アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 悪の共同自治にあたって われわれ現代人は 協力しうるか

 言いかえるなら:

  (α) 自由な市民による自由な連帯は 果たして可能か。いかにして可能か。

 これが 問い求めの主題です。しかも取りあえずは 組織的な運動を考えない次元においてです。


 つぎに趣旨説明です。

 (β) 《悪は 存在しない》を みづからの主観において保つ人びとは 果たしてこの主観を社会的に共同化しうるか。いかにして しうるか。

 (γ) 《悪は 存在しない》という命題は 次の内容を言います:

    悪は 善の欠如した状態であるから そのものとして存在しない。
   あるとしても 《善の完全な欠如》を想像裡において 絶対化した
   ところの観念である《悪魔》のみである。
    世代から次の世代へと 人それぞれの思念において 受け継がれて
   いくと あたかもこの悪魔は 永続しているように見える。だが そ
   れだけのことだ。

 (δ) もし人生が或る種の仕方でたたかいであるとすれば この悪とのたたかい すなわち自分とのたたかい これは 個人の内面における孤独なたたかいであるとわたしは 思っていました。あるいは 個人・対・個人 すなわち 一対一の或る種のたたかいであると。

 (ε) しかも 社会の一定の単位体における情況についても 考えていました。
  それは 先の(α)の主観を共同化した状態にある人びと つまりは共同主観(コモンセンス)を確立することができた人びと そういう人びとが 互いに《同感》派として全体の三分の一を占め 次の三分の一が《共感》派を形成し 残りをお呼びでないところの《反感》派が占めるという構図です。
 共感派というのは はっきり言って浮動層でもあります。

 (ζ) しかも この社会としての構図についても 飽くまでわたしたちの成すことは 日常生活におけるふつうの個人としての・(δ)に言う一対一の対話であると考えていました。

 (η) そこで果たして 連帯は 必須のことでしょうか。自由に 為し得るでしょうか。協力と言うとすると いったいどういうことが考えられましょうか。(これは いまは 団体や組織を 前提としない場合です)。


 ☆ このような問いです。自由なご見解をおおしえください。趣旨の中の前提事項について 異議を唱えてくださる場合も 歓迎します。


 * 何か ただ自覚の問題だけだというようにも思われて愚問かも知れないのですが 次のようにも考えてみます。

 (θ) 《麦の中に毒麦が生えて来ても その毒麦を引っこ抜かずに混じったままにして 実るのを待つ》という命題を持つとすれば その《麦と毒麦との混合状態を いかにして平和裡に保つか》 こういう問いになろうかと考えます。
 (毒麦を引き抜かないのは もし引き抜くならそのとき ふつうの麦をもいっしょに引きぬいてしまって だめにしてしまうからだと言われます)。

 (ι) 前項の説明として:《毒麦》とは 煮詰めて言えば主観としてでしょうがきつく言えば《これで人間と呼べるか》という疑いが持たれてしまうという場合を言っています。

 (κ) 《呼べるかどうか》の答えは人間としては出ない・出せないというこたえをわたしはこのところ得たのですが ただしそのような人物評価としての思考じたいは 現われますし 或る意味で――相対的な経験合理性にもとづく判断という範囲に限れば―― 妥当な内容をさえ持つとも考えます。

 (λ) ひとことで言えば 《コミュニケーション不全》という状態です。これはみづからが人間でなくなろうとしているのではないか。こういううたがいであり――みなさんは こういった或る意味で究極の人間不信の状態に落ち入ったご経験はありますか?―― しかもその説得力のある説明が主観的にであれじゅうぶんできるという場合に ではどう対処していくのか これです。
 (説明というのは 《話し合いを捨てている。 もうしようとしないという状態にある》を充てます)。

 よろしくどうぞ

A 回答 (13件中11~13件)

こんばんはです。





☆☆☆☆☆☆
○ 生まれつき《毒麦》として世に出て来て そのように生き切る。こういう人間はいるか?
◇ 生まれつき《毒麦》として世に出ることはない、と思います。
 犯罪者家系として名高いジューク家、カリカック家の家系があることはありますが。。。
 日本語サイトにはロクなものがなかったので、英語版Wikipediaのリンク先を以下に記します。

http://en.wikipedia.org/wiki/The_Jukes_family
http://en.wikipedia.org/wiki/Kallikaks

 例の《サイコパス》についても、まったくの脳の先天的機能異常とは考えにくいです。遺伝的な要因をまったく否定することはできないけれど、
それよりは育った環境などの環境的要因がその人格形成に大きな影響を与えている
と思います。
 サイコパスについては、《共感》を司る脳の活動性の低さは指摘されているようですが、脳の共感機能をまったく有していないというわけではないので、「その発達課程に起因している」と考えるのが、自然であると思います。
 つまり、生まれついての《毒麦》はいない、ということになるかと思います。



~~~~~~~~~
  ○ ヒトの中には 絶対に分かり合えないヒトがいる可能性が高い。
 こういうことなのでしょうか? つまり《悪人》とは言わずとも 《コミュニケーション不全》は 現実にありうる。のだから それはあきらめよという答えなのか?
~~~~~~~~~
う~ん、現実を見ると、YES。《バカの壁》は確かに存在する。これは認めざるを得ない。
しかし、その《バカの壁》の高さが乗り越えられないほどの高さかどうかは、実際に話し合ってみなければわからない。ひょっとしたら乗り越えられる高さかもわからない。だから、コミュニケーションは重要である。
少しずるいですけれども、こういうところで(ポリポリ)。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ところで、Wikipediaのサイコバス・精神病質に、
────────────
エミール・クレペリンによるとサイコパスのひとつに「空想虚言者」という類型がある。

1. 【想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する】
一見才能があり博学で、地理・歴史・技術・医学など、何くれとなく通じていて話題が豊富であるが、よく調べるとその知識は他人の話からの寄せ集めである。

2.【弁舌が淀みなく、当意即妙の応答がうまい】
 好んで難解な外来語や人を脅かす言説をなす。

3.【人の心を操り、人気を集め、注目を浴びることに長けている】
 自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない。

自ら嘘をついて、いつのまにかその嘘を自分でも信じ込んでしまうのである。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E% …
────────────
がありまして、
ネコめは、「そうか、オレはサイコパスだったのか」とおもわず苦笑!!
お後がよろしいようで(笑い)。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ますますむつかしくなって来ましたね。

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 サイコパス。その他もろもろ。この主題については専門家と同じようにくわしいひとがいるのですけれどね。


 ◇ つまり、生まれついての《毒麦》はいない、ということになるかと思います。
 ☆ これは うっかりしていました。
 ◇ サイコパスについては、《共感》を司る脳の活動性の低さは指摘されているようですが、脳の共感機能をまったく有していないというわけではないので、「その発達課程に起因している」と考えるのが、自然であると思います。

 ◇ 犯罪者家系として名高いジューク家、カリカック家の家系があることはありますが。。。
 ☆ こういうのも知りませんでした。テレビドラマにもなるようなのですかね。



 ◇ ~~~~~
 う~ん、現実を見ると、YES。《バカの壁》は確かに存在する。これは認めざるを得ない。
 しかし、その《バカの壁》の高さが乗り越えられないほどの高さかどうかは、実際に話し合ってみなければわからない。ひょっとしたら乗り越えられる高さかもわからない。だから、コミュニケーションは重要である。
 少しずるいですけれども、こういうところで(ポリポリ)。
 ~~~~~~~
 ☆ これは コミュニケーションが重要である点に留意しておきます。


 

 この場でのコミュニケーション不全の事例を――こちら側からだけの説明になりますが―― さらけ出しておこうかと考えました。資料となるかどうかは分かりません。わたし自身の覚え書きとしてこの場を借りてしるします。

 A1さん: わたしの説明を別の意味に解しつづけそれをとおした。二十回ほどその押し問答を繰り返して 《自分(A1さん)は あなた(ぶらじゅろんぬ)が言うように政治家に向いているようだから そうしてみる》と言って来なくなった。わたしはこの人に政治の話を持ちかけたことなど一回もないのに。

 S1さん: いくらかのやり取りの末わたしが結論らしき見解を出したとき この人は《やっぱりわたし(S1さん)の言った通りになったね》と言い いったいどうした?と尋ね返すと 《またいつでもわたし(S1さん)のアドバイスを聞いてみてください》と言い放ったきり やり取りは途絶えた。

 F1さん: 言語学のことでやり取りをした。この人の提出する話題や見解についてわたしは 自分の考えを述べた。そんなやり取りがつづき ところでわたしの見方についてはどうですかと尋ねてもお茶を濁すのみ。なんで?と問うと 先送りするようなことを答えて もう来なくなった。

 N1さん: 最初のころわたしが要領が分からなかったとき 何のかんの言う投稿をして来た。回答ではないので衝突した。コミュニケーション不全だという意味のことを言ってやったら そのことをわびて撤回せよと言う。それが出来ないなら ゆるさないと言う。これを繰り返して 不通となった。

 K1さん: キリスト教の具体的なありさまについて非難する。教会制度における欠陥などはわたしもむしろ同じく述べている。ただ神の概念が 違っている。いくら指摘しても聞く耳を持たない。百回くらいその押し問答をおこなった。

 I1さん: ズラシの名人。いくら妥当なことをこちらが言っても 自分の考えがマチガイだったということになるなら 絶対に引かない。微妙に論点をズラしてどこまでも攻撃してくる。これをわたしはヒキコモリではなく押し籠もりだと命名した。

 C1さん: アマテラス公民圏‐スサノヲ市民社会から成る二階建て構造を どうしてもみとめない。アマテラシテ(=象徴つまり天皇)についてはしゃべらない。武士が台頭した封建制度の社会で このアマテラシテからは自由な国の体制が出来た。これを現代にも受け継いでいると言い張る。

 M1さん: C1さんの賛同者。

 H1さん: 支離滅裂。

お礼日時:2013/06/15 22:44

NO3のお礼、ありがとうございます。



自分が投稿した回答を読み直し、「誤字が相変わらず多いな~」と冷や汗をかいています。
これでも、投稿前に何度も読み直しているのですけれどね~、
自分の間違いには気がつかない。
人の間違いはすぐに気がつくのですが(笑)。
そして、
質問に表示された自分の回答を見るとすぐに
「あっ、この漢字間違っている。ここも間違っている。日本語として、これはおかしい」と気がつくのですが(ポリポリ)。
これはも~眠り猫の癖・習性と、諦めてもらうしかないです。

なのですが、
今回のモデルケースは、結構、うまくできているのではないか、他に応用がきくのでは、とチョッピリ思ったりもしています。

NO3の回答では、頭のいい人、普通の人、バカな人と分類しましたけれども、
 同感派⇔組織犯罪者、違法薬物の××
 共感派⇔一般大衆
 反感派⇔警察・検察・弁護士etc
でもいいのかな、と思ったりもしています。
数学の問題ではなく、この場合、オレオレ詐欺や違法薬物とかになりますけれども。問題の難易度は、手口の巧妙さや被害の甚大さ、犯罪の悪質さといったところになるのでしょうか。

ここであげる同感派は、「あっ、オレも」とすぐに互いの手口を真似ますよね~。いろんなダマシの手口を次から次へと考え出します。悪知恵を働かせて、法律の不備をついたりもします。わたしなんぞは、「よくま~、次から次へと巧妙な手口を思いつくモノだ」と半ば感心しています。
「みんなやっている」、「ヤセられる」、「疲れが取れる、気分がハイになる」という言葉で、極々軽い気持ちから薬物を始めちゃうヒトもいます。「この未公開株は市場公開後すぐに数倍の値がつきます」という言葉にダマされちゃう善良なヒトもいます。
そして、
この場合は、同感派と反感派の話し合う余地や共感する余地は残されていないでしょう。譲歩の余地は残されていない。シロかクロか、このいずれしかありえない。

こちらの方が、本質問のテーマに合致してるんでしょうかね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 まづ うろ覚えでしたので あたってみました。
 ▲(ヰキぺ:舎衛城) ~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%8E%E8%A1%9B% …
  
 § 3 舎衛の三億

 仏の説いた法が、遇い難く聞き難きことを表して、舎衛の三億という。なお古代のインドでは10万単位を1億と数えた。したがって3億とは30万のことである。

 これは『大智度論』や『摩訶止観』を出典とする用語である。『大智度論』第9巻には「仏世には遇い難し。優曇波羅樹の華の時々一度有るが如し。説くが如く、舎衛の中に9億の家あり。3億の家は眼に仏を見え、3億の家は仏ありと耳で聞くも眼では見えず、3億の家は聞かず見ず、云々」とある。

 つまり舎衛城には9億の家があったが、これを3億ずつ、釈迦仏を見た家、見たことはないが仏がいると聴いたことがある家、見聞きしたことのない家に3等分される。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ この三等分を借りて来ています。


 さて 二等分するしかない場合があるのではないか?
 生えているのは 《麦と毒麦》との二つしかないというような場合。
 すなわち 
 ◇ ~~~~
 この場合は、同感派と反感派の話し合う余地や共感する余地は残されていないでしょう。譲歩の余地は残されていない。シロかクロか、このいずれしかありえない。
 ~~~~~~
 ☆ シロかクロか。逆の順序で 違法薬物など犯罪者か そうでない人びとやそれを取り締まる側か。
 
 例をやはり《麦か毒麦か》にしてみましょうか。
 もっと分かりやすく言うとすれば:

  ○ 根っからの悪人は いるか?

 になるかと思います。アクマは観念だとして じっさいの人間の問題を取り上げることにして そのひとが いつからかは別として《自分の心にさからうことしかしない》という状態の根っからの悪人になることはあるか です。

 すでに悪は存在しないと言っていて その立ち場に立っていますが

  ○ 悪は あたかもそういう《存在するもの》があるのか?

 だと思います。おのれの持って生まれた《善》がすべてマイナスの状態になって――けっきょく例の《第二の死》なる状態でもありますが―― あとはそのような《負の善》しか考えないしおこなわないという人間は現実にいるか? だと思います。自分の子どもに対しても 善はおこなわない。ウソばかりついて いつわりのみをおこなう。そういう人間はいるか?

 


 あるいは それについて考えられることは 《究極の事例》というのは あくまで思考実験であって 現実にいるかどうかは別の問題だというところに落ち着くのではないかとも すでに前もって思われます。

 では どういう問いにすればよいのか?

  ○ 生まれつき《毒麦》として世に出て来て そのように生き切る。こういう人間はいるか?

 でしょうか。ついこのあいだ でぃくべくさんは 小説の中の人物を引き合いに出されたと言って 触れておられました。
  
 ▲ (ヰキぺ:ハンニバル・レクター) ~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3% …

 ハンニバル・レクター(Hannibal Lecter)は、『羊たちの沈黙』等、作家トマス・ハリスの複数の作品に登場する架空の人物。精神科医にして連続猟奇殺人犯。殺害した人間の臓器を食べる異常な行為から「人食いハンニバル」(Hannibal the Cannibal、ハンニバル・ザ・カニバル)と呼ばれる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ☆ 何だかひじょうにおそろしい人物像であるようです。

 わたしの提出している事例は 《コミュニケーション不全》という状態 これ一本ではあります。
 対話がうまく行っていないというような問題ではなく 《話し合いを捨てている。 もうしようとしないという状態にある》というそういう意味での究極の事例です。

 じつは これは わたしの体験しているじっさいの問題です。この質疑応答の場でも経験して来ていますので。(複数です)。


 ◇ こちらの方が、本質問のテーマに合致してるんでしょうかね。
 ☆ いえ。とは言うものの テーマに合致する問題例がどういうかたちなのか これは まだよく分かりません。模索してすすむだけだと思います。

 ただし
 ◇◇(回答No.3) ~~~~~
 1対1の対話は大切だとは思うのですけれども、理を尽くせば分かり合える、そんな生易しいものではない、と考えます。また、わたしは、ヒトはどんなヒトとも絶対に共感し合える、とも考えません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということでしたら どうなんでしょう つまり

  ○ ヒトの中には 絶対に分かり合えないヒトがいる可能性が高い。

 こういうことなのでしょうか? つまり《悪人》とは言わずとも 《コミュニケーション不全》は 現実にありうる。のだから それはあきらめよという答えなのか? そういう問題にもなるかと思います。


 いやぁ だらだらと書いて来ました。これ以上書き連ねるのは 犯罪行為に近づきます。ここらで 切り上げます。

お礼日時:2013/06/15 15:54

こんにちはです。



この質問は難しいです。少なくとも、わたしには超難問です。

質問があまりに難しく、その解決の糸口が見つからなかったので、アナロジーとして如何のモデルケースをについて考えてみました。

 頭のいい人⇔同感派
 普通の人 ⇔共感派
 バカな人 ⇔反感派
 (記号「⇔」は対応する、くらいの意味です)

case1:人は夜、寝るべきである
このことについては、頭のデキにかかわらず、概ね、すべての人が同意の得られるでしょう。人間の自然に基づいているのですから。

case2:大学入試の数学のちょっと難しい問題レベル〔の問い〕
(1)頭のいい人は解けます。自力で解けなくても、解けた人の答えを見れば、「お~」とか「なるほど」となります。
(2)バカな人は、解けません。解けると思うことが間違いです。問題を解けた頭のいい人の説明をいくら聞いてもわかりません。なおもしつこく説明を続けると、「お前はバカか」となります。そして、頭のいい人は「バカの人がわからない」ということがわかりません。ここには、埋めがたい断絶があります。
(3)普通の人も解けません。普通の人には解けないように問題が作ってあるからです。ですが、解けた人の回答を見ると、わかった気分を味わえます。見るだけではそのわかった気分を味わえない人は、丁寧な説明を聞くと、いずれ、わかったような気分に浸れます。つまり、この段階でも、《共感》が成立し得ます。頭の人と普通の人の間では、《共感》は成立し得ます。

case3:文化の香りの高い数学~大学レベル
(1)頭のいい人は、たぶん、わかります。すぐには分からなくても、いつかは分かる。
(2)バカな人は、無理です。日本語で語られていても、それは外国語にしか聞こえません。
(3)普通の人。わかりません。分かったふりをするのが、関の山!!です。このレベルになると、頭のいい人との《共感》は成立し得ない。でも、「自分がバカである」と思われるのはシャクなので、頭のいい人の前では分かったふりをします。さらに、バカの人の前では「理屈ではそうかもしれないけれど、理屈と現実は違う。理屈どおりには、世の中はいかない」と言ったりします。バカな人と《共感》が成立しうる土壌があります。

なので、
1対1の対話は大切だとは思うのですけれども、理を尽くせば分かり合える、そんな生易しいものではない、と考えます。また、わたしは、ヒトはどんなヒトとも絶対に共感し合える、とも考えません。
と同時に、《連帯》は生き残るために必須です。ただし、その連帯は、頭のいい人の連帯、バカなの人の連帯にならざるを得ない、と思います。
問題は、浮動層である普通の人を、どう、己れの陣営に引き入れるかです。どのようにダマす、ペテンにかけるかです。《わかった気》にさせるか、この一点に尽きます。


念のために付け加えますが、
これは《数学の問題》を解く場合の話です。
また、わたしは
「数学のできる人は、頭がいい」とは、まったく考えていません。
頭のよさというのは、人それぞれ違っているのですから。そうあって然るべきだと思います。

学校の生成は良かった、いい大学を出たけれど、
実社会では役立たず、おバカな人が、世の中には、何と多いことか!!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ○ 舎衛の三億
 ☆ のパクリぢゃないかと言われるかと思いました。

 ねむりねこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。



 《個人》の問題は 《社会》の問題に直結している。こういった見地を推し出しておられます。

 ◇ ~~~~~~~
 1対1の対話は大切だとは思うのですけれども、理を尽くせば分かり合える、そんな生易しいものではない、と考えます。また、わたしは、ヒトはどんなヒトとも絶対に共感し合える、とも考えません。

 と同時に、《連帯》は生き残るために必須です。ただし、その連帯は、頭のいい人の連帯、バカなの人の連帯にならざるを得ない、と思います。
 
 問題は、浮動層である普通の人を、どう、己れの陣営に引き入れるかです。どのようにダマす、ペテンにかけるかです。《わかった気》にさせるか、この一点に尽きます。
 ~~~~~~~~~~
 ☆ あたまのいい・わるいというのは 語弊があるかも知れないという点については ことわりがきがありますので もうそれにも触れません。

 これは 現実の政治でしょうね。共同自治の純粋理論としても 一目置いて顧慮せねばならない社会秩序の問題であるようにわたくしも考えます。


 ここから なかなか話を伸ばすのも容易ではなく派生する副主題を持ち出そうとすることも憚られ まづは 応答もここまでです。


 あぁ ひとつ思い浮かびました。反対派の誹謗中傷や妨害工作などなど そういった実際の問題が ひとりの個人にとってはチカラを殺がれる要因になる場合があります。一対一ではなく 一・対・正体不明なる相手 の場合もあるようです。

お礼日時:2013/06/15 13:46

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!