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「死」はネガティブなことでしょうか。

お付き合いしている男性から振られることが多いのですが、それは「死」を話題にしたことがきっかけになっているようです。

そのたびに気をつけるようにするのですが、その話題がNGである理由が理解できていないので、ほとぼりが冷めると素が出て、また同じ失敗を繰り返してしまいます。

私は、お昼ごはんに食べるものを考えるのと同じようなトーンで死についても日々考えているので(自殺願望があるわけではなく)、話題として、自然に出てしまうのです。

何がダメなのか、本当にわからなくて。

同じ価値観を持った人と付き合うのが一番だと思いますが、今のところ出会ったことがなく。

私の価値観が周囲というか常識と大きくズレているとしたら、見直す必要があると思うので、このたび質問させていただきました。

このままだと、結婚はおろか、失言によって普通の人間関係が壊れることもあるような気がして不安です。

ちなみに、人からよくネガティブだと言われます。自覚はないのですが。

A 回答 (8件)

「死」はただあることで、


それ自体はネガティブでもポジティブでもないことだと思います。
「生」と一緒で。
同じ人でも、その人の経験やその時の精神状態などによって
「死」がネガティブなものだと感じられることもあるでしょうが
常にそうであるかというとそうかもしれないし
そうでないかもしれない、という不確かなものだと思います。
人間の価値観もそうで、
不変なものはないと思います。

ふられたのは
それがきっかけになったかもしれないけど
それ以外の積み重ねが大きいです。
単純に
「死」について語るのが好きなのかもしれないですね。
人によっては「車」だったり「音楽」だったり
そういう話題のジャンルとしての「死」の認識なのかもしれません。
だから相手が望んでいるタイミングじゃない時に
そういう話をしたり相手が「今そういう気分じゃない」のを読み取らずに
話し合いをしたがったり
そういう配慮のなさがあるような気がします。

同じ価値観を持つというより
他人の価値観も尊重する、ようにされたらよろしいのではと思います。
自分の話したいこと話したい時があるのを
相手に理解してもらうこと
その逆
人間関係ではそういうのが大切で
価値観を同じくするよりも
すり合わせて心地よい空間を作ることが大切なんじゃないでしょうか。
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今日は。


死ぬことはネガティブなことでもポジティブなことでもなく生きている一部分が死ぬことですね、夜になると寝ることと同じだと思います。
その時が来たらそうなるのだから別に考えなくてもいいと思うし話すことないんじゃないですか。
死んだ時のことも寝る前に明日の準備をして寝る程度のことですよ。
それよりも限られた時間に何をしようかなと考えた方が有意義じゃないですか。
結婚したら、こうして子供はこう育ててと考えることは沢山ありますよ、死ぬ時のことなんて考えている暇はないですよ。
毎日を精一杯生きればいいだけのことですね。
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>「死」はネガティブなことでしょうか。



ネガティブではありませんよ。

>お付き合いしている男性から振られることが多いのですが、それは「死」を話題にしたことがきっかけになっているようです。

振られるのは別の原因と考えたほうが良いでしょうね。

>何がダメなのか、本当にわからなくて。

自分の興味があることを口出すのが「ダメ」な部分で、相手の興味のあることを想像し、「話を合わせる」ことができることが「良いこと」とされてるのです。

>同じ価値観を持った人と付き合うのが一番だと思いますが、今のところ出会ったことがなく。

価値観は十人十色ですから、同じ価値観を持ったクローン人間のようなのと出会うことはないと思いましょう。

>私の価値観が周囲というか常識と大きくズレているとしたら、見直す必要があると思うので、このたび質問させていただきました。

価値観を見直す必要等ありません。
見直す必要があるとすれば、ビヘイビア、とくに質問者さんの場合は「話題の選択」というビヘイビアでしょう。

>このままだと、結婚はおろか、失言によって普通の人間関係が壊れることもあるような気がして不安です。

不安はごもっともですが、原因は価値観ではありませんので、そこのところお間違えなきよう。

>ちなみに、人からよくネガティブだと言われます。自覚はないのですが。

人と会って、別れたあとに、元気をもらうことができる人がポジティブ。別れた後に「元気を失う」と感じる場合、「あの人はネガティブだ」と評価されます。
質問者さんも、どんな話題を選択したら相手が「元気になるか」を考え、そのような話題を選択するようにすると、「あの人からは元気をもらえる。あの人はポジティブだ」という評価に変わります。
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>私は、お昼ごはんに食べるものを考えるのと同じようなトーンで死についても日々考えているので、話題として、自然に出てしまうのです。



私は、お昼ごはんに食べるものを考えるのと同じようなトーンでエロについても日々考えているので話題として、自然に出てしまってもいいですか。質問者さんとデートしているときに昨日見たエロDVDについて語り出して構わないですか。
TPOっつうのがありますでしょ。「その場にふさわしい話題」ってのが。死がネガティブかどうかは置いておいても、だからといって日常会話にふさわしいかというとそりゃふさわしくない。初対面の人が「はじめまして。今日、うんこしましたか?」って言い出したらこいつ頭おかしいと思うでしょ。「うんこは健康のバローメータ。うんこの話題を避けるのはおかしい」といわれたところでああそうですねとはならないでしょ。

自覚はなくても人から見たらネガティブな発言をしていて、さらにその話題が「死」なら、そりゃデート向きの会話にならないのは明らかじゃないですか。会話ってのは、自分が話したいことを話す場ではありません。お互いに話して楽しいことを話すのが基本です。

職場の人たちと飲み会をしていて、テレビ番組の話題で盛り上がっているときに突然仕事の話をする人が出てきたらどうですか。「何も今ここで話すことはないだろう」と思うでしょ。で、その人が「いや私は日々仕事のことを考えているから自然と話題に出てしまうんだ」と言い出したら、「じゃあ、次からはこの人は呼ばないようにしよう」となりませんかね。その場にふさわしい振る舞いをすることも、重要です。
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自殺について考えてしまうとなるとネガティブなイメージですが、「死」そのものについて考えることは生きる者としてごく自然だと思います。



私自身もよく「死」についてよく考えます。
「死」を考えるということは、反対に考えると「生きることへの執着」とも捉えられます。
交通事故や火事の現場にたかる野次馬がその原理に似ているかもしれません。
人が危険な目にあっているところや、死にかけている人を目に焼き付け自分の危機管理能力に無意識に警告を鳴らしているのです。

私もこれと似た感覚で「死」について考えています。。
臨床心理に興味があるせいか例えば過去に起こった殺人事件や自殺した人の事例を調べ、なぜこの人は誰かを殺す選択をしたのか。なぜ自殺するに至ったのか、と考えます。その時に恐怖などの感情はなく、冷静に「自分の命」、「他人の命」について考えます。そこから自然と生への執着のようなものも生まれます。

対人関係に関しては、やはり言い方しだいでは気分を害す人も多くいるので、場面によってその話題は避けたり、話すにせよ物の言い方に気をつけたほうが良いでしょう。ちなみに私の彼女はこの手の話題はかなり苦手ですが、話し方に気をつけていれば真剣に聞いてくれることもあります。ですから、必ずしも同じ感覚の人にこだわる必要もないかと思います。

このように人によって考え方は様々でしょうが、「死」というフレーズではなく「命」について考えると捉えればポジティブになるのかもしれません。
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多くの人が死について考えたがらないのは当然のことです。


死にたくないと思うのは生き物として当たり前のことだし(それだからこそ生き残ってきたわけですから)、身近な人の死がつらいのも当然です。また、多くの人は生を楽しみたいと思っているわけですが、死はその楽しみを切断するものとしてとらえられることが多いでしょうから、日常生活の何気ない場面や、デートや遊びなどの楽しく過ごしたい場面で死についての話題を持ち出されたらいやがられるに決まっています。
だから、その点が理解できず、自分がいつも考えているのだから話題にしていいのだろう、とある程度の年齢になっていらっしゃるにもかかわらず思っているのであればそれはかなり鈍いというか、人の気持ちがわからない方だ、ということになりますし、いけないとわかってはいるんだけどついつい言ってしまう、というのであればそれはずいぶんたがの外れた方だということになります。他の方も書いていらっしゃいましたが、自分がウンコについて考えてるんだから「ウンコ!」と叫んでもかまわないと考えているとしたらそれは幼稚園児並みだということになりますし、いけないとわかっているのについつい好きなAV女優の話題を口にしてしまうならそれは誰にも相手にされない下品なオヤジということになってしまうのは当然でしょう。
また、もしあなたが「人は必ず死ぬのだから死について考えるのは大切なことだ。私はいつも考えている。しかし周りの人の多くは死について考えようとせず、つかの間の楽しみや快楽を追い求めているだけだ」と考えて周りの人を見下しているのだとしたら、それは思い上がりもはなはだしい、ということになります。死についてしょうもない考えをひねくり回しては周囲の人に聞かせて不愉快な気分を撒き散らしている人より、そんなこと人生を楽しみ、死期が近づいたらそれを受け入れて死んでいく、という人の方がずっといいでしょう。
あなたが上記のどれかに当てはまるかどうか私にはわかりませんが、いずれにしてももし円満な人間関係を築いていきたいなら現状を改め、死について考えていることを安易に口から垂れ流すのは固く慎みましょう。もちろん、ごく親しい人、心の奥で考えていることや悩んでいることをあれこれ話せる人が見つかったら、そういう人と死について会話を重ねることも可能かもしれません。
ただ、社会人として過ごしていらっしゃるにも関わらずこのような質問をしてしまうということですと、あなたがいつも考えているというその「死についての考え」自体も非常に独善的なものに違いないという気が私にはしてしまうのですが。
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 映画「おくりびと」の原作と言われる青木新門氏の「納棺夫日記」のなかに、夫の職業が死体に触れる仕事と知った妻が、浮気が発覚した時よりも激しく夫を詰る場面があります。



 それほど、現代社会の価値観は死から離れているのです。

 あなたの死に対する自然な振る舞いは、誰からも否定されるべきものではありませんが、現代社会の価値観は死から離れているのです。

 そういった社会の価値観を受け入れようが受け入れまいが、知っていることは必要であり、知った以上その価値観に沿った振る舞いをすることは、社会人としての務めです。

 暑いからといって真夏に全裸で外を歩いていたら、法律上でも違反でしょうが、その前に、友人知己から変人のレッテルは貼られてしまいます。

 人間は自然的な存在ですが、自然そのものとしては生きていません。
 あくまでも、社会的な存在で有り、社会の価値観を受け入れる覚悟が必要です。
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全然。

全くそのようなことはありません。ただ日本文化(仏教神道の悪い面)で死は忌むべきもの 言葉にするとよくない(言霊をよぶ)というのがあり文化的にネガティブとされているのです。
もちろん、生と同様死も大きく重いテーマで話題としては大きいですが TPOにあわせないといけません(それは社会マナー問題)
一般人はのほほんと生きてるし 若い者ほど死などは考えません。いや、考えるでしょうけどそれは嫌世的なもので老人のように老いと病気とがセットの死ほどリアルでもないでしょう。
あなたが何歳かわかりませんし死をどのように解釈した上での話かわかりませんが、おそらく大方は死をそこまで踏み込んで考えていないし、TPOのこともあるし とうぜん ずれが出るでしょう。あなたには自然であってもディズニーランドのデートの最中に話すことではありません。

ところで、ならばあなたはきちんと遺言書を書いてますか?遺言書がどこにおいてあるか周囲の人は知ってますか?銀行の口座などは遺言書にかいてますか?朝出かけるとき二度と戻ってこないかもしれないと思ってドアを開けていますか?いつ死んでも恥ずかしくないようにベッドはきちんとして下着はかたずけてますか?男なら得ろビデオ、エロ雑誌、どう処分しますか?

どのような死を考えているか知りませんが、死を考えて現実のものとみなすならこれは実行してしかるべきです
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