プロが教えるわが家の防犯対策術!

私の祖母は終戦前おそらく昭和22年頃まで樺太に住んでいました
祖父と共に開拓に入ったと言っていたような気がします。
終戦後引き上げてくるまでの期間がわかりませんが
終戦後、樺太にはたくさんのロシア兵がいて
日本人の家に土足で入って来て
手で女性器のジェスチャーして
それをされた女性は体を差し出すしかなかったと聞きました。
命を取られるからだそうです。
幸い私の祖母は妊娠中で難を逃れたと言っていました。
その後、北海道に引き上げてくる事になり
函館の港に船がつきそこから十勝に開拓に入ったそうです。

いま、従軍慰安婦の問題が取りざたされていますが
子供の頃聞いた話なのでうろ覚えである事がもどかしいです。
なぜなら、日本も組織だってはいませんが
十分性的被害にあってませんか?
過去に目をつむって未来はないと言っている
どこかの国の大統領
それは反対ではないのでしょうか?
後ろを向いて前に進む事はできません。
この思いを貫くために
歴史に詳しい方に私の子供の頃祖母から聞いた話を
整理して教えてくれませんか?

A 回答 (5件)

    #2です。

補足です。

    下記などがご参考になるかも知れません。
    http://www.heiwakinen.jp/library/shiryokan/heiwa …
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

まだ、詳しく見ていませんが
興味深いタイトルがたくさんあります
読んでみます。

お礼日時:2013/05/31 12:50

旧満州からの引揚者のお話では、そのテの話は枚挙にいとまはないですよ。

なにせ当時のソ連軍といったら、「平均寿命」が「2週間」というとんでもない戦術を採用していた軍隊です。第二次大戦中にまだ仲が良かった米軍が最新の地雷除去法についてソ連軍の司令官に紹介したところ、ソ連軍の司令官は退屈そうな顔をして「そんなもん、兵士にその上を歩かせればいいんだ」といったという恐ろしい実話があります。
なにせスターリンは一説には自国民を1000万人粛清したともいわれています。どのくらい粛清したのか、数が多すぎてよく分からない、たぶん1000万人くらいでね?っていう国です。

もちろんそれをいったら米軍も似たり寄ったりのところはあって、戦後まず日本政府がやったことは米兵相手の「準公式娼婦」を用意することでした。米兵による狼藉を防ぐためです。当時日本中には戦争で夫を亡くした寡婦が溢れかえっており、彼女たちはなんとか自分で自分の生活をしなければならないので、「奥さん、ご主人も亡くなったことだし、米兵相手に体を使ったら生きていけるよ」とやったわけです。
実は戦後すぐにしばらく女性専用車両というのがありましてね。その理由は、米兵によるナンパを防ぐためです。なぜかというと、当時の日本人女性は男尊女卑社会の中で「男性の言うことには従わなければならない」と教育されていたのです。だから、米兵から「ヘイ、ついてこいよ」っていわれたら断るのにものすごい勇気が必要だったんです。それでなくても相手は戦勝国、しかも無条件降伏を受け入れていますから、無条件降伏ってのは「強姦されても、略奪されても、文句はいいません」てことです。ソ連は無条件降伏を額面通りに素直に受け取っただけともいえるかもしれません。

なお、国交が回復するときに「過去のいろんなことは蒸し返すのはナシな」と約束した上で国交を回復しています。これはアメリカだろうが、ソ連だろうが、韓国だろうが同じです。
韓国と国交を回復するときも「過去のことはごちゃごちゃいわない」と約束しましたし、当時朴大統領は確か過去をごちゃごちゃいうことはなかったと思いますが、朴大統領は韓国では「独裁者」のイメージなので、「あれは朴大統領が決めたことであって、今は今だ」と考えてるのではないのかな。それはあれですよ、日本にも村山談話とか河野談話なんてのがありますが、それを否定する見解の政治家も少なくないのと同じです。村山談話にせよ河野談話にせよ日本政府としてのある種の公式見解ですからね。
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この回答へのお礼

歴史をきちんと学んでこなかった自分を恥じます。

男尊女卑に嫌悪感は感じますが
過去の反省の下、最善を目指し日本人の心を持って
今を生きるのが私たちの責任だと思いました。

お礼日時:2013/05/31 12:48

引揚者の悲惨な経験談はこちらにも載っています。


http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/senkanokiok …

私の義母も樺太からの引揚者です。当時まだ年端も行かない子供だったのですが。
小さな木造船で引揚げてきたそうです。
一つ前に出た船が砲撃に遭ったそうです。暗い海に遺体が流れてくる様を覚えているそうです。
それを大人が棒で引き寄せ息がないとわかるとまだ棒でつついで流していたと。
今でも時々は夢にみるそうですよ。

終戦してもソ連軍による樺太侵攻は止まらなかった。
樺太庁長官命令で婦女子や老人や子供を優先的に引き揚げさせた。
戦力にならない者が足手まといであったのと食糧不足が理由だったようですが凌辱を避けるためもあったでしょう。
あげく引揚げ船が砲撃されて撃沈もされたのですから性的被害どころか多くの市民の命が失われたのです。
戦場における強奪や凌辱はいつの時代でもどこの国でもあった事でしょう。
従軍慰安婦問題とは根っこは同じかも知れませんがまた別の事です。
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この回答へのお礼

従軍慰安婦問題と同じとは思っていませんが
女性がうけた屈辱とい事で私には同じに思えるんです。

私の祖母はusubinogardenさんのお義母さんより
かなり年上だと思います。
私の父も1歳か2歳で引き上げてきています。
記事を見まして、子供の時に聞いた話なので
性的な描写がショッキングで引き上げ前後の
話も聞いていた事を思い出しましたが
ほとんど覚えていません
覚えているのは
ぎゅうぎゅうの汽車にのったこと
父の兄が引き上げ中、餓死しかけたことです。
祖父母が生きているうちに
きちんと聞いておくべきでした。

お礼日時:2013/05/31 08:58

    これは、#1さんもおっしゃっているように、我々個人でやらなければ既製品の無い世界です。



    僕は昨年、偶然朝鮮や満州から引き揚げた人の手記に接し、終戦後の無政府状態(日本が過去になり、北朝鮮や韓国ができる前)の時、日本人の生殺与奪を握る、朝鮮人の「保安隊」という集団があったことを知りました。

    日本人を殺さないで帰国を許す条件として日本人女性の「提出」を要求され、同胞の命を救うため身を挺した日本女性があったそうです。もちろんこの方達の口から過去を聞くことは無いでしょう。

    満州から引揚げた女性も、頭を丸刈りにし、男装してやっと、難を免れた人もいると言うことです。この方々は生きていらっしゃっても高齢でしょうから、心して記録しておかないと、一方的に日本だけが悪事を働いたことになってしまいます。
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この回答へのお礼

何かを発信したいわけではないんです。
ただ、祖母から聞いた話を
身内として覚えていてあげたいだけなんです。
しかし、祖母は2008年に亡くなっています。
子供にはショッキングな話で
うろおぼえで断片的な記憶をまとめたいんです。

日本発信の日本の被害については
確かに耳にする事はありません。
日本を悪く言う国のパフォーマンスに
世界が傾倒してしまうのはとても
恐ろしい事だと思います。

母方の祖父はシベリア抑留の生き残りでした
祖父の話も生きているうちに
きちんと聞いておくべきでした。

お礼日時:2013/05/31 08:42

日本の歴史教育は日本人が「された事」は教えません。

歴史の教科書には日本人が「した事」は書いてあっても、日本人が「された事」は何ひとつも記述されていない。ついでにいえば日本人が「しなかった事」も書かれていません。そういう教科書を質問者さんは、あたかも聖書のように崇め奉ってきたのではないでしょうか。それは質問者さんに限ったことではないし、ほとんどの子供たちはそういう教科書を疑おうともせずに、ひたすら暗記に夢中です。

さて、どこからお話すれば良いのでしょうか。ここで教科書を執筆せよといわれるのか。
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この回答へのお礼

祖母が体験した恐怖を思うと心が痛みます。
従軍慰安婦のニュースを見るたびに
祖母の話を思い出します。
そして、歴史について勉強してこなかった自分を恥じます。
しかし、いけないことかもしれませんが
過去は過去で認め水掛け論はやめ
前に進む事が必要だと思ってしまうんです。
それでもやっぱり私が祖母から聞いた話は
身内として覚えておいてあげたいんです。

お礼日時:2013/05/31 08:27

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