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どちらが、上なんですか?

A 回答 (4件)

小笠原長清の父親である加賀美遠光が皇室と縁が深いです。

加賀美氏は甲斐源氏の庶流で、子孫には秋山氏、小笠原氏、南部氏などがいます。武田氏は甲斐源氏の嫡流ですね。加賀美流の祖である遠光は京都の御所で滝口の武士でした。高倉帝の信任が厚く「王」の字を賜ったそうです。ちなみに「王」とは皇族で将来天皇になる家柄だけが使える文字です。また伝承では高倉帝から「小笠原」の姓を賜ったとのことです。

http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/outline/history/h …

結果論ですが、加賀美氏流の子孫が現代でも繁栄しているのを見ると、武田氏よりも上なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

分かりやすく説明して頂きまして
ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/06 20:16

小笠原




武田は滅亡したが小笠原は残り 家康の影武者まで努めました
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小笠原長時は、武田信玄からの降伏勧告を受けた際に、


「昔より武田小笠原とて兄弟たりといへども、在京して宮仕奉り、
武田より上手の小笠原、只今長時が代に武田の被官になる事思ひもよらず」
(小笠原と武田は同族であるが、京の宮中では小笠原が格上である。
長時の代に武田の家臣になるなどとんでもない)と言っている。
【二木壽斎記】より

家柄では小笠原の方が上だったようです。
武力はともかく、政治力・統率力は雲泥の差?

参考URL:http://1st.geocities.jp/rekisironnsyuu/genndaibu …
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源義光を祖とする、甲斐源氏の清光の子の信義が武田に


本拠を構え、武田氏を名乗り甲斐源氏の総領として君臨
した。
源義光伝来の重宝「御旗楯無」が総領の印。

弟の加賀美遠光の子の一人が小笠原長清である。
信濃の一郡の地頭になった。

小笠原氏は武田氏と同族だが格下。

武田晴信が諏訪を手にいれたのち、晴信が村上義清らに
敗れたのを機に、近辺の西方衆と小笠原長時が呼応して
諏訪奪回を計り、晴信と戦った。

天文17年の塩尻峠の合戦である。
小笠原、西方衆は敗れその後次第に領土を失った。
長時は流浪し会津で死んだといわれる。

しかし子の小笠原貞慶が本能寺の変に乗じて旧所領を
回復し徳川に従い大名として残った。
武田氏(直系ではないが)が旗本なので最後の勝利は
小笠原か。
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