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こんにちは。今回は「運命」や「必然」について語っている哲学者や宗教家、またはそのような事に関して書かれた本を教えていただきたいと思い質問しました。

私は物事を悩む時は大抵「あの時ああすればよかった」などと過去の分岐点を振り返り、そして選び取れなかった選択肢に心を悩ませるというパターンで悩みます。

そして今現在も過去を振り返り、自分が掴めたかもしれない輝かしいもう一つの世界に思いを馳せ、悶々としています。

できればもうそういうことでは悩みたくないと考えています。そこで今まで起きた事は必然である、今の自分の境遇は運命であるという考えもった哲学者、もしくは宗教家の意見に触れてみたいと考えています。

そうすることにより、未来は自分で切り拓いて行くものだが、例え失敗しても全力でやったならそれはしょうがない事なんだと、ある種の諦めがつくというか、過去の失敗に捕らわれずに生きていけるような気がするからです。

そこで改めてですが、世の中で起きた事を「運命」や「必然」と考えていた人や、そういう事が書かれた良い本があったら教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

こんばんは。





>「天は人の上に人を造らず」

明治の前は江戸だったわけで、太閤秀吉の「刀狩り」で、「身分」は固定されたのでしょうか。


福沢が「そうじゃないよ」と言いたかったのは判る積りなんですが、
「結果的な平等」ということに、あまりにも配慮が無かった。
(「いけいけどんどん」ということになってしまった)

「豊かに成れる者から、豊かに成れ」ということだったんですかね。
歴史的評価としては、「御用学者」(のハシリ?)と思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お返事が遅れてしまい申し訳ありません。

私は福澤諭吉についても、その思想に関しても詳しくないのでなんと
もいえませんが、軽くその著書に触れてみた感じでいえばなかなかい
い事を言っているなという感想を持ちました。ただ御用学者か否かを
言える程は読んでないのでそこに関しては正直わかりません。

ただもし御用学者的な側面があったとしても、時代が官を主体にした
近代化の時代だっただけに個人的にはがしようがないのかなと思いま
す。

お礼日時:2013/04/17 09:09

(2/2)


前回答からの続きです。
下記に推薦図書を紹介します。

学問のすゝめ(伊藤正雄校柱版)
http://www.amazon.co.jp/dp/4061597590
一万円札の肖像でお馴染み、福澤諭吉の学問のすゝめですが、私は生涯の読書はこれ一冊で良いと思っているくらいです。
上記の伊藤正雄氏校柱版はほぼ古文に近いので難しいとは思うのですが、頑張って読めば読めない事はありません。
斉藤孝さんの全訳本も出ていますので、難しそうであればこちらを(ただ私としては心情的に伊藤校柱版を薦めたいです)。
なぜ勉強をするのか、というのが書かれているのですが、私は超がつくほど納得しました。
そもそもの「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉で始まるのですが、福澤が言いたいのは全く逆です。
簡単に概略だけ書きますと(私の脚色も少し加えました)、
「『天は人の上に人を造らず』と言っているが、『実際にはそうではない』。
 賢い人もいれば愚かな人もいる。貧しい人がいれば富む人もいる。それはなぜだろう。
 それは知識が有るか無いかの差だ。知識があれば難しい仕事ができる。難しい仕事が人に富貴を与える。
 天は人に対して富貴を与えるのではなく、その働きに富貴を与えるのである。
 ならば、その働きができるような知識を得るべく、学問をすべきなのだ。
 学問を勤めて物事をよく知る者は、貴人となり富人となり、無学なる者は、貧人となり、下人となる。」
「役に立たない学問は学問ではない。憶えるべきではない。」
「世間の事物、進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。進まず退かずして瀦滞(ちょたい:その場所に留まって動かない事)する者はいない事を理解すべきである。」
「世の中のことはケガのはずみで出来るわけではない。良い事も悪い事も必ず人の意思があってできるものである。」
「日本中、日本一となる自分の腕をふるう舞台には困る事はない。場所に寄らず、どこでも自らの力をふるうべきだ。」

時間あれば是非通読をお奨めします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼が遅れてしまい申し訳ありません。

そもそも私が今回質問をしたのは、現在の境遇に不満を抱いている
自分をなんとか納得させるためでした。

そのような目的を踏まえて回答者さんの意見を見てみると、私自身
とても前向きになる事ができました。

それは回答者さんが運命や天命を諦めの考えではなくとても前向き
なものとして捉えているからです。

現在の自分の境遇に対してはやはり不満はあります。しかしこの不
満を直視し続けてきたここ数カ月の時間の間に色々と目標が生まれ
ました。

それらは天命と言える程立派なものではありませんが、私にとって
はとても大事な目標となっています。

そのため、生まれてからここまでの冴えない人生も決して無駄では
なく、今この瞬間に芽生えた目標を気づかせるための過程であり、
また運命であったと考えるのも悪くないなと思います。

また高橋是清の話が例として引かれていましたが、そこからは過程
が順風満帆か否かが問題ではないということを私は学びました。

そのため人生の目標ができた事を喜び、またそれまでの人生を目標
を気づかせてくれたものとして肯定し、またいまさらになって目標
ができた事を遅すぎるなどと卑下することなく、順風満帆でなくて
も自分の目標に向かって生きていきたいと思います。

最後に学問のすすめについてですが、私は以前この本を読んだこと
があります。しかしその時は現代語訳版を読みました。そこでいい
きっかけなので現代語に訳していないものを読んでみたいと思いま
す。

なぜなら目標にむかって生きていこうと思う自分にとっては、この
タイミングでこの本を福澤諭吉の言葉のまま読む事はとても意味が
あると思うからです。

どんな目標を達成するにしてもただ漫然と達成する事はないと思い
ますし、人生には学び続ける事がとても大切だと思います。その事
を福澤諭吉自身の言葉により再認識したいと思います。

お礼日時:2013/04/17 08:54

(1/2)


こんにちは。

少々長くなりますが、重要なことだと思いますので時間あればお付き合い下さい。

ドブ川の端に根付いたタンポポは、他と比べて悲惨な運命かもしれませんが、他のタンポポとは違う、別の場所に種を飛ばせる可能性があり、それはそのタンポポの辿る、そしてその方向に向かって突き進むべき運命であり、意味があります。
「俺ってどうしてドブ川の端に生まれたんだろう」としおれて枯れてしまうのは、運命を無駄にしており、意味がありません。

人には得意な事と不得意な事があります。勉強は苦手だけれど100m走が速い人がいたり、バスケが上手い人がいたり、スポーツは得意でないけれど頭がいい人がいたりと様々です。
こうしたように、おおよその人には必ず出来る事と出来ない事があります。
ちょっと宗教っぽい事を言いますが、人には神様みたいなものから与えられた天命があるので、それを一生懸命生きればいいのだと思います。他の人と比較して「自分は○○ができないんだ」とどうこう言って出来ない事を卑下しても、あまり意味はありません。

私は人生をよりよく生きるための哲学書、思想書というものは読んだことはありません。
ただ、こうした疑問や不安に役立ちそうなものを少しだけ知っているのでここに紹介したいと思います。

「人生の名言101」より
http://kajipon.sakura.ne.jp/meigen.htm
私は神が私のことを見捨てたとは決して思っていない。 神はきっと、唯一私だけがこの試練に耐えられると思ったのでしょう(ミニー・リパートン)ポップス歌手
※名曲「ラヴィン・ユー」で知られるミニー。彼女は乳ガンが全身に転移して31才の若さで他界した。その晩年の言葉。

解決できる問題をあれこれ悩むのはムダ、解決できぬ問題をくよくよ悩むのもムダ
(映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』)

取り返しがつかないことなんかはない。自分だけの過去なんだから、好きに取り戻していっていいじゃないか(映画『異人たちとの夏』)

「苦悩というものは前進したいって思いがあって、それを乗り越えられる可能性のある人にしか訪れない。だから苦悩とは飛躍なんです」(イチロー)野球選手

「10年たてば笑い話だよ」(ドラマ『阿修羅の如く』から)

長生きをした人とは、単に長期間この世に滞在した人ではなく、多くの様々な人生を体験した人だ(ルソー)思想家

&浪費された時間は単なる生存にすぎない。使用された時間のみが生活である
(エドワード・ヤング)詩人

&経験というヤツが年齢のかわりをする(プレヴォー)作家

何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間野辺の石ころ同様、骨と
なって一生を終えるのだから(坂本龍馬)

人生はゼロから生まれゼロに戻るのだから、失敗しても何も損はしない
(英コント集団モンティ・パイソンから)

船は港にいる時、最も安全であるが、それは船が作られた目的ではない
(パウロ・コエーリョ)作家

他人が成功したからといって、君が失敗したわけではないだろう

&人生どうせ棒に振るならフルスイングで(山口隆)サンボマスターのヴォーカル

&「アウトでも全力で走れ!」(ドラマ『CHANGE』)

宝石だって石ころから宝石になるまでは、いくらでもこすられ、もまれることが必要だ。
初めっから無傷なものなんてありゃしない(武者小路実篤)作家

人間追い詰められると力が出るものだ。こんなにも俺の人生に妨害が多いのを見ると、運命はよほど俺を大人物に仕立てようとしているに違いない(シラー)作家

人生楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る。歩いて行くんだしっかりと、自分の道を踏みしめて(『水戸黄門』OP曲)

王子様(皇太子)はこの世に何人でもいるが、ベートーヴェンはこの世に一人きりだ
(ベートーヴェン)

自分の考えたとおりに生きなければならない。そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう(ブールジェ)作家

失敗じゃないさ。この方法では上手くいかないって発見が出来たじゃないか。だからこの実験は成功なんだよ(エジソン)

&一度犯した失敗は今後もう起こりにくいので、この先、失敗する可能性はひとつ減ったことになる(サン・テグジュベリ)作家

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話は変わりますが、日本の首相を務め上げた人で好対照な二人がいますのでこれをあげて見ましょう。第93代内閣総理大臣の鳩山由紀夫氏と、第20代内閣総理大臣の高橋是清氏です。

ご存知鳩山由紀夫氏は、エリートで知られる大蔵官僚の長男として東京で生まれ、学業環境に申し分なく、東大に合格し、これまたアメリカ名門のスタンフォード大学にも博士号を取得、更には日本の首相まで務め上げました。
ただ、鳩山氏はこれで幸せだったのでしょうか。私には分かりません。先日のイラン訪問では愚行を呈し、首相時代に日米関係も単純に悪化させてしまいました。中国にいいように使われ、イランにもいいように使われ、かといって米国と良い関係を築こうとしてもこれも徒労に終わり、日本の歴代首相のうち、最悪の一人として数えられてしまう形になります。

高橋是清氏はあまりなじみが無いかもしれませんが、この人の略歴を簡単に書きますと、1854年9月19日(嘉永7年閏7月27日)幕府御用絵師・川村庄右衛門(47歳)ときん(16歳)の私生児として、江戸芝中門前町に生まれた(高橋是清 - Wikipediaより)とされています。つまり不倫とか浮気でできた子だったのですね。
そして、このあとが問題です。アメリカに留学した折になんと奴隷同然として売り払われており(横浜に滞在していたアメリカ人の貿易商、ユージン・ヴァン・リード[2]によって学費や渡航費を着服され、更にホームステイ先である彼の両親に騙され[3]年季奉公[4]の契約書にサインし、オークランドのブラウン家に売られる。牧童や葡萄園で奴隷同然の生活を強いられ[5]、幾つかの家を転々とわたり、時には抵抗してストライキを試みるなど苦労を重ねる。(高橋是清 - Wikipediaより))、さんざんな苦労をしています。
その後、日銀総裁、大蔵大臣を歴任し、第20代内閣総理大臣に就任。その後二・二六事件での暗殺で人生を幕を閉じます。たんたんと書いていますが、いかに激動の人生であったかお分かりになるでしょうか。
ただ、高橋氏はこれで不幸せだったのでしょうか。私には分かりません。しかし、改めて高橋氏の功績を見直すと、日露戦争での戦費調達成功、昭和金融恐慌の沈着成功と幾度となく困難を乗り越えてきており、まさしく人生を全うしているものではないでしょうか。

上記に、「浪費された時間は単なる生存にすぎない。使用された時間のみが生活である」とは書きましたが、私からこれに一つ付け加えさせて下さい。

「浪費された時間は単なる生存にすぎない。
 使用された時間のみが生活である。
 そして、意味を為した時間が人生である。」

私は上記に挙げた首相経験者のお二方本人ではありませんので、二人がどのくらい自分の人生に意味を為せたかという目盛りが分かりません。ただ、不幸が比較的与えられなかった鳩山氏が本当に幸福であったのか、あるいは幸運に恵まれなかったが苦労してその階段を昇っていった高橋氏が本当に不幸であったのかは、単一の答えは出せないでしょう。

繰り返しになりますが、人には神様みたいなものから与えられた天命があるので、それを一生懸命生きればいいのだと思います。苦労とは自分を磨き上げる為に与えられた、その人個人にとっての神様のようなものからの授かりものなんだと思います。

その時々の悲しみや喜びの運命を受け入れていって、自分だけが構築することのできる、自分だけの人生を構築して行ければいいのではないかな、と思います。

最後になりますが、一冊の書籍を紹介させて下さい。
字数制限があるので、次の回答で投稿します。
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過去に戻ることはできません。


過去に戻れたらどんなにいいことかもしれませんね。でも過去に戻ることは絶対できません。過去に戻って原因を取り去ればね、あなた、原因がないのに結果だけがあるということになる。そんなことはありえませんよね。原因があるから結果がある。だから過去には戻れない。

貴方がある行為をすれば、その行為が原因で結果が生まれます。その結果が失敗であったとしても、成功であったとしてもね。それは貴方自身の責任なのです。運命でも必然でもありません。結果を知って初めて、自分のやったことが失敗だったと分かる。でもリセットボタンを探してもどこにもない。それが人生というものです。

「あの時ああすればよかった」と、くよくよ悩む。それでいいじゃないですか。みんなそうですよ。未来は予見できない。自分が原因を作ったのですから仕方がない。

でもね。ここから大事なところです。
過去には戻れないけれど、擬似的に過去に戻る方法があるのです。それは過去の失敗を「くよくよと悩むこと」です。でもそれだけじゃ今の状態と同じですね。その上で、何が失敗の原因だったのか、どうすればよかったのかと考えることです。そうして、「今度は同じ間違いをくりかえさないぞ~。」と身構えておくのです。

そうすれば、やがて同じような状況がやってきます。必ず来ます。そんときは、うまくやれるでしょう。過去と同じことがおきたときに同じ間違いを繰り返さない。これが擬似的に過去に戻る方法です。

幸運の女神は後頭部が禿げているそうです。だから通り過ぎたあとで女神の後ろ髪を引こうとしても引くことができない。通り過ぎていくだけ。だからね。女神が来たときに失敗しないように捕まえなければならない。

過去の失敗をくよくよ悩んでください。そして、これが運命だとか必然などと考えないで、この次は失敗しないぞと念じてください。そうすれば、むしろ失敗したことがあなたの財産になるはずです。失敗しても、この次にうまくやればいいのです。幸運の女神は必ずまたやってきます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

回答を読んでいて気づいた事があります。それは今までそれ程決断して
いなかったという事です。例えば、「もっと勉強すればよかった」とい
う後悔の場合は、勉強する・しないを決断してきたのではなく、なんと
なく過ごしているうちに勉強をせずにここまで来てしまっているのです。
だから後悔だけが残っているのです。

運命や必然を持ち出す前に、何も決断せずに無為にすごしていた事を反
省しようと思います。そして何かをやらないにしても、やらないという
事を自分で決めていきたいと思います。

そうすればより強く自分の責任だという事を実感できると思いますし、
またくよくよ悩むにしてもそこから何かを学びとれると思います。そ
してそれを未来に繋げられたらと思います。

何にしても最後は自ら決断するという事を意識して生活していこうと
思いました。

お礼日時:2013/03/31 23:05

例えば、「子どもに失敗を許さない」という教育が、いかに子どもを卑屈にさせるか。


「他者から言われた事しか出来ない」というような人間に育ってしまいます。

失敗することを親から許されていない子どもは、「失敗から学ぶ」ということが、ありえないまま、大人になるわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今後自分に子どもができた場合などには失敗を恐れない子
に育って欲しいので、回答者さんがおっしゃられたように
失敗を咎めないように育てる事は大事なのかなと思いました。

ただ私自身が過去について悩んでいる理由を、親の育て方に
求める気はありません。ましてや自分の親が失敗を許さない
ような育て方をしていたとも思いません。あくまで自身の問
題だと思っています。

ただ失敗から学ぶ事が大切だという事は回答者さんの言うと
おりだと思います。

お礼日時:2013/03/31 22:49

御礼を頂きました 有難う御座います



私は回答する際には他者の見解は参考にしない事にしております
回答を攻撃しない限り個々の人格と多様性を尊重したいからです

仏教はその名のとおりに宗教です
ひろさちやを御推薦申し上げたのにはそれなりの理由が御座います
宗教を信じる事ではなく 宗教を学問として考察できる人間だからです
だから紹介文にも 学者さん と記載いたしました
仏教は それとは知らずに日本人の日常生活と心の中に深く又広範囲に認める事の出来る
諸条件の基本を成しております
このことが質問者をして問題の解決になるからと御推薦申し上げました
宗教は行う事だと言います
がしかし私は行わずに考察だけすることを旨として
学問的見地から仏教を少しばかり日々学んでいます
日常の中からでも学べます
それが私にとっても仏教の素晴らしさなのです
わたくしは仏教と言うものが存在しているものの
釈迦や菩薩には興味がありますが
その見解や見識に興味があっても
仏教を信じていると言う訳ではありません
どちらかと問われれば わたくしは無信心な方です
知る事と信じる事は全く別の概念です
貴方の見解や見識が高みに登ることを念じております
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この回答へのお礼

ひろさちやさんを紹介して下さった具体的な理由を教えて頂き
ありがとうございます。

そして回答者さんの配慮を嬉しくおもいました。なぜなら言わ
れるまでは気づきませんでしたが、私も回答者さんと同じスタ
ンスだったからです。

ひろさちやさんは学問的に仏教を考察している方と聞き、さら
にその著書を読むことが楽しみになりました。

宗教には、過去の優秀な人物が人間として生きる上で必ずぶつ
かる悩みに対して必死に考えて乗り越えようとした結晶が詰ま
っていると思うので、その考えに是非とも触れたいと思います。

お礼日時:2013/03/29 14:51

運命や必然って奴は、神は運命を司り、因果律によって全ては必然として起きている、みたいな感じで何とでも言えちゃうし、どうとでも書けちゃうものなので、基本的にソレ系の本は、全て読むに値しません。



どこかで「私の人生はこんなもんじゃない筈だ」と思っているフシがあると、過去や事実の積み重ねとしてある、今現在を認める事が難しくなるものです。だから別の可能性を求めてしまうのでしょうけど、でもそれは何だかんだで、その時の自分自身の選択を否定している事にもなる訳です。

自らの行動に責任を持ち、自らの選択によって作り出した今の自分という現実は、謙虚に受け入れる以外にありません。過去を振り返って悶々とするのがイヤなら、運命や必然といった概念を信仰するより、ひとつひとつの選択を大切にして、過去に学んで糧とする方が良いと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

結局のところにおいて私自身現状満足しておらず、それが過去の分岐点
へ自分を向かわせている原因になっているのだと思います。

そしてそれを断ち切る手段として、過去を決まりきったものだと考える
事による諦めによって乗り切ろうとしていました。

しかしそのようなアプローチではなく、自分が選択したことであるとい
う事に重きを置き、そしてその結果を受け入れるというように考える事
も大事かもしれませんね。

ただ今の自分ではそんな風に強く思う事はできないかもしれません。変
えられたかもしれない過去というものに向き合う際に、「変えられたか
もしれないが、こっちを選択した以上責任を取ろう」と考えるよりも、
「そもそも変えられなんかしなかったんだ」と考える方が楽だからです。

もしかしたらそのへんのメンタリティに私自身の弱さがあるのかもしれま
せん。それを「自分の選択した道はもう振り返らない」とある種の自己肯
定を含んだ考え方ができた時に、私自身ひと皮むけるのかなとも思いました。

お礼日時:2013/03/29 14:31

「運命は性格にあり」という箴言があります。



選択というのは様々ですが、その背後にあるのは性格と選択するための判断力で、ほぼ一定です。

その意味することは、ある特定の選択を間違わなくても、その他の多数の選択において性格と判断力に応じた選択しかできないということです。長期的に観れば、性格と力量にふさわしいところに落ち着きます。

試しにスポーツやTVゲームをしてごらんなさい。
何回やっても結果は同じになるはずです。

ただし、そういった諦めの境地に達したとき、自分のさがや能力というものを客観的に理解し、諦めない境地よりも高い結果を得ることもできます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「運命は性格にあり」という言葉はすごくいい言葉だと思いました。
なにより運命を司るものを神ではなく自分自身の性格においている
ところが素晴らしいと思いました。

結局私の悩みというのは諦めがつかない事です。具体的には、「あの
ときもっと勉強していればよかった」や「あの時もっと運動していれ
ばよかった」などです。

しかしなぜするべきときに決まってするべき事をしなかったのかは、
ただの偶然ではなく、それをすることを億劫に思う性格から来ていた
と思うと納得できます。そのためそういう性格をしている以上、過去
の分岐点でいまと違う結論を出すことはありえないと思えるため諦め
もつきます。

とてもいい言葉を教えて頂きありがとうございました。

お礼日時:2013/03/29 09:19

回答になっていなくてすみません。



私個人の意見として、そういう類いの文献は読んでほしくありません。

哲学、宗教は思想に過ぎず、度が過ぎれば何らかの事件に巻き込まれかねませんよ。

確かに栄光を獲れなかった事が今後も深層意識に働きかけ、質問者さんを脅かすかもしれませんが、そういうのにはまり、依存してしまう方がもっと怖いのです。

一時しのぎで済まされないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうござます。

「回答になっていなくてすみません。」とありますがそんな事はありませんよ。
とても大切な事を言ってもらったと思います。

多分私のようなきっかけで思想関係に傾倒し、現実ではなく思想の世界に逃避
するケースが多いためそのように言ってくれたのだと思いますから。

ただ興味を持ってしまった以上質問であげたような考えに触れてみたいという
気持ちは変わらずにあります。またあくまで宗教に入信という話ではなく教養
程度という気持ちでもいますので、思想関係に触れる事がそれ程重大な結果に
なるとも今は思えません。

それでも回答者さんがおっしゃられた事を戒めとして持たなければ、結果とし
て傾倒し、依存する事も後にはありえるとも思います。そのためこのような回
答をして頂いたはとてもありがたい事だと思いました。

お礼日時:2013/03/29 08:51

宗教家でもなく哲学者でもありませんが


ひろ さちやさん
をお勧め致します
この方は大阪の北野高校から東大へ進学した学者さんですが
仏教に関して非常に広範に著作があり
早い話が貴方に仏教を御推薦申し上げたいと言う事です
是非このひろさちやの著作をネットで御検索下さい
くよくよなんって 馬鹿馬鹿しいよ!!!!!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

おすすめ頂いたひろさちやさんの本を読んでみたいと思います。
今まで仏教は他の宗教に比べて身近ではありながら中身までは
詳しく知らなかったので、これを機に仏教の中身にまで触れて
いきたいと思います。

お礼日時:2013/03/29 08:22

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