映画のエンドロール観る派?観ない派?

聴覚障害の子が登場するマンガ『聾の形』にて、サポートを行う教諭がこのように発言していました。

イギリス人に英語で話しかけてあげるとその人が助かるように、聞こえない人には手話で話す!
…あたり前のことです…

口話以外の意思疎通の手段はたくさんありますが、本当に、手話がベストなのでしょうか?
『あたり前』という強い言葉で定義してしまえるくらいに間違いの無いことなのでしょうか?


あと、手や目に手話の複雑な動きに対応しきれないくらいに重い障害を持った人が聴覚障害者とコミュニケーションをとろうとしたら、誰かに通訳してもらう以外ではどのような方法があるでしょうか?

手や目が不自由でも文字を書ける人はいますが全てではないし筆談の負担は大きいでしょうし…。
パソコンやダブレット等に障害に応じたソフトや入出力機器を組み込んで使用するのでしょうか?
他にも聴覚障害者と他の障害者の双方に負担があまりかからない意思疎通の手段はあるでしょうか?

A 回答 (2件)

 国や州(日本で言えば県単位)により聴覚障碍者への学習方法が違うのです。


 口の動きを読ませる訓練が主体のこともあれば、手話のみという場合もあります。

 また、手話はある程度のスキルがないと無理なので、一般社会では筆談も多くなります。
 
 よって、先の回答者さんと重複しますが、この発言は個人の物であって、社会通念上ではありえないということになります。

 英語が出来ない人が何とか身振り手振りで意思疎通を図るのと似ていますね。

 重度の障害を持っている人はPCなどで、文字を追い入力していくという方法がありますし、徳洲会会長のように文字盤を持たせて伝えるという場合もあるでしょう。
 
 ヘレンケラーが日本を訪れた時にも数回講演をしていますが、当時はどのようにやったのか不明ですが、不可能ではないということですよね。

 聾者の間では携帯のメール機能を使うケースが増えました。 また、サインカードというものがあり、これも便利です。

 ただしですね、これは究極の問題なのですが、同じ障害を持った人は固まりやすいので、他の障害を持つ人とのコミュニケーションについてどれだけの重要性があるか・・・・なんです。
 必ずそこには健常者のサポートがあるのが現在普通なので。
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この回答へのお礼

私がこれまでに深く世話になったり苛められてる所を助けたりで関わった人のなかには、指が欠損している人が何名かいました。
そんなわけで耳が不自由な方よりは手が不自由な方のほうが私には身近な存在であり、だからこそあの台詞には抵抗を感じました。

他にも作中で描かれた「きこえの教室」の先生の姿勢には疑問があったのですが、NHKでこの漫画が取り上げられたとき、番組内でも公式サイトのコメント欄でも、あのキャラに対する突っ込みはありませんでした。
(見落としてるだけかも)
フィクションなんだからと重要視してなかったのか、展開の都合上ああいう描写にする必然性を理解していたのか、それとも、手話ユーザーの中ではあの姿勢は正しいことという認識なのか?

と、疑問に思い質問を立てました。


>ヘレンケラーが日本を訪れた時にも数回講演をしていますが、当時はどのようにやったのか
伝記では指文字で意思疎通していたようですが、講演ともなると話は別でしょうね。
指文字その他もろもろの手段で協力者に伝え代弁してもらっていたのかもしれません。


>ただしですね、これは究極の問題なのですが、同じ障害を持った人は固まりやすい
確かにそうですね。
できること、できないことや意思疎通の手段が限られてくれば致し方ないことなのでしょう。
障害者枠で採用された聴覚障害者を見たことがありますが、やはり手話を使う方だけで固まっていた印象があります。

私は片耳を失聴しており聞こえに関して少なからず不自由はあるのですが、その不自由の度合いも方向性も両耳が聾や難聴の方々とは違うため、ネットでこの問題を語らう場合は徹底した棲み分けがなされています。
(ネットでは文字のやり取りになるため壁はないのですが、立場の違いからケンカになりがち)

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/30 08:27

支援学校教員です。



>聴覚障害の子が登場するマンガ『聾の形』にて、サポートを行う教諭がこのように発言していました。

それは、その漫画の作者の考えです。

>口話以外の意思疎通の手段はたくさんありますが、本当に、手話がベストなのでしょうか?

先天的な「聴覚障がい」の方の多くが「ろう文化」と言って「手話を中心としたコミュニケーション手段」を使われています。

よく「手話ニュース」などで使われる手話は「日本語対応手話」と言い、本来の「日本の手話」とは文法が違います。

そして、手話での会話は大変スピーディーで筆談やPCを用いた文字表記よりも、もっと豊かな情報を伝えてくれます。

たとえば、言葉でも「ちがう」と言うのも、強く否定する場合、あやふやに否定する場合、軽い抗議など言葉のニュアンスや声の強弱で表しますよね。

でも、文字にしたら「違う!」か「ちがう?」か「ちがう~」などの表現で、意図通りには伝えれません。

これが、手話では言葉と同じくらいに「感情」を伝えることが可能です。

ですので、先天的な「聴覚障がい」の方には「手話」に対して、誇りを持っている方が多いのです。

フランス人が「フランス語」に誇りを持っているように。

また、人生の途中で耳が聞こえなくなった「中途聴覚障がい」の方は「手話」よりも「筆談」を好まれる方もいます。

ですので「聞こえない人には手話で話す!…あたり前のことです…」とは、言えないと私は思います。

>他にも聴覚障害者と他の障害者の双方に負担があまりかからない意思疎通の手段はあるでしょうか?

最近では、タブレットなどの文字表示機能やメールを使用して、会話を楽しむ方もいますが…

やはり、身振りでも指文字でもいいので「感情」が伝わる手段の方が、聴覚障がいの方との会話は楽しく感じます。

私見です。
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この回答へのお礼

私がこれまでに深く世話になったり苛められてる所を助けたりで関わった人のなかには、指が欠損している人が何名かいました。
そんなわけで耳が不自由な方よりは手が不自由な方のほうが私には身近な存在であり、だからこそあの台詞には抵抗を感じました。

他にも作中で描かれた「きこえの教室」の先生の姿勢には疑問があったのですが、NHKでこの漫画が取り上げられたとき、番組内でも公式サイトのコメント欄でも、あのキャラに対する突っ込みはありませんでした。
(見落としてるだけかも)
フィクションなんだからと重要視してなかったのか、展開の都合上ああいう描写にする必然性を理解していたのか、それとも、手話ユーザーの中ではあの姿勢は正しいことという認識なのか?

と、疑問に思い質問を立てました。


>その漫画の作者の考えです。
確かにそうですが、そのキャラの考えであり作者の考えとはまた別とも考えられますね。
クラスの面々が手話の習得に非協力的になるという展開にするためには、聞こえの先生のやり方に問題があったという扱いにせざるを得ないでしょうし。


手話の位置づけについての詳しい話をありがとうございました。

お礼日時:2013/11/30 08:03

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