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私は18歳の女です。最近悩んでいることがあり、それは自分が人でなしなのではないかということです。長文になりますが、読んでいただけると嬉しいです。

中学生の頃父方の祖父が亡くなったのですが、正直全く悲しくありませんでした。祖父とは年に1回くらいしか会っていなかったし、私は親戚づきあいが苦手で、よそよそしい態度しかとれず親しくはなかったからです。
祖父がいよいよ危ない、という時に両親に連れられて病室に行きましたが、涙は全くでませんでした。死の瞬間には立ち会っていませんが、祖父の死体を前にしても重い気分になるだけでした。
地方に住んでいる姉が葬式に帰ってきて、祖父の遺体を見て泣き出したのにびっくりしました。私は遺体を見ても、化粧をしてるからきれいになってるなぁぐらいにしか思えなかったからです。

ほぼ同時期に、母方の祖父が倒れました。私は中学1年くらいまで、放課後から夕飯まで祖父の家に預けられていて、父方の祖父より近い存在でした。
母と姉と病院に行くと、祖父はげっそり痩せていて、また姉は泣き出しました。私はその場で自分が泣けないことに気まずくなって、暗い気持ちになりました。

また私は誰かに共感することができません。
人の気持ちを推測することは難しくありませんが、しかしこんな酷いことがあった、と友達に話されても、解決策を提示することしかできず、慰めの言葉が出てきません。「それは悲しいね、辛いね」などと一切思っていないのだから、口にも出せないのです。
本当は慰めなきゃいけない場面なのにできなくて、友達にびっくりされたり傷ついた顔をされたこともあります。

そもそも怒り以外の感情をあまり表に出せなくて(怒りも家族や全くの他人にしか出せない)、悲しいとか嬉しいとか話すのは恥ずかしいと感じます。たまに感情が爆発して、悲しみを怒りに消化してから泣きわめくことはあります。そういうとき家族に無視されただなんてことはなく、大抵慰められてきました。
だからか一部の友達が悲しいことや嬉しいことも自分の感情すべてをべらべら話すことに理解できない部分があります。一方でそういう友達は些細なことにも感動したり、見ず知らずの他人に同情できて、人間的に豊かだと驚きます。

私は割と過保護で中流な家で育ったし、あまりにお涙頂戴なものでなければ映画や小説に感動して泣くこともあります。異性を好きになったこともあれば友達に好かれたくて気を遣うことも、嫌なことを言われて傷つくこともあります。

最近また母方の祖父の具合が悪くなり、もしかしたら葬式があるのかな……病院行かなきゃいけないのかな……と考えるばかりで、まったく悲しめない自分がいるのに気づきました。
祖父が死んだことや葬式で感じる憂鬱な気分は、根底では悲しんでいるということではなく、人並みに悲しめない人とは違う自分を自覚するからだと思います。

私は人としておかしいでしょうか。

A 回答 (7件)

おかしいのではなく苦労が足りなく甘やかされたので


自分のことだけでいっぱいいっぱいで人に対する感謝の
気持ちとか心の余裕とか他人のためになにかしようとか
そういうのがないんではないかと思います。

あなたはあなたが死んでも誰も屁とも思わなかったらどう思いますか。
あなたが死んでもあなたの親も兄弟も、葬式面倒くさいなー、とかしか思わない。

それが悲しいと思うなら異常ではありません。

自分のことでいっぱいいっぱいの未熟者なだけです。

この回答への補足

自分が死んだ後のことはどうでもいいので別にどうも思いません。
というより葬式が面倒くさいという気持ちはすごくわかるので、「めんどくさいなら別にしなくていいよ」と思います。

補足日時:2014/08/07 00:11
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おじさんです。



僕も若い時はそうでしたよ。やっぱり、人とのつながりが浅いのよ。
やっぱり、祖父母と言えども、ちょっと喧嘩するくらいぶつからないと、仲良くならないもの。

僕の場合は、親父が養子だったから、祖母っていっても親父のおばさんだったの。でも、母親も働いて居たから、ずっとばあちゃんと居たの。だから、誰がなんと言おうが僕のばあちゃんだったね。

一方で、祖父は全く血のつながりは無いわけ。結構な年になるまで働いて居たし、あんまり小さい頃は接点が無いのよ。あんまりしゃべらない人だったし。お酒も飲むし、タバコも吸うし、親父とも全く似てないし。

小さい時はどっちかと言うと苦手だったかな?

それが、有る程度大きくなるに連れて、夏休みに大工仕事を頼まれて手伝ったり、成人して、一緒にタバコや酒を飲むようになって、そして、ばあちゃんの方が先に怪我が元で寝たきりで痴呆になっちゃって、病院に一緒に行ったり、別に何をどう話すわけでも無いけど、なんとなく彼のイズムが徐々に。

極めつけが、僕の結納の祝いの席で、気分が良くなったのか、どじょうすくいを披露してくれました。家族一同、これまで全く見た事の無い彼の遊び人の一面が見れて凄く良かった。その数ヶ月後、彼は体調を崩し、自分から病院にいくと言って一ヶ月後に亡くなりました。

その時に感じたのは、悲しみと同時に、一緒に過ごした時間への懐かしさです。

そんなこんなで、オススメするのが、一緒に過ごす相手に興味を持って接することです。興味を持って、オープンな気持ちで居ると、ふとした時に相手と自分だけの時間が作り出されるんですね。すると、何故か自分の息子や妻にも言っていないようなエピソードが語られたりして面白かったですよ。

別に、泣く事だけが悲しみの表現方法では有りませんし、本当に悲しい時には涙も出ない時も有ります。

お姉さんと比較するする必要も無いし、あなたはあなたの付き合い方を構築されたらと思いますよ。これからですよ。
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じじいです。



生前にどれだけあなたと深く関わっていたかです。

祖父と年に1回くらいしか会わず、思い出に残ることが少なければ悲しみが起こらなくとも当然です。

>私は人としておかしいでしょうか。

充分正常範囲ですよ。

悲しみを誘うのは、一緒に共感した記憶です。

>父方の祖父より近い存在でした。

それでもあなたにとって、常に身近であなたの事を気に掛けていてくれた存在ではなかっただけの事です。
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両祖父母のことは脇においておいて。


ぱっと見て、無責任な感想を述べるならば、社会性に乏しいのではと思いました。

社会性が低いというとあまり良くは聞こえませんので、不愉快にさせたら申し訳ありません。
が、社会性の多い少ないに個人差があるのはあたりまえで、統計を取ればきれいな正規分布を描くはずです。
なのでそれだけを持ってして人でなしとか人としておかしいと断定することはできません。
たとえば、男性は女性よりも共感性に乏しく、社会性で劣りますが、だからといって男性の大半を人でなし呼ばわりはありえないでしょ。
人でなしになるのは、社会性が低いために積極的に自分の利益のために他人に損害を与えても平気な性格をしているとか、もっと悪い場合には犯罪に手を染めたりだとか、そういう場合だと思います。

質問者さんのことをそう思ったわけは、文章全体が理路整然としているからです。
ご自分の感情について述べているのにもかかわらず、とても整然としていて読みやすいです。
論理的思考と社会性というのは脳のつくりとしてバーター交換になるそうで、
大脳のつくりについての本に「大脳は物理よりか心理よりにできあがる」といったことが書いてあったのを覚えています。
まずは、ご自分の強みが論理性にあると思うのなら、今後もどうか磨いて伸ばしていってほしいと思います。

ただ、それは社会性を磨くことを捨ててもいいということではありません。
人は人間関係の中で生きているわけですから、共感性がゼロだと見られるのは好ましいことではありません。
それに論理的思考ができるからといって感情的ではないとは限りません。
だから共感性を意識して減らさないような努力をしないと、自分が困ることになりかねません。
>人の気持ちを推測することは難しくありませんが、しかしこんな酷いことがあった、と友達に話されても、解決策を提示することしかできず、慰めの言葉が出てきません。

この、相手が解決策を提示を求めているわけでもないのに頭に浮かんだ一般論を解決策として述べてしまうのは共感性に乏しい人によく見られる反応ですが、非常に感情的な反応でもあります。
自分の感情の赴くまま相手を無視した反応をするのは、親しい間柄を維持したいのならベターとはいえない。
でもこれはより良い反応を模索し、ある程度マニュアル化して覚えることで対応できると思います。
周囲の反応を見て、その反応を覚え、分析して自分のものにするとか。
何も最初の一言が完璧な慰めの言葉である必要はありません。
最初は「そうなんだ…」で口ごもっていてもいいと思います。
人の気持ちを推測することがむずかしくないのなら、しばらく口ごもっているその間に、慰めの言葉を考えても遅くはないです。

最後に、冒頭で脇に起きますと書いたお祖父様へのことです。
身内であっても、親しくなかった老人が亡くなったからといって悲しめないのは10代なら特に珍しいことではありません。
お姉さんのほうが共感性が高いのもあるかもしれませんが、質問者さんよりも年長の時に接した経験があること、年上のために接した時間そのものも長いこと、死についてより考える時間があったこと、そういうことなんかも関係しているはずです。
質問者さんがこれから人生経験を積んでいくうちに、人との関わりや、時間が有限であること、そういうことを深く考えるようになって、また人の死についてや親しい人を失う悲しみも理解するようになるかもしれません。
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俺は親父が死んだ時も今も、涙はおろか、全然悲しくもなかったよ。

うん。
いいんじゃね?それで。
俺的には、親というのは、母親の事しか指しませんので。
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貴方が感情的になる前にお姉さんが泣くからじゃないですか?


先に泣かれると泣くタイミングなくしてしまうんです。
(これは私の事なんですけどね)

経験値不足なだけです。
相手の気持ちを考えれるって自分が経験したことだから共感できるんです。
祖父母の葬式なんて泣かない人もいますよ(私も泣いていません)
>私は人としておかしいでしょうか

今のこの文だけではおかしくなんかありませんが自己中である可能性はあります。
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こんにちわ。



読ませていただきました。そして、思ったことですが、質問者さまは「自己分析」をとてもしっかりとされていますよね。そして、お話し(内容)されていることも分かり易く、文章の流れにも淘汰されているので、仰りたいことがよく理解できますよ・・・。

お身内の悲しみ事や、お友達の感情面での共感は余り、「理解」しがたいものがあるとの事ですが、周りと違う・というだけで「人と違うのでは・・・?」と思われることこそ少し違うのではと思いますよ。

これは、「パーソナリティー」も関係しているし、お身内の「死」にみんな泣いて涙を流しているのに自分には“悲しい”とした感情が湧いてこないと・・・だからといい、こうした事は“良し悪し”としたものとは別ものですし、“おかしいのでは。?”とそちらに思考を持っていかれるものでもないです。

年齢も未だお若いということも言えますが、思うに幼時期や子供の頃に親御様に叱咤されたり、必要以上に干渉される等と、嫌な想い出となっていることも無く安定した精神状態で過ごされてきていたからとも言えるとおもいますね。(それだけ恵まれていたとも・・・。)

>>・・・映画や小説に感動して泣くこともあります。異性を好きになったこともあれば友達に好かれたくて気を遣うことも、嫌なことを言われて傷つくこともあります。

って言われている様に人によりけりで、感情・感性・感覚・の違いも関係するものだと思いますよ。
例えば、みんな腹を抱えて笑っているのに“何がそんなに面白いんだろう。?”(どこが面白いの。?)って、冷めている自分を感じる時があります。(私事ですが。)

なので、喜怒哀楽には“ツボ”があると思われますね。
そうしたことからしたら質問者さまはご自分(心)にとても正直で「ピュア」な性格のお方だといえると・・・。

要約(持論?)すれば、周りの空気や、状況(状態)といったものに流されることなく、冷静沈着であり然も「木を見て森を見ない」としたことは無いように感じられますね。

>>母方の祖父の具合が悪くなり、もしかしたら葬式があるのかな……病院行かなきゃいけないのかな……と考えるばかりで、まったく悲しめない自分がいるのに気づきました。

こうした想いは当てはまっている様におもわれますが、どうですかね。?

>>祖父が死んだことや葬式で感じる憂鬱な気分は、根底では悲しんでいるということではなく、人並みに悲しめない人とは違う自分を自覚するからだと思います。

確かに、そうしたことも言えるかもしれないです。でもね、大人の世界は“世間体”というものに凄く拘りを持つものなんですよ。(例えば、自分の親や、夫・妻・が無くなったというのに涙もながさない。なんて悪い評価をされ、非常識者にされても困るからとも言えるのです。)

>>私は人としておかしいでしょうか。

そんな事はないですよ。繰り返すようですが、ご自分の意識・感情・に素直なだけですよ。
(頭が良すぎるんじゃないですかね。)

そんな気持ちになってしまいますね。そして、言わせて頂けるのであれば、余り周り(人)と比較されない様にされてくださいね。それをすると自分を責めることにもなり兼ねません。

平常心でおられたら宜しいことではないですかね。
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