プロが教えるわが家の防犯対策術!

先日、高校生の息子と今の人気コミックの話で「昔に比べるとプロとは思えん下手な絵が多い」と言ったら大激論になりました。
私の意見:(1)絵に動きが乏しい(2)登場人物の顔が皆良く似てる(3)顔が同じ表情(いつも口が開いてる等)、同じ角度からしか書けない等々。
確かに昔の人気漫画。アラレちゃんも「塗り絵」みたいな画風とも言われましたが。
長期連載人気劇画のゴルゴにしても人物の表情や動きにぎこちなさは有りますけどね。

ちなみに当方は「伊賀の影丸」「おそ松くん」「ゲゲゲの鬼太郎」「巨人の星」「アタックNO1」「あしたのジョー」なんかをリアルタイムで読んでた世代です。
息子は「ブリーチ」「銀魂」を愛読してます。
皆さんは今の若者に人気の漫画家の「画力」をどう思われますか?勿論、プロと呼べる上手な人も多くは無いですが居ます。それは否定しません。

A 回答 (20件中1~10件)

自己紹介すると私がマンガを読み出したのは90年代後半から、ジャンプもデスノート2部が始まった2005年4月から2年ほど、現在でもときどき買ういち読者です。


えらい長文になったので…先に以下に回答を要約します。
・タイトルに私は同意しません。
・質問者さんが仰る画力を回答者がまちまちに捉えているため回答がばらけているように見えます。画力の定義を明確にし、具体例を挙げてみられては?
・絵の情報量自体は昔の方がはるかに簡素です。そこを読み手が想像力で補っていたためにより感情を揺さぶる=画力があるように感じるのではないでしょうか。
リアルさ・デッサン的な正確性を画力に含めるならば、今の方がはるかに上です。以下に詳しく述べました。
・昔と今とでは記号化の方法、表現がかなり違います。そのため質問者さんはタイトルのように感じるのではないでしょうか。

私の意見としては、近頃の漫画家のほうが画力に乏しいとは思いません。
20年以上昔のマンガと比較すると、漫画市場は拡大・成熟し、描き手も読み手もさまざま、話も絵柄も細分化した分バラエティに富んだという印象を持っています。

数が多くなれば、水準が高くない作品の絶対数は増えるわけで…まずこれがひとつ。

最近のマンガを読み慣れている目からすると、昔のマンガは絵柄が非常に似て見えます。
絵柄がよく似かよっているだけでなく、表現も皆同じものが使われています。驚いた時に「目を片目だけ☆で描き、もう片目はCに横線を引く」で描写したり。
マンガ文法が少なかったということです。どんな創作物でも楽しむためには訓練が必要です。
昔のよりシンプルな文法のみ習得した読者が訓練されないまま現在の、マンガ文法が変化したマンガを読めば情報を読み取りにくく、疲れるものです。そうなると画力は劣って見えます。
これは昔、現在に限らず、たとえば少年マンガと少女マンガ、日本のマンガとアメコミ、フランスのバンドデシネ同士でも同じです。これらはマンガ文法がかなり違うため、どれか一つにしか馴染んでいない読者がそれ以外に拒絶反応を見せることは少なくありません。


しかし先に、質問者さんの思う「画力」の意味をもう少しはっきり定義したほうが回答者にわかりやすいのではと思います。
いろいろ考えると、質問者さんの仰る画力の意味の大半は絵の上手下手以外にあるように感じるからです。「プロとは思えん下手な絵」というご発言にも関わらず。
さらに質問者さんが「画力があると感じる漫画家」「近頃のどの程度までマンガを把握して画力に乏しいと仰っているか」がまったく掴めないため回答者の混乱をまねいているのでは、と思います。
ご自身で挙げられた昔のマンガも「画力が高いとは言わない」と仰るので、余計に困惑します。画力に乏しくとも名作として受け止めていらっしゃる(?)のなら、「画力」を論点に据えられるのは何のため…?

個人的に「絵が上手い漫画家は話がつまらない」「優れたストーリーテラーは絵がヘタな人が多い」と思っています。ロイヤル・ストレートフラッシュはなかなか成立しない、ということですね。(いや、今「絵が下手だけど話が面白い」で検索してみたら、どうもそう思う人はたくさんいるようです。「法則」とまで呼ばれていました。)
挙げられたマンガもたしかに後者に属するように思います。グーグル画像検索で確認する限り省略が激しい絵柄ですし現在の基準で「絵が上手い」とは言われ難そう。
ただ、デッサン的に上手くなくても後者作品の絵は魅力的です。
では、画力、絵の魅力とはなんでしょうか?
マンガは一枚絵ではないので、画力には構成も含まれます。
コマ割り、絵をどのように配置して視線を誘導する、読者にスムーズに話を把握させる、キャラクターの心情や状況を悟ってもらう、コマの中で何を際立たせるか、時間の描写や緩急のつけ方等々、すべてテクニックなのだそうです。
私はこのテクニックの総合力が画力だと思います。特に、キャラクターの感情か状況を読み取らせて読者の感情を揺さぶる力、読者にいろいろ考えさせる力です。これがシナリオが要求するだけの表現ができており、なおかつかみあっている作品を「画力が高い」と感じるのだと思います。
ですが現在のマンガは「絵としてのリアルさ」をより重視されているように思います。だからあまり顔を崩せないみたいなんですよね。それが質問者さんにはマネキンみたいに見える=感情を読み取らせる力が弱い=画力が乏しく見えるのかなとも思います。

今のゲームに対する批判と質問者さんのご質問は共通点があるように思います。
ドット絵だった20年以上前に比べるとCG技術の格段の向上によりゲーム絵は非常に写実的になりました。
しかしそのため想像で補える余地がなくなってゲームの面白さは変化したと言われます。絵の魅力というのは情報量の多寡のみに宿るものではないようですね。
現在のマンガは絵の描きこみの量ははるかに多いのですが、逆にそのためにタイトルの疑問につながるのかもしれません。

手塚治虫だってご指摘の1、2があてはまる作家です。キャラクターは魅力的ですが、たとえば女性が驚いた絵など、キャラクターが違っても絵は金太郎飴。その他も記号化された表現を使い分けています。急いでいるときは足を八の字に開いた全身像で描写など。
たとえば「バカボンド」の井上雄彦の絵を上手いと感じる読者に見せたら、手塚治虫は「絵が上手いわけではない」と言われるでしょう。ですが、マンガとしてのデフォルメは手塚治虫のほうが強いため、逆に感じる読者もいるはずです。その一人が質問者さんでしょうか。
しかしこれを言い出すと、話が上述の「マンガ文法の時代による違い」にループします。
ですので、質問者さんの「画力」の意味をはっきりさせてみてはいかがでしょう、と提案します。具体例もお願いします。

デッサン的な絵の上手さというのも作品によっては必要なわけですから。「デスノート」の原作者は「とっても!ラッキーマン」のガモウひろしだということは公然の秘密となっていますが、彼は自分の絵がヘタなばかりにストーリーに制限があり悔しかった、とインタビューで述べています。たしかに「ラッキーマン」の絵柄、画力でデスノートを描いたら、現行のように社会現象を起こすのは無理だったでしょう。
質問者さんが画力があると感じる昔の漫画家であっても同じ悩みを抱えていた人はいたはずなんです。


また質問者さんがどの程度、「近頃の漫画家」をご覧になってそう仰っているのかも気になります。挙げられたのは週刊連載の2作品のみ。
特に「銀魂」は完全に画力以外で勝負しているマンガです。芸能人で例えるすると、画力の高い名作マンガは表情豊かな美形俳優、銀魂は人を話術で惹きつける芸人といったところです。
「ブリーチ」は逆に画力だけと言われるマンガです。ファンの方には申し訳ないが。しかしブリーチの場合の画力は画面をおしゃれに見せる力に集約されています。かっこよいシーンを連続で描く。(たまに面白いトリックが出るのですが、小中学生ではついていけないのでしょうね。すぐ順位が下がって、話が「かっこよいシーンの連続」に戻ります。)
画力の評価基準がまったく違うと評価されないマンガだと思います。
個人的に現在のジャンプの中で画力が高いと感じるマンガ家は「NARUTO」の岸本斉史です。単行本の余白には作者がいかにして絵柄を少年マンガにふさわしいよう絵柄を作り上げたかの興味深い話が読めます。

また、読者の目が超えているために現在のマンガは絵のレベルが及第点以下の物は少ないです。絵と話を分業することも増えました。ですから最近の「話はうまいが絵が下手」と言われるマンガでも、昔の作品に比べると絵自体のレベルはずっと高いと思います。
個人的には大高忍の「マギ」は「デッサン力が高くはないが画力は高い」作品です。


最後に。
反省してらっしゃるのに追い打ちをかけて恐縮ですが…質問者さんご自身が何度も繰り返し主張してらっしゃるので。
私も30を過ぎたのにジャンプを講読したりしています。知人や上司の中には50すぎ、60近いのに週刊少年ジャンプを毎週買っている人もいます。少女マンガを読む男性もたくさんいます。
「子どもでなくなったら少年誌は卒業すべき。」は、マンガを子どもだけの低俗なものとして社会的に迫害していた戦前戦後の価値観ではないでしょうか。
こうした時代にあっても手塚治虫や赤塚不二夫はじめ仰る漫画家たちが世にマンガを送りだし続けたからこそ、今の自由な日本のマンガ文化があるはずです。
手塚治虫、横山光輝、水木しげる、石ノ森章太郎、「昔の漫画家」はご主張にものすごく反発するだろうと思います。
そういう価値観で今のマンガをご覧になっていることも、絵を評価できない理由のひとつなのでは??

長文すみません。

この回答への補足

回答者さんが自ら30過ぎと仰ってるので私とは、ほぼ30年の年齢差。まさに1ジェネレーションですね。漫画だけでなく息子と音楽の話をしても、私が60年代~80年代の楽曲で「コレはいい曲だ」「コノ歌手は歌が上手い」等と言っても共感されることは殆ど無いですね。勿論、別に私だけがそう言ってる楽曲ばかりでは無いのですが・・(スタンダードな曲やヒットした曲です)
リアルタイムの読者は言わば「旬」に当たった読者ですから共感を覚えるのも当然かも知れません。作り手も「旬」の読者の嗜好をリサーチしているでしょうし・・・
流行歌もコミックも大衆相手ですから世相に合ったものが多く作られるのでしょう。

補足日時:2013/03/25 17:26
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/03/25 16:58

>「昔に比べるとプロとは思えん下手な絵が多い」と言ったら大激論になりました。


数でいけば、絵に限らず「下手な漫画家」は多いですよ。

漫画というものが日本の文化のひとつとして市民権を得たこと、
一部の作家が莫大な所得を得るということにつられて、売れないまま夢見て描いてる輩が多いこと
等々の理由で、「描く人間」が増えたからです。

かの昔は、本当にうまい漫画家しか仕事として続けられませんでした。
というか、仕事がもらえませんでした。

でも今は、あきれるほど雑誌の数も多いしweb漫画まで入れたらすごい数です。
どこも「ページを埋めてくれる」漫画家が欲しいんです。
大半の雑誌は、作家を育てようなんて思ってる余裕がない。
作家はもはや使い捨ての時代です。

ゆえに─
「漫画」と名のつくもの全体として見れば、当然中身は薄まりますよ。
大量生産・大量消費です。漫画に限ったことじゃありませんが。
昔は「職人芸」だったってとこですかね。
(長谷川町子氏が田河水泡氏に弟子入りしたころなんぞは、
三つ指ついて「お願いいたします」の時代だったんですから、まさしく職人の世界)。
長谷川氏のデッサン・デフォルメはうまいですよ。アニメよりすっといい。

水木氏、ちば氏の画力は早くから完成されていました。デッサン力も確かです。
川崎氏はかっちりと描き込む丁寧さが売りでしたが、「巨人の星」最後のほうの筆描き(ペンでなく)のうまさは秀逸でしたね。
浦野氏は特にうまいわけではありませんが、「魅せる」ことがうまかった。
横山氏も絵に色気がある。
石ノ森章太郎氏の「漫画における演出の試み」なくして、今の少女漫画はないし。

で。
今の漫画家、うまい人は確かに現存しています。
作画だけで言うなら、鳥山氏は技術的にはうまいですよ。デザイン、色彩感覚に優れています。
「ジャンプ」系なら小畑氏もうまいし、荒木氏もうまい(少々盗用が多いが技術はある)
尾田氏の原稿には好感もちますね。

ただ、今は全般に、見た目がきれいというのは、
少女漫画でさえあまり重視されなくなりました。

デジタル処理が可能となって、手で描く技術は確実に衰退しています。
背景の使いまわしも多くなって、手間をかけなくなった。
漫画は商業ですからね、効率>時間になってくるんです。

それにこれだけ漫画の数が多いと、たいていのジャンルはやりつくされた感がある。
もう、ストーリーの切り口の斬新さで勝負なんです。

あと、絵は色気。エロじゃなくて人をひきつける力、オーラですね。
質問者さまが「下手」と感じるのは、この色気のなさじゃないんでしょうか。

1コマ1コマがきれいで、デッサンがしっかりしていても、流れ(演出・構成)が悪ければ
ただの連続した絵に過ぎませんしね。

ひとくちに漫画の「画力」といっても奥深いものがあります。
ですが今の漫画家の画力は、「ばらつきが大きい」です。
うまい人と下手な人の格差が非常に大きいと感じます。

この回答への補足

漫画家(志望者含む)の数が、私の時代とは全く違うと言う点が一つの要因ですかね。確かに回答者さんの仰るように、漫画家の絶対数が増えれば相対的に下手な漫画(上手な漫画もですが)が増える理屈です。私は下手な漫画ばかり選んで「無料読み」してた?(笑)
当時も「人気作家」と呼ばれる人達はそれなりの高収入を得ていたでしょうが、そのような情報を知る人は少なかったでしょう。しかし情報時代の今は桁違いの市場規模になって、その高収入に惹かれ「漫画家志望者」が大量発生した結果が私が画力が劣ると感じる漫画が多い事につながってるのでしょう。

補足日時:2013/03/25 16:29
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/03/25 15:55

補足への回答です。



例に挙がったのが少年誌の作品が多かったからです。
今でこそ女性も少年漫画を普通に読んでますが、
当時はそういう女性は周りにはいませんでした。
大変失礼しました。

そういえば以前も女性漫画家を男だと勘違いして指摘されました^^;。
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この回答へのお礼

謝る必要は御座いません。こちらこそすみませんでした。

お礼日時:2013/03/15 22:52

この質問は「ブリーチ」と「銀魂」について言われてるんですよね?


そこから推して全体がそうだと言われてるんでしょうか?
全体ということであるなら、総じて昔よりも良いと思います。
漫画家の数が全く違いますが、上手い人もたくさん居ます。

「銀魂」は基本ギャグなので絵だけで判断するのは難しいと思います。
ギャグの質も昔とはかなり違います。
絵的になら赤塚作品と比べても描きこみはされていると思えます。

ただ「ブリーチ」に関しては質問者さんの気持ちも解るところはあります。
原作を読んだことが無いので試し読みしてみましたが、ちょっと酷かったです。
たまたまそういう回だったのかもしれませんが、素人目にも荒い点が見えました。
(無駄な大ゴマが多い、構図が単調で臨場感が無い、背景が少ない等)
「ブリーチ」ファンの方にはごめんなさい。

ですが他の作品も幾つか見てみるに、そこまで酷いと感じたものはありませんでした。
絵は流行もあるので評価しませんが、コマ割りなどは昔より自在で上手いと思えます。
紙面が白っぽい感じはしますが、これはスクリーントーン多用の悪影響でしょうか。
少年誌なので基本ライトなのかもしれません。
昔は青年誌レベルの作品でも少年誌の掲載でしたので、
逆に昔が重かったとも言える気がします。

>>(1)絵に動きが乏しい
 動きを感じさせる一連の構図という事だと思いますが、
 これはアニメでいうコンテが切れるという感じです。
 より迫力のある、より感動的な描写にするにはどんな見せ方をすればいいのか、
 頭の中で自在にカメラを回す才能があるということです。
 それを絵にできる高い画力も必要ですが、
 どんな構図でも描けるデッサン力を持った人だと言えます。
 デッサン力の低い人は自分が描ける範囲でしか描けません。
 映画とかよく観てる人の方がそういう力は付きそうですが、
 非現実が舞台の場合もあるので本人の想像力というのも必要な気がします。

 目まぐるしい構図の変化が子供には向いてないと判断されているのかは解りませんが、 
 青年誌レベルならその技量を持った方はいます。
 井上雄彦さんや沙村広明さんなどはかなりのレベルだと思います。

>>(2)登場人物の顔が皆良く似てる
 質問者さんが例に挙げた作者は一人一人が原点とも言えました。
 例えば赤塚風とか横山風とか、そういう言い方でも通用します。
 でも今の漫画家の数は計り知れません。
 余程有名でないと誰の絵かなんて解りません。
 今の漫画家さんも最初は好きな絵を模写していたと思えます。
 やがて自分の絵が確立しますが、似たような傾向もできる気がします。

 恐らく顔が似るのは描き分けを髪型に頼っている人です。
 輪郭で捉える人は描き分けていると思えます。
 少年誌のような極端にデフォルメされた線の少ない絵になるほど
 似通うのは当たり前ですが、そこで個性を出すのも腕という感じです。
 多いのは眼鏡や髪飾りなどの小道具を用いることですが、
 それは本来の描き分けとは言えない気がします。
 目や口という個々のパーツにも違いはあるはずですが、
 同じ様な絵はそれらも一様に同じだったりします。

>>(3)顔が同じ表情(いつも口が開いてる等)、同じ角度からしか書けない等々。
 これはちょっと解りません。
 さすがにこのレベルがクリアできてないとプロは無理だと思えます。
 例え手抜きしても編集者に指摘されると思えますが・・。
 思いつくのはそういうキャラ設定である場合くらいです。
 いつも無表情とか、いつも口を開けてるキャラとかはたまにいます。
 締切ギリギリで十分な作画ができなかった場合くらいじゃないでしょうか。

話が変わりますが・・
質問者さんは「アタックNo.1」を書店で購入して読んだのですか?
昔は少年漫画と少女漫画にはかなりの壁がありました。
私が漫画を読みだしたのは質問者さんより後(バビル2世辺り)ですが、
それでも青少年が書店で少女漫画を買うのはけっこう勇気が必要でした。
自分が苦労したのでちょっと気になりました。

この回答への補足

回答者さまのご質問ですが、「アタックNo1」は私が中学生の時に少女フレンドかマーガレットかは忘れましたが週刊誌をリアルタイムで断片的(毎週欠かさずではなく)に読みました。勿論書店で買った事はありません。「無料読みです」。当時スポ根漫画に熱中していた「平均的中学生?」の私は初めてアタックを読んだ時、コペルニクス的大転換ショックを受けました(大げさですね)。「少女まんがなのに」ハイライトの対戦シーンだけでなく、その裏側とも言うべきドロドロした部分にも触れられているのが衝撃的でしたね。
アニメ化もされましたがアニメは初回だけ見た記憶があります。
質問者の挙げた作品は皆アニメ化されてますがとご指摘された回答者さまもいらっしゃいましたが、アニメの評価はしていません。質問はあくまで原作についてです。最後に、私が母親でなく父親と思われたのは何故ですか(笑)

補足日時:2013/03/15 21:49
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この回答へのお礼

ご丁寧なご回答ありがとうございます。
質問に「ブリーチ」「銀魂」と具体的に作品名を挙げたのに、この2作に対する直接のコメントが無かったのが不思議でした。嬉しいです。息子の単行本があちこちに置きっ放しのをたまに見て題名を知ってたので一例(ニ例)として挙げたのですが・・・

お礼日時:2013/03/15 21:13

まあよくある「ファーストガンダムこそが最高のガンダムだ! 最近のガンダムはクズ! どうして最近のガンダムはあんなにクズなんですか?」といった、「誰だって最初に触れた作品が良く思えるものだ」「思い出はいつも美しいがそれが客観的な価値に相当するかどうかは別問題」ということが判っていない懐古主義のジジィ…もといご老人の戯言かと思ってスルーしていた質問ですが、(老人の美化された武勇伝を「それは真実ではない!」とムキになって否定するのは人として思いやりに欠ける行為ですからね)質問者様のご意見が予想の斜め上を行っていたので、面白そうだから回答します。

釣りだとしたら「大成功!」ですね。おめでとうございます。


いい歳の大人が、最近の漫画家の画力などというくだらないことに興味もつのはいかがなものでしょう。まして現役の「少年」である高校生と「大激論」するなんて分別のある大人のする行為だとは思えませんね。 貴方の持論では漫画は「少年」のものなのでしょう? 画力であれストーリーであれ、いい歳の貴方が口を出す問題ではありません。
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ありがとうございます(;_;)

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理解出来ていないようなので補足しますね。



大人になったら少年誌を卒業すべきと、質問者が考えるのは構いませんよ。
しかし、いまここでそれを書くのは、さすがに無神経だろうと言いたいのです。
この質問に回答出来るのがそもそも、今の少年誌もわかる大人なんですから。
それとも、技法に関する質問で釣って、少年誌を読むなと説教するのが目的だったのでしょうか?

この回答への補足

>技法に関する質問で釣って、少年誌を読むなと説教するのが目的だったのでしょうか?

違います。脱線(暴走?)してしまっただけです。この質問の場で書くべき事では無かったと反省しております。回答を寄せて下さった中で不愉快に感じられた方々全員にお詫び致します。

補足日時:2013/03/14 11:37
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/03/14 11:31

No.10です。


「画面が白い」とはそのままの意味ですよ。
人物と最低限の背景だけしか描かれていないため、全体に白っぽく見えるのです。
月産200枚だの300枚だの出来る訳ですよ。

勿論、ただ描き込めばいいというものではないけれど、正直、絵が上手い下手以前でしょう。

私は70年代以前の作品の良さもわかっているつもりだし、
だから貸本含め集めてもいるのですが、
少なくとも、絵目当ての蒐集ではないですね。

まあ、言いたいことはまだ沢山ありますが、
質問者には聞く耳を持たれる気がしないのでやめておきます。
自分で振っておいて、
反論に対し「少年誌は大学出たら卒業」は、いくらなんでもないんじゃないでしょうか。

この回答への補足

サンデー、マガジン、ジャンプ・・・皆今でも頭に「少年」が付いてるんですね。これらが少年誌と呼ばれる所以ですね。回答者さんにお叱りを受けましたが、私は個人的には社会人(概ね20代半ば以上)が少年誌を卒業出来ないのを好ましい事とは思いませんね。いつの間にか話が画力から脱線してしまいました。

補足日時:2013/03/14 00:18
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この回答へのお礼

補足の質問に対してもご回答下さり、ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/13 23:08

ちょいと不思議に思ったのが「伊賀の影丸」「おそ松くん」「ゲゲゲの鬼太郎」「巨人の星」「アタックNO1」「あしたのジョー」は画力のある漫画の代表?



最初と最後の作品は、確かに多少は上手いと思いますが、画力を前面に押し出している作品ではないような気がします。

しかし、質問者さんのわかる気持ちがしますが、言い方を変えてみると画力が低くても売れる作品が増えてきている感じです。

しかし、一つ言える事は「ストーリーがつまらない作品が増えている」ことです。

最近は「おい、マジか?次の週刊誌の発売いつ?」とカレンダーで確認したくなるような作品がありません。

あしたのジョー、ドラゴンボール、スラムダンクのように、次の話が見たくて悶える様な作品が無いのが現状です。

あと余計なお世話として、息子の好きな作品や年代を否定するような言い方は大人気ないですよ。

この回答への補足

>「伊賀の影丸」「おそ松くん」「ゲゲゲの鬼太郎」「巨人の星」「アタックNO1」「あ>したのジョー」は画力のある漫画の代表?
そんな事、一言も言ってませんよ。私の漫画との付き合い(世代)を知って貰う為に挙げただけです。
>あしたのジョー、ドラゴンボール、スラムダンクのように、次の話が見たくて悶え>る様な作品が無いのが現状です。
確かに少年時代は毎週のサンデー、マガジンの発売日が待ちどうしかったものです。
しかし、68年連載開始のあしたのジョーをリアルで読まれていた?回答者さん。
90年開始のスラムダンクもホントにリアルで読んでたのですか。年代的にクエスチョン・マーク付きそう。

余計なお世話ですが、30代で週間少年ジャンプを毎週欠かさず購読してたんですか?

補足日時:2013/03/14 00:00
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/03/13 23:10

技法の画一化が目立ちますね。

確かに似たような絵柄のジャンルというものがいくつかあって、それに作品を分類することが出来るような感じになっています。それぞれのジャンルでは、それぞれ技法が洗練され、昔の画力の比ではなくなっている感じがします。

昔は絵柄の分類と言うものが出来なかったと思います。例えば、鳥山明先生を何かに分類することは出来ないでしょう。さいとうたかお先生ならば、ああいうジャンル的なものが無いことは無いが、あれはあれで独特のもの。石の森先生、松本零時先生、水木しげる先生などに至っては独特のものだ。

質問者様はそういうようなことが仰りたいのではないでしょうか。

これは作家の質の問題というよりも、編集者の指導方針が画一化されて想像力が貧弱になって行っているからです。私は編集者が漫画家志望の持ち込みに述べる感想がマニュアル化されている現状を感じています。それはおおよそ芸術そのものの可能性を制限するような偏狭なもので、漫画界全体の求心力を落としている気がします。つまり、今、日本マンガアニメ界は隆盛を極めていると見えて、すでに衰退期に入りかけていると、私は見ています。

例えば編集者が持込初心者に述べるマニュアルの一つに、
「ペン慣れしてないね」
というものがあります。これは、つけペンという特殊な画材の使用方法に慣れていないと言いたいのですが、ペン慣れで習得出来るのは、針のような冷たい正確な線(ぐらつかない線)が描けるということです。つまり、この冷たい針のような線は、まず編集者が漫画家志望者につきつけたハードルなのです。その結果、どうなったでしょうか?冷たい針のような線ばかりになりましたね。外国の『ミッフィー』のような、暖かい線という可能性を編集者自身が潰していますね。芸術の可能性を潰すとはこういうことを言うのではないでしょうか。

あと、志望者の年齢は若ければ若い方が良いというのです。これは、他の職業のキャリアの在り方に追従する変なマニュアルです。若い方が美術を習得しやすいし、志の在り方が違うから将来性があるという理屈なのですが、本来、芸術に年齢など関係ありません。芸術に年齢など関係ありますか?才能、現物が全てなのではないでしょうか?それを他の職業の価値観にこじつけている。例えば水木先生の初期「墓場鬼太郎」など画力では、年齢も含めて、現在は門前払いを食らってしまうでしょう。ですが、実際には味のある名作な訳です。編集の頭の固さが現在の漫画界の現象を生みだしているのです。

これが最近の編集なのです。

なぜ、こうなったのでしょうか?

私は、儲けるための法則、ウケる漫画を輩出するための法則を、編集が勝手に作ったのだと思います。作家は、流され世代の詰め込み教育世代で、自分をしっかり持っていないので、ポリシーが薄く、この編集による可能性潰しに追従するしかないのです。編集も想像力の乏しい凡人が、学力だけでエライ出版社に入り込み、マニュアル通りに動いてふんぞり返っているだけです。

本当の才能を見抜ける人間など現代にはなかなかいないでしょう。それも戦後団塊世代による、詰め込み教育、考えさせない接し方、自分の言うことさえ聞いてればいいんだという上下関係の在り方、中身の無い人間教育、本当の善とは何かを教えなかった間違いがあると思うのです。

私は、最近の漫画界に言えることは、絵柄に関しては、「詰まらない」です。センセーショナルだったり、カルチャーショックを受けるような芸術性がありません。きらりと光る個性が見受けられないのです。確かに、洗練されてリアルにはなっています。でも、冷たくて面白くありません。次のコマが見て見たいという気持ちを減退させてしまうのです。

また、内容についてですが、人間的深みが感じられませんね。暴力か性描写か、思春期の子がねちねちと取り越し苦労をしているというような、稚拙なものが多いですね。大人の無償の愛と言うものに出会うことがあまりありません。それだけ、最近の大人はお子ちゃまになってしまったのだ、と言うことだと思いますね。もっとも、無償の愛が感じられるのは昔の作品でも『風の谷のナウシカ』のような一握りの名作くらいですね。初期の作家にはそういうことに対する意識がありました。例えば『巨人の星』ですら家族愛と言うものに対する意識が感じられます。後の作家は表面的ウケばかり狙って、魂の琴線に触れる大事なことをあまり描きませんね。それもこれも、指導者である編集が主張すれば修正できることです。

もちろん、読むのも嫌な最近の漫画でも、よくよく読めば無償の愛が描かれているものだってあるかもしれませんよ。それに到達するまでにどれだけ嫌悪感を積み課さねばならないか分かりませんが。

どうでしょうか。これで質問者様のかゆい所に手が届いたのではないかな、と私は考えています。

この回答への補足

>かゆい所に手が届いたのではないかな、と私は考えています。

十分に届きました。感謝、感謝です。

補足日時:2013/03/13 12:01
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この回答へのお礼

詳細なご回答をありがとうございます。

お礼日時:2013/03/13 12:26

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