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私は現在一橋大学の経済学部の2年生です。
京都大学の3年次の編入試験を受けようか迷っています。
理由としては今の大学生活が不満というわけではなく、京都を舞台にした小説を通して、また実際に行ってみて純粋に京都という場所に強い羨望を抱き住んでみたいと思ったからです。
大学受験の際には特別京都に思い入れがあったわけではないので京都大学を受験することはなかったのですが、大学生になり上に記したような体験を経て恋い焦がれるようになりました。
現在は実家から大学に通っているので、一人暮らしをしたいという願望もあり、社会人になってしまっては自分のやりたいことがさまざまな制約によりしづらくなってしまうため学生のうちにやっておきたいと思っています。

このような理由で京都大学の編入試験を受けたいのです。
もし京都大学に入れたとしても大学卒業後は大学院に進学するか、就職するか、就職するにしても関東圏か関西のどちらで就職するかなどは正直まだ決めかねています。
大学では自分は特筆するほど成績が良いというわけではありませんが、周りの人よりは学問に向き合っていると自負しています。
編入試験の勉強もしっかりしています。

しかし試験を来月の中旬に迎えたこのタイミングで京都に住みたいから編入試験を受けるのは動機として不純なのではと悩んでいます。質問としてはやはり私は京大編入試験を受けるべきか(受けるに値するか)、一橋から京大に編入するにあたってなにか不利な点があるか(就職や学業面において)ということです。

長くなってしまいましたが、自分はやはり憧れの土地で、憧れの作家と同じ大学で生活したいと切望しており、友達ができなくても構わないくらいの覚悟です。
なので切実なアドバイスをしていただきたいです。

A 回答 (8件)

京大を卒業しても、大半は大阪や東京で働くと思います。



京都で住む、京都で働くのは案外限られると思います。

なんとかなるかもしれませんが。
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この回答へのお礼

そうですよね…
そう考えるとやはり学生のうちに京都に住みたいと強く思います。

お礼日時:2013/10/09 23:41

何がきっかけで人生が変わるかはわからないし、失うものはないのだから、編入試験頑張ってみてください!



動機は親を説得するには(親御さんには下宿代とか出させたりしますからね)少し弱いかもしれませんが、受けるのは自由ですよね。
縁があれば受かります。
受かったあとは、まだ数年学生生活があるんだし、この先の仕事のことも、ゆっくり考えたらいいじゃないですか。

なんでも計画通りに行かないのが人生の醍醐味です。

それに仕事なんて、転勤があったりとか、色々あるからそれこそ思い通りにはなりずらいです。

やる価値、大いにあります。
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この回答へのお礼

もともと計画や目標を明確に立てずに生きてきたような人間なので、この決断も正しいのかと悩んでしまいます。
自分は真っ当な理由もなく京都に行くことに背徳感をかんじているのかもしれないです。

お礼日時:2013/10/09 23:45

 こんばんは夜分に失礼します。

一橋ならば僕の遙かな後輩にあたることともう一つ、僕自身も「京都という街」には惹かれている部分も少なからずありますので、しばらく茶飲み話でもしますか。
 僕が「京都」に惹かれた理由ですが、経済学部に在籍していた当時、指導教員であった永原慶二氏に出会ったこともきっかけの一つです。
 永原先生は日本中世史を専門とする方でしたので、史料との問題からどうしても京都に目線を注がざるを得なかったとの背景がありました。
 そして毎年(学部二~三年次)の夏休みを利用して、京都の大徳寺を中心に様々な寺社に所蔵されている史料を拝見されていただいた記憶もあります。私事ですが、当時は京都の南郊に親戚が住んでいたことからそこに一ヶ月ほどの間、住み込みの家庭教師として下宿させていただいておりました(実際には子どもの遊び相手)。
 京都は様々な意味で他地域の人からの憧憬を集める街ではありますが、そこに住んでいる人からすれば「これほど住みにくい土地も珍しい」などと言われもします。実際に市内は道路渋滞など日常茶飯事で、観光ガイドブックに記載されている店舗を探すだけでも一苦労する場合も珍しくありません。
 さて話が逸れてしまいましたが、京都に住んで京都を舞台とする作品を書きたい、こうした願望が果たして可能といえるかどうか。僕には甚だ疑問です。
 質問者様が「京都に憧れる」のは京都に住んでいないからであって、これは幼児がオモチャを欲しがる心理と似てもいます。実際にそのオモチャを手にした幼児が、ず~っとそのオモチャで遊び続けるでしょうか。手に入ってしまった後に「手に入れたかったものの意味」がどうであるのかと考えてみる必要もありそうです。
 京都を舞台にした作品ならば三島由紀夫や水上勉、辻邦生などの作家も書き下ろしています。けれど彼等は京都には住んでもいない。彼等が「取材した資料とイメージ」に基づいて作品を書き下ろしている形です。
 同じ京大出身の平野啓一郎氏がいますが、現時点で彼は京都を舞台とした作品を一篇として書いてもいません。
 もし「京都を舞台とした作品」を書くならば、取材が必要でありそのために京都を訪れるのは自然です。けれども「ドップリと漬かって」しまっても、その作品に対して過度な思い入れとなり、結局は作品として成り立たなくなってしまう可能性も多分にあります。隣の芝は青い、というでしょ。或いは室生犀星の『小景異情』にもありますよね?、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの(中略)遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや」と。作家達にとっての「京都」はそれこそ「こころのふるさと」的な存在だと思いますよ、何か疲れた時であるとか、落ち込んだ時に訪ねるならば京都の街は受け容れてもくれると。
 それからね。「周りの人よりは学問に向き合っていると自負しています」、この一言は多分に言い訳でしかないとも僕には感じました。少なくとも「一橋の人間」は議論好きであり、勉強していないなどとは言えもしません。相手に対して失礼ですよ。
 ということで、一種の「一過性燃え尽き症候群」に陥っているのではなかろうかとも感じます。受験することのみを目的と勘違いしている高校生にはありがちなストレスともいえます。今二年次であるなら専門課程でどの領域を選択するかの段階であるはずです。先ずは自身の目標を現実的に考えることをお勧めします。 
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この回答へのお礼

ご自身の体験を踏まえての助言ありがとうございます。

確かに京都に住んだことがないがゆえにこれほどまでに京都に憧れているのかもしれないし、実際に住んだとしても現実と理想の乖離に悩むかもしれません。
ちなみに私自身が執筆活動をしたいわけではありません。

少し考え直してみます。

お礼日時:2013/10/10 22:28

動機は不純でも良い。


ただ、何をするか、どれだけやるか、です。
勿論、成功するとは限りません。失敗するかもしれません。それでもやりたいならやってみれば良いでしょう。
成功も失敗も勉強のうち。
そもそも、合格する保証などないのですし。
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この回答へのお礼

おっしゃる通り皮算用で話を進めていました…

受けたいという気持ちはあるのですが、少し客観的な意見も参考にしたかったので

お礼日時:2013/10/10 22:30

京都大学の学風やその教員にたいして「ここじゃなきゃだめ」という強い判断があるならべつですが,街にたいするあこがれなんでしょ? 「これが一橋大生のせりふか」と,早めの昼飯を吹き出しちゃいましたよ。



東京を知っていると(いや,博多だってそうだ),京都なんて汚い古い小さな街です。ぼくは現役時に血迷って受けちゃいましたけど 爆。梶井基次郎の『檸檬』(レモン)にしたがって丸善あたりをうろつきましたが,幻滅だけが残りました。

ところで,「京都のぶぶづけ」(茶漬け)って知ってます? そういう底意地の悪い社会でもあります。
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この回答へのお礼

京都という町に対する憧れが一番の理由ですが、もちろん京都大学の(自主という意味での)自由な校風も少なからず憧れています。

京都に住む人にはよそ者に対して閉鎖的であるという話も聞いたことがありますし、決して住みやすい土地ではないでしょうけどそういったことも知ったうえで住んでみたいと思ったのです。

お礼日時:2013/10/10 22:38

 あらら、ネコの先生から先に「ぶぶ漬け」の話が出てしまいました。

では僕は「京の町屋」の話をしましょう。
別名「鰻の寝床」と呼ばれる独特の家屋様式のアレです。間口は狭く奥行きが広いのはなぜか。相手に対し「表向きと内側の違い」を使い分けるとの発想からです。面従腹背とはよくいったもので、まさにそれを地でいくともいえます。
 もしかしたら質問者様にもそうした部分がおありで、自分を受け容れてくれる居心地の良い場所を求めて流離うのかもしれませんね(“青い鳥症候群”)。
 尚、以前は京大経済学部に佐和隆光氏がおられましたが、現在は藤井某さんとやらなどのつまらない方々が幅を利かせている模様で、往年の京大経済学部の輝きは今どこにも見られませんね。
 それにしても、母校がこの様に俗化した学生で溢れかえっていることを想像しますと、将来に暗澹としてしまいます(あなた方ではなく、学問の自治と言論の府を自負する母校の将来に対して)。
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この回答へのお礼

京大の経済学部はそういった状況なのですか。
自分が入学したいと思っているにも関わらずそのような情報も知り得てないという自分のリサーチ不足を痛感しました。

ご指摘の通り、私は青い鳥症候群なのかもしれません。

お礼日時:2013/10/10 22:43

うーん鴨川ホルモーとかしか思いつかない、あと森見登美彦の小説とか。

京都に住みたい元ネタとやらが。
試験受けて落ちても一橋大で3年生やれるわけで、受けてみたらいいと思いますけどね。私の中の一橋は、細野守のおおかみこどもの雨と雪です。それはそれで聖地です。
あと私は10年前は国立駅前の本屋でバイトしてました。住めば都ですが、故郷はとおくにありておもうもの。10年たった今更ですが、東京に進学したのが間違いな気さえしています。編入の経験もありますが、短大がなくなったり四大も田舎帰ったためその時の人脈があんまり生きてないし、3年生から新しい社会に入っていくのが割と大変だったし、編入学して半年後には就職活動が控えていますしね。他の学生が就職決まったり大学院進学でへらへらして4年をバイトと週1の研究室で過ごしているところを自身は足りない単位取るのに必死であることだし。あと教員免許が欲しい方だったらまた取らなきゃならない単位も増えるし。京都がどうとかでなく編入学のめんどくささしかお伝えできませんが。参考まで。
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この回答へのお礼

鴨川ホルモーはわかりませんが森見氏の作品も京大出身で京都を舞台にした小説を書いているので影響を受けています。

編入できたとしてもその先に困難が待ち受けているということですか、もう少し先を見据えなければならないようです。

お礼日時:2013/10/11 21:05

経済的に余裕があり、親御さんの理解もあり、社会の奇異の目も気にならないようですから。

お好きにどうぞ。
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この回答へのお礼

そのあたりは親ともしっかり相談しています。

お礼日時:2013/10/11 21:07

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