アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

相談というよりは、自分の気持ちをどこかに書くことで楽になれるんじゃないかと思い、書かせていただきます。
ペットロスとは何かちがうような気もして、でもそうな気もして、もう自分の気持ちがわかりません。

愛犬のシーズーを亡くして、3週間がたちました。
13歳の誕生日をむかえて2日後のことでした。
人懐こく、あまえたで、さみしがりの、本当にかわいい子でした。

数年前から心肥大にかかり、毎日薬を飲むようになっていたのですが、亡くなる2日前から苦しそうな息遣いと下痢が止まらなくなり、あわてて病院に連れて行ったところ「肺水腫」と診断されました。
陸上で溺れているようなもので心臓にも負担が大きく、入院させてはどうかと提案され、承諾いたしました。
それが昼前のことで、夕方に一度様子を見に行くと、愛犬は酸素BOXの中でうつろな眼をしながら、寝そべって私を見つめていました。
そのときは呼吸はおだやかに見えましたし、苦しくなさそうに見えました。
私は「苦しくなくなってよかったなぁ、帰ってきたらおいしいもの食べさせてあげよう」などと、バカでのんきなことを考えながら帰宅しました。
でも、それが最後の姿となってしまいました。

翌日の8時半ごろに病院から電話がかかってきて、「愛犬ちゃんが亡くなりました」と・・・。
ショックで気が動転してこのへんの記憶があいまいなのですが、あわてて病院へ向かって話しを聞くと、
「深夜は病院には誰もおらず、監視カメラでチェックしているが、深夜の2時までは生きていたのは確認していた。そして朝先生だか看護士の方だかが出勤してきたときに、亡くなっていたのを見つけた。おそらく大きい発作がでたと思います」と。
「2時から8時までの間のいつ亡くなったかはわからないけれど、血を吐いているわけでもなく、横たわって亡くなっていたので、苦しんだということもないと思います」
と。
すべて憶測で話されてしまいました。
私は愛犬が何が原因で亡くなったのかも、何時ごろ亡くなったのかも、わからないまま泣きながら遺体を我が家に連れて帰りました。

そして、3週間たってもその時のことを考えるともう苦しくて苦しくて、無意味に「あーーーっ」と叫びたくなってしまいます。
考えて一番苦しいのが、「誰もそばにいなかった時に1人ぼっちで死んでしまった」ということなんです。
ものすごくさみしがりやで、私が何かするたびにうしろをちょこちょこついてきて、トイレやお風呂にまであとをついてまわり、出かけたら玄関の前でずーっと待っていて、人がいないところには絶対よりつかない。そんな子でした。

そんな子が深夜の病院で1人ぼっちで死んでしまった。
もうそれを思うとかわいそうでかわいそうで、どんな気持ちだったかを考えてしまってだめです・・・
主人は「病院に連れていかなかったら連れていかなかったで、絶対後悔してたと思う」と言うのですが、私もそれはまさしくそうだと思っています。
家で亡くなっていたら、「やっぱり病院に連れて行けばよかった」と思ったにきまってます。
でも1人ぼっちで亡くなった・・・と思うと自分で自分を絞め殺したくなります。

誤解がないようにお伝えすると、病院の先生方にはなにも思っていません。
長年お世話になった先生ですし、一緒に泣いてくださいましたし、初七日には愛犬あてにお花まで贈ってくださいました。
とても良い先生方でしたので感謝しております。

なんといいますか、亡くなったということよりも、亡くなった状況がつらくてたまらないのです。
だからペットロスとはちがうのかなあ、と。

いろんな状況で愛犬を亡くされた方もいらっしゃるでしょうし、もっとつらい別れをした方もいらっしゃると思うので、私のこのぐちゃぐちゃな気持ちは一体どうしたらおさまるのかご助言をいただけたらと思いました。

もう心が捻じ曲がってるといいますか、主人や友人に「かわいがられて愛犬ちゃんは幸せだったと思うよ」と言われても、「でも最後の最後は幸せじゃなかった」などと言い返してしまうくらい、心がすさんでしまっています。
だめなのはわかってるんですけどね・・・。
なんなんでしょうね。
自分が嫌になります。

どういうふうに考えたら楽になれるんでしょうか。

A 回答 (6件)

>でも最後の最後は幸せじゃなかった


他の回答者の方と同様、私もそんなことは無いと思いますよ。

我が家は今まで4匹の犬を飼ってきて、2匹を闘病の末看取りました。
看取ったといいますか・・・・、死んだ瞬間は誰も傍にいませんでした。
共通してるのが、家の主である父が犬を可愛がって出勤した5分後に息を引き取っていたということです。

1匹目は、病気のせいで排泄物が垂れ流しになってしまい、室内犬だったのですが仕方なく玄関にバスタオルを敷き詰めて過ごさせていました。
父が昼休みの間家に帰ってきた時、とても聞き分けの良い犬がその日はどうしても室内に上がりたがったそうです。(恐らく父の傍に行きたかったみたいです)
体力も無く、既に歩けなかった犬を母が父の傍まで連れていきました。
父が名前を呼ぶと、一生懸命父の顔を見ようと顔を上げるのですが、顔を持ち上げることもできずパタッと倒れてしまいます。父は昼休みの間中犬をさすっていたそうです。弱弱しく振るしっぽを見ながら。
昼休みが終わり、「行って来るね」と犬に声をかけてもちゃんとしっぽを振ったそうです。出勤した5分後に気づけば息を引き取っていました。
きっと主である父をいつもの様に見送りたかったんだね、と家族で話してました。

2匹めの子も、闘病の末弱っていく姿を目の当たりにしていました。
朝、父はいつもの挨拶を犬に済ませ出勤していきました。
その日は、今日この子が死んでしまうかもという程弱っているようには見えませんでした。
しかし父が出勤した数分後、犬が息を引き取っていることに気づきました。
父はまた犬の死に目に会えなかったわけです。

憶測ですが、犬は主に死ぬ姿は見せたくないのかもしれません。
うちの犬達は、父が出勤するまでは一生懸命生きてました。
主がいなくなって何かの糸が切れたのかもしれません。

もし、本当に犬達が父を見送るまではという気持ちでいたなら、いつもの様に見送っていつもの様な毎日の中、安らかに逝けたんだと私は思っています。例え息を引き取る瞬間に傍にいなくても。

Gizmomamaさんの愛犬は、主であるGizmomamaさんの顔を見るまで一生懸命生きていたのは事実です。
一人ぼっちで寂しい中息を引き取ったのではなく、主の顔を最後に見れて安心した中息を引き取ったのではないでしょうか。

愛犬がどの状況で幸せに逝けるのかは犬にしか分かりません。
うちの犬は、父の傍で逝くことは望んでいなかったのではと思っています。

ペットである愛犬が亡くなって、気持ちが楽になれる方法は私にはわかりません。
我が家の愛犬2匹と17年生きた猫が死んだ時は、全部同様に苦しくて悲しかったです。

ただ、我が家の犬は幸せ者だ!と思えるくらい、家族全員で愛してあげました。
犬も家族を同様に愛してくれました。

Gizmomamaさんもそうですよね?
めいっぱい愛してたんだ!と思えることは、犬も同様に主を愛してたはずです。
それは犬にとって幸せなことではないでしょうか?
    • good
    • 20

お気持ち、お察し致します。


もう10年以上も前の話になりますが、昔実家で飼っていた5歳のシベリアンハスキーが家族の旅行中に突然亡くなりました。旅行は二週間の予定で海外に行くことになっており、その間は近所に住んでいる叔父が餌や水などの世話をしてくれることになっていました。旅行前は非常に元気で、一つ気になることがあったとすれば、若干お腹が膨らんでいるような感じがありました。雌犬で外で飼っていましたで、もしかしたら妊娠したのでは?と話をしていましたが、餌もきちんと食べていましたので、特に健康には問題はないと判断して出発しました。

旅行先に着いて一週間ぐらい経った時でしょうか。叔父からの国際電話で、愛犬が亡くなったことを知りました。叔父が家に来た時には、既に亡くなっていて冷たくなっていたそうです。あまりに突然の出来事で、家族中「いったい、なぜ!?」という感じでした。当時、わたしは実家を出て暮らしていた時でしたので、そこまでのショックはありませんでしたが、毎日自宅で世話をしていた母は相当のショックを受けていました。叔父はすぐにでも埋めてあげたいと言っておりましたが、母の強い希望で一週間後、家族が戻るまでそのままにしておくことになりました。幸いその時は冬場でしたので、家族が戻った時、死骸の腐敗はそれほどひどくなかったようです(わたしはその場におりませんでした)。帰国後しばらくしてから、実家の母に電話をしたのですが、母の精神的ショックは相当のものでした。死骸は叔父は布団にくるんで犬小屋に保管しておいてくれていたのですが、亡くなった時、愛犬は家族が帰ってくる方向を向いて、外で亡くなっていたそうです。きっと、いつ家族が戻ってくるのかと心待ちにしながら亡くなったのだと思います。母はそれを考える度に涙が出ると、帰国後1ヶ月ぐらい元気がありませんでした。

それ以後、母は動物は絶対飼わないと言っておりましたが、現在、わたしが事情で手放さなくてはならなくなった愛犬を引き取って育ててくれています。引き取ってもらって間もない頃、毛布の中で眠っている愛犬が動いていないからと、実家にたまたま戻っていたわたしを朝、起こしに来たことがあります。実際は、毛布の中ですやすや眠っていただけだったのですが、それすらも確認できなかったようです。あれから何年も経っていましたが、やはりその時の記憶はなかなか消えなかったようです。しかし今では、愛犬もすっかり母になついており、楽しく過ごしています。

気の利いた言葉は何も思いつきませんが、亡くなったうちの愛犬の状況から比べると、質問者様のわんちゃんはまだ恵まれた状況で亡くなったように思います。少なくとも、亡くなる前日には飼い主に会うことができたのですから。質問の内容を読む限り、質問者様はその時できる最前を尽くされたと思いますし、ご自身を責める理由は何もないと思います。わんちゃんにしてみても、亡くなった後、無事に家に戻ってくることができたのですから、ほっとしたと思います。今は亡くなったばかりでお辛いと思いますが、13年間の間、きっと楽しかった思い出もたくさんあると思いますので、それを大切にしてあげて下さい。
    • good
    • 9

本当にお辛いと思います。


私も、一昨年愛犬を亡くしました。
その時のことを思い出すと、自分のことをぶん殴りたくなります。

愛犬との出会いは、私が12歳の時。
それから16年間、どこへ行くにも何をするにも一緒で、旅行にも必ず連れて行きました。
私にとってはペットではなく、弟であり我が子でした。

愛犬は高齢になっても姿は若々しく、年齢を言うと驚かれるほどでした。
動きも若々しかったのですが、長距離を歩くと足がもつれたりするので、犬用のバギーカーに乗せて散歩をしていました。
見た目が若いので、すれ違う散歩中のおじさんから「歩かせないんですか?」と言われ、「もう16歳なんで」と答えると、かなり驚かれたことも。

そんな愛犬の死は、本当に突然でした。
高齢になってから少し心臓が悪くなり、毎日薬を飲ませていましたが、特に発作などもありませんでした。
ある日の夜、愛犬が少し苦しそうに呼吸をしていました。
でも、夕ご飯もパクパク食べていたし、さっきまで元気に遊んでたし、暑いのかな?と思い、空調を調節しました。
季節も夏でしたので。
それでも様子が変わらないので、病院に連れて行くことに。
でも、かかりつけの動物病院の電話はもう繋がらない時間で、車で片道1時間ほどかかる夜間動物病院に向かいました。
ところが、あと10分ほどで動物病院に到着するという時、愛犬は息を引き取りました。

もう、信じられず、気が狂いそうでした。
あの時、もう少し早く病院に連れて行っていればと、自分を責め続けました。
幸い、愛犬は助手席に乗っていた母の腕の中で息を引き取り、一人ではなかったのが救いですが。

今はもう大分落ち着き、愛犬がくれた幸せを思い出す時間が増えましたが、今でも不意に、あの日のことを思い出し、自分を殴りたくなります。

おそらく、どんな言葉を選んでも、今の質問者には気休めにもならないかと思いますが、私が愛犬が亡くなってしばらくしてから気づいたこと、そして思っていることを。

この世界は、愛犬が好きだった景色で溢れている。
愛犬が好きだった人達が沢山いる。
捨てたもんじゃない。
あの子はきっと今でも、私のそばにいてくれてる。
ただ見えないだけ。
いつか私が人生を全うしたら、また見えるようになる。
そしたらまた、思いっきり抱っこしてあげよう。
色んな所にまた一緒に出掛けよう。

そう信じて、私は生きています。

きっと、愛犬のことを大切に思っている人ほど、自分を責めたり後悔したりするのだと思います。
そんなあなたのような飼い主さんと過ごせて、あなたのワンちゃんは幸せだったはず。
少しずつ、その辛い気持ちより、ワンちゃんがくれた幸せを思う時間が増えていくはずですよ。
    • good
    • 31

いえ、どんな犬も、一人ぼっちで亡くなるんですよ。


病院でも、家にいても。

最後は、苦しい助けてくれなどという要求は、一切しないのです。
それ程犬は、自立しているんですよ。
飼い主が思っているよりはるかに。
だから、どんなにどんなに寂しがり屋で甘えっ子に見えても、犬は一人で逝ってしまいます。
もう振り向きもしないで。
飼い主なんか、置いてきぼりです。
その時飼い主に出来ることは、苦しむ姿を見ながら、ただ見送るだけなんです。

だから、Gizmomama さんのワンちゃんの最後の苦しみは、どちらにいても同じです。
違うのは、Gizmomama さん自身です。
苦しむ息が止まった瞬間に、これでやっと終わった、もう二度と苦しむことはないと思えなかったことです。
犬との別れがやってきたとき、ホッとして、良かったと感じることができなかったことです。
あなたの目の前で、ワンちゃんとのつき合いの終わりを、迎えることができなかったことです。
その残念な思いは、もう少し続くかもしれません。

でも、いつかは逆転します。
最後の悲しみと、13年間の幸せが。
    • good
    • 27

質問者様は


愛犬ちゃんが心から信頼していた飼い主さんです。
その飼い主さんの決断で愛犬ちゃんは入院しました。
最期の瞬間一人だったとしても、
愛犬ちゃんはそれを受け入れていたはずです。
飼い主さんや家族のことを思いながら安らかに亡くなったと
私は思います。
実際そばにいなくても、
愛犬ちゃんのそばに飼い主さんたちはいました。
そう思わなければ愛犬ちゃんは浮かばれないです。
信頼していた飼い主さんが後悔していたら
愛犬ちゃんはどう思うでしょう。

・・でもそう書きながら、
私が同じ立場だったら、
やっぱり自分を責めてしまうと思います。
結局時間をかけて自分を納得させていくしかないのかと
思います。

同じ物言わぬ動物を飼うものとして、
愛犬ちゃんの冥福を心からお祈りします。
    • good
    • 6

愛犬を亡くされてとても悲しい思いをされましたね。


心中おさっしいたします。
あたしの家でも、愛犬を亡くしたことがあります。
それで、ひとついえるのは、質問者様は最善の事をしたのだと。
なぜ、そう言えるかというと、最後となったあの日、あなたを見ていたから。
うちでも、愛犬を亡くしたとき、やはり最後の日、同じでした。目で追うのです。今思えば、あれがお別れのしぐさだったのかと。
そして、最後はアッという間でした。
まったく、苦しみませんでした。
状況は違えど、苦しんだ様子がない、という事は、生きてきたなかで、最後に最愛のヒトに会えたからではないでしょうか。
ひょっとして、最愛のヒトに別れを告げられたからかもしれません。
うちで、愛犬を亡くしたとき、おもいました。ひょっとして、口がきけないかわりに、自分がいつ死ぬのか知っていたのではないかと。

愛犬が亡くなれば悲しいです。
それはヒトとしいて、悲しくないと言えば嘘だとおもいます。
質問者様は、愛犬に最善の事をしました。
そして、質問者様が愛犬を思いだすかぎり、愛犬は質問者様のなかでいきているのです。

はっきりいって、時間はかかるでしょう。

しかし、愛犬は質問者様のなかでいきている、、、



辛い事、悲しい事、おもいだしたらごめんなさい。
質問者様は一人じゃないんですよ。
ご主人や友人もいるんですよ。
どうしても悲しいときはお話しもしょうよ。
愛犬の思い出話しもいいとおもいますよ、、、

なんかまとまらない回答ですみません。
    • good
    • 9

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!