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音楽と絵画の両方に感動される方はいますか?

私は音楽では、相当感動します。鳥肌が立つし、ボロボロ涙が出ることもあります。外国の音曲が多く、歌詞の意味は全く分かりません。

しかし、絵画にはほとんど感動しないのです。自然の風景や人物画には、多少は興味が湧きますが、
それどまりです。音曲の感動の1/10にも足りません。
絵画の鑑賞には修練がいるようで、鑑賞眼が出来るまでには何年もかかるとか。

音曲では修練など要りませんよね? 感動的な曲は初めて聞いて、十分感動させてくれますよね。

音楽も絵画も分かる方、絵画の感動はどういうものか、説明して頂けませんか?

宜しくお願いします。

A 回答 (8件)

私は音楽、絵画の両方好きですが


確かに、音楽の方が感情を時には嗚咽する程強く揺さぶられます。
絵画の方は、もっと静的な感動でしょうか。
但し、ピカソの青の時代やカンディンスキーのコンポジション等を初めて観た時は
全身が痺れたようになりました。

一般に芸術に感動するのは、その背後に流れる精神のリズムに対してだと思っていますが
当然ですが、まず、構図と色使い、モチーフですね。
作者が、世界から、何をどう見てどう切り取っているかをまず見ます。
綺麗な景色や夕焼けを見れば誰しもある程度感動するでしょうが
そのままを描いているだけの絵には大して価値があるとは思えません。

そして、写実、印象派、シュルレアリスム、キュビズム、抽象等
表現方法が違っていても、いかに各要素のバランスが洗練されているかを観ます。

私の好きな、フェルメールの「デルフト眺望」と言う絵のURLを添付しておきますが
これについては、手前の運河が斜めになっていることで変化をつけていること等もありますが
何と言っても肝は上空を暗く覆う大きな雲であり
一見、平和そうに見える光景に、大げさに言ってしまえば
人生の暗い側面を表わしているように思います。
そして、だからこそ、遠景の明るい部分が希望として活きてくるのだと思っています。
勿論、これらは私の勝手な解釈ですが
単に、見た目の美しさだけでは無く、作者の意図、あるいは大げさに言えば
哲学を読み取ることが私の楽しみです。

参考URL:http://www1.icnet.ne.jp/take/13.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>絵画の方は、もっと静的な感動でしょうか。
文学や音楽では、私は結構深読みするんですが、絵画に関しては、とてもとても貴方のように深読みは出来ません。
表面しか見ることが出来ません。

ひょっとして、絵画なら絵画だけ、音楽なら音楽だけ、という人が圧倒的に多いんじゃないでしょうか?
両方に感動出来るというのは実に恵まれた方だと思います。
羨ましいです。

お礼日時:2013/09/16 18:04

音は主体が刺激という一次的反応で、絵画は記憶や想像を伴う二次的反応が主体かと思います。


春の絵を見て、新緑の伊吹や、風の音や風圧、冬から春に変わる日差しの強さ等を記憶していたり想像できないと単なる色で終わってしまいますよね。
音が想像を伴わないわけではないですが、絵の方がよりそういうものを感じないと理解できないのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私の想像力が貧弱なのかも知れません。
ひょっとして音楽と絵画では脳の働く場所が違うのかも。

お礼日時:2013/09/16 13:52

 渡しは音楽も美術も「好き」という程度の素人ですが、面白そうなテーマなので、一言参加させてください。

(台風ですることもないので)

 音楽の感動は、実は音楽そのものではなくて、音楽に触発された「個人的心情」によって感動しているのだと思っています。その曲にまつわる自分の想い出、ある時期自分を支配していた状況や心境、親しかった人や尊敬していた人、あるいはその音楽にまつわる作曲家や曲の背景のエピソードなど、その音楽を聴くとそれを思い出すことで感動するのではないかと。
 美術と違って、音楽は「時間経過」の体験ですから、音楽を聴きながらその時間経過で心象風景が移り変わっていく、その中でじっくりと感動が熟成されて行くのだと思います。
(だから、音楽に没入していない「ながら聴き」では感動しませんよね)

 「時間経過の体験」という意味では、音楽よりも、「映画」の方がさらに感動の度合いが高いかな、と思います。「動画」と「音楽」の両方で迫って来ます。ただし、こちらは「自分の心象風景」ではなく、「作品から与えられる擬似体験」ですが。おそらく自分の感動的な心象風景は平凡で庶民的な内容のものが多いのでしょうが、映画では「超一流」の感動的な場面と音楽が相乗効果で出てきますので、結構な確率で本当に泣けます。

 それに対して、美術は時間的には「瞬間的」で、対象も「静止映像」ですから、そこから自分の感動的な心象風景を呼び覚ますには、かなりの想像力と時間が必要ということではないでしょうか。わずか数秒間で、感情移入したり自分の記憶を呼び覚ましたりして、「感動」にまで発展させるのは、やはり至難のことかと思います。
 ですから、美術の場合は、作品から直接的・瞬間的に受けるものに強くインスパイアされないと、感動できないということになるのだと思います。私も、美術で感動したということは、確かに少ないです。感動とは違いますが、「大きさ」とか「迫力」に驚いたことは何度もあります。写真で見る「サイズの制約」や「距離感の遠さ」と、実物から受ける印象はかなり違いますので。
 それと、普通の「そぞろ歩き」程度では、音楽の感動のように「熟成させる」には時間が足らないのだと思います。特に国内の美術展では、人は多いし流れに沿って進まないといけないし。海外の美術館では、部屋の中央にソファがあって、座っていても絵が見えることが多いので(観客がその程度に少ない)、例えばパリのオランジュリー美術館の「モネの睡蓮の間」のソファに30分ぐらい座って、じっくりじんわり満足感に浸った経験があります。「感動」とはちょっと違いますが。美術にも、それなりに「対話する時間」が必要なのではないでしょうか。

 ということで、私なりのひとつの結論は、作品が鑑賞者の心象風景にインスパイアする強さと、鑑賞者の中でそれを熟成する時間の違いによるものではないか、ということです。
 理科系なので、数式的に表現すると

  感動の強さ=(作品のインスパイア力) の 時間積分(0~観賞時間)
         ≒(作品のインスパイア力) × (観賞時間)

で、作品自体のインスパイア力は、一般的に

  (動画+音楽)(=映画、オペラなど) > 音楽 > 動画(音楽なし) > 静止画

ですかね。
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この回答へのお礼

興味ある分析ありがとうございます。
でも、ちょっと色々、A=Bが成り立たない事例があります。

>その音楽を聴くとそれを思い出すことで感動するのではないかと

>音楽は「時間経過」の体験ですから

思い出している自覚は全くないのですが、やはり瞬間的に思い出しているのでしょうかね。

聴き始めてほんの2、3秒で涙が流れ始めたものがありましたからね。その曲と私の体が突然、共振を始めた感じでした。

>美術は時間的には「瞬間的」で、対象も「静止映像」ですから、そこから自分の感動的な心象風景を呼び覚ますには、かなりの想像力と時間が必要ということではないでしょうか。わずか数秒間で、感情移入したり自分の記憶を呼び覚ましたりして、「感動」にまで発展させるのは、やはり至難のことかと思います。

美術で感動するのはこれほど至難の業だというのに、現実には、美術の愛好家は沢山おられますよね。
ということは、私は想像力が貧弱だから、私にとっては至難の業なんですね?そう言えば、私は想像力が貧弱かも知れません。思い当たるフシがありますから。

貴方の理論通り、私は映画で大いに感動します。勿論、駄作では感動しませんが、優秀な監督が作った優秀な映画では、大いに感動します。音楽と同じく、私の人生を豊かにしてくれている2本柱の1つです。

絵画が与える感動とは、どういうものなのか知りたいのですが、「じっくりじんわり満足感に浸った経験があります」---
これ以上の説明は出来ませんか?もうちょっと詳しく説明できませんか(~_~;)
その感覚は何かにたとえられませんか?風呂で横たわった時の「弛緩」の快楽ですか?
オーガズムの感覚じゃ勿論ないでしょう?

NO.1さんが推奨されている絵の素晴らしさを読んでも、今ひとつ伝わって来ません。

お礼日時:2013/09/16 13:45

 視覚と聴覚の違いによる、感動への導かれ方が違うだけで、本質的な違いはありません。



 僕の友人たちは、ほとんど全てのジャンルの音楽や美術に興味を持っています.

  ☆  ☆  ☆

 視覚は、見る側の方が眼をつぶったり、見る方向を変えたり、焦点を変えたりできるので、美術系の鑑賞力は知性的な働きが左右する可能性があります.

 その点、聴覚は音楽を発信する側の音質と音量を、耳栓をしない限り無批判に聞いてしまいますので、音楽系の鑑賞力は、天性の感性にゆだねられると言えるでしょう.

  ☆  ☆  ☆

 でも、まあ、こういったことは芸術鑑賞のほんの入口の話に過ぎません。

  ☆  ☆  ☆

 劇場演出家、映画プロヂューサー、ゲームクリエイターたちは既に、人間たちの音楽的感性や美術的な感性を分析し尽くしており、どういったストーリーに、どのような美術効果と音楽効果を加えるなどの、ノウハウを、ほぼ完璧につかんでいます。

 いわゆるクリエイティブ業界には、両方に興味を持っている人しかいません。

 もしあなたが未だ若いならば、そういった業界を覗いて見ると良いと思います.

 小さな世界ですが、現代社会の様々な事柄に関して、一定程度の決定力を持っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>劇場演出家、映画プロヂューサー、ゲームクリエイターたちは既に、人間たちの音楽的感性や美術的な感性を分析し尽くしており、どういったストーリーに、どのような美術効果と音楽効果を加えるなどの、ノウハウを、ほぼ完璧につかんでいます。

う~ん、コレ本当ですか?
それにしては、日本の映画では感動する映像や音楽が少ないのですがね・・・

お礼日時:2013/09/17 18:52

 


 わが闘争 ~ 十五歳で独奏、油絵十歳、七歳で作文が印刷された ~
 
【序】
 
 中学三年の夏、友人に教わって、はじめて楽譜の仕組みを理解した。
 小学校三年の冬、担任の先生とその兄上が、絵を描く日々に接した。
 小学校二年の秋、父の代筆した作文で、市長賞をもらってしまった。
 
…… わたしは、一に音楽、二に絵画、三に文字を愛してやまない。
 
 金谷先生に出会っていなければ、絵を描いていなかったかもしれない。
 芝山先生に出会っていなければ、手紙を書かなかったかもしれない。
 本宮先生に出会っていなければ、音楽に目ざめなかったかもしれない。
 
 杉井先生に出会っていなければ、東京へ行けなかったかもしれない。
 谷本先生に出会っていなければ、日記を公開しなかったかもしれない。
 これらの先生たちに出会わなかった人生を想像することができない。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050626 恩師の条件
 
【破】
 
…… 文学は悪友だ。味方だと気を許していると、とつぜん敵にまわる
のだ。音楽は、女友達だ。機嫌の良いときならいいが、そうでない時に
は、とても冷淡にあしらわれる。
 
 美術は、まるで兄弟のようなものだ。自分のいやなところをすべて持
ちあわせている。どのあたりが他人にバレているかまで、知りぬいてい
る。音楽と美術と文学は、役に立たない芸術の序列である。
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050727 学楽同穴 ~ 日記と手紙 ~
 
 小学校四年の秋、担任の先生に、赤緑色弱であることを発見された。
 中学二年の春、作文や随筆を評価され、美術学校への進学を断念した。
 高校二年の秋、オーケストラを結成、指揮者となり、《白鳥》を独奏。
 
 色弱を偽って、美術学校に進学するも、二年目に中退。遊学に挫折。
 廿四歳で帰郷、家業を継ぐかたわら、NHKにカメラマンとして契約。
 廿九歳で《初演年表》、三十歳で《PR誌》創刊、編集者となる。
 
 デザイナー、カメラマン、インタビュアーとして、悪戦苦闘する。
 電子植字によって《医薬104》《中学生諸君!》《誕生録366》
などデータベース・シリーズに挑戦、Windows 95 の登場を待たず引退。
 
【急】
 
…… 「ショパンの前奏曲は、おまえの叔父さんが死んだとき、どんな
にか私の助けになったかしれない」という叔母のビジョワ──美は彼ら
にとって同情的であると思う。ろくでなしめ! ── サルトル《嘔吐》
 
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6229553.html(No.4 20101005 20:32:49)
 共感・共鳴・共振 ~ うそかまことか出まかせか ~
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570602 客体から主体へ
 
…… 貴方が今まで見た中で一番泣けたモノを教えてください。
 ゴッホ《自画像 1889》ベートーヴェン《交響曲第7番第2楽章 1813》
http://q.hatena.ne.jp/1137596625#a472760(No.23 20060119 09:37:32)
 
 上記のゴッホよりも、つぎの抽象画家のモノローグが切実に聞こえる。
…… 現実の世界から解放されて、抽象の世界に生きることはできない
だろうか。── モンドリアン(Let'出典不祥)
 
http://q.hatena.ne.jp/1267193012#a997660(No.4 2010/03/02 04:08:13)
 埒外の人々 ~ 富か名声か虚妄か? ~
http://q.hatena.ne.jp/1202276466/142139/#i142139(20080207 08:50:01)
 
…… すごく労力をかけていただいているのに、まったく的外れな回答
をされるので、すごく不思議です。↓憂国図学 ~ 平面デザイン入門 ~
http://q.hatena.ne.jp/1348585303#a1169658(No.6 20120927 08:35:11)
 
…… 将棋は、法則を知らないと、勝負を楽しむことができない。
 佐渡 裕は、角成りを知らず、詰みの法則も知らなかった。
 羽生 善治に会って、なおかつ指してもらって腑に落ちるわけがない。
 
https://twitter.com/awalibrary/status/3763424143 …
── 《SWITCH インタビュー 達人達 20130907 22:00 NHKe》
http://www4.nhk.or.jp/switch-int/x/2013-09-07/31 …
 
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この回答へのお礼

私の愚問に回答いただき、ありがとうございます。

沢山、ヒントになるリンク先を紹介戴きありがとうございます。
ここで質問したからと言って、直ぐに答えが見つかるような問題ではないことは解っております。

これから、リンク先をじっくり読んで行こうと思っております。

お礼日時:2013/09/17 18:57

私は絵の大きさに関係があると思っています。



音楽は聴覚で感じるのではなく全身にその振動を感じます。
コンサートなどに行くとより顕著でしょう?

例えば花火 実際に花火を見ると眼前に大きく拡がり、何よりあの全身に響く音。
もしあの花火をテレビの小さい画面で小さいスピーカーからの音で聞いたら?感動は半減です。



「感動」というものは人間の「思考が追いつかないほどの情報量」がないとなかなか起きません。
コンサートにしても、花火にしても「ライブ」というのは処理しきれないほどの多大な情報量を全身で感じるために行くものです。
「大きな音」というのは雑音じゃない限りそれだけで感動に値するものなのです。
これは理屈ではなく、生命としての本能のようなものです。


眼前に数百メートル、数キロメートル単位で広がる信じがたい光景を見れば感動するでしょう?
例えば星のよく見える地域などに行った際、夜空いっぱいに広がる星を見たら感動するでしょう、しかしそれを写真でとって数センチの大きさで見たら感動にはなかなか至りません。
絵画というのは作者の伝えたい情報を数十センチ四方の中に閉じ込めたものです。


大して音楽はどうか、音楽というものも非常に小さい音量では感動しにくいものです。
しかしコンサートに匹敵する100デシベルまで上げずとも、スピーカーに近づく、あるいはヘッドフォンを使えば十分に音の洪水に身を委ね情報の波に溺れることが出来ます。


絵画の場合それを思考を使わず直接感性で感じ取るにはある程度の修練が必要でしょう。
特に小さい絵はダメです。
とりあえず絵画展覧会に出向いてそこそこの大きさの原画を楽しんでみてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに音楽には一定レベル以上の音量は入りますね。体に伝わる振動まで感じれば、感動が倍加すると思います。教会などに入ってパイプオルガンの大音響に身を委ねると、本当に神の国が存在するような気持ちになりますからね。

しかし、必ずしも"全身の振動"は必要ないようにも思いますが・・・というのは、普通の音量でも、やはり相当な感動を与えてくれるものがいっぱいあるからです。

絵も、そこそこの大きさのあるものの方が感動しやすいということですね。解りました。

お礼日時:2013/09/29 03:00

こんにちわ。


私も、0123gokudoさんと全く同じタイプで、同じような疑問を感じていました。
なので、ご質問の回答者には当てはまらないのですが…、
0123gokudoさんの仰るとおり、私も、音楽には大きく心を揺さぶられ、心から感動しますが、
絵画を観て、そんなふうに大きく感情を揺さぶられることはありません。

>音楽も絵画も分かる方

う~ん、その「分かる」というのが、私も疑問でした。いや、今でも、。

「分かる」というのは、良さが分かる、価値が分かる、ということですから、
例えば、音楽は、自信を持って「分かる」と言えますよね。
だって、これほど音楽の美しさに感動するんですから。
私はその昔、子供のころにピアノを習い、音感のクラスでかなり出来る方だったので、
逆に、聴き取れない(音感のない?)子は、音楽が「分からない」んだろうなあ~
この感動を知らないなんて、なんて可哀そうな…、と思ったものでした。
が、少し先に、’音痴の人には音楽はどう聴こえるの?’なんてヘンな質問したのですが、
相対音感も、有る無しに二分されるわけではなく、音感の有無が、音楽を「分かる」
「分からない」に二分するわけでもなさそうですし…
音楽に感動するということと、「分かる」というのは≒でもなさそうですね。

そして、やはり子供の頃、私は、絵が「分からない」というコンプレックスを持っていました。
図工、美術の時間が嫌いで、絵は下手だし、何をどうしていいのか本当に分かりませんでした。(泣)
デッサンは出来ても、想像(創造?)力がなく、才能がないのだと諦めていました。
ほんの少し、開眼する出来ごとがあったのですが、中学2年の時、個性的な音楽教師が赴任してきて、
音楽観賞で、忘れもしない^^;、ドビュッシーの「子供の領分」を聴いて、絵を描く時間があり、
苦手でコンプレックスのはずの絵が、どういうわけか頭の中でどんどん想像力が膨らみ、色がつき、
イメージが湧きあがり、自然に絵筆が運びました。
淡い色調の幻想的な絵が出来て、音楽教師に大層気に入られ、ずっと飾られていました。
その後、「モルダウ」を聴いて、詩を書く時間があり、詩や作文も大の苦手でしたが、やはり、
イメージが湧きあがり、スラスラと言葉が出てきました。

その経験から、絵は「分からない」「描けない」というコンプレックスは敢えて取り払い、
自分の心に湧きあがるものに正直に向き合うことが大切なんだと思うようになりました。

今でも、絵は「分からない」のだと思いますが、でも、美術館などで静かに絵に向き合うと、
深い感動が生まれ、心が豊かになります。

でも、音楽もより深く観賞するために、楽器や声楽など学ぶことはとてもプラスになりますが、
美術はより一層、観賞眼を持つために、知識を身につけ、修練を積むことは大事なのでしょうね。
たまたま、妹の夫は画家ですが、それは物静かで冷静、一つのことを深く深く洞察するタイプです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

adele24さんの場合は、音楽による感動が、絵や詩につながったということですね。

自分が感じた感動は絵や詩に表すことが出来ても、その逆方向は難しいのかも知れませんね。つまり、他人が何かに感動し、その感動を絵によって表現したとします。今度は自分がその絵を見て、感動を呼び起こすという方向ですが、adele24さんの場合は、それに成功されたということでしょうか? だとしたら羨ましいですね。



で、それが絵によって表されたもの

お礼日時:2013/09/29 03:38

音楽も絵画も好きです。


音楽は音の重なり方の美しさに感動します

絵画も同じように感動します。つまり色・線の重なり方の美しさに感動します。
何が描かれているか・どんな意味があるのか は考えません。

個人的な意見です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

絵画は色・線の重なり方の美しさに感動するということ---参考にさせていただきます。

お礼日時:2013/09/29 03:43

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