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人間にしかない勇気、なのでそれをより多く持つものが、人間界ではより大きく成功すると言う見方も出来ると思います

しかし人間様に向かっていくノミは勇気があるわけでは無いのと同様、無知の勇気もあると思います

そこでその「無謀」と本当の意味での「勇気」の差はどこにあると思いますか?

A 回答 (8件)

「無謀」と本当の意味での「勇気」の差はどこにあると思いますか?



○紙一重の違いですね。この紙一重の違いを教えとして表したのが孫子の兵法ですね。
これを一言で表せば、ことにおいて本当の自分の心の声に忠実たれでしょうね。
本当の自分の心の声に忠実であれば結果のいかんによらず禍根はないでしょうね。
昨今の出来事であれば、海上保安官の尖閣映像のリークなどはそれにあたるでしょうね。職はなくしましたが売国政権から国民を守りましたね。
過去の出来事で、これに反する事例は、真珠湾攻撃、ミッドウエー海戦、レイテ沖海戦での海軍提督の勇気なき行動ですね。これで日本が負けましたからね。どのような学問優秀な人物でもしがらみに囚われ孫子の兵法すら実践できないことの実例ですね。米軍の方が勇気がある人物が多かったということですね。現代も同じかもしれませんね。
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私はこの質問の一つの答えを、


「魔法使いのオズ」の中の「臆病なライオン」
で得ました。
映画では、そこまで描かれていませんが、
小説では、
「大切なもの」、「勇気」、「愛」、「知恵」
という人間にとって重要な4つの要素の本質を捜し求める話です。
ちなみに、上の4つに対応する登場人物は
「ドロシー」、「ライオン」、「ティンマン」、「案山子」
となってます。
子供向けの話なのに、あまりに内容が深いので、
私にとって、大人になって深い感銘を受けた本の一つです。
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gaitu様、こんばんは。




>「その「無謀」と本当の意味での「勇気」の差はどこにあると思いますか?」

目的でしょうね。


いや、別に「勇気」・・・ですが、「匹夫の」と修飾されては、
「あれは、匹夫だった」と評されるのも、自由ですが。
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間違えたら「間違えました」と認める勇気。


間違った自分を人として許す勇気と、間違った相手を人として許す勇気。
間違いであればそれを見直し、2度と起きないように変更する勇気。
そして、どんな間違いがあったとしても正しながら新たにチャレンジする勇気。

感情や状況に流されるのは簡単です。
改めて考えてみると、踏みとどまり進んでいくには勇気はとても必要になるようですね。
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「反応」と「考察」

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どうしてもやらなきゃならない。


当人がそう覚悟しているならば、それは勇気なのでしょう。
たとえ端から見ていると笑っちゃうような事でも。

でも、人間の歴史はそういう無駄な勇気の持ち主達にガッツリと支えられている気もします。
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本当の勇気は、知の限りを尽くしても残るネガティブな可能性


に対して、適切な対策を施して挑む事。
匹夫の勇は、必要の大きさのみに突き動かされて、可能性を
考えずに、自分中心に考えて挑む事。
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”「勇気」の差はどこにあると思いますか?”


    ↑
結果を計算しない勇気が「匹夫の勇」だと
思います。

・行為だけを評価する。
・行為と結果の双方を評価する。
・結果だけを評価する。

大切な人を助ける。
・結果など考えずに飛び込むのが匹夫の勇。
・結果を計算して飛び込むのが勇気。
・たまたま良い結果が出た、というのは運が良いだけで
 勇気とは無関係。


なお「葉隠」では、次のような指摘をしています。

結果を考えて、それは犬死にだから、という理屈を付けるのは
軟弱な上方の武士道である。
人間は生きたい。死にたくないのである。
だからどうしても死なない、生きる方向へ理由を
つけるのだ。
そんなモノは真の武士道ではない。

この武士道によれば、匹夫の勇こそ正しい、という
ことになるのではないでしょうか。
徹底的な行為主義ですな。
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この回答へのお礼

そういう陽明学的な勇気はどうなのでしょうか・・・

極論に正解なし、と言ってしまえばそれまでですが、また犬死とも違うと思うと考えてしまいます

お礼日時:2014/03/30 09:13

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