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ふと、現代の子供が引き起こす数々の問題について考えているうちに寝付けなくなり、こちらで質問させて頂くことにしました。

自分は現在受験生の身の上ですが、自分と同世代を生きる学生が起こす大小の事件を耳にします。twitter等で常識はずれの行為を世間に晒したり、同級生を残虐な方法で死に至らしめる。これらの陰鬱にさせる出来事の数々は現代日本特有の問題のように思われます。

何が悪いのでしょうか。一部ネット上で言われている戦後教育の結果なのか、そのインターネット自体が原因なのか、どちらにせよ現在の我が国の豊かさが根本にあるのかと思います。未熟で受験勉強で手いっぱいな自分にはさっぱりわからず、前回の質問の際によい回答を頂いたこちらのサイトに尋ねることとしました。

良識ある皆様の回答をお待ちしております。

A 回答 (17件中1~10件)

原因を何か一つに絞る事は無理でしょう。

ただ、私が納得させられたキーワードに「貧困」があります。長くなるので、社会問題に興味がおありなら湯浅誠さんの本をオススメします。

常識はずれの行為についてはSNS等、自己を発信するメディアの発達があるのではないでしょうか。人間誰しも自分を発信したい欲が潜在的にあり、それに答える媒体が発達した、と。暴走族と似てるかもしれません。どう考えたって他の交通やら警察やらに妨げられないところの方が走りやすいでしょうに。

でも、あの「常識はずれの行為」の投稿にウンザリするのはむしろみんな似たり寄ったりであること。たくさん投稿があるけど、分類したら片手で足りるぐらいのカテゴリーに収まっちゃうあのオリジナリティーのなさ。大胆だけど、独創性のカケラもない。それ、ヨソでみたわ…ってね。新型スマホ購入に行列ができるナゾが解けそうな気が…。

なんか愚痴みたいになって申し訳ないですが、質問者様は大変まじめな方だとお見受けしました。疑問を持つことは大事ですね。ただやはり時期が時期、社会問題に興味を持ちつつも、今はちょっと目をつぶって受験に専念した方が質問者様の為です。
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「現代」に特有だと思うのはなぜですか?


また、「日本」に特有だと思うのもなぜでしょうか。

前者については、ほかの時代をほかの時代の空気に立って見つめる視野を育てることを、質問者さんに期待します。
後者については、分類の仕方を選ぶと如何ようにも論じることができますので、国名だけにとらわれることなく問題を切り出していく力をつけることを、質問者さんに望みます。

いま、質問者さんが持っている情報そのものに、同時代の居場所という二重の枷がかかっています。
それらは質問者さんを社会的存在としてあらしめ、質問者さんを宙に支えている、網のようなものです。
自分が乗っかっている網がどんな網なのかは、今その見た目や、今そこの出来事からは、深く知ることができません。ましてや、網の広さも知ることができません。

受験がんばってください。
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携帯の普及に伴い、コミュニケーション能力の欠如、相手の想いを想像する力が


ないのかもしれませんね。
大変な事になる。迷惑をかける。キズつけてしまう。…と考えが及ばないので
しょう。
だた、あなたのように良識ある青年もたくさんいらっしゃるのは救いですが、
結局 親の育て方がすべてのような気がするのですが…。
赤ちゃんは天真爛漫、真っ白な心で誕生してきてくれるのですから。
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そもそも人間は残虐性をもっています。



子どもの頃、虫を殺すのに、抵抗なかったでしょ。

おもしろがっていたはずです。

つまり、最初からあったものが、出たってことです。

なぜ理性が負けたか。

現代人はガマンのしすぎです。

とくに日本人は
ガマン=美徳
みたいな風潮が強いですからね。

ガマンなんてするもんじゃありませんね。
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ねット、携帯にて、手軽にコミュできてコミュニケーションの速度が増しすに従って、コミュニケーションのトラブルの発生速度(頻度)もUPした。

という事だと思います

過去に小学生が掲示板に書かれた悪口で同級生を殺した事件ありましたけど、
掲示板はネット以外にもリアルでもありますよね。
200年に一度くらいはリアルでそういう殺人事件があるかもしれないですが、ネットで社会全体のコミュ速度が上がった分、事件の発生頻度が10年に1回くらいの速度に短縮されたという感じと思う。

事件がセンセーショナルに報じられて、やってはいけない事として明確化され社会に浸透、ネットでコミュ速度が上がったとはいえ、社会問題となった事で後50年は事件は起こらない。もしくは掲示板に規制が強くなり2度と起こらないのかもしれない。




人は悪い思い出は良く覚えてて、良い思い出は忘れ易い という噂ありますよね。
たとえば悪い出来事を愚痴って話題に花を咲かせる。人生では良い事も同等レベルであった筈なのに、なぜか、良い出来事が話題として先が続かない。
良い出来事だからこそ、話題に問題性が無くて話題の発展性が無い。
とすればコミュニーケーションの時間は必然的に、何らかの不幸に関する話題(愚痴OR悪口)に集中する傾向があるという事でありトラブルの種になりそう。

それプラス
ネット特有で顔見えないのでリアルとのコミュの質の違いで言葉足らずや言葉過多、顔文字のタイミング間違え等で、人間関係のすれ違いの痛みを受けて人間不信に陥るのではないかと思います。

その機会はネットだからこそ人間不信者になる機会も多く、それに適応できなかった者は常人よりも被害妄想者になりうる。という理論です。
たとえば感情的になってないのに感情的だと誤解されたり、見下してないのに、見下されてると誤解して取り繕うように、気を使う。等

ネットはリアルよりコミュニィティ豊富ですので、被害妄想者同士が縁あって接触する機会(トラブルになる)もリアルよりも多いのではと。恐らくは、それが問題として表面化しているのではないかと思います。
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 「基本的な事実誤認」を指摘します。


>マルクス・レーニン主義の母国ソ連はとうの昔に自壊しましたし、西の大国は社会主義市場経済などという訳のわからない文言を掲げたうえ、大半の人民は西側の盟主アメリカを超える格差に喘いでいます。ベトナムも似たようなもので、キューバのカストロは自らかつての革命家たちと同じ地獄に落ちると語っています。北の国に至ってはご存じの通り。
 純粋な共産主義国家はもはや存在しません。壮大な実験は完全なる失敗で終わったと考えます。二次大戦を超える莫大な犠牲を伴って。
 前提条件が間違っていたとおっしゃるかもしれません。マルクス本来の考え方では、先進資本主義国でないと共産社会は誕生しないとか。

 マルクスは『経済学批判』の序文において、人類の自然史的過程として「原始共産制」「農奴制」「奴隷制」「封建制」「資本主義」「社会主義」「共産主義」との幾つかの段階を経るとのモデルを示しましたが、これは「生産様式」とそれに基づく「経済構造」に関するモデリングです。
 東欧の社会主義を標榜する国家群をはじめソヴィエト連邦は地球上から消滅しましたが、それらは全て「社会主義」を冠していた。つまり「共産主義以前の段階」のままだったとのことになります。
 またソヴィエト連邦が帝政ロシアから移行した背景一つをとっても、あれがマルクスの定義する革命に合致するとはいえません。なぜなら、資本主義経済を歴史的に経験せずに一気呵成に社会主義に移行するなどというのは論理の上からあり得ない話です。この部分でもレーニンがマルクスを誤読したともいえます。
 これに対し、ベルリンの壁崩壊と共に訪れた二大超大国による冷戦構造の崩壊は「イデオロギー」と「政治体制」の問題で、貴方が主張する根拠にはあたらないのです。
 また「マルクス・レーニン主義」と称しているからには、どこぞの宗教団体の影響も多分に受けている可能性も感じます。八王子にある某宗教法人が設立した大学では、そうした用語を使用することも僕は存じております。マルクスが生きていた時代は、アメリカの南北戦争とほぼ重なる時代ですから、マルクスがレーニンと同列に並べられることは歴史的事実に反するともいえます。
 そして「純粋な共産主義国家はもはや存在しません」との一節も誤解との結論になります。

 >でも、それらの国で革命が起こる気配がありませんね。少し前の事になりますが、学生運動がその革命にあたるのでしょうか。あんな幼稚なのが。
 もはや大多数の人間が革命を起こそうという気はないでしょう。共産貴族という言葉もあるように、共産主義は資本主義以上に絶対的な格差を生み出します。そして、それに抗議しようとする反革命分子を抑圧しようともします。そんな結果を招く考え方を国家の基本条件として掲げようとする酔狂な人間はほとんどいません。故に終わったと考えます。

 かつて60年代から70年代にかけて全国の大学を覆った学生運動も元はと言えば、東大の自治に対する政治介入を起点とするものでした。この辺りは、山川の教科書を執筆していた井上光貞氏の『わたくしの古代史学』にも綴られていますので、暇があったら読んでみて下さい。
 彼等は純粋に学問の自治と独立を目指したのであって、革命などは考えてもいません。今から考えれば最も学生らしい学生だったと僕は感じています。
 それが何時の間にか変質し党派性を帯びるようになったのも、冷戦構造を背景にしたものでしょう。その彼等も今や社会の中枢を担う世代です。けれども会社に丸め込まれるようなヤワでもない。言うべき時には言う、そうした青臭い一面も少しばかりは残してもいます。もちろん社会的常識もある面々ばかりです。
 「良識有る年長者」はそうした彼等を頼もしくも観ていることも確かで、彼等と年長者の間にいる中途半端な年寄り達が問題なのです。

 「革命」との意味からすれば、現代史の上では幾つもの革命があります。たとえばチェコの「ヴェルヴェット革命」もあれば、「イスラム革命」や「アラブの春」もあります。すべて「現在進行形」です。評価に関しては少なくともあと2~30年はかかるでしょうね。簡単にいえば、「政治構造や体制の根源的な改革」と同義で使っても差し支えはありません。イランに関して言えば、パーレビ体制からイスラム体制への移行と言い換えても可能です。何も「革命=マルクシズムの専売特許」でもないのです。現に「フランス革命」がマルクスの影響下にあったといえますか?
 事実誤認を指摘すれば、数限りありませんが、マルクスや彼と比較対照されるヴェーバーにしても、現実的に実現しうる一先ずの理想としたのは現在のドイツやヨーロッパが持つ社会民主主義路線であって、それ以後に関してはラフ・スケッチ的な形でしかありません。この辺がマルクスを議論する時に、アンチ・マルキストがマルキストを批判する時の根本的な誤りです。
 そうした部分を読み取っていただけなかったのは、僕の力不足ですが、それを差し引いても質問者は「本を読んでいない。読んでこなかった」感が否めません。
 受験受験で忙しすぎたこともあるでしょうけれど、自分が何をしているかと自問自答した時に繙くのはやはり古典です。古典の言葉には文学の言葉もあれば、思索の言葉もある。そうした言葉の森を散策するだけでも強ち無意味ではありません。
 一つの事象に対しても、見解の間にはブレ幅がある。中間を求めるならばそれも良かろう。だがしかし、自らにピッタリとフィットするスタイルを求めるならば、ブレ幅の対極から眺めたらどうなるかとの逆説的視点も必要です。
 「故に」などと一見論理的であるかのように見えても、これは最も弱い論理構築のスタイルでしかありません。逆側から突かれて木っ端微塵に崩壊してしまうことも多分にあります。質問者の文中には一ヶ所としてこの「逆接」がありませんよね?
 冷めた目線がないから、安直に「故に」と使ってしまう。そして自身を対象化する視座(これは日本人殊に戦中派と戦後の第二世代を親に持つ世代にとっては存外難しい作業でもあるが彼等自身が気付いてもいません)がないことを遠回しに言われても解らないで抗弁してしまうとの悪循環に陥ってしまいます。

 一気飲みなど僕らの世代では求めもしなかった。それは相手との距離が解っていたからの話であって僕らはそうした無茶をしなかった。時には学園祭の打ち上げなどの時に「学内で羽目を外し」池に放り込んだりすることもありましたが、公共の場ではしなかった。慶応に行っていた友人も、野球の慶早戦で勝利を決めた時に日比谷の噴水に飛び込んだなどの武勇伝も持ち合わせていますが、第三者に迷惑を及ぼすことなど微塵もしなかった。
 今のように、飲み会の後は知らないなどと無責任なことなどしなかった。泥酔した友人を何人かで僕の安アパートに連れて帰り、寝かしつけながら夜通し色々な議論に花を咲かせ、それでも次の日の一限には絶対に出席しもしていた。その逆もありました。昼間、休講時間を利用してたまたま献血し、その晩の飲み会が終わって帰ろうとの時に電車内で貧血を起こした僕を友人が彼のアパートに連れ帰り介抱してくれたとの経験もあります。
 連日のようにメディアを賑わせているアホな連中はこの「距離感や境目の意味」を理解していないのですよ。しかも輪を掛けて悪いことに、彼等の親ですら同じ穴の狢ともいえます。
 職場で不祥事をはたらき、その科で解雇されたことを家庭に持ち帰って話すと、親が息巻いて乗り込んでくるそうです。「ウチの子に限って」他所様に迷惑を掛けることなどしないはずです!と。
 隔絶された社会の中で育った親子はやがてその形を次の世代へと継承していくはずです。最も教育に値すべきは「距離の社会性とその形成」であって、そのためには「議論すること」が必要です。議論することで「互いの違いと距離感を確認する」ことができる。その結果「最も馬鹿馬鹿しいもの」が「答は一つしかない」との紋切り型の回答とそれをするように導く指導であることもお解りになると存じます。
 そして議論するためには「自らの言葉を持つ」ことが何よりも基本であることにお気付きいただければ幸甚です。
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 昼の休憩時間を利用しての再訪です。


またしても「つまらない紋切り型り回答」をいただきありがとうございます。

 >歳を取っても柔軟な思考を持っていたいものですが、老害という言葉があるように、多くの場合は古い考えに固執しているみたいですね。共産主義のような終わった思想に未だにとらわれている人々もいますし。
 ただ、古くとも正しいと自分で思える考えには従うべきだし、変革のための妥協も必要だと考えます。あなたが挙げている人々も大人の言うことにまったく従わなかったわけではないと思いますよ

 この文章内での問題がわかりますか?
(1)「共産主義のような終わった思想」…マルクス以後の世界中で「マルクスのモデル」は実験途中にはあったものの、それが完結したとの事象はどこにもありません。
 これが「自分の頭で考えていない」との証拠です。貴方は自身の手でこれらの事実を実証しましたか?
もし「誰それの本に書いてあった」というのであれば、その信憑性を問いましたか?
そして「共産主義」との文言をマルクスが実際に使っている文脈を見つけましたか?
元より「共産」「共和」の理念はマルクス以前に既にあってものです。高校の世界史程度でもこれ位は既に知ってもいるはずです。サン・シモンそしてマルクスが対象化したドイツ観念論の先哲達

(2)「人々も大人の言うことにまったく従わなかったわけではないと思いますよ」…これも貴方の推測でしかありませんね?
 西行以前に西行はいなかった。しかし世阿弥や芭蕉は同時代の俗物達を相手にせず、自らが求める者のみを師とした。
 周囲の言葉に一々従っていたら、あれほどの仕事をできたとお考えですか?
 少なくとも彼等は「自身の目で事実を見定めようと試み、そのために遍歴を重ねた」のであって、世俗の無意味な権威など最初から相手にもしなかった。

 少なくとも一橋を志望するなら、もう少し思慮分別のある方かと期待してもいましたが、残念なことに期待はずれだったようです。
 少なくとも、貴方は観察者であって、自身がどうすべきかと行動する主体者ではない。観察者だから「様々な意見」を集約して「大人に褒められる正答」を持とうとする。だからダメなんです。
 あの様な愚かな行動をする輩に対して、「厳罰を以て処する」などは法治主義国家にとっての基本的な部分ではあるけれど、本人に対し「結論だけ」を言い渡すのでは意味がありません。
 本人に対し「なぜこの様な結果になっているのか」と考えさせねば、本人はペナルティのみに注意が行き、再犯を繰り返すでしょう。「罰金払えばいいんだろ」と開き直る大人達と同じです。
 それを修正しうる可能性を持つ唯一の手段が「教育」です。教育といっても学校教育や家庭教育のことではありません。社会と人間の「距離感」を学ばせるための「教育」のことですので、誤解なさらないように。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

 以前の質問の際にも思いましたが、回答者様は質問者を上から見下しているように思えます。一橋大学はそんな人々ばかりなのですか?前都知事とかトヨタの奥田みたいなのはそんな感じなような。彼らはあなたの言うジジイに見事当てはまりますね。特に後者は。まあ、無能量産工場の東大法学部よりはましです。

>これが「自分の頭で考えていない」との証拠です。
 自分なりに考えた結果です。それでも他人の受け売りかもしれませんが。
 マルクス・レーニン主義の母国ソ連はとうの昔に自壊しましたし、西の大国は社会主義市場経済などという訳のわからない文言を掲げたうえ、大半の人民は西側の盟主アメリカを超える格差に喘いでいます。ベトナムも似たようなもので、キューバのカストロは自らかつての革命家たちと同じ地獄に落ちると語っています。北の国に至ってはご存じの通り。
 純粋な共産主義国家はもはや存在しません。壮大な実験は完全なる失敗で終わったと考えます。二次大戦を超える莫大な犠牲を伴って。

 前提条件が間違っていたとおっしゃるかもしれません。マルクス本来の考え方では、先進資本主義国でないと共産社会は誕生しないとか。でも、それらの国で革命が起こる気配がありませんね。少し前の事になりますが、学生運動がその革命にあたるのでしょうか。あんな幼稚なのが。

 もはや大多数の人間が革命を起こそうという気はないでしょう。共産貴族という言葉もあるように、共産主義は資本主義以上に絶対的な格差を生み出します。そして、それに抗議しようとする反革命分子を抑圧しようともします。そんな結果を招く考え方を国家の基本条件として掲げようとする酔狂な人間はほとんどいません。故に終わったと考えます。

>西行以前に西行はいなかった。
 こちらは僕のミスですね。彼らは親やその他の人から最低限度の社会道徳を学んだと申し上げたかったのですが、文脈では質問者様のようにとらえるほうが正しいでしょう。新たなものを生み出すという点ではその通りだと思います。

>少なくとも一橋を志望するなら、
 一橋に入るには一気飲みを強要するくらいの思慮分別が必要なのですね。じゃあ入学できません。死にたくないですし。

 少し長くなりましたが、それ以降の回答者様のご意見は納得しうるものでした。行為者本人に考えさせるのも重要ですね。

 本来の質問に関係ない部分が多くなりました。お許しください。

お礼日時:2013/08/26 20:42

 このご質問を読んでの第一印象ですが、「何言ってんだ、自身がはなたれ小僧のくせに、他の同世代を批判する資格などあるのかね」でした。


 「今の若者は………」との言葉は一説に依れば、ギリシア時代の誰かがエジプトでオベリスクを発掘した時に刻まれていたなどと言われてもいます。
 簡単にいえば、何時の世でも「若者の行動や思考は年寄りには理解しがたい」部分があって、それは全くといっていいほどに変わってもいない。
 確かに脱法行為であるとか社会常識からすればかけ離れた行動にはお灸をすえる必要もありますが、でもそれだけでは一つとして問題の解決にもなりません。その場限りの処置でしかない。
 では「どうすれば良いか」を考えるには、「なぜ彼等がそうした行動をとったのか」を徹底的に問わなければ、別の場所で違った人物が同じ行動を起こす可能性も高いことになります。
 >何が悪いのでしょうか。などと即物的な原因を求める学校秀才にはこうした問題の背景など一つとして解るはずもありません。なにしろ彼等こそが「黙って見ぬ振りをしてやり過ごす」との自分とは関係のないことに関心を持たない 、そして思考停止で自らが考えようとしないロボットと変わりないことにすら気付いてもいない。
 貴方は「怒れる若者達」との言葉を聞いたことがありますか?そして「内部告発」などの言葉をきいたことがありますか?
 内部告発は組織が組織ぐるみそれも上層部が主導する形で社会通念や法に悖る行為をはたらきながら、それを隠蔽しようとする場合に、現場の「良識ある若手の従業員などがとりうる最強にして唯一の合法的手段」ともいえます。そうした「良識ある人物」は学校秀才からすれば「組織に抗うヘンな奴」としか写りません。
 別に貴方は「良識ある人間」などとして成熟する必要などどこにもないのです。反って「青臭い書生論」くらいが丁度良い。老人達が好む「期待される青年」こそ、彼等のコピーでしかなく、そうした妙な薫陶を受けた輩が「変えること」を妨げているともいえます。
 大学の四年間で「議論を闘わせること」そして「ジジイ共が偏見の眼差しで排除したがるリベラリズムを何よりも大切にすること」。この二つが叶えられれば十分です。

 そして幾多の社会問題などといっている現象も原因を探れば「物言わぬ柔順な羊たち」を再生産してきた大人達に何よりも問題があり、最も罪深きは「物言わぬ若者達」を黙々と育ててきた親達にあるといえましょう。
 ソクラテスもモーツァルトもそしてセルバンテスや西行や世阿弥そして芭蕉や漱石・龍之介が「はい、はい」と大人達に従いましたか?
 「よい回答」なんぞとじじいくさいしたり顔をするんじゃねえよ、この分別面したはなたれ小僧が。自分の頭で考えろ、そのために勉強しろ! これが僕の答です 爆
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。以前も返答して下さった方ですね。

>このご質問を読んで
 おっしゃる通りで、何も言うことができません。今僕がすべきは一橋大学に合格するための勉強です。それに改めて気づけたので質問した意味がありました。

 歳を取っても柔軟な思考を持っていたいものですが、老害という言葉があるように、多くの場合は古い考えに固執しているみたいですね。共産主義のような終わった思想に未だにとらわれている人々もいますし。
 ただ、古くとも正しいと自分で思える考えには従うべきだし、変革のための妥協も必要だと考えます。あなたが挙げている人々も大人の言うことにまったく従わなかったわけではないと思いますよ。

お礼日時:2013/08/26 00:10

悪い人だけ見て全体を論じては、過ちを犯します。



私は若くはありませんが、我々の時代にも酒を呑んで
後輩に一気飲みで急性アルコール中毒を出したり、
態度の悪い学生を橋から大きな川にたたきこんだり、
バス停や小学校の看板を剝して持ってくる馬鹿が
いました。

銭湯で除きをする奴、ナンパした女の子と下宿で
セックスしているのを隠し撮りしたブルーフィルムを
売ろうとする奴、精力剤の赤マムシの瓶に美術部の
4L缶で購入したシンナーを詰めて売ろうとした奴など、
はっきり言って犯罪集団がいくらでもいました。

ビーバップハイスクールやどおくまんなどの不良や
極悪学生を主人公にした漫画が始まった頃は、
暴走族も現在とは規模が違っていました。
江ノ島沿いの134号など、先頭が通過してから、
しんがりの旗持ちの箱乗りの箱スカが通り過ぎるまで
30分近くもかかるほどの大勢力だったんです。

DEEP、ブラックエンペラーなど巨大組織と化した
凶悪な暴走集団、箱根に出没するドリフト族、
東北自動車道では田んぼを売った金でフェラーリや
ポルシェを買って改造し、毎晩レースに明け暮れた
バブル地主のバカ息子などなど、よく考えてみると
現在より悪さでも馬鹿さでもずっと大がかりで性質が
悪かった、、、そう思うのは多分、私だけではありません。

麻薬だって現在の合成モノはありませんでしたが、
大麻の栽培で捕まる奴が後を絶たず、メスカリンだの
ハシシだの、海外旅行で買い込んでくる馬鹿も大勢
いました。 今ほど入出国の時に強く警戒されて
いなかったからです。

私のような平和な人間でも、機内で出し忘れたナイフを
スチュワーデスに渡した、なんて大らかなこともありました。

大事なことは、一部を見て全体を理解したような錯覚を
出来るだけ排除した方が良いだろう、ということです。

大上段に構えた社会論は、頭の訓練にはいいかも
知れませんが、我々一人ひとりにできることなど極めて
限られています。

現役の政治家でさえ、実際に通すことができる法案など
限られたものでしかありませんし、誰もが当然だと思う
常識的な正義や安全を守る法律一つ、様々な利害関係の
中で有耶無耶にされてしまう。

だから、余りオーバースケールで考えすぎて真っ白に
灰になってしまうのでは受験生にとっては時間の無駄に
なりがちです。

自分に出来ること、自分がやるべきこと、すべきでないこと。

同じ年齢でも、仕事を持ち、家庭を持って人格が成熟した
者は、等身大の自分の人生のあり方から無意味にずれる
ことは少ないものです。

ただ、世の乱れを憂えてため息をつくだけのために為される
議論など、なんの意味もありません。
遠い昔から井戸端で侃々諤々と繰り返されてきた、酒の肴
程の意味しかありません。

どんな立場で、我々は、何をしましょうか。

それは人それぞれですよね。

あなたは若い者のようだし、まだ自由に人生行路を決める
ことができる立場におられる。

NPOでさえ、国連でさえ、目指すことができるでしょう。

常に主語を知ることです。

あなたが受験生という立場にありながら、受験勉強ではない
社会問題に没入するならば、それがあなたの人生を賭した
目標なり指針になる、するつもりだ、と確信を持たれているなら
ご参考になさってください。

万が一、単なる勉強疲れの合間に呟いているだけの愚痴や
そんな類のものなら、余り根をつめて考えない方が受験の
妨げにならないと思います。

常に、ご自分のことを忘れないで精進なさってください。

あなたの人生が、あなたには大切なんですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

皆さまのご意見を聞いているうちに、全体的には大して変わっておらず、ネットがむしろ悪行を明らかにしているのかもしれないと思うようになりました。そして自分が今すべきなのは、やはり受験勉強であるということも分かりました。自分と同世代の人間を語る資格もありませんし、目の前のことに専念したいと思います。

お礼日時:2013/08/25 23:44

>twitter等で常識はずれの行為を世間に晒した


アルバイト店員が冷蔵庫に寝そべる画像を投稿したというニュースのことでしょぅか?数年前に食品の産地偽装などいろいろと報道されました。内部告発と本人の告発の差がありますが、騒ぎすぎの感があります。もちろん悪いことでなのですが、閉店にまで追い込まれる問題でもないように思います。今回のアルバイトも、自分で初めて思いついたものではなく、先輩などから受け継いだものではないですか?もちろん確証はありませんが…。


>同級生を残虐な方法で死に至らしめる
テレビゲーム全盛期は今から20年以上も前のことですが、その頃にはこのような社会になる心配をしていました。戦闘物のゲームで死んでも、リセットボタン一つで生き返るというバーチャルな設定が、現実の場面でも有効であるとい、ぼんやりとしたイメージの中で過ごしているように感じたものです。現在は脳がネットに犯された状態になっている人が多く、人間の付き合いもバーチャル的なのだと思います。昔なら、たとえ取っ組みあいの大げんかになっても、相手が痛がったり血を流した時点で攻撃の手を緩めたものですが、今では相手が動かなくなるまで続けてしまいます。それが死を意味することの実感がないように思います。ただのヒットポイント獲得ぐらいの感覚なのでしょう。


>現在の我が国の豊かさが根本にある
物資が豊かで、戦争の危機がないことは大きな理由だと思います。ただし、それを犠牲にして世の中を変えることには反対です。私には社会全体を変えるだけの力はありませんが、自分のことは自分で責任を持って生きたいと思います。そのためには受験勉強で得た知識も大切ですし、玉石混交の情報の中から正しいものを見極める常識が必要だと思います。

最近はテレビなどでしゃべっている「エリート」と言われるような人でさえ、中卒程度の学力さえないと思うことがありますし、常識はずれの発言を一時の勢いでもてはやす人もいます。そんな人達に騙されないようにしなければなりません。常識は年齢を重ねなければ身に付かない面がありますが、学力は今のうちに身につけておきましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

自分はコンビニでバイトもしていましたが、あんな行為をする人間をついぞ見かけませんでした。やはり、店長以下年上の人々の教育のおかげだと思います。フランチャイズを取り消されたオーナーには同情しますが、きちんと教育できなかった責任はありますし、何より食品の様なものを扱うのですから当然といえばそうなのかもしれません。

>戦闘物のゲームで死んでも
仮想世界と現実は全く別だと判断できないのでしょうか? 到底信じがたいものです。

今の自分は勉強するしかありません。ですから、少しでも社会へ助力できるよう努力したいと思います。

お礼日時:2013/08/25 23:20

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