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武田信玄が諏訪を手中に収めたら美濃とは国境を接して隣国同士です
別に両家は同盟国でも婚姻関係にも無かった なぜ信玄は道三と戦わなかったのでしょうか?


後に上洛するさい わざわざ遠江に出て尾張ルートで上洛を目指しました
美濃を突っ切れば早かったと思うのですが(当時美濃は信長領でしたが) 一貫して美濃に手を出せない理由が何かあったのでしょうか?

A 回答 (9件)

あ~同じ疑問持った事あります


いい加減に調べた事では

美濃方面からの進軍するには、信玄の領土の問題

1、進軍ルートが余り無かった

2、進軍ルートに不穏分子が多すぎた

などを、ある本で読みました
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/02/03 16:31

信玄が上洛を考えるようになったのは信長の勢力が大きくなりすぎて対立が生じる可能性が高くなった時期、


追放された足利義昭、三好、一向宗、朝倉などの織田家と対立する勢力があるうちに織田を叩く(ひとたたき?)する必要があったからです。
対織田防衛が上洛であり、上洛がそもそもの目的ではありません。

当時の信玄は地道に勢力拡大を図っているだけであり、そのためには対立している北信濃を攻略するのが一番だったわけです。史実では川中島地域(現長野市)で上杉勢とぶつかりこれが割に合わなかった可能性が高いわけですが、少なくとも佐久・上田・安曇野までは完全に制圧するべきだったでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/02/03 16:30

普通に考えれば当たり前のことだが?


そっちに戦力を割くと、他方から攻められるし効率が悪い。
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この回答へのお礼

まぁ あなたの考えではそうなんでしょうね

お礼日時:2013/02/03 16:30

「木曽路はすべて山の中にある」という名文がありますが、訪れてみると分かりますが本当に木曽路は山の中で兵站路になりづらいのはもちろん、木曽路そのものに領土的うま味はありません。



それに木曽路ルートを正面にしたら、村上氏らに背後を突かれることになります。木曽路を通るには諏訪を通過しなければなりませんが、甲斐路から木曽路へ向かうには諏訪で「く」の字に曲がりますのでそこは弱点になりますよね。諏訪から松本辺りまでは地形は平坦に近くなるので、松本方面に向かうのが自然ですよね。

あともうひとつ。武田家は世間のイメージと違い「集団合議制」です。家臣団の力がとても強く、信玄公といえども思い通りの政治ができたわけではありません(それは謙信公も同じでしたが)。家臣団からすれば木曽路なんて山の方に進むなんていったら「アホか!」と言い出されたでしょう。
甲府に本社がある中小企業の社長が「俺は全国制覇を目指す!」なんて言い出したら、社員からすりゃ「夢もいいけど、もっと地に足をつけた経営をしてくれ」と思うでしょ。
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この回答へのお礼

そうか 信長が最初に伊勢じゃなくて美濃を攻略に出たのと同じですね
ありがとうございます

お礼日時:2013/02/03 09:40

信玄は信濃攻略を優先していたから、美濃に侵攻する必要がなかった。

だから戦わなかった。それだけのことです。
そもそも信玄が上洛を目指していたと考えるのは、あまりに古い考え方。
信玄は死の直前まで上洛を視野に入れていなかったとするのが最近の研究成果で、もはや通説の位置にあります。
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この回答へのお礼

説ですよね? あくまで

お礼日時:2013/02/03 16:30

そもそも道三健在時に信玄が上洛を確固とした目標にしていた、という前提がどうかと思いますよ。

甲斐の国力では信濃の隣接地域に攻め込むのが限界。諏訪の領土を併合したとは言え、村上・小笠原その他信濃国人衆が武田に反抗していた状況であり、信濃平定が信玄には急務だったはず。それらをスルーして美濃に向えるほど、兵力的にも国力的にも、武田に余裕などありませんよ。現に村上勢すらに2回ほど負けてるでしょ?信濃国内に抑えの軍勢を置いて、万余の動員が可能である道三の美濃に攻め込めるはずがない。時系列をもう少し整理して考えられたほうがよろしいかと。
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この回答へのお礼

お礼日時:2013/02/03 16:30

#3です。



> 道三とは戦わなくても斉藤氏は健在だったわけだし…

質問は「なぜ信玄は道三と戦わなかったのでしょうか?」ですよね?
まあ、それはそれとして、木曾氏降伏後、信玄は小笠原氏、村上氏と戦うことになります。
とても美濃に手を出す余裕はないでしょう。

斎藤氏側にしてみても、国内情勢に不安を抱えていましたし、道三の死後は織田氏と敵対することになりますから、信濃に手を出す余裕などありませんね。
それに他国に手を出すのであれば、近江の方がずっと関心が高いでしょう。
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この回答へのお礼

信玄の最大の狙いは上洛です
小笠原 村上と当たればいずれ上杉にぶつかる…
そんなリスクをなぜ犯したのでしょうか?

信玄ほどの軍事力なら信濃に主力を残して(小笠原 村上に備えて)美濃攻略が可能だったはずです
現にその方がまっすぐ京都に向かえるわけですし

お礼日時:2013/02/02 21:18

普通に考えて無理でしょう。


木曾氏が降伏したのは弘治元年ですが、斎藤道三はその前年に隠居しています。

信玄の西進では、兵站を確保するためには海路を使うしかなかったでしょうし、家康を放置しては背後を突かれます。
一応、秋山信友の別働隊が直接美濃に入っていますので、美濃に手を出せないというわけでもなかったのでしょうが...。
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この回答へのお礼

道三とは戦わなくても斉藤氏は健在だったわけだし…

お礼日時:2013/02/02 19:17

知恵袋に同じような質問が乗っていたので、


URL貼ります。

ポイントは海と攻略しなかったのではなく、
できなかったということでしょうか。

参考URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/02/03 16:31

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