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私の友人(35)が、子供がほしくて子作りを頑張っているのですが、

「もし妊娠したら、高齢妊娠だから羊水検査を受けると思う。
その結果、もし障害児だったら、諦めると思う。
経済的にも精神的・体力的にも、障害のある子を育てるのは、どうしても無理だから」、と言ってます。
「諦める」 = 「中絶する」 の意味です。

この友人に限らず、羊水検査の結果を受けて、「どうしても育てられない」 と言って中絶を選ぶ人、いますよね。
私は中絶反対派ではないし、中絶すること自体は、別に構わないと思います。

だけど、その理由が 「どうしても育てられない」 というのは、嘘ですよね?

だって、羊水検査で発見できるのは、ダウン症などの染色体異常だけです。それ以外の障害の多くは、生まれてみなければ分かりません。
そして、生まれてからでないと分からない障害の中には、ダウン症より もっと大変な障害もあります。

私の近所に、重度の知的障害を伴う自閉症の男性が住んでいます。いつも意味不明の奇声を発しながら近所を徘徊し、暴れます。身体が大きく力も強いので、本当に大変です。

自閉症は、出生前診断は不可能で、生まれて何年か経ってから発見される障害ですが、ダウン症 (…知的障害ではあるが、温厚で人懐っこいタイプの人が多い) よりも ずっと育てにくく、家族の苦労も大きいと思われます。

羊水検査をして胎児がダウン症と分かったら、「どうしても育てられないから(=育てることは不可能だから)」 中絶を選ぶという人は、検査の結果がシロだったので産んだら ダウン症よりも もっと深刻な障害児だった…という場合、どうするつもりなのでしょうか?

…もちろん、その場合は育てるのでしょう。もう今更、お腹に戻すことはできないのですから。

本当に、「障害児を育てることは、経済的・精神的・体力的に どうしても無理(不可能)」 であるなら、子作りなんて出来ないはずです。
絶対に健常児が生まれ、事故や病気による中途障害を負うこともなく、死ぬまでずっと健常者でいられる保証なんて、どこにも無いのですから。

ダウン症児を堕ろす理由が、「どうしても育てられないから」 というのは、嘘ですよね?

「出生前診断で発見できない障害児だった場合は、受け入れて育てるしかない…ということは、ダウン症児であっても、頑張れば 育てられないことは無い。だけど、『頑張る』 というのは、経済的・精神的・体力的に、大変な苦労をするということ。そんな苦労をするのは嫌だ」、というのが、本当の理由ですよね。

「どうしても育てられない (障害児を育てることは、絶対に不可能である)」 ではなくて、

正しくは、

「どうしても育てたくない (障害児を育てるために強いられるであろう苦労を、絶対に避けたい)」 ということですよね?

※その理由が、悪いと言っているのではありません。
私も30代(前半)の主婦ですが、やはり 「障害児が生まれたら、困る(苦労が嫌だから、育てたくない)」 との理由により、産まないことを選択していますので。

だけど、 「育てたくない」 を 「育てられない」 と表現するのは、何故なのか?

「命は尊い」 という価値観が支配的で、「障害者だって、同じ人間。生きる権利がある」 という考えが道徳的に正しいとされる この世の中に於いて、

「育てたくない(避けられる苦労は避けたい)」 という気持ちを、胎児の生命よりも優先しているという事実を 認めることに抵抗があり、「育てられない」 という言葉で 誤魔化しているのではないでしょうか?

A 回答 (16件中11~16件)

質問者様の違和感わかりますよ。



私も偏屈というか・・・人と違う部分があります。
私の子は発達障害ですが、
私は障がいがあっても必ず育てたい!!!と強く願って産みました。
双子で二人とも発達障害です。

死なれるよりまし。
生きていてくれたらそれでいい。
障害の子が出来たらそれは私の使命だと思っていました。

なので私は全く障がいに関してショックでも違和感もなく
寧ろ発達障害で済んだのかと軽い気持ちでした。

ですが周りはそうじゃないのです。
可哀想という目、言葉にしてはならないような雰囲気。

彼女は障がいに対してはやり未知で怖いのでしょうね。

言葉の使い方はやはりいろいろです。
育てられない という言葉にこだわっておられるようですが

彼女の言葉を代弁して言うのであれば
育てたくない以前に 自分には無理だと 鼻から諦めているのだと思いますが。

私のように覚悟があって命を産むのと同じように
彼女のなかにも普通のよりもいろいろ不安があって
いろいろ考えたけれど未知の世界で
ダウン症の子だけは顔もわかりますしね
検査の状態でわかる障がいというのはあからさまにわかるんですから
その上で育てられない=自信がない ということなんでしょうね。

育てたくない というのとは違う気がしますよ。私は。

自信がないだけなのだと思いますが。


産んでから障がいと分かった時も彼女は私とは違い激しいショックを受けるタイプだと
自分でわかってらっしゃるのでしょう。

知識は誰もみな同じではありません。

検査でわからない障がいは 確率的には少ないと思っているのでしょうか。
事故等での身体の障がいはよしとしても、

生まれ持ったダウン症などはどう対応していいかわらかない

人って未知の世界怖いです。
赤ちゃんが怖いという人もいます。
ダウン症の子なんて尚更怖いのでしょう。
知ろうとしない

こどもがダウン症だったらと思ってもそれは想像でしかなく
今の未知の世界のままで自信がないのだと思います。

実際産んでしまってその子に何らかの障害があったら
そこからまた乗り越える人投げ出す人別れるのでしょうけれど
産んでみないと障がいの子を持ってみないとやっぱりわからないのですよ。


質問者様の言わんとしていることは分かりますし、
気持も共感できますが、

まだまだ考え方が固い感じもしますね。


ひっかかるというのは貴方の中に何か理由があるのでしょうね

きれいごとを言う人が嫌いとか、

絶対に避けたい苦労したくない。

それは皆同じじゃないでようか。

それが悪いとは思っていないならそんなに気にしなくてもいいかなと思いますが
それが気になるひっかかるというのは
彼女ではなく貴方の中に何か特別な何か感情があるんじゃないかなと思います。

ごまかしている。

ごまかしていても彼女は意思表示がはっきりしていて
堕胎をする時もあるという自分の選択は考えた上でしょうし
ごまかしていようといまいと辛いのも自分ですからね。


生命よりも優先している事実 認めているんじゃないですか?
認めた上で それでも自分には想像したら自信がないということだと私は感じましたね。


不安な人はいろいろ先々考えいろいろ調べてしまうんです。
調べてしまうからこそ、そうやって不安になってどんどん自信がなくなるんです。
そうでない人はないも考えないでポンと産んであら?障がい・・・・とショックを受けるんでしょう。

私は根拠なく自分の子として生まれたらそれは運命だから
どんな子でもと綺麗ごとに考えておりました。

しかし、ほんとの酷い酷い自閉症で叫びまくりの子だったら・・・
やはり辛いでしょうね。

辛くない子育てなんて障がいのお子様ではないと思います。
でもその中で学べる事はたくさんあると思います。
辛さだけ考えて想像したら怖くて産むのも怖くなる
前もってわかって産むなんて出来ない人がいてもおかしくない。
育てられない。育てたくないとはやっぱり違うと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>絶対に避けたい苦労したくない。
>それが悪いとは思っていないならそんなに気にしなくてもいいかなと思いますが
>それが気になるひっかかるというのは
>貴方の中に何か特別な何か感情があるんじゃないかなと思います。

う~ん…ただ単に、自分が理屈っぽいから引っかかるだけの話だと思ってます。
白黒ハッキリさせなきゃ気が済まないところがあるので。

引っかかるけど、自分の心の中で 「何だか綺麗ごと言ってるな」 と思ってるだけで、
「綺麗ごとを言うな。誤魔化さずに、自分の本音を認めろ」 なんて彼女に強要するつもりもないので、本当にどうでも良い話ですね。
くだらない質問でスミマセン。

もし彼女が私と同じで、中絶という行為に対して否定的な感情を持っておらず、
「羊水検査して、障害が発覚したら?…そりゃ もちろん堕ろすよ~。お金ないし、他にも色々大変そうだし、育てるなんて無理無理~」…なんて軽い調子だったら、
「嫌だ、育てたくない」 を、「無理だ、育てられない」と表現することに、それほどの違和感は感じないと思います。

ですが実際には、彼女は私とは違い、「胎児の生命は尊い。その生命を奪う中絶は、基本的には悪いことである」 という考えの持ち主です。

以前に共通の知人が、予定外で二人目を妊娠し、「経済的に苦しいから」 と言って中絶したのですが、
「世の中、経済的に苦しくたって、頑張って子供を2人,3人育てている人なんて、たくさんいる。お金よりも、我が子の命の方が大切だと思わないの? せっかく授かった命なのに、そんな簡単に殺せるなんて、信じられない!」 と彼女は怒り、その知人と疎遠になってしまったという出来事もあります。

今回、「もし妊娠したら検査を受けて、障害児だと分かったら中絶を選ぶ」 ということに関しても、
「決して軽い気持ちで言ってるんじゃないよ。たとえ障害があっても大切な我が子だし、愛おしくてたまらないはず。出来ることなら、産んであげたいよ。だけど、どうしても育てられないんだもん。経済的にも、精神的・体力的にも、どうしても無理なんだもん」…なんて言い方をしています。

>育てたくない以前に 自分には無理だと 鼻から諦めているのだと思いますが。
>いろいろ考えたけれど未知の世界で
>育てられない=自信がない ということなんでしょうね。
>育てたくない というのとは違う気がしますよ。
>自信がないだけなのだと思いますが。

そこまで、「命は尊い、たとえ障害があっても愛おしい我が子だ」 と言っているのに、それでも中絶したいと思ってしまうほどに、障害児を育てる自信がないのなら、

彼女への、「それなら、検査では発見できない障害のある子が生まれちゃったら、どうするの? もしかしたら、ダウン症より もっと大変な障害かもしれないよ」 という私の問いかけに対しては、

「そうか…そういう可能性もあるよね。どうしよう、そうなったら…。怖い! 育てるなんて無理! 捨てちゃうか、それとも子供を殺して 自分も自殺するかも」・・・そんな答えになりそうなものだと思うのです。

だけど彼女、実際には、落ち着いた様子で 「その場合は、仕方ない。頑張って育てるしかない」 と答えたんですよ。

彼女は現在、子作り中であり、妊娠さえもしていません。

障害児が生まれる可能性があることは分かっており、
「命は尊い。中絶は良くない。たとえ障害があっても、我が子は愛おしい」 と思っているにも関わらず、
妊娠中に障害が発覚したら中絶を考えてしまうほどに、障害児を産み育てる自信が無く、未知の世界を恐れているのであれば、
子作りをやめて、子供を持たない人生を選んだって良いはずですよね?

でも 妊娠への挑戦を やめることなく続けています。

何も考えずに妊娠してから、「障害児を産む可能性もある」 という事実に気付き、未知の世界に恐れおののき、ダメ!私には無理!とてもじゃないけど自信が無い!と、パニックになっているのではありません。

障害児を妊娠するリスクがあることを分かっていながら、子作りを続けている。
胎児の障害を妊娠中には発見できず、生まれてみなければ分からないことだってある、ということも認識していて、
「その場合は仕方ない。頑張って育てるしかない」 とまで言っているのです。

更に、「胎児の命は尊くて、中絶は良くないことで、たとえ障害があっても我が子は大切で愛おしい存在だ」、と・・・。

そこまで分かっていて、そこまで言うなら、

この先めでたく妊娠して、検査を受けて、障害が判明したら…と想像した時、
ダメ!育てる自信なんて無い!どうしても無理!!とパニックになるのではなく、

「それでも大切な命、大切な我が子。出産後に障害が判明した場合と同じで、経済的・精神的・体力的に苦労しながらも頑張れば、育てられないことはない」、と判断できるはずです。

にも関わらずに中絶を選ぶのは・・・「大切な我が子の命を守りたい」 という気持ちより、
「苦労するのは嫌だ。避けられる苦労は避けたい」 という気持ちの方が大きいからでしょ、と思ってしまうのです。

何度も言ってますが、「苦労するのが嫌だから、中絶する」…そのこと自体は、別に構いません。

だけど、私とは違って 「基本的には中絶反対。胎児の命は尊い」 という考えであり、“経済的な理由”で中絶した知人を批判して疎遠になったという経験もあり、「たとえ障害があっても、我が子は愛おしい」と言っている人なんですよ。

そんなに 「大切な命」だの 「愛おしい我が子」 だの言うなら、
その大切で愛おしいはずの命を、中絶して奪おうというのですから、

「どうしても無理」なんて綺麗な言い方するなよ。

「どうしても無理って訳じゃないけど、苦労したくないから」 って、正直に言ったらどうなの? と思ってしまうのです。

お礼日時:2013/08/05 17:15

あなたはご自分が障害のある子どもを持つリスクを回避するために


妊娠さえあきらめているのに
ご友人はせっせと子づくりに励み
妊娠したら検査で障害の有無を判断して
産むかどうかを選択する、という
そのある意味自由な選択に羨望の気持ちがあるのではないですか?

たしかに障害にはいろいろあるし
おっしゃるとおり検査でわかる範囲以外にも
たくさん障害はあります。
そして障害がなくても、いじめなどで我が子が苦しんだり
怪我したり病気したり
親というものの苦労は筆舌に尽くし難いものです。
そのご友人はあなたより深く考えていないのでしょう。
そういう人って世の中には多いものです。
育てられないという言い方にこだわる必要はないでしょうね。
育てるのは無理=嫌
これが正直なところでしょう。
だって、生まれてきた命を誰も否定しませんが
私は絶対に障害を持った子供が欲しい!と言う人いますか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>そのある意味自由な選択に羨望の気持ちがあるのではないですか?

う~ん、別に 羨ましいって訳ではないつもりなんですけどね…

>育てるのは無理=嫌
>これが正直なところでしょう。

やはり、そうですよね~

>育てられないという言い方にこだわる必要はないでしょうね。

でも、私は拘っちゃうんです。
理屈っぽい性格なので(^^;)

私は、中絶反対派ではありません。

「胎児だって、立派な人間。大切な命なのに!」 なんて、熱い気持ちは無い。
胎児が、「生きよう」とか 「生きたい」 なんて抽象思考をしているとも思えないし。

深く悩み、苦しみぬいた末に、断腸の思いで中絶する人。
それほど深刻に考えることも無く、軽い気持ちで中絶する人。
・・・色々な人がいるでしょうけど、正直に言って、別にどうでも良いです。

だけど、この友人とか、出生前診断がテーマのドキュメンタリー番組に登場する人、ネット上で 「羊水検査を受けるべきか?」 なんて悩みや相談の書き込みをしている人達・・・

私とは違って、基本的には中絶反対。胎児だって人間、その生命は尊い!なんて言う人が多いんですよ。

だけど、胎児の生命は とても尊いけど、「でも、障害児を育てるのは、どうしても無理」、、、と。

どうしても無理、なのではない。
だって、検査では発見できない障害児が生まれたら、その場合は 捨てることも殺すこともせずに 育てるつもりなのでしょうから。

苦労すれば育てられないことは無いけど、でも、その苦労が嫌だから、避けられる苦労は避けたい、ということでしょう。

そう思うのは、別に悪いことではないと思いますよ。

ただ、私とは違って 「胎児の生命は尊い」 なんて言っている以上は、
その胎児の生命を犠牲にする中絶の理由、

「どうしても無理。育てられない」 のではなく、

「どうしてもイヤ。育てたくない」 のだということ、認めるべきなんじゃないか、と思うのです。

ほんと、理屈っぽくてスミマセン…

お礼日時:2013/08/05 03:20

貴方は、身内や兄妹に、ソオイウカタガイマスカ、実際のダウン症の成人者を短に見ていますか?



私の姉は60歳、知的障害で、本人も辛い人生だし、私たちも悲しい思いをたくさんしてきました。

息子は事故で、高次脳機能障害、、、。

もう、十分ですよ、と思います。

家の中をいざる、コウレイノダウン症の大人を見たことがあります。

ソオイウ苦労を短に、に自覚したら、育てられない、と。育てるのが難しい、

同義語だとわかりますよ。

口先だけなら、何とでも言えるでしょう。

観念にはまるのは良くないと思います。私達の母がどんなに苦労したか、見てきましたし、自分の息子は一生見て行く必要があるし、

弟にもお願いしています、兄のこと、私達が死ぬことがあれば、お前が、兄の面倒を、そして、、お前が結婚するなら、その子供達にも妻にも、面倒を見ることを伝えて欲しいと。

言葉で、いうことと、その家族が一生面倒を見ることの深さ、違いを認識すべきでしょう。

観念の海に意味はないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>貴方は身内や兄妹に、ソオイウカタガイマスカ、実際のダウン症の成人者を短に見ていますか?

身内や兄弟姉妹に、そういう人はいませんが、近所に ダウン症より もっと深刻そうな成人の障害者がいますので、そういう家族を抱えると、ものすごく苦労するだろうな、と想像できます。

>私の姉は60歳、知的障害で、本人も辛い人生だし、私たちも悲しい
>息子は事故で、高次脳機能障害、、、。
>もう、十分ですよ、と思います。

大変そうですね。
もし自分の子供が知的障害だったり、健常に生まれても、事故で高次脳機能障害になってしまったら・・・と考えると、本当に怖い。

だから私は、子供を産まない選択をしている訳ですが、その理由を、「育てられないから」 というつもりはありません。

だって、あなたの親御さんは、自分自身が苦労して、あなたにも迷惑をかけながらも、知的障害のあるお姉さんを育てたのでしょう。

高次脳機能障害の息子さんのことも、苦労しながらも、面倒見ておられるのでしょう。

自分が ものすごく苦労して、周囲にも大変な迷惑をかけつつ、障害者の面倒を見ることは、不可能ではないということです。

不可能ではないけど、でも嫌なんですよね。自分が苦労するのは嫌だし、周囲に迷惑かけるもの嫌だし。

だから、胎児に障害があると妊娠中に判明すれば、中絶を選ぶ人が多いのでしょう。

私は中絶反対派ではありません。

「障害児を抱えて苦労するのは嫌だから、避けられる苦労は避けたい」 という理由で中絶すること、別に構わないと思います。

ただ、友人が、「経済的・精神的・体力的に、育てるのは どうしても無理」 という言い方をするのが、引っかかる。

どうしても無理(不可能)ということはないでしょう。

だって、私が友人に、「出生前診断で発見できない障害のある子だったら、どうするの? 重度の自閉症とか、生まれてみてからでないとわからないけど、ダウン症よりもっと大変そうだよ」 と聞くと、
「その場合は仕方ない。頑張って育てるしかない」 って答えたんですよ。

重度の自閉症児を、頑張って育てるしかない・・・つまり、頑張れば(苦労すれば)育てられると認識しているのに、
重度の自閉症よりは育てやすいかもしれないダウン症児を、「育てるのは、どうしても無理(不可能)」 だなんて、筋が通らないでしょう。

「苦労すれば、育てられないことはないと思うけど、その苦労が嫌だから、避けられる苦労は避けたい」 というのが、本当の理由でしょう。

「どうしても無理、育てられないから」 ではなく、

「どうしてもイヤ、育てたくないから」…なぜ、正直に そう言わないのでしょうか?

>ソオイウ苦労を短に、に自覚したら、育てられない、と。育てるのが難しい、同義語だとわかりますよ。

すみません。

私の感性では、「難しいけど、大変な苦労をすれば育てることは不可能ではないはず。でも、その苦労が嫌だから、胎児の生命を犠牲にしてでも、なるべく苦労せずに済む人生を選びたい」 を、
「育てられない(=育てることは不可能である)」 と表現すること、これが日本語として、まったく同じであるとは思えないのです。

それから、この友人の場合、周囲に障害者は一人も居ないと言っていますし、「ソオイウ苦労を自覚」 しているということはないと思います。

>口先だけなら、何とでも言えるでしょう。
>言葉で、いうことと、その家族が一生面倒を見ることの深さ、違いを認識すべきでしょう

すみません。
仰ることの意味が よく分からないんですけど、
「障害者を抱えて 一生面倒見なきゃいけない家族は大変なんだから、妊娠中に障害が分かって中絶を選ぶ人を 批判するな」 という意味ですか?

だとすれば、繰り返しになりますが、私は 中絶そのものは批判してませんよ。

中絶反対派ではありませんから。

モヤモヤしているのは、「中絶を選択すること」 ではなく、
「中絶を選択する理由の、言い方」 です。

お礼日時:2013/08/05 02:38

難しいテーマですね。


答えはないと思います。

私の妻も30代で妊娠・出産しました。
検査はしていません。出産後の検査で先天性異常が
ないことがわかり本当に安心しました。

出産前にダウン症であることがわかったら、生むべきか生まないべきか
本当に悩むと思います。生まないことを選んだのは自分たちの事だけではなく
生まれてくる子供のことも考えて悩んで悩んで決断したのだと思いますよ。

atarasiinamae3さんは中絶したり理由が「偽善」なので憤りを感じているの
でしょうか?
逆を言うと理由が適切であれば憤りを感じないのでしょうか?

間違っていたらすみません。
自分がもし同じ立場になったらどうするか悩んでいるのでこのような質問を
している気がしました。

私と妻だけが大変なのであれば産んでもいいと思いますが、
私達の親、親族に負担をかける、私・妻が亡くなっても生きていける
か不安であれば中絶すると思います。
自分達のヒューマニズムだけで子供、周りに辛い思いをさせるのは
どうかと思います。

一方、
どんな子であれ、自分達の子供であるのだから、周りがなんといおうと
一生守ってあげようとも思います。
生まれてきた命を、私の考えで殺すのは辛い。。

答えはありません。。
私も教えて欲しいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>中絶したり理由が「偽善」なので憤りを感じているのでしょうか?
>理由が適切であれば憤りを感じないのでしょうか?
>自分がもし同じ立場になったらどうするか悩んでいるのでこのような質問をしている気がしました。

いえ、別に悩んでいる訳ではないですよ。
友人の言う、「育てるのは無理だから」 という理由が、
「いや、そうじゃなくて、正しくは “育てるのは嫌だから” でしょ」 と思って、モヤモヤするんです。理屈っぽい性格なので。
中絶という行為自体は、別にどうでも良いです。

私は、「障害児の親になる」 というリスクを確実に回避するために、子供を作らない選択をしていますが、「障害児を育てるのは、絶対に無理。どうしても育てられないから」 なんて言う気はないですよ。

ものすごく頑張れば、育てられないことはないと思います。だけど、それに伴う経済的・精神的・体力的な苦労がイヤ。
「障害児を育てるのは、絶対にイヤ。どうしても育てたくないから」、子供を作らないのです。

>自分達のヒューマニズムだけで子供、周りに辛い思いをさせるのは、どうかと思います。

はい、ですから私は、「障害児だって生きる権利があるのに、中絶なんて酷い」 と言いたい訳ではありません。
中絶する・しない、それ自体は、別にどうでも良いんです。
モヤモヤするのは、その友人が、「妊娠中に障害児だと分かったら、中絶する」 と言っていることではなく、中絶を希望する理由に筋が通っていないことです。

>生まれてくる子供のことも考えて悩んで悩んで決断したのだと思いますよ。
>私と妻だけが大変なのであれば産んでもいいと思いますが、
私達の親、親族に負担をかける、私・妻が亡くなっても生きていけるか不安であれば中絶すると思います。

はい、それで良いと思いますよ。

ただ、「親や親族に負担をかけることは絶対にしたくない。自分たち夫婦の亡き後に子供が自立して生きていけないのは、絶対に困る」 のであれば、最初から子供を作らないという選択肢だって、あったはずなのです。

それなのに、子供を作った。
自立できないほどの障害児が生まれたら困るけど、健常児が欲しいという気持ちも我慢できないから、「健常児が生まれる」 という可能性に賭けて、作ったのですか?
でも、絶対に健常児が生まれるという保証は、どこにも無かった訳ですから、バクチですよね。

もし お子さんが、出生前の検査で発見できない障害児だったら、どうしていましたか?
自分達だけでなく、親族にも負担がかかるでしょうね。
自分達が亡き後のことも、不安ですよね。

だから、捨てますか? それとも殺しますか?

もちろん、そんなことしないですね。
ちゃんと育てますよね。

生まれちゃったものは、仕方ない。
自分達だけでなく、親族にも迷惑がかかるかもしれないけど、我慢してもらうしかない。
将来のことも何かと不安だけど、できるかぎり その不安を取り除くために、試行錯誤していくしかない。

妊娠中には発見できない障害のある子が生まれたら、そうやって、自分達が苦労して、親族にも迷惑かけるけど我慢してもらって、将来の不安とも闘いながら、頑張っていくしかない・・・言い換えれば、頑張れば(苦労すれば)、育てられないことはない・絶対に不可能という訳ではない、ということです。

ならば当然、妊娠中に発見できる障害(ダウン症など)であっても、それでも出産し、育てていくことは、不可能ではないはずですよね。

それなのに中絶を選ぶのは、「ものすごく苦労すれば、育てられないことはないけど、でも その苦労がイヤだし、親族に迷惑かけるのもイヤだし・・・避けられる苦労は避けたいよね」、ということ。

要するに、「苦労したくないから、育てたくない」、それが真の理由ですよね。

その理由は、別に悪くないと思いますよ。
私だって、「苦労したくないから、障害児を育てるのは嫌だ」 という理由で、子供を作らない人間ですから。

「中絶は悪いことだから、障害児は育てたくないと思うなら、私のように子供を作らない選択をしろ」、と言いたい訳でもありません。
私は別に、中絶反対派でもありませんので。

私はバクチを打つ勇気が無いから、子供を作らないけど、世の中には、「障害児は絶対に嫌だけど、健常児は絶対に欲しい。怖いけど、健常児を授かるという可能性に賭けて 子作りしよう」 という人が多いのでしょう。

では、何が引っかかるのかというと、この友人のように、障害児を堕ろす理由を、「育てたくないから」 ではなく、「育てられないから」 と言いたがる人がいる、ということ。

自分は、「胎児の生命を犠牲にしてでも、“苦労したくない・育てたくない” という気持ちを優先する人間である」 という事実を認めたくないということか、と邪推してしまうのです。

お礼日時:2013/08/05 01:50

誰しも自分を正当化したい思いはあるものです。



あなたの「障害児を育てるのは嫌だから子供は作らない」というお考えにも首をかしげますけどね。
子供を作らない理由はそれだけですか?
あなたも何か誤魔化していませんか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>誰しも自分を正当化したい思いはあるものです。

そうですよね。

この場合の、「経済的・精神的・体力的にどうしても無理」 という言い方、
「経済的・精神的・体力的に苦労すれば、育てられないことはないけど、その苦労が嫌だから、胎児の生命よりも、『避けられる苦労は避けたい』という気持ちを優先する」、その事実を認めたくなくて、
自分を正当化するための言い方ですよね。

>あなたの「障害児を育てるのは嫌だから子供は作らない」というお考えにも首をかしげますけどね。

そうですか?
「障害児の親になる」 というリスクを確実に回避するために、子供を作らない選択をすること…そんなに不思議ですか?

>子供を作らない理由はそれだけですか?
>あなたも何か誤魔化していませんか?

一番大きな理由は、「(特に知的)障害児の親になって苦労することだけは、絶対に避けたい」 ということですが、それ以外にも理由はありますよ。

誤魔化すためではなく、「障害児を “育てたくない” というのが本当の理由なのに、“育てられない” という言い方をすること」 という、この質問の趣旨には関係のない話なので、書かなかっただけですが。

たとえ健常児であっても、反抗期には苦労するだろうな
イジメの被害者や加害者になってしまったら、厄介だな
あまりにも容姿の悪い子だったら、嫌だな
旅行や外食を楽しむ自由が制限されるだろうな・・・等々、

子育てに関して、何かとマイナスイメージがあるもので。

もちろん、「明るく朗らかで 容姿も悪くない健常児に恵まれたら、子育てって楽しいだろうな」 というプラスイメージもあるけど、そういう健常児を授かるという保証はないので、やっぱり子供は作らないのが無難だと思うのです。

お礼日時:2013/08/05 00:37

あなたさまの仰有っる通りだと思います。


あとは、障害児の親と後ろ指をさされるのも避けたいでしょう。
中絶は人殺しだと思います。
子育てのリスクを嫌うなら、避妊して産まないことです。
障害児であろうと健常児であろうと子育ては大変で苦労が付き物です。
しかしそれ以上のよろこびがあります。
産んで育てた人にしか分からないと思います。
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この回答へのお礼

>あなたさまの仰有っる通りだと思います。

回答ありがとうございます。
同意していただけて嬉しいです。

お礼日時:2013/08/05 00:06

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