやって行き、食料は、自分たちが食べる以上の食料を確保し、何らかの理由を付けて無駄に捨ててしまいます。

人類の得意なことは、地球上にいる人類以外の生物を絶滅させる事、支配することが特徴で、共存する事は出来ません。

牛や豚を家畜として、飼育してある時期が来ると食料にします、こういう事は共存とは言いませんね?今は、人類が動物を支配している為、様々なルールを作り、それらしくしているだけで、あくまでも人間のルールで良い悪いが判断されてしまいます。

人間とて自然の一部、生物でしかありませんが、人類だけは、食物連鎖に関わらず、消費だけを行っています。

しかし、人類がどんなに頑張っても地球の生物を根絶やしには出来ません。それより先に人類が絶滅します。

例え核戦争で地上が放射線で汚染され見た目「死の惑星」と化したとしても、どこかに生物は存在します。

あるいは放射線にさえ耐える生物だっていますから、彼らが新しい祖師となり時間をかけて新たなる生態系を構築してゆくでしょう。

ただ、人類が絶滅すれば数千年で地球は浄化されるでしょう。

すみません。話が大きく、それてしまいましたので元に戻します。

法律は、人間が作ったものでそれを守れていないから自分は悪いなどど思っていませんか、そんな事はありません人間は、生きているだけで沢山悪いことをしています。また本当に悪いことは、ルールや法律に関係なく存在します。

命は、動物であれ、人間であれ同じ大事さを持っています。

あなたの様に確かに命の大切さ、すべての物に対する愛情が有れば、人類のこれからの行き先が変わるかもわかりません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます

人間は自分達の事を美化している部分は私もあると思いました

言われてみると確かに人間は食物連鎖で消費しかしていませんね
人間を食べたりする訳ではないから

人類が絶滅すれは浄化されるは本当にそうだと思います

〉生きているだけで沢山悪い事をしている
本当にそうですよね

自分なりに命を大切に出来たらなと思います

お礼日時:2013/01/22 18:36

すみません。


うっかり書き間違えましたが、
フィラリアの発病予防は月一度の投薬で防ぎます。
わたしは犬を飼っていますが、
獣医さんは勉強の過程で動物実験しますよね。
安楽死させて解剖したり、
実際に動物に手術を施して、その直後に殺してしまう(こともある)と
聞いたことがあります。
考えると複雑な気持ちになりますね。
    • good
    • 0

命を大事に思うことは素晴らしいことだと思います。


こういうことは難しいですね。
わたしは蚊は殺しますよ。
酷いひとだと思われるかもしれませんが、
蚊はフィラリアという怖い犬の病気を媒介します。
フィラリアの発病はワクチンで予防できますが、
ワクチンを打っていない犬が感染・発病すると
犬は苦しんで苦しんで死にます。
でも蚊には何の罪もないですよね・・。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます

そう思ってもらえたなら嬉しいです

そういう問題もあって凄く難しいですよね

牛などが何かに感染したら処分されてしまう訳ですし病気などが絡むと一筋縄のように命を奪うなと言うのは難しいですよね
次は他の生き物に感染して広まるということもありますし

お礼日時:2013/01/22 09:46

迷える、50代男です。



良い人だね。ほんとそう思います。それが前提でなくてはいけないと思います。

がしかし、そうはいっても、貴方も書いているように、そうできない現実というものもありますよね。

5.6年前でしたか、エホバの人が家に雑誌を持って来まして、未来にはこうなるという、絵が描かれてまして、ライオンと、シカやウサギなどが、一緒に座っているというもの。みんなが仲良くなるという。
じゃライオンは何を食べるのか聞いたところ、草だ、という。それもおかしいだろうと、一悶着あったんですが、ご存じのように、世の中には、草動物、肉食動物、そして、私たち人間も含む、雑食動物がいてまとまってる。動物が死ぬ。それを食べるもの、それを、腐らせるもの、腐ったものを分解するもの、分解されたものを栄養に育つもの。食物連鎖というやつですよね。これがなければ、そこらじゅうに、死んだ物が、ごろごろしているという事になりますよね。

皆解ってるんだよね。解ってるけど、悩むんだよね。だから、自分たちのできることをするしかない。
残さず食べる。これで良いんじゃないでしょうか。

なんか、まとまらなくてすいませんでした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます

私もそのように平和な世界がきたら良いなと思います

ですが絶対に不可能ですよね
理想は理想

生きるというのはそういうことですよね

やっぱり食べ物を粗末にしないという事からですよね

お礼日時:2013/01/22 09:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!