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 前回の質問(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8499194.html)では、論点が明確でなく、話が錯綜してしまった部分もありました。きっかけがこの事件(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140302-00000 …)であることに変わりはありませんが、「校則で、髪を染めることを禁止することの是非」に絞って、質問いたします。

 髪を染めることを禁止しているのであって、特定の髪の色を強要しまたは排除するものではないから人種差別でもなんでもなく、問題はないとのお考えもあろうかと思います。しかし校則が禁止する行為は、色にかかわらず髪を染める行為自体ですが、校則が問題視しているのは、髪を染める行為自体(前者)ではなく、黒髪でないという状態・外見(後者)なのではないでしょうか。

 例えば、髪を染めたら髪が傷んでしまうからという趣旨であるならば、それは前者の問題でしょう。しかしきちんとした洗髪料を用いれば髪へのダメージはごく少ないものです(だからこそ現代では女性を中心に非常に多くの人が髪を染めている)。したがって薬剤の種類を問わず全面的に髪染めを禁止している以上、そのような趣旨とは考え難いのです。
 あるいは、「親から受け継いだ髪の色を変えるなどとはけしからん」という趣旨であれば、前者の問題です。しかしそのような考え方が合理的とは言いにくいでしょうし、そのような宗教じみた微妙な考え方を、判断能力の不十分な高校入学者に押し付けてしまうのはさらに問題です。
 
 思うに、髪染め禁止の校則の趣旨は、「髪が外見上黒色でない者は、不良である」というものでしょう。すると、髪を染めること自体が問題なのではなく、髪の色が外見上黒色でないということ、すなわち後者の問題ということになります。ところがこの考え方は、人種的偏見そのものでしょう。髪の色でもって、不良であると決めつけているのですから。え、未成年だけの話だ?では髪の色が外見上黒色でない未成年は不良ですか?金髪の、ハーフの日本人が入学してきたとして、その生徒は不良なんですか??
 
 このように考えると、髪染めを禁止する校則というのは、「外見上髪の色が黒色でない者(特に未成年者)は不良である、ないしけしからん」という人種的偏見に基づくものであって、人種差別そのものではないにしても、おおいに問題があるように思います。
 皆様はこのような考え方をどう思われますか?法的な知識をお持ちの方の回答も大歓迎です。
 

A 回答 (12件中1~10件)

#11です。



>染髪(非黒髪)=不良というのは、(人種的)偏見ですよね?権利制限の根拠に用いてよいのでしょうか??

外国人が生まれ持った金髪を黒に染めろなどと言っているので無い限り、少なくとも人種的な問題ではないでしょう。

その上で、学校が持つ偏見ではなく、世間一般の人が持っている偏見が理由であれば、権利の制限する根拠になると思います。
例えば、登下校中に不良と間違えられて因縁をつけられてその場に居合わせた他の生徒がケンカなどに巻き込まれるかもしれないとすれば、どう考えても悪いのは因縁をつけた側なのですがありえないことではないでしょう。

前の回答にも書いたとおり、
「制限される個人の自由の大きさ」と「それで得られる公共の利益の大きさ」の比較です。

その上できっと私を含む多くの人は「髪の毛を染めることができないことで不利益は凄く小さい」と理解しているのです。一方で、「髪の毛を染めた生徒がいることで受ける学校や他の生徒の不利益は相当にある。」と思っています。
したがって、「髪の毛を染めることを禁止する校則には十分な合理性がある」と思うということです。

ということで、この校則に問題があるということを主張するには、
1)髪の毛の色を染めることができないことによる不利益の大きさ
2)そのことで得られる公共の利益の小ささ、または同様に公共の利益を守るためのもっと有効な手段
などを主張する必要があります。
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自分の身体や服装などを自分の意思で自由に決めるという権利は誰しも持ち合わせていると思います。

一方で社会的な秩序や公共の利益のために個人の自由が一定範囲で制限されることは当然だと思います。

例えば、レストランのドレスコードにしても、他のお客に不快感を与えるとか他のお客に店の品位を誤解されるなどなどの理由なのではと思います。仮に高級レストランでも貸切にしてその日だけはドレスコード無しにして欲しいというのは甚だ合理的ではと思います。(もちろん、お店が貸切を認めるかどうかはお店の判断になるでしょう。)

これを校則で考えてみると、質問者さんが書かれているように「髪の色でもって、不良であると決めつけているのですから」というように世間では「染髪=不良」という認識が少なからずあるのは事実でしょう。
したがって、「染髪している生徒が通う高校=不良のいる高校」と世間で誤解を生むことに繋がるでしょう。
そうなるとそこに通う染髪していない生徒は、本人には関係なく「不良のいる学校に通う生徒」と認識されることになります。
これはその生徒にとっては、いわれの無い不利益になるでしょう。
また、学校にとっても「不良のいる学校」という世間の誤解は、今後の生徒の募集などにも影響が出るでしょう。
したがって、それらの生徒や学校の不利益を排除するために「染髪を禁止」という校則が存在すると思われます。

その上で、個人の権利を侵害することと公共の利益を守ることを天秤にかけた上で、そのどちらが重要なのかという判断になるわけです。
染髪を禁止するということが耐え難いほどの自由の制限になるのか?
一方でそれによって生まれる公共の利益がどれほどのものなのか?
これを尺度にどちらを優先するかを判断するということでしょう。

あくまでも私見ですが、校則とはもちろん最終的に学校が決めることとは思いますが、そこには生徒の総意や場合によっては生徒の保護者の総意が組まれるべきことと思います。
(わかりやすくいえば、生徒総会やPTA総会で「校則の変更を学校に要望する」というような決議や署名活動を行うことです。)

ちなみにその昔(30年以上前です)に、通っていた学校で生徒総会で「生徒の髪型に関する校則の変更(緩和)の要望」を決議して、結果としてほぼ生徒総会の要望どおりに校則が変更されました。

この回答への補足

染髪(非黒髪)=不良というのは、(人種的)偏見ですよね?権利制限の根拠に用いてよいのでしょうか??

補足日時:2014/03/06 12:28
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”親から受け継いだ髪の色を変えるなどとはけしからん”


    ↑
体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始なり・・。


”しかしそのような考え方が合理的とは言いにくいでしょう”
     ↑
私は、ここが最大のポイントだと思います。
禁止するのは、事実として染めているのは落ちこぼれや
逸脱行為をする人が多い、ということもあるでしょうが
習慣や伝統、常識に反するから、という
のがおそらく本音でしょう。
だから、禁止には合理的理由がない、というのは一理も
二理もあります。

しかし、合理性が優れているか、というとそうでも
ないのです。
合理性を追求して大失敗したのが社会主義です。
自由にしておけば格差が拡大するから、自由を制約し
エリートが合理的な生産計画を建て実行すれば素晴らしい
国家になるに違いない、として倒壊したのが社会主義諸国
でした。

合理性ほど当てにならないものはありません。
人間はそれほど賢くないのです。
頭の中だけで理屈をこね回していても何も
得られません。
それよりも試行錯誤の結果である習慣、常識、伝統
の方が信頼に値します。

ここら辺りを詳しく知りたければ、哲学をやる
ことをお勧めします。
ドイツ観念論哲学、特にヘーゲルはその完成物です。


”法的な知識をお持ちの方の回答も大歓迎です”
    ↑
法的にいえば、校則などを変えればよいのであって
その為の運動をすべきです。
校則を変えないで、髪を染めるのは校則違反になり
処分されても仕方ありません。
一人一人の言い分など認めていたのでは、社会は
成り立たなくなってしまうからです。
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学校側が、地毛の色を無視して「黒髪にしろ」と指導しているのであれば、人権問題になるでしょう。


 しかしながら、「黒髪に戻せ」と言っているのであれば、元々の地毛の色は黒髪であったと推測されます。

 接客業のアルバイトなどでも、染髪禁止のところは多く有ります。
 私は、染髪禁止の校則を守るようにという指導が学校により厳しかったり、甘かったりするのは、それぞれの学校の方針であり、それを納得した上での入学をしているので、いまさら文句を言ってもという気はいたします。

 今回の高校側の処置にはいろいろと疑問はあります。
 しかしながら、人権問題に結びつけるのには、ちょっと無理があるような気がいたします。

 思い起こせば、パーマ禁止、ピアス禁止、化粧禁止、スカート丈...私たちが高校生の頃もずいぶんと校則は話題にしました。
 社会に出て思うことは、あんなに厳しいと思った校則が、一般社会では「あたりまえ」になっていたことが多かったことです。

 ふと、丸刈り校則事件のことを思い出しました。
 私たちの世代は、男子生徒の丸刈りは当然だったので人権問題とは考えませんでしたが、時と共に世の中の常識は変わるものでもあるのかもしれません。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E5%88%88% …
 
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違いますよ。


日本人だって、もともと真っ黒じゃない人だっていますのでね。
そういう人も黒に染めなさいなんて校則ではないでしょ?

染める必要もないのに、染めるのは禁止というだけです。
どこにも黒髪じゃなきゃいけないなんて決まり事はないはずです。

だからアメリカ人転校生のナチュラル金髪はOKですけど、中国人転校生で金髪に染めていたらアウトでしょう。
色がどうこうの問題ではなく、「染める」行為が問題なんです。

この回答への補足

ドレコードを持ち出したのは貴方です。ドレスコードは、見た目についての規制ですよね?

補足日時:2014/03/05 12:17
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ドレスコードは直訳すると服装規定ですけど、一般的には身だしなみ全般ですよ。


うちの会社では髪の色も規定ありますし、アクセサリーやネイルについての規定もあります。

例えば、卒業式で学生が特段の理由なくサングラスかけてたらおかしいでしょ?
女子高性がネイルばっちりしていたらおかしいでしょ?
だから、特段の理由なく、髪の毛を染めるのもおかしいじゃないですか?

この回答への補足

>>ドレスコードは直訳すると服装規定ですけど、一般的には身だしなみ全般ですよ。

つまり、見た目が問題なわけだ。
すると、元々髪が金髪の人と、人為的に金髪にしている人を区別する理由は、ないのでは?

結局、髪染め禁止の核心は、「髪は黒くないとおかしい」というものなんじゃないですか?

補足日時:2014/03/05 07:26
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ドレスコードやTPOという言葉を出しましたが、それらは調べましたか?


理解できないのではなく、理解しようとしていないのではないですか?

あなたの考えは短絡思考で物事を一方からしか見ていません。
もっと多角的に見ないとあなたの疑問は解消しないでしょう。

この回答への補足

ドレスコードもTPOも、存じておりますよ。仕事は普段、スーツでしています。
ただ、ドレスコードというのは服装等の問題であって、「生まれつきこうなっている」という要素がありません。ですからこの問題に適用するのは無理があるのではないでしょうか?
今問題なのは、生まれつき髪が金色の人と、元は黒い髪だった人が金色に染めている状態とを、等価に評価すべきか、そうでないかということですよね?そして私は前者と考え、回答者の多くが後者と考えている…。

補足日時:2014/03/05 00:30
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本気で意見を聞くつもりならば、ミスリードはやめましょうね


”染毛禁止”と”黒髪強制”はまったく別
染毛禁止の校則を黒髪強制として摩り替えて語らないで下さい
これを先ず正さないと、お話になりません



一般的な校則の趣旨は「判断能力の不十分な学生」に規範を示す為です
判断能力の不十分な学生は、その行為に対するメリットデメリットを正確に判断することが出来ません
その為に、理想的な人物像を体系化しているに過ぎません

校則とは即ち、学校運営を円滑に行う為の理想です
一人でも多く、社会に適合できる人間を生み出す為に存在するシステムのルールです

この回答への補足

禁止されているのは髪を染めることであっても、その背景には「黒髪でなくてはダメだ」という考え方が背景にあるのではないか、ということです。実際、一度髪を染めた生徒も、黒髪に戻せば出席を許されたようですし。

髪を傷めることの防止とか以外で、なぜ髪を染めることが禁止されることが合理的なのか、さっぱり理解できません。なぜ金髪の人もいるのに、黒髪の日本人が金髪に染めるのはNGなのか…。

補足日時:2014/03/04 23:49
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社会人になっても、まともな企業であれば、就業規則にドレスコードがありますよ。


不良とかそういう問題ではなく、TPOを身に付けようということです。

>金髪の、ハーフの日本人が入学してきたとして、その生徒は不良なんですか??
誰も黒に染めろと指導しませんよね?
生まれ持った色なら、問題ないんですよ。

あなたのは、ただの問題のすり替えなんですよ。
どこにも人権が絡む話ではありません。

この回答への補足

>>生まれ持った色なら、問題ないんですよ。

なぜですか?
なぜ日本人が金髪に染めて式典に出るのがダメで、元々金髪の外国人がそのまま式典に出るのが問題ないんですか??
正直、そこが理解できません。

補足日時:2014/03/04 23:42
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法的にも、人権的にも問題はありません。



学校には、管理監督責任がありますので、その校則上で「髪を染める事の禁止」は問題ないでしょう。

相談者の考え方の方が問題で、団体生活の基本である規則を人権侵害と位置づけることが問題です。

近い内容で、「国家斉唱」「日の丸掲揚」でも人権侵害が叫ばれましたが、通用しませんでした。

今回の出席禁止では、「節目である式典」への参加条件として「黒髪」と指定しても違法性は無く、それを人権問題とすり替える事自体が問題です。

ハーフを出していますが、問題点の範疇には入りません。

もう少し、人権とは何かを勉強するべきでしょう。

極論で言えば、式典に参加するのに制服で参加が決められているにも係わらず、トレーナーで入場しようとして排除されたのと同じです。

規則があり、その規則を遵守する「義務」が生徒側にはありますので、「義務違反」をした以上は権利放棄ということになります。

権利を主張するためには、主張する側が義務を果たさなければなりません。

卒業式に参加するには、参加できる状態にするべき義務があり、それでも学校側が参加させなかったのであれば、そのとき初めて「人権侵害」や「違法行為」として叫ぶべきでしょう。
入学時には、「校則を遵守します」と誓約書も親権者共々署名捺印して提出しているはずです。
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