アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

手話は何で、義務教育にならないのでしょうか?
義務教育の教科に手話を入れる事で、耳が聞こえ
ない、人たちが、大勢助かると思うのですが、

点字にしても、義務教育のなかに、教科として
いれれば、目が見えない人にとっては、多いに
役に立つのではないでしょうか?

ソロバンも義務教育の教科の中にいれれば、
計算が速くなると思うのですが、なぜ教科
としていれないのでしょうか?


この中の、1つだけでもかまいませんので
ご意見をお聞かせください、お願いします。

A 回答 (10件)

義務教育の課程に手話や点字を導入する必要はないと考えます。

理由は他の方の意見にあるように、社会に出るための必要最低限の教養を身につけることが、義務教育の目的だからです。

たしかに手話や点字が出来ることに越したことはありません。しかし、実際に聾者のかたと接すればわかりますが、こちらが手話を知っていないと会話が出来ないことはありません。ゆっくりと口を動かせば、内容をわかってもらえますし、筆談という方法もあります。盲者のかたも同様で、必要ならば手を貸して、目の代わりをしてあげればいいことです。問題は、そのような行動に出ることが出来る人間を養成することであり、理解することです。

本来このような内容を学習するのが「道徳」の授業だと思うのですが、今はどうなっているのでしょうね。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

私自身、耳が聞こえない方や、目が見えない方と
接した事がないので、少し、杓子定規的な、耳が
聞こえない人と接する時は、手話ができなくては
いけないと思いこんでいた、ふしがありました。

小学校か、中学校で確か道徳の時間というのが、
1週間のうちに、2時間ぐらいあったような気
がするのですが、その時に、耳や目が見えない
人と「接する時間」というのがあれば、手話や
点字に興味が出てきて個人個人で、手話、点字
を取得する生徒が出てくるかもしれませんね

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/15 11:07

付け足しをします。

わが国の場合、障害者を取巻く環境が、余りにも苛酷で諸外国より取り残される遅れを持っていると思います。
 人々の心の中に、差別意識が根強くあります。
 障害者の人権や障害者と健常者との心の壁を意識し始めたのは、最近のように感じられます。サンシティのような理想的な街づくりは、わが国では無理でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

補足、ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/01 04:35

こんばんわ。

聴覚障害の児童生徒が通学するろう学校で勤務した経験があります。
そもそも、特殊教育の世界ですので、手話も特殊な教育の一環として行なわれている傾向がありました。
 やはり、義務教育に手話を導入するとなると、視覚障害を持った方のコミュニケーション手段である点字も導入しなければならず、手話だけを優遇できないと言う事情も考えられます。
 現代の公立教育は、ゆとり教育がキーワードです。ゆとりの時間を使って、手話を学ばせたら良いとは私も思います。しかし、現実問題難しいと思いますよ。総合的な学習の時間で断片的・個別的に、手話を学ぼうが関の山かも?悲しいですが。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

現実と理想とでは、大きなギャップがあるものですね。
アメリカに老人だけの町「サンシティー」というのが
あるようなのですが、目が見えない人、耳が聞こえない
人たちだけが、住む町というのを作ってみてはどうなん
でしょうかね、やっぱり、差別的だという批判が出てく
るのでしょうか、私の中では区別と、差別の違いは、区
別は法的な決め事、差別は私的な決め事、と考えている
のですが、日本で「サンシティー」のような、街を作るこ
と自体、やっぱり、現実を踏まえていない考えというか・・・
やっぱり、私は自身理想主義なんでしょうか?

お礼日時:2002/10/31 05:39

ついでに。


「徹子の部屋」で知ったのですが、「ろう学校」でさえ、「手話」は義務教育になっていないそうです。

基本的には、「口」で読むことが求められていて、手話は「ついでの技能」という扱いみたいです。

知り合いの全盲の方で、パソコンをつかっている方がおられます。
さいきん、音声よみとりができるので、連絡は「Eメールが一番早い」、とのことです。そういや、街なかでも、ケイタイに熱中している子が多いけど、
視覚・聴覚障害の人たちは、こういうものの登場はずいぶん役に立っています。
(手話よりケイタイにメールのほうが正確に伝わる?)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「ろう学校」でさえ、「手話」は義務教育になっていないそうです。
とは驚きました。手話自体が「ついでの技能」とは・・・、

ご回答、大変参考になりました。

お礼日時:2002/10/21 17:13

いまの日本で、「必要性」を考えれば、「車の運転」でしょうか。


これを「義務教育」にという発想は(義務でなくて高校生でも)ありません。#4の方が言われるように、必要な人が独自に練習すればいいことだから。

手話のまえに、手話で伝えるべき知識内容が問題になってくるのだと思います。だいたい、作文で自分の意見を日本語文章で伝えられない子供も多いです。
野茂投手が渡米したとき、彼は英語が出来なかったのですが、英語を覚えるより、ピッチングをみがくことを考えるのは当然でしょう。(カブレラが日本語の勉強するより、ホームランを打ってくれた方がありがたい)

そろばんについては、計算が早いだけの訓練で、基本的には筆算だと思います。なにより、計算の意味をわからず(九九を覚えたら掛け算ができたと考えているような)スカタンやっている子が多いです。
99×99までまる暗記させるより、「1けた」の計算から「位取り」「十進構造」を理解できれば何桁の計算でも筆算でできます。(十進法記数システムを開発したのはインド人だろうが)
2桁を丸暗記させて、じゃあ、3桁は?
それより筆算の方が意味がある。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/21 17:10

義務教育って子供たち自身のためにやっていることだと思います。


手話や点字って「目が見えない人のために」とご自分でお書きに
なられているとおり、誰かのために子供たちに憶えさせると
いうのはおかしくないですか?

将来のためにと書いてるところもありますが、それよりだったら
親を介護する方法を憶えさせるとか、老後の心配の前にやっておく
べきことがいっぱいあると思います。

この回答への補足

義務教育の中に、速記を書こうと思ったのですが、
それは、障害者を助けるものではないので、書くのをやめました。

義務教育って子供たち自身のためにやっていることだと思います。
手話や点字って「目が見えない人のために」とご自分でお書きに
なられているとおり、誰かのために子供たちに憶えさせると
いうのはおかしくないですか?

少し補足を
ボランティアの人たちにもさまざまな考えを持っている人がいて
誰かのために、ボランティアをやっているという人や、自分自身
のために、やっているという人もいるようです、
子供たちが、これは自分のためにやっていると、考えていればい
いのですが、これは自分のためと認識するようになるには、ある
程度の年齢が、必要になるのではないでしょうか?

私自身は「目が見えない人のために」と思っているのですが、
中には、自分のために手話、点字をおぼえるひともいるかもしれ
ません、それなら義務教育にいれなければいい、という考えも
あると思うのですが、手話がどうゆうものか、点字がどうゆう
ものか、きっかけさえ義務教育ではあたえていないです、

親の介護の仕方を教えても、実際に介護するまでに、時間がかかって
しまうために、せっかく、教えてもらってもわすれてしまうのでは
ないでしょうか?

補足日時:2002/10/18 21:24
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答。ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/18 15:13

個人的な考えです。



義務教育で学ぶべきものは、
1・人間の知識の習得に欠かせない学問の基本的なもの。
2・その国の社会における常識として習得に好ましいもの。

であると思います。2なんかは英語が入るでしょうね。
そうでないと、数ある言語のなかで英語だけなんで基本教科に入るのかおかしくなってきます。

ですから、手話、点字、算盤がこの条件を満たすかというと疑問に感じます。
今の社会で、手話や点字は限られた会話手段であるし、それを全ての人が学んで全ての人の幸せと、建設的な知識として役に立つとは考えられないからです。

算盤もあれば、計算の役に立つでしょうが、現在ある算数だけでも、十分に我々の生活における計算活動に支障はないでしょう。
やはり算盤は、特殊に、計算が上達したい人が、独自に取得すればよいという事になるでしょう。
西洋式の「数学」が無かった、江戸時代とかなら、庶民(商人等)は計算の為に算盤を習得してたはずです。

なにも手話、点字、算盤等が、個人で学ぶのに、無駄とは思いません。それがもつ技術以外に学問として、何らかのモノは得られるでしょう。
しかし、あれもこれもと義務教育に入れてしまうと、さえ際がなくなりますよね?
その結果、知識が広く浅くなってしまいます。
やはり、特殊なもので、独自にやられるものだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

インドが優秀な、コンピューターエンジ
ニアを輩出しているの理由の1つに、掛
け算を99×99まで覚えさせるという
のが、TVか本でやっていたような気が
するのですが、さだかではないのですが
この事を考えていて、基礎計算に気をた
られなければ、その先にある問題に、集
中をして、とりかかれるのではないか?
と思ったのです、

最近の義務教育は、教科時間をけづろう
としているので、当分は無理かもしれな
いですね

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/15 10:58

手話と点字は下にある理由もあるでしょうがそれ以外にも教える方も少ないのではないでしょうか?先に教える方を育てないといけませんし。



あと点字の方ですが前TVでやっていましたがあの翻訳(通常→点字)って相当時間がかかる上本が高いそうです。とても義務教育には使えないのでは?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。文章を自動的に点字として
紙の上に、出力できるようになればいいですね、

お礼日時:2002/10/15 10:27

あくまでも私個人の考えです。



>ソロバンも義務教育の教科の中にいれれば、
計算が速くなると思うのですが、なぜ教科
としていれないのでしょうか?

あれ、私が小学生のときは算数のなかでそういう単元があり、そのためにソロバンを買いましたが?算数とは独立した教科として年間を通じて週1時限以上必要ということでしょうか?

計算の速さ、に関しては、仕事などで迅速に大量の計算をしたければ、今の時代は電卓があります。デジタルオシロの出力バッチ処理は数万point分がExcelで秒単位ですが、ソロバンではやっていられません。

頭の運動として自分で計算することは教育上重要ですが、紙に書いて筆算する習慣のほうが後で検証できますし、他人にも確認可能です(暗算する人の頭の中は見えません)。

ということで最近ではソロバンの必要性が昔ほどないため、限られている時限の中ではそんなに多くの時間を割けない、ということなのではないでしょうか。

たしかに名人のソロバン計算の実演はすごく速いですよね。が、素人が電卓でちょっと慣れれば...。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私自身、ソロバンはまったくできなくて、
ソロバンを習っていた友達が、基礎計算
問題をとき終わって、暇そうにしている
のをみていて、それも早いのに、答えが
あっているのです。それで、ソロバンに
あこがれを持つようになったのですが紙
に書いて計算をすれば、検証ができると
いうのは、まったくその通りですね。
大変、参考になりました。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/15 00:14

点字や手話はそれを必要としている数が少ないからでしょう。


道徳などの授業の一環として伝えるのは必要だと思いますが、それは
独特の言語ですし、手話だと日本と海外とでは伝え方が違ってきます。

ソロバンは確かに右脳の活性化と暗算に長けるようになりますが、
機能性として電卓に劣るには違い無いでしょう。
計算を早くするためなら電卓でことが足りてしまいますからね。

私は今の義務教育という形で取り入れるのは難しいと思いますが、
何らかの形で教育現場には取り入れて欲しいですね。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

この質問をしたきっかけなのですが

学校(小学校、中学校、高校)に通っていた時は
数学(算数)や、国語、社会、英語、などは、テ
ストの時に点を取れるので、テスト時の必然性
があったのですが、社会に出てからはほとんど
役にたったことがありません、役に立ったとい
えば、面接時の常識問題ぐらいです、社会に出
ても役に立たない知識ならば、もっと社会にで
たときに、役に立つものはなにか、と思いまし
て、この質問をしました。

これから高齢化で、年をとれば耳も聞こえづら
くなるだろうし、目もみえずらくなるでしょう
し、その時に手話があれば、耳が聞こえなくて
も大丈夫だろうし、点字があれば、目が見えづ
らくても本を読むことができるでしょうし、そ
のためには、手話、点字、ソロバンを普及させ
る事が第1だと思いました。確実に普及させる
ためには、手話、点字、ソロバン、を義務教育
のなかに「教科」としていれれば、社会に普及す
ると思いました、手話、点字、ソロバンが義務
教育に「教科」として、採用された時では、すで
に、50代、60代、70代、80代の人にと
ってみれば時間的に遅いかもしれませんが、言
葉で、正確ではないのですが「まかぬ種は生えぬ」
ということわざがあって、なにもしないままだと
なにも変化をしないという意味だったと思うので
すが、手話、点字、ソロバンは、「教科」として準
備する段階での経済的、負担はあると思うのです
が、人間にとってみれば長所はあっても、短所は
ないと思います。

手話が、国ごとにちがうとは知りませんでした。
参考になりました。
御回答、ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/14 23:40

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!