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 ▼ 池田信夫:日本的ファシズムを生んだ「和」の精神
  http://blogos.com/article/93215/  (2014年08月27日 )
 ☆ を読みました。
 次の論点をめぐって ひとつの解釈をこころみますので 当否についてご教授ください。


 ( a-1 ) ▲ (丸山真男:政治の本質は暴力だ) ~~~~~~~
 政治という領域は、極限状態においては殺すということを予想しているわけです。

 大部分の政治はそれなんだ。暴力的対立を前提にしてるんです。[…]

 紛争それ自体を悪いことだとする考え方が、日本人の国民性かというと、もともとそうじゃないんですよ。むしろ、こっちのほうこそ、幕藩制から明治天皇に至る間にできた負の遺産なんです。
    (丸山真男:自由について 七つの問答)

 ( a-2 ) ▲ (丸山:「和」の名において、実は強制が・・・)~~~~
 日本は非常に危険な国です。

 「和」の名において、実は強制が行なわれる。そういう危険のほうが、より大きいと僕は思うんだ。

 だから、まず「紛争」というのを間に置けば、その点は大丈夫なわけです。

 そうではなく、「統合」から出発しちゃうと、紛争それ自体がいけないんだという、幕藩体制から儒教なんかが大いに要請した秩序本位の考え方のほうに行っちゃう。
     (同上)
 
 ( b ) ▼ (池田信夫:和の精神が日本的ファシズムを生むのか)~~
 ここで彼(丸山)が日本の失敗の原因として指摘しているのは天皇制ではなく、江戸時代以降の平和主義である。

 戦後の「革新陣営」は戦争の原因が軍隊だと考えて軍隊をなくす新憲法を理想化したが、それは問題を逆にみている。

 軍隊の暴走をもたらしたのは、このような「和」の精神なのだ。それは「古層」ではなく、もっと新しい層でつくられたもので、これからも再生産される可能性がある。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ☆ 《和の精神》が わるいわけがない。

 それは・つまりわるいようにはたらくのは 上からする・つまりお二階からおこなう和の――強要とは言わず――醸成ではないか?

 つまり 《和を以って貴しと為し さからうこと無きを旨とせよ》なる《憲法》が いけない。

 これは おれたちが権力をにぎった。文句あっか? という顔つきでのたまわっている。

 単純な問題だとして解釈しましたが 自由なご見解をお寄せください。


 つまり 一階では けんかが絶えないほど 互いに仲良く和をとうとんでいる。のではないか?

A 回答 (10件)

こんにちは、池田信夫氏は好きな評論家です。


その人の言っていることだから間違っているはずはないw。
そんなことはないかw。
>彼(丸山)が日本の失敗の原因として指摘しているのは天皇制ではなく、江戸時代以降の平和主義である。

平和主義が悪いはずはありませんね。無駄にあらそって人命を毀損することがいいはずはない。明治初期だって日本国内はずいぶん内戦をやらかしましたが、結局天皇で統一されました。昭和の敗戦だって天皇責任を否定するものではないけれど、間違いのもとはそこにはない、なかったというのは常識でしょう。
丸山が言っているのは日本人の妥協と日和見精神、伝統的な長いものにはまかれろ精神んを言っているので、まあ常識といっていいと思いますよ。そのとおりです。勇敢な政治家はいましたが、多くが和の精神で何もいわなかったので暴走してしまったということです。

あべの暴走も誰も何も言わないので行くところまで行くのではないか、と思いますよ。これも日本の危険なところです。朝日新聞は袋叩きになっていて今度のA級戦犯賛美にも世論はにぶい。こわいですね。

>和を以って貴しと為し さからうこと無きを旨とせよ》なる《憲法》が いけない。

 これは おれたちが権力をにぎった。文句あっか? という顔つきでのたまわっている。

憲法って9条のことですか?ちょっと理解に苦しみます。

憲法は国民のものです。

議論はいいとおもいますが、和の前の紛争は言論だけに限られると思います。
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この回答へのお礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ★ 丸山が言っているのは日本人の妥協と日和見精神、伝統的な長いものにはまかれろ精神んを言っているので、まあ常識といっていいと思いますよ。そのとおりです。勇敢な政治家はいましたが、多くが和の精神で何もいわなかったので暴走してしまったということです。 
 ☆ つまり ここで言うのは

 ★ 日本人の妥協と日和見精神、伝統的な長いものにはまかれろ精神 ≒ 和の精神

 ☆ ということですね。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   >和を以って貴しと為し さからうこと無きを旨とせよ》なる《憲法》が いけない。

   >これは おれたちが権力をにぎった。文句あっか? という顔つきでのたまわっている。

  ★ 憲法って9条のことですか? ちょっと理解に苦しみます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ いえ。これは 例の十七条憲法です。第一条です。

 一般の説として 当時 ブディズムが入って来て 崇仏派とそして物部氏の排仏派とに分かれてあらそったとき 前者の蘇我氏の側についてその聖徳太子らは 物部守屋をほろぼしたあと権力をにぎった。そのあと 文句あっか? という顔をしたのだと見ます。

 さからうこと無きを旨とせよというのは おれたちにはさからうなと言っているとしか読めません。

 ですから
 ★ 長いものには巻かれろ
 ☆ というのも そこに築かれたお二階なるマツリゴトの当事者の醸し出すクウキにはしたがえと言っているというふうに聞こえるのですが いかがでしょう。

お礼日時:2014/08/28 21:39

こんばんは。




江戸時代には、
百姓一揆という形で、
民衆はお上(かみ)に対して敢然と立ち向かい、お上を屈服させていますが。

しかし、そこは日本人のやること。
百姓一揆を起こす前に、一揆の際に略奪や盗みという犯罪行為が起きないように禁止行為を定め、これに違反した者は処罰する。そして、百姓一揆の参加者にこのことを周知徹底させる。
ですから、
極めて整然と百姓一揆が行なわれたそうです。
今日的な言葉で言えば、組織だった大規模デモといった感じになるのでしょうか。
武士といっても、江戸時代の中頃になれば武装集団ではなく、ただのお役人さんだから、とてもお百姓さんたちには対抗できなかった。丁重なおもてなしをした後、お百姓さんたちの要求を丸飲みし、平和的に解決するということが通例だったようです。

江戸の町などで起こった打ち壊しにしても、悪徳商人(とみなされた人)の店を襲い、商品をバラ撒いたりの乱暴狼藉はしますが、略奪や人を傷つけたりはしない。
ただこのバラ撒かれた商品、たとえばお米は、この打ち壊しに参加していない、暮らし向きに困っている人たちは、手拭いなどで頬被りをした上で持って帰って良かったようですね。
打ち壊しの様子を描いた絵などに、こうした頬被りをした人の姿が描かれたりしています。

やる時はやるんですよ。
ただ、この様な時でも、他国のように無秩序、無法状態にならないのが、江戸時代の民衆蜂起や暴動の特徴。


また、日本人は和を大切にするといっても、事前に色々と議論しますし、裏で根回しや多数派工作などの寝技をして、表立って騒ぐ様子を見せないだけでしょう。
そして、それで決まったことには従うというのが日本的な和だと思うんですがね。

古事記を見ますと、
高天原で何か厄介事が起こると、神々はすぐに集まって会議を始める。
この会議は議論が紛糾して意志決定がなされることなく、そうこうしているうちに、何だか分からない形で決着がなされるようですが…。
しかし、一度、意志決定がなされたら、一糸乱れることなく、それを敢然と遂行する。

ただ、この何だか分からない形というのが怖いですね~。
《日本的察し》がその正体なのかもしれないし、責任回避の行為なのかもしれない。

こんなことをチョックラ考えています。
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この回答へのお礼

 ◇ ~~~~~~~~~~~~~
 江戸時代には、
 百姓一揆という形で、
 民衆はお上(かみ)に対して敢然と立ち向かい、お上を屈服させていますが。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ん? ほんとですか?


 こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ◇ 武士といっても、江戸時代の中頃になれば武装集団ではなく、ただのお役人さんだから、とてもお百姓さんたちには対抗できなかった。丁重なおもてなしをした後、お百姓さんたちの要求を丸飲みし、平和的に解決するということが通例だったようです。
 ☆ ちょっとにわかには信じられないんですが。百姓は一揆を始めたと言っても けっきょくは木端微塵にやられたと思っていましたが。

 その前の時代の一向一揆も 加賀一揆が一世紀以上も持ちこたえたのを例外として ことごとくやっつけられていると思います。

 武士によれば 斬り捨て後免ではなかったのですか?




 ◇ ~~~~~~~~~~~~~
 また、日本人は和を大切にするといっても、事前に色々と議論しますし、裏で根回しや多数派工作などの寝技をして、表立って騒ぐ様子を見せないだけでしょう。
 そして、それで決まったことには従うというのが日本的な和だと思うんですがね。 
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ いえ。これも にわかには信じられないですね。

 《和》とわたしが言ったのは 市民たちのヨコのつながりにおけるそれです。

 市民たちのタテの関係における態度は いま触れられている一揆などが 典型だと思われますが このように二階と一階とのあらそいというのは 日本の場合には まづお二階さんたちがわるい。一階の百姓たちにまづ罪はない。

 なぜなら 市民たちは やむに止まれずに一揆なら一揆をおこすに過ぎないからです。

 丸い円のかたちで おのおのの名前を書いた連判状がありますね。一揆をおこすに当たって団結を誓ったもの。

 これは 首謀者が誰かが分からないように放射線状に名前を書いた。首謀者は 打ち首だったのだと理解しています。



 スサノヲ市民が 自分からアマテラス公民に対して 暴力をその物理的なチカラを振るうためにこそ用いたのは
 難波大輔の事件くらいだと思っています。あとは やむに已まれずにチカラにうったえたのだと。

 ですから 二階に対する一階の人びとの態度というのは 和の問題ではなく 微妙ですが くにゆづりの精神の問題であると考えます。お二階さんたちは 一階における人びとのムラマツリに集い合うヨコの和を上から寄せてたばねて――《束》が ファッショのことですが―― それとして秩序を敷くというのは それこそマツリゴトとしての《大和》だと皮肉られる羽目になると思います。




 ◇ 古事記を見ますと、 / 高天原で何か厄介事が起こると、神々はすぐに集まって会議を始める。
 ☆ これは その場合の・つまりお二階さんたちの場合の《会議》というのは つねにその大前提が決まっています。マツリゴトのうまく行きますようにという大目的のもとに心をひとつにするというものです。

 つまり一階の葦原で起きるサバエ成すさわがしきことどもを押さえるためのものです。つまりは 《天津罪》の処理です。これは タテの関係の問題です。 

 ◇ 《日本的察し》がその正体なのかもしれないし、
 ☆ この《察し》も マツリゴトにとってよいかわるいかという基準で判定されるというアマテラス公民のあいだにおける暗黙の了解なのだと察せられます。

お礼日時:2014/08/28 22:07

丸山は<「和」の名において、実は強制が行なわれる。

そういう危険のほうが、
より大きいと僕は思う> と言っていますが
信夫は丸山の言葉を<軍隊の暴走をもたらしたのは、このような「和」の精神なのだ>
と解釈しています

私は信夫のように安直に解釈できないと思います
というのも、丸山は「和」の精神から強制が生まれるとは言ってません
丸山はあくまでも強制が行われるのは「和」の名においてと言うに留めている
これは単に日本は強制をする大義名分として「和」をよく持ち出す程度の意味でしかありません
信夫の解釈が正しいならあえて「名において」などと言葉をボカす必要がありませんから

しかも丸山は<「和」の名において>と語ってる文脈で言っている危険とは、「和」が
大義名分として成立してしまうことで紛争は悪いことだと国民が考えてしまう危険のことを
言っていると思います

なので信夫はかなり悪意のある曲解をしています
丸山はファシズムが生まれる原因に言及はしてません
あくまでファシズムに対抗する手段としての「紛争」を和の精神が封じてしまうことで
ファシズムにブレーキをかけることができないということを言っていると思います

恐らく信夫は丸山のことが嫌いで、丸山を日本の文化に唾する危険思想家としてのレッテルを
貼りたいという魂胆があるからこういった曲解を堂々とするのでしょう
これは読み手をバカにしてると思います
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この回答へのお礼

 ★ これは単に日本は強制をする大義名分として「和」をよく持ち出す程度の意味でしかありません / 信夫の解釈が正しいならあえて「名において」などと言葉をボカす必要がありませんから
 ☆ ううーん。微妙ですね。論点になるでしょうか。


 こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 端的に質問者ですが口をはさむとしますと 趣旨説明欄にちらっと触れたかと思うのですが けっきょく《和》にふたつの種類がある。のではないでしょうか?


 スサノヲ市民らの自分たちのあいだのヨコの関係における――ケンカの絶えない――和の生活実態。
 そして アマテラス公民の側から 一階の市民らに要請するような――つまり おれたちには刃向かうなという――《和の精神》。

 この上からクウキを醸し出すような和の精神のばあいには その《名のもとに》チカラづくの行動がおこなわれゥ得るでしょうし  あるいはまたその精神のまま《〔上層の下部ないし中間層の上部による〕軍隊の暴走をもたらした》こともあったのではないか? このように両方の場合が感じられて来ています。




 こう考えて来てしまったのですが そうしますと あとに書かれた部分については まづこのわたしのひとつの見解をめぐって 当否を判定してもらったあとの議論になるかと思われました。

 ですので 取りあえず ここまでをお応えとしたい。こう思いますが ちょっと省略しすぎますか?


 できましたら No.2でのやり取りをも見ていただけたならありがたいと思うのですが。

お礼日時:2014/08/28 22:24

B様、こんばんは。




>「政治という領域は、極限状態においては殺すということを予想しているわけです。
大部分の政治はそれなんだ。暴力的対立を前提にしてるんです。」

・・・極論だと思います。
政治(行政)においては「殺す」とは、「死刑」の問題でしょう。
(刑法すら未整備の国、なら、ともかく)

ていうか「暴力的対立を前提にしている」という見当も、どうですかね?




>「《和を以って貴しと為し さからうこと無きを旨とせよ》なる《憲法》が いけない。」

「聖徳太子憲法」か
「さからうこと無き」じゃなくて「争うこと無き」だったと思うんですけど
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ▲ 極限状態においては
 ☆ という条件付けは
 ★ 極論だと
 ☆ ことわっています。よ。


 ★ 政治(行政)においては「殺す」とは、「死刑」の問題でしょう。
 ☆ フクシマもそうですが このたびの広島の災害についても 政治における極限状態に当たるのではないでしょうか? 生活の死 というふうに捉えるとよいと思うのですが。

 自然のチカラとしての
 ▲ 暴力的対立を前提にしている
 ☆ とも捉えられます。

お礼日時:2014/08/28 22:29

B様、こんばんは。




>「フクシマもそうですが このたびの広島の災害についても 政治における極限状態に当たるのではないでしょうか? 生活の死 というふうに捉えるとよいと思うのですが。」

分析は哲学に任されても良いとして、、、


政治としては、だから「首相(や大統領)が」ということに、なるのですか。
これは、「極限状態」を、政府として遺憾に思っている、ということで、
・・・その通りなら、それでいいと思います。
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この回答へのお礼

 いや ちょっと話の筋がちがうのではないでしょうか?

 ご回答をありがとうございます。

 


 つまり それはそれとして話が成り立つのかも分かりませんが この質問は 《和の精神》の問題です。

 その精神から ファシズムが出て来るか? です。


 では 和の精神とは何か? などなどという問題も出て来るのではないでしょうか。平和主義とは どう違うか。暴力ないし戦争とは どう切り結びしているか。とか。・・・

お礼日時:2014/08/29 00:37

☆☆ ん? ほんとですか?


◇ええ、結構、お上を屈服させているんですよ。

上田騒動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0% …

虹ノ松原一揆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%B9%E3%81%AE% …

中山道伝馬騒動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E9%A6%AC% …

事態沈静後に、法は法なので、首謀者は処刑されたりしますけれど。

中には、
新潟明和騒動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%BD%9F% …
のように、だまし討ちのような目にあったりすることがあったり、
悲劇的な結末を向かえる百姓一揆もありますけれど。


☆☆ ちょっとにわかには信じられないんですが。百姓は一揆を始めたと言っても けっきょくは木端微塵にやられたと思っていましたが。
◇逆ですよ。木っ端微塵にやられたのは、お上の方です。

牛久助郷一揆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E4%B9%85% …

数が圧倒的に違いますから、勝負にならないんですよ。


☆武士によれば 斬り捨て後免ではなかったのですか?
◇牛久助郷一揆の記事に
~~~~~~~~
そこで、「万一、百姓が手向かいする時は、飛道具(鉄砲)を使ってもよいのか」文書で問合わせたところ、「時宜によって飛道具等使っても苦しからず」と口頭で了解が得られた
~~~~~~~~
とあるように、
「斬り捨て御免」ということはないですよ。

江戸のこの時代くらいになると、
特権階級である武士といえども、《斬り捨て御免》というような無法が許されるような時代ではなかったんですよ。


家老が一揆衆の前で切腹するというようなことさえあったんですよ。


江戸時代の文献資料の研究が進み、江戸時代に起きた百姓一揆の考え方が変わってきているんですよ。
高校の教科書の記述もこうした方向になっているみたいですね。
2~3年前に見たNHKの高校講座『日本史』では、こうした語り口で語っていました。
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この回答へのお礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。


 ◇ 上田騒動
 ▲ (ヰキぺ) [・・・]首謀者が夫神村の農民・清水半平と中沢浅之丞、庄屋の西戸太郎兵衛であることが判明。宝暦13年(1763年)3月2日に半平(60歳)と浅之丞(39歳)は死罪、太郎兵衛は永牢となった。
 ☆ けっきょく《庄屋》が 庄屋という身分で処罰のあり方が判断されています。これは 何を意味するか?

 つまりは 《アマテラス公民圏 - スサノヲ百姓世界》なる連関体制としての《秩序》を守るために――ということは 年貢による自分たちのおまんまが食べられることを確保するために―― 対処していると見られます。

 例えば民主主義を標榜するにようになったとか 《〈和の精神〉の上からの醸し出し》方式を取りやめたとか そういった変革ではありません。《転進》ですらないかも知れません。



 ◇ 虹ノ松原一揆
 ▲ (ヰキぺ) 最終的には武力的衝突もなく、一滴の血も流さず、農民は唐津藩に増税を撤回させることに成功した。しかし、面目を潰された藩は以後厳しい取り調べを行ったため、その翌年、指導者であった冨田才治ら4人は見かねて首を差し出すことで合意、西の浜で処刑されることでこの事件を終結させた。
 ☆ お上の譲歩は 《新増税》を取りやめただけだとも見なされます。




 ◇ 中山道伝馬騒動
 ▲ (ヰキぺ)人馬継立などの助郷の追加負担
 ☆ を取りやめた。だけだと考えられます。

 ▲ 最終的には一揆の原因となった要求を幕府側が取り下げたことから、幕府の威信が低下する一因となった。
 ☆ 《威信》などは 初めからマガイモノです。脅しによって成り立っているだけなのですから 初めから無効です。そのことが分からないなら 《和の精神》は泣きます。


 ◇ 新潟明和騒動
 ▲ 前年からの飢饉もあって長岡藩は1767年(明和4年)新潟町に1,500両の御用金を2年の分納で課した。しかし、飢饉による米の流通の減少から新潟湊への入港量が減少しており新潟町もまた不景気に苦しんでいた。さらに米の高騰もあって困窮していた新潟町民は2年目の750両を工面できなかった。
 ☆ 自分たちの糧は 百姓たちが何とかしてくれると思っているだけのことです。どこまで阿呆なのか!

 ▲ 町民は涌井藤四郎(わくい とうしろう)らを中心に延納の嘆願書を出すべく寺に集まったが
 ☆ とうぜんの行動です。《波風が立つべく》 お上は行動しているだけのことです。

 このようなアマテラスのお偉方たちの思想には 韓国人もマッツァオになるかも知れません。財政立て直しや経済政策などは 何にも考え及ばない。

 ▲ 八木屋市兵衛がこれを徒党として密告。代表者の涌井は町奉行所に出頭を命じられ投獄された。
 ☆ このようにゲシュタポが横行するようになるのも 上からする《和の精神》の特徴です。アマテラス予備軍症候群と呼びます。

 西暦500年ごろ 継体ヲホドの台頭以来――その淵源は 応神ホムダワケのヤマトへの登場です―― この《 A - S 連関制》なる《和の精神 と呼ばれる亡霊》に人びとは 困り果てて来ています。これが 《大和》であるという大いなるまぼろしです。局面や部位に醸し出されるクウキの大元のエーテルです。


 ▲ 事態の沈静化を図った町奉行側は涌井を釈放。打ち壊しは翌日も行なわれたが、涌井は町奉行所打ち壊しに向かっていた町民等を説得、事態は沈静化した。これにより涌井らが藩に代わって町政を掌握し約2ヶ月にわたる町民自治を行なった。
 ☆ これは ただただアマテラスお二階さんたちが お手上げになったというだけのことです。思想もへったくれもありません。丸投げしてでも 身分はまもろうという魂胆です。


 


 ◇ 牛久助郷一揆
 ▲ 勇七と吉十郎は、≫積金の利息で人馬を雇う案を話合うつもり≪ で集会を開いたにもかかわらず打壊しの暴挙に至ってしまい有罪になり、桂村の兵右衛門は打壊しの発言があったと認定されて有罪にされている。
 ☆ とありますが それ以外には 理由・原因が分かりません。このヰキぺ氏は ダメです。





 ◇ 江戸のこの時代くらいになると、 / 特権階級である武士といえども、《斬り捨て御免》というような無法が許されるような時代ではなかったんですよ。
 ☆ それは ただただ社会の経営が下手だったというに過ぎません。もともと無効の行為から発していますから――おれたちを神棚に据えて祀れという・脅しもしくは丸め込み(つまりは 人びとによるそれへのくにゆづり)から発していますから―― あとは ゆづり返しをして 人間として有効な思惟および行為を取り戻すことしかすることはありません。

 《斬り捨て後免》がもし許されなくなったとしても まだ当たり前の状態にもどっただけです。
 けれども そのような不法行為をみとめる体質は 《温存されている》と思われます。
 (社会をたとえ民主的に共同自治すると言っても 一部の人びとの利益を斬り捨てにする政策が 取られざるを得ない場面は あると考えますが)。




 ◇ 家老が一揆衆の前で切腹するというようなことさえあったんですよ。
 ☆ 《百姓スサノヲ》は 《会社のために・会社は永遠であるがゆえに》みづから身を斬ることもするのが ナラハシでした。それと同じように 《エリート・アマテラス族》であっても アマテラス公民世界の悠久の大義に殉じるというだけのことです。

 民主主義でも和のこころでもないと言わざるを得ません。




 ◇ 江戸時代の文献資料の研究が進み、江戸時代に起きた百姓一揆の考え方が変わってきているんですよ。
 ☆ 為政者の《家》が 落ちぶれて行くだけのことです。経営もまづくなって行った。世界のうごきも 変わって来たというような。

 《百姓スサノヲ》の生活は 変わりません。強いて気がかりなことはと言えば いつゆづり返しがあるかでしょう。大政奉還です。

お礼日時:2014/08/29 08:24

そうそう、


《天保義民事件》を挙げないといけないですね。
 ───NHKの高校講座『日本史』では、これを例に江戸時代の(後半の)百姓一揆の実情を説明していた───

天保義民事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BF%9D% …

幕府に面と向かって叛旗を翻し、幕府の命令を破棄させたにもかかわらず、処分者ゼロの事例です。
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この回答へのお礼

 つづきましてのご回答をありがとうございます。


 ◇ 天保義民事件
 ▲ (ヰキぺ) ~~~~~~~~~~~~~
 この事件の背景には藩主を支持する領民の動きを幕府が抑えきれなかったこともあるが、

 後に「天保の改革」と呼ばれる老中水野忠邦の幕政改革に対する諸大名や民衆の不満の高まりとともに、

 水野への支持と幕府に対する反抗の広がりへの危惧の板挟みとなった将軍家慶の政治的判断があったと考えられている(実際、三方領知替え決定の責任者であった水野忠邦は、幕府の命令が事実上破棄されるという前代未聞の事態にも関わらず、老中の地位を慰留されている)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 自民党内の――派閥や地方党員らを巻き込んでの――お家騒動であると見られます。

 ▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 また、当時は民衆が徒党を組んで公儀に対して反抗することはもっとも重い罪とされ、主だった者は死刑とされていたが、

 処罰の権限を持つのは主君である庄内藩酒井家である(幕藩制の下では、江戸幕府や徳川将軍家は藩主である酒井家とは主従関係にあったが、酒井家と主従関係にある庄内藩の家臣や領民に対しては直接処分する権限は無かった)ため、何ら処分が行われることも無かった。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というだけのことだと見られます。酒井氏は 味方を処分するわけにも行かないでしょう。




 ◇ NHKの高校講座『日本史』では、これを例に江戸時代の(後半の)百姓一揆の実情を説明していた
 ☆ 徳川なる家が落ちぶれて行く歴史過程であると見ます。それだけのことであると見ます。

 百姓スサノヲは かつてのくにゆづりを忘れたのか? という時効中断なる行為をおこなっているだけです。(むろん これには 時効は成り立ちません。時効が成り立つことによって 人間性が立ちゆくようになるのなら そうなります。アマアガリ・シンドローム(出世症候群)やアマテラス予備軍症候群から 人びとが自由になれるなら 人間性が立ちゆきます)。

お礼日時:2014/08/29 08:41

「大人(たいじん)は和して同ぜず、小人(しょうにん)は同じて和せず」ということわざがあります。



大人物は、和を大切にするが、付和雷同することはなく、自分の考えはきちんと持っており、和を損なわないようにしながらも、時には孤立を恐れない。 ⇒ こういう人々はファシズムに走ることはない。

心の小さな人間は、何か言われて、それが大勢の人々の意見だと分かると、自分では深く考えることもせず、自分はそうじゃないと思いながらも、孤立を恐れてすぐに大勢に迎合して大勢の言うがままになるが、そのくせ、本当は周りと仲良くはしない。⇒ こういう人々は、大勢からの孤立を恐れてファシズムに走る。

だから、「和の精神」が「ファシズム」を生むのではなく、人間の心のあり方の違いがファシズムを生むのだ、と思う。
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この回答へのお礼

 ★ 大人物は、和を大切にするが、付和雷同することはなく、自分の考えはきちんと持っており、和を損なわないようにしながらも、時には孤立を恐れない。 ⇒ こういう人々はファシズムに走ることはない。
 ☆ ということは 山の中にでも隠れて独りひっそりと暮らすということでしょうか?


 とと77じゃぱさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。


 それとも ファシストらに対して 果敢に挑戦をいどみますか?

 あたかも満員電車に乗っていて急ブレーキがかかったときなどのように 不可抗力で世の中の流れにつき従わなければならない場合もあるのではないですか?

 豚箱に入れられているか。それとも ほかの国へ亡命するか。そういった行動をとるしかほかにないのではないでしょうか?


 漢文の古典の出番ではないと思うのですが どうでしょう?





 ★ 人間の心のあり方の違いがファシズムを生むのだ、と思う。
 ☆ というとき ふたつの《心のあり方》を問題にするなら ひとつは 文字通りおっしゃるように自分の定見もなく波に揺られてついて行く場合(付和雷同)です。

 もうひとつは 自分の考えを持ちつつも 世の中の大きな流れには抗いきれない場合で そのときには そのファシズムなる動きや流れに 付き従う振りをする。という行き方があります。そのように分かれるのではないかと考えますが どうでしょう。

お礼日時:2014/09/01 15:32

 元本と読んでいませんし、丸山真男の考えがよく分かっていると思っている者でもありません



 >☆ 《和の精神》が わるいわけがない。
 これはその通りなのだと思いますが、和こそ最善と言う考えを、丸山は否定しているのだと思います。
 いわゆる和という考えを突詰めると、ただ現状を受け入れるしかないという状況になってしまいます。
 政治的主張の違いは、論理的に解決できるものではないので、紛争・闘争が一切だめだとすると、多数派のいいなりになるしかなく、少数派の考えを持つ人は我慢するしかありません。
 そうすると、人は考えなくなります。

 紛争・闘争の余地があれば、少数派は議論の限界になれば、何らかの実力行使に出ることもあるでしょうし、最悪の場合は武力闘争ということになるのでしょう。
 こういう状況は、世界各地で現実に起きています。

 最悪、武力闘争になるかも、という可能性があれば多数派も少数派に歩み寄ることもあるかもしれません。

 紛争をたんに認めるということではなく、可能性として和の一部に含めておかないと、思想的には社会は停滞し、考えることを放棄する人が多くなって、些細なきっかけでファシズムの台頭というようなことも起きやすくなるということではないでしょうか。

 これには実例があり、1970年代学生運動や労働運動が盛んだったころ、いろいろの口実でデモや集会が制限され、一部デモ隊が暴徒化したのを大きく取り上げ、ほとんどすべてのデモ行進で機動隊が両側を挟んで行進が行われるという事態になり、やがてデモ行進は衰退してしまいました。
 この機動隊に挟まれたデモ行進の状態をサンドイッチデモと言います。
 ネットで画像を探したのですが見つかりませんでした。
 参考までにURLを貼っておきます。

 http://www.jicl.jp/now/date/map/36.html

  現在報道などで、政治に無関心な若者が多いことを、困ったことだと言っておりますが、この状況は政府とマスコミがこぞって「和至上主義国民」を作り上げた結果だと思います。

 原発再稼働反対運動で久しぶりに集会やデモを見てある種の感動を覚えました。
 しかしこういう報道に接すると眉をしかめる人も多いのではないでしょうか。

 武力闘争は避けなければなりません。すると「和至上」でない「和」をどのように実現するか難しいことであるとも思います。
 せめてデモ行進や政治集会を国民の当然の権利とする考えを義務教育中にきちんと教えないといけないと思います。

参考URL:http://www.jicl.jp/now/date/map/36.html
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この回答へのお礼

 ★ いわゆる和という考えを突詰めると、ただ現状を受け入れるしかないという状況になってしまいます。
 ☆ という問題がありますね。

 てっぽうさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 和は したがって よわい。と言いますか。あまり 生産的でも建設的でもないという場合が起きますね。

 言いかえると:

  ○ 和を乱そうと思ってなら おだやかな雰囲気に波風を立たせるようなことは 言わなかったし しなかった。

 と言えるような行動が のぞましい。あえてそのように凪をやぶる発言も 必要でありとうとい。と考えられます。




 ★  ~~~~~~~~~~~~~~~
 政治的主張の違いは、論理的に解決できるものではないので、紛争・闘争が一切だめだとすると、多数派のいいなりになるしかなく、少数派の考えを持つ人は我慢するしかありません。
 そうすると、人は考えなくなります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは わたしは――しょうじきに反応しますが―― 議論でマチガイを指摘し反駁することのできる知恵をしぼるよりほかない。と思っております。長い長いときを経ることになってもです。


 
 ★  最悪、武力闘争になるかも、という可能性があれば多数派も少数派に歩み寄ることもあるかもしれません。
 ☆ ううーん。これは よわい《和の精神》ですね。消極的な実践としての和の精神であるように思います。




 ★  紛争をたんに認めるということではなく、可能性として和の一部に含めておかないと、思想的には社会は停滞し、考えることを放棄する人が多くなって、些細なきっかけでファシズムの台頭というようなことも起きやすくなるということではないでしょうか。
 ☆ これは むつかしいですね。先ほどの《よわい和の精神》ではダメだというので では その《和》に例外をもうけざるを得ないかと言えば どうでしょうねぇ。むつかしいところではないでしょうか。

 つまり《紛争》が どの程度のものかというのも 議論の余地がありましょうし。


 次のように《デモ》なら 一般に合法だと思いますし よいのではないでしょうか。
 ★  これには実例があり、1970年代学生運動や労働運動が盛んだったころ、いろいろの口実でデモや集会が制限され、一部デモ隊が暴徒化したのを大きく取り上げ、ほとんどすべてのデモ行進で機動隊が両側を挟んで行進が行われるという事態になり、やがてデモ行進は衰退してしまいました。
 ☆ 一方で 教育界ないし最高学府における権威が 医学部のそれとともに 失墜したという効果があったようであり 他方では――わたしの見るところですが―― けっきょく自分たちの行き先については何も分かっていなかった。のだと思っています。



 ★  現在報道などで、政治に無関心な若者が多いことを、困ったことだと言っておりますが、この状況は政府とマスコミがこぞって「和至上主義国民」を作り上げた結果だと思います。
 ☆ ふうーむ。ということは そのように・いいように仕立て上げられたということでもありますね。人間が洋服になっちゃった。


 ★  武力闘争は避けなければなりません。すると「和至上」でない「和」をどのように実現するか難しいことであるとも思います。
 ☆ そうでしょうね。

 ★ せめてデモ行進や政治集会を国民の当然の権利とする考えを義務教育中にきちんと教えないといけないと思います。
 ☆ ええ。そして どこへ行くのか? 行き先をもはっきりとさせ みんながそれを考えており つねに考えており いつでも軌道修正できるようにみなで考え合って行けるというような運動にするとよいかも知れません。

 気長によりよい道を模索して行きたい。こう考えます。

お礼日時:2014/09/01 20:52

No.8.です。



丁寧なお礼の言葉を戴き、恐縮です。

貴兄のご質問に、私なりにお答えしなければいけないと思い、再投稿いたします。

<ということは 山の中にでも隠れて独りひっそりと暮らすということでしょうか? それとも ファシストらに対して 果敢に挑戦をいどみますか?>

<もうひとつは 自分の考えを持ちつつも 世の中の大きな流れには抗いきれない場合で そのときには そのファシズムなる動きや流れに 付き従う振りをする。という行き方があります。>

→それこそ、その人の心のあり方(大勢の意見に囚われず己の正しいと信じた道を貫き通すかどうか)の問題だと思います。
現に、ヒトラー治下のドイツでも、心ある市民は、例えば実話を元にした映画「白バラの祈り」に出てくる女性、ゾフィー・ショルのように、ファシストらに対して果敢に挑戦をいどんだ人達もいたのです。
もし、こういう人が多数を占めていたら、事態は違った方向に行っていたと思います。でも、これも、「歴史」のなせる業だったのかも知れないと思う気持ちもありますが、・・・。

また、《和の精神》がファシストを生むのだとしたら、ムッソリーニ時代のイタリアやヒトラー時代のドイツの人々は、《和の精神》を大切にする人達ばかりだったのでしょうか?
そうとは思えません。 ああ言う政権が生まれたのは、第一次大戦の結果の巨額の戦時賠償金のせいでこうむった貧困や列強各国からの圧力を撥ね退けるために必要があると思ったから、そういう政権を支持したのであって、《和の精神》があったからファシスト政権を作ったのだ、とは思えません。
また、ファシスト政権と呼んで良いかどうか分かりませんが、現在の北朝鮮や中国などは、どうでしょうか?《和の精神》が現在の政権を生んだとはとても思えません。
 と言うことは、「《和の精神》がファシストを生む」というのは違うと、私は思います。(しかし、私のこの論理は、もしかして、「逆は必ずしも真ならず」という論理学の鉄則を無視した論理構成かも知れませんね。)

失礼致しました。

議論は、これで終わりにしたいと思います。
あしからず。

この回答への補足

 志向性において――と言うならば みなさんにあってもそれほど違いはないと思われるのですが―― よく推し進めようとされているという点で 注目しました。

補足日時:2014/09/07 10:11
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この回答へのお礼

 こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ →それこそ、その人の心のあり方(大勢の意見に囚われず己の正しいと信じた道を貫き通すかどうか)の問題だと思います。
 ☆ ええ。前回から その志向性として賛同していました。ただし その実際の行動として・あるいはつまり方法の問題として 疑問を呈しました。

 ▽ (ヰキぺ:白いバラ) ~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E3%81%84% …

 白いバラ(しろいバラ、Die Weiße Rose)は第二次世界大戦中のドイツにおいて行われた非暴力主義の反ナチ運動。ミュンヘンの大学生であったメンバーは1942年から1943年にかけて6種類のビラを作成した。その後グループはゲシュタポにより逮捕され、首謀者とされるハンス・ショルほか5名がギロチンで処刑されたため、7種類目の印刷がおこなわれることはなかった。

 § 1 活動と経過
 § 1.3 その後
 [・・・]白いバラの活動詳細が明らかになると、個人的野心や権力にとらわれずにナチスの狂気に立ち向かった学生達に絶え間ない賞賛が与えられた。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ すなわち 二点あります。:

 (あ) 《個人的野心や権力にとらわれずにナチスの狂気に立ち向かった》ときの方法論です。

 (い) そして 戦後になって――ショル兄妹らがむろんすでに処刑されて亡くなっているときに――《白いバラの活動詳細が明らかになると、・・・絶え間ない賞賛が与えられた》という扱い方・振る舞い方。これの問題です。



 心を鬼にしてと言いますか もともと鬼であったと言いますか ともかく歯に衣を着せずに言いますが もし抵抗し反対するのなら 初めから堂々と――むろん死を覚悟で――きちんと理論としても歴史の中の行動としても 批判をするということ。

 もし隠れて抵抗をしつづけるという方針であれば そのようにしっかりとした理論と仲間の団結とで遂行するということ。

 ではないでしょうか? 

 あるいはつまり 連合国の側に対しても
 ★ ああ言う政権が生まれたのは、第一次大戦の結果の巨額の戦時賠償金のせいでこうむった貧困や列強各国からの圧力を撥ね退けるために必要があると思ったから、そういう政権を支持したのであって
 ☆ といった事情をしっかりと伝えるということ。これも 大事でしょうし。


 そういった反省をともなった《賞賛》でなければ 戦後において あぁ 立派だったねだけでは お粗末すぎます。そんなことでは 他人事だと思っているとしか考えられません。同じようなことが これからも続くかも知れません。


 もし
 ▽ 白いバラの活動詳細が明らかになると、個人的野心や権力にとらわれずにナチスの狂気に立ち向かった学生達に絶え間ない賞賛が与えられた
 ☆ という思いと考えと行動とが 《和の精神》の現われであると言うならば それは 上っ面の和でしかない。と答えます。




 ★ もし、こういう人〔* ショル兄妹ら〕が多数を占めていたら、事態は違った方向に行っていたと思います。でも、これも、「歴史」のなせる業だったのかも知れないと思う気持ちもありますが、・・・。
 ☆ と誰もがまづは思うに違いない。両方の側面がある。と思う。しかし それでよいか? それだけでよいのか? ――こう問いたかった。のが この質問です。

 まだ 始まっていない。これからである。と思います。



 つづきましてのご回答をありがとうございました。

お礼日時:2014/09/04 11:39

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