廃れる前には その廃れるべき大道があった。のか?
▼ (老子 18章) ~~~~~~~~~~
大道廃(すた)れて仁義あり。
智慧出(い)でて大偽(たいぎ)あり。
六親和せずして孝慈あり。
国家昏乱(こんらん)して貞臣(ていしん)あり。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(あ) 《仁義》が説かれるようになる前の時代と社会とは どんなだったのか?
(い) 大道が活きたチカラとしてあって 言うならば無為自然なる生き方を人びとがしていた。それが 元々の時代と社会だ。とするならば いったいぜんたい どうしてその大道が廃れたのか?
(う) 無為自然とは どういうことか?
(え) 日本人には総じて言って 馴染みやすく なじみが深い感じで受け留められているものと思われます。けれども しかしながらその無為自然が 初めに何か《大道》というような始原(アルケー)を立てているのだとしたら そのぶん退(ひ)く。のではないでしょうか?
(お) もののあはれを知るとき 《はじめ》は無い。もしくは いちいち《ある・ない》にこだわることは無い。のではないであろうか? そうだとしたら 道教(タオイズム)と神道(シントウイズム)とには 大きなへだたりがある。日本人は 無為自然に対して違和感をもいだく。のではないだろうか?
No.9
- 回答日時:
(あ) 堯、舜の統治時代のこと。
(い) 人為が働いたため。
(う) 人為でないこと。
(え) 中心は中華思想。反語を反復する単なる修辞の問題であり、ひくというのは見当違い。
(お) あはれは禅に通じ、禅と無為もまた通ず。違和感なし。ここでいきなり神道と比較するのも唐突すぎて理解不能。
なるほど。まづは うましくにさんぢゃなかった うましまじさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
(あ) 《仁義》が説かれるようになる前の時代と社会とは どんなだったのか?
★ 堯、舜の統治時代のこと。
☆ ごもっとも。と受け取らざるを得ないのですが どうなんですかねぇ。
お決まりの伝承を確認します。:
▼ (ヰキぺ:堯) ~~~~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%AF
§ 鼓腹撃壌
堯の御世も数十年、平和に治まっていた。堯はあまりの平和さに、天下が本当に治まっているか、自分が天子で民は満足しているか、かえって不安になった。そこで、目立たぬように変装して家を出て自分の耳目で確かめようとした。ふと気がつくと子供たちが、堯を賛美する歌を歌っていた。これを聴いた堯は、子供たちは大人に歌わされているのではないかと疑って真に受けず、立ち去った。ふと傍らに目をやると、老百姓が腹を叩き、地を踏み鳴らしながら(=鼓腹撃壌)楽しげに歌っている。
原文 書き下し文
___________________
日出而作 日出でて作し、
日入而息 日入りて息ふ。
鑿井而飲 井を鑿ちて飲み、
耕田而食 田を耕して食らふ。
帝力何有於我哉 帝力何ぞ我に有らんや。
現代語訳
___________
日の出と共に働きに出て、
日の入と共に休みに帰る。
水を飲みたければ井戸を掘って飲み、
飯を食いたければ田畑を耕して食う。
帝の力がどうして私に関わりがあるというのだろうか。
この歌を聴いて堯は世の中が平和に治まっていることを悟った、とされる(『十八史略』)。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまりたとえば:
▼ 治世中に大洪水が発生したので、この治水工事に誰を送るかを決める時に臣下は鯀を推薦した。堯は鯀を採用するのは良くないと思ったが、臣下が試しに使ってみれば良いと言ったので試して見たが、堯の予想通り失敗し、堯は鯀を殺した。治水工事は鯀の息子の禹が後に実行する事になる。
☆ といった事態も 《大道》なる行き方の範囲内なのでしょうかねぇ。人殺しがあったからそのまま一概に悪いとは決められないとは考えます。
(い) 大道が活きたチカラとしてあって 言うならば無為自然なる生き方を人びとがしていた。それが 元々の時代と社会だ。とするならば いったいぜんたい どうしてその大道が廃れたのか?
★ 人為が働いたため。
☆ これは 無為自然という命題があって それに照らせば そういう答えになり それは正解だとなるようなのですが どうでしょうか。
つまり 《人為 または 自由意志の行使》については けっきょく二種類もしくは三種類に分かれると考えられるのです。
ちょうど直前の mmky さんとのやり取りで出て来た議論ですが:
1. あたかも神の声にそのまま従う場合 そこで自由意志は潜在しているのみである。
2. すでに神の心に逆らっておのれの自由意志を発揮する場合。人間は 感性をもともないつつ 思考を成す。
3. 神は人間の自由意志についてすでに織り込み済みであったのであって あとは神にさらかうその自由度であっても この人間の自由意志というものを神はかえって建てるのだという捉え方をする場合。
自由意志にしたがって自己表現をしていつつ しかも神の意志に――あるいはそれが 《大道=無為自然》なのだろうか?――合っているという場合を想定している。
(う) 無為自然とは どういうことか?
★ 人為でないこと。
☆ したがって ここは さらなるくわしい理論化がのぞまれるかに思われます。
(え) 日本人には総じて言って 馴染みやすく なじみが深い感じで受け留められているものと思われます。けれども しかしながらその無為自然が 初めに何か《大道》というような始原(アルケー)を立てているのだとしたら そのぶん退(ひ)く。のではないでしょうか?
★ 中心は中華思想。反語を反復する単なる修辞の問題であり、ひくというのは見当違い。
☆ うっ? 《中華思想》と言うのならば 総じて言って 《上から目線》が特徴ですよね。
★ 反語を反復する単なる修辞の問題であり、ひくというのは見当違い。
☆ よく分からないのですが けっきょく老子が言っていることは 歴史的にして実はその時代の現実情況について おもしろおかしく評論をおこなっているのみ。ということでしょうか?
時論として ひとつの見方を成すけれども だから そこからどうしよう・こうしようといった議論には成らない。のが ふつうだ。そういうたぐいの思想なんだ。――でしょうか?
(お) もののあはれを知るとき 《はじめ》は無い。もしくは いちいち《ある・ない》にこだわることは無い。のではないであろうか? そうだとしたら 道教(タオイズム)と神道(シントウイズム)とには 大きなへだたりがある。日本人は 無為自然に対して違和感をもいだく。のではないだろうか?
★ あはれは禅に通じ、禅と無為もまた通ず。違和感なし。ここでいきなり神道と比較するのも唐突すぎて理解不能。
☆ うっ?
いえ。シントウと もののあはれとは 同じ思想(生活態度)ですよ?
たぶん《無為自然》とは何か? これを明らかにしないと議論が渋滞を起こすかも知れません。
取りあえずこのようにおさめました。
ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
>けれどもわたしは ここでむしろ別様の考えを持っています。
それは はじめに人間が神の心にしたがって生きていたときにも 神の意志にさらかうという自由度は持っていた。これです。いわゆる自由意志の問題です。
〇bragelonne のご指摘のように人間は神の一部として作られましたから潜在的に全ての自由度を内在しています。内心の自由度を発揮しなくとも神の意志がわかればその方向に沿って何もせず自然に生きれば良いことだ。という考えと、自由意思を活かして神のごとく万能な存在を目指すという2つの考えがあるわけです。地上に生まれるということは万能な存在を目指すのためのことだと思いますが、それでも何もしなくても良いではないかという考えが老子ですね。
前向きな繁栄と向上を目指すということが自由意思を活かすということですが、当然、個人の自由意思はあらゆる方向に向けることが可能ですから個人間の相克が生じ、調整機能が必要になるわけです。機能さえ内在していたのではといわれれば、肯定するしかないですね。しかし、前向きに神の意志に反する考え方が出てくると調整機能にさえ混乱が生じてくるのですね。
人類は無神論国家さえ創り出してしまいましたからね。信仰の自由は宗教戦争を生み出し、そんな混乱の中の自由の相克はまことに見苦しいという考え方もあるわけですね。
>民主制の世の中には すでに《大道ないし無為自然》は要らない。こういうご見解でしょうか。
〇私は自由意思を尊重する派です。ただ、これほどの混乱が生じると一度リセットしたほうが良いのではと思ってしまいますね。人類は再度、大道に戻って出直すということも必要かと思います。
いきなり 例によってツッコミを入れます。――おっと まづはご回答をありがとうございます――
○ 内心の自由度を発揮しなくとも神の意志がわかればその方向に沿って何もせず自然に生きれば良いことだ。という考えと、自由意思を活かして神のごとく万能な存在を目指すという2つの考えがあるわけです。
☆ ところが 第三の道がありそうです。
ここでわざとどこやらからの文章を持ち出すとするなら
● 心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず
(論語 為政)
となるはずです。孔子 七十歳のときのことらしいですが 要するに
● おのれの自由意志において自己表現をおこなっても
それがそのまま神の心に合っている
という場合です。すなわち
○ 自由意思を活かして神のごとく万能な存在を目指す
☆ という第二の道は やたらに神のように成ろうとした場合をも含むと見ての話です。よいかたちでの《万能な存在》とよくない形での《無謀なほど万能機械と化した場合》とです。
○ 地上に生まれるということは万能な存在を目指すのためのことだと思いますが、それでも何もしなくても良いではないかという考えが老子ですね。
☆ ここですね 問題は。論点は ここにあると考えます。
つまり (う) 《無為自然》とは何ぢゃいな? です。
○ 万能な存在を目指す〔存在〕・・・それでも何もしなくても良いではないかという考え
☆ であるという解釈ですよね。たぶん なお議論を呼ぶものと思われます。というのも 生活はふつうにいとなんでおり しかも人間関係において 仁愛や礼儀などの徳を――無為自然にあっても――身に着けることはおこなうのだ。という見解があろうかと考えられるからです。
この場合 ですから 大道としての徳だという主張なのだと思われます。大道としてのもろもろの徳でないと いっさいダメだという見方ではないかと。
○ しかし、前向きに神の意志に反する考え方が出てくると調整機能にさえ混乱が生じてくるのですね。
☆ つまり ということは 最初の話題に戻って おっしゃるところの第二の道には その《万能の存在》をめぐって 神の意志にしたがったよい場合とそれに逆らったよくない場合とがある。という見方でよかったと まづ確認できます。
だから 第三の道を模索しました。
言いかえると 問題は こうではないでしょうか?:
● ~~~~~~~~~~~~~
神をも装う人間の高ぶりが 自由意志の発揮される社会関係にも起きる。
このとき
人間は 持ち前の調整機能または交通法規の実施に頼るか。
または
すでに《神に逆らっておのれの自由度を発揮した人間がその自由意志において自己表現をしても すでに神の心に背くものでない》といったあたらしい人間のみちがあるとして それを目指すか。
~~~~~~~~~~~~~~~
○ 人類は無神論国家さえ創り出してしまいましたからね。信仰の自由は宗教戦争を生み出し、そんな混乱の中の自由の相克はまことに見苦しいという考え方もあるわけですね。
☆ したがいまして この《信仰》の自然な姿を模索し おそらく個人の信仰から出て蝉の抜け殻となったようなオシエだけにはしがみつく宗教というものについても さらにその内実を明らかにしていくこと。こういう第三の道があゆまれて行くことがのぞまれる。といった質問者の見解です。
○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>民主制の世の中には すでに《大道ないし無為自然》は要らない。こういうご見解でしょうか。
〇 私は自由意思を尊重する派です。ただ、これほどの混乱が生じると一度リセットしたほうが良いのではと思ってしまいますね。人類は再度、大道に戻って出直すということも必要かと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ これは 柔軟にしてしかもずるいお考えですね。《大道に戻るのか もはや戻れないし戻らないのか》。
ということは さらに詳しく――おそらく――大道とは? 無為自然とは? の問いを深く問い進めて行く必要があるようです。
No.7
- 回答日時:
こんにちは、ANo1です。
>
道教は 日本人とその思想にとっては打っちゃって
おいてよいという扱いをして来ていると述べています。
つまり 勉強はしていませんという意味です。
「道教⇒問い求める問題⇒別に趣味で読む」
要するに 道教・老荘思想については無知です。
しかも、知らなくてよいと感覚的に決めた⇒
間違ってはいないという信念を持つ⇒
いままでにおいて 裏切られてはいない。
↑
ワタシの人生が先人の教えの前で変質したと云う
覚えが無い事を御理解いただきまして、⇒裏切り
を避け期待も捨てて、世を八百万の神に責任を
取ってもらう事で無意に生きて居ます人間だと。
ヒトは3千年も4千年もかけたのに餓鬼道を脱し
得て居ません、大道ではその現実を只嘆き批評し
ていて居ると感じるのは、求道の努力よりも人生を
楽しむものとしたワタシが、真面目に世の為人の為
に道を求める質問者さんに、ワタシの暮らし易さを
創造して貰って居るのかもしれませんね。
ん?邪魔をして居るのか?
★ 無意に生きる
☆ でしたか。これは はなはだ失礼しました。お見逃しください。
お早うございます 布袋さんか誰かの絵でしょうかの いど‐かわずさん。ご回答をありがとうございます。
★ 真面目に世の為人の為に道を求める質問者さんに
☆ 生きづらいというのではなく 仕事がしづらい環境や境遇にほとんど人生のはたらく時期をつうじていたように思っています。
ので そのときその居心地のわるさは 何故か? これをとことん問い求めて来ました。
これが かなえられたのですね。三十歳前後の数年をつうじて。
幸か不幸かその数年で固まったものですから あとはこの問い求めとそこで得られたこたえのさらなる展開 この仕事がたのしい日々です。そのようにしてたどって来ています。
すなわち:
★ 求道の努力よりも人生を楽しむものとしたワタシが、
☆ というときの《求道とたのしい人生と》がいっしょになっちゃった。のです。(さらにそのあと中だるみはありました。みとめられないという事態は かなりきつく辛いもののようです。自己表現を或る程度 書き溜めておくというふうにして すすみました。なにごとにも 《とき》があるようです。ときが満ちることが必要なようです)。
★ 大道ではその現実を只嘆き批評していて居ると感じるのは、
☆ これは ひとつの見方としてきちんとした批判を成すとわたしも考えます。
ですから けっきょく
☆☆ (趣旨説明欄) (う) 無為自然とは どういうことか?
☆ これが 主要な主題(?)であり その中身を明らかにしてもらわねば困るということだと考えます。
ブディズムの《さとり》などというのは インチキです。苦を解脱するのが さとりであり 苦とは何かと問えば さとりに達していない凡夫の状態だと説明されるような子供だまし方式のことです。
無為自然が 黄門の印籠のごとく成ってしまっては元も子もないことになるはずです。
★ ヒトは3千年も4千年もかけたのに餓鬼道を脱し得て居ません
☆ わたしはこれは よい側面を捉えてよい方面へと持って行くほうがよいと思っています。
曲がりなりにも 民主制が理論じょう実現しました。これをもって でかした! 人間も捨てたものではないと胸を張って あゆんでもよいと思っています。
ここでわざと子供だましの話をわたしから出すとしますとそれは 神にとっては千年が一日であるという見方です。
自然史過程 といったことだと思います。ときが満ちるということ。
あるいはもっと身近で露骨に言うことになる話題を挙げるとしますと やわらかく言えば《アラシ》ですね。この質疑応答の場での話として。
わたしもかれこれ七・八年になりますが そして実際にはまだ 約二・三名から執拗なアラシを受け続けていますが それでも 過去に幾人かを振り落して来たか あるいは《更生させた》か あるいは恨み辛みをかこつ敵をつくってしまったかの事例もあります。
アルケー教は 済みだと思っています。もう一人は 間欠的にやって来ます。もう一人は ちょうど今かかわっています。
ときは満ちてくるでしょう。
★ ~~~~~~~~~~~~~~~
ワタシの人生が先人の教えの前で変質したと云う
覚えが無い事を御理解いただきまして、⇒裏切り
を避け期待も捨てて、世を八百万の神に責任を
取ってもらう事で無意に生きて居ます人間だと。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ひとつだけお聞きしますと けんかはなさらなかったのですか?
わたしも やったというのではなく 内省においては 自己批判をふくめて相手の思想についての批判を繰り広げて来ました。これは もし自分自身は変質したということでなくても その過程をとおして相手が変質したといった事例はなかったのですか? そういう意味での《けんか》です。
そういうカカハリまたはマジハリがあったほうが たのしいと思いましたので。
タオイズムにつきましては いまのところ この道教擁護派は 不利であると観測しています。道教・老荘思想 何するものぞ派が 勝ちにちかづいているという自己診断です。
No.6
- 回答日時:
>(あ) 《仁義》が説かれるようになる前の時代と社会とは どんなだったのか?
〇人間が神のお考えに従って生きていた時代と社会
>(い) 大道が活きたチカラとしてあって 言うならば無為自然なる生き方を人びとがしていた。それが 元々の時代と社会だ。とするならば いったいぜんたい どうしてその大道が廃れたのか?
〇人間自身が神になろうと考えるようになったので、多数の人間神が誕生し、人間神間のあらゆる調整機能が必要になった。仁義,大偽、孝慈、貞臣など全て調整機能ですね。
〇人間が神のお考えに従って生きていた時代と社会といえば、天照や日向(ひむか;ひみこ)の時代でしょう。神道本来の考え方と親和性がありますね。他方、多数の人間神が誕生とは民主主義の社会に近いですね。
つまり、老子の大道は、個人に自由な民主的な社会の誕生により壊れたといいたかったのでは。
ご回答をありがとうございます。
この問いは 知らない者の特権で回答内容について疑問が出たらどしどしそのツッコミの反応をつづってまいります。
〇 (あ) 人間が神のお考えに従って生きていた時代と社会
☆ というふうに規定するのは ある意味で一般的でしょうね。
ただし 納得の行かない問題点はのこっています。
神の意志にしたがって生きていた姿が どうしてこの場合はその《大道》から離れてしまったのか? この問いがただちに含まれる恰好になるからです。
アダムとエワの物語のような問題点だと思います。
ええ。それが 次の論点ですね。
○ (い) 人間自身が神になろうと考えるようになったので、多数の人間神が誕生し、人間神間のあらゆる調整機能が必要になった。仁義,大偽、孝慈、貞臣など全て調整機能ですね。
☆ そうですね。すなわちこちらからのツッコミとすれば:
〇 人間自身が神になろうと考えるようになったので、
☆ 《神の心にしたがって生きている》のに どうして《神になろうと考えるようになった》のか? です。神になろうとすることが 神の考えだったのですか?
○ 多数の人間神が誕生し、
☆ 人間は 簡単にこの《人間神》に成れたのですか? どうしてですか? それは《神の考え》としてなのですか? つまりおそらく神が考えを変えて 人間に神になろうと考えるようにさせたということですか?
○ 人間神間のあらゆる調整機能が必要になった。仁義,大偽、孝慈、貞臣など全て調整機能ですね。
☆ そうなるということが分かっていて どうして人間はそう考えそうしたのですか?
神は どうして人間がそうすることをゆるしたのですか? それとも神がそうさせたのですか?
けれどもわたしは ここでむしろ別様の考えを持っています。
それは はじめに人間が神の心にしたがって生きていたときにも 神の意志にさらかうという自由度は持っていた。これです。いわゆる自由意志の問題です。
言いかえると 《人間どうしの交通関係をめぐる調整機能や法規》は もともと自由意志のもとに思考能力として持っていた。とも考えます。
《仁義,大偽、孝慈、貞臣など全て調整機能》は 目新しいことではない。つまり 潜在可能性が 顕在化しただけであると。
〇 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
人間が神のお考えに従って生きていた時代と社会といえば、天照や日向(ひむか;ひみこ)の時代でしょう。神道本来の考え方と親和性がありますね。他方、多数の人間神が誕生とは民主主義の社会に近いですね。
つまり、老子の大道は、個人に自由な民主的な社会の誕生により壊れたといいたかったのでは。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ つまり すでに修復のつかないかたちで《大道はすたれた》という見方になりましょうか?
民主制の世の中には すでに《大道ないし無為自然》は要らない。こういうご見解でしょうか。
ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
> ★ ~~~~~~~~~~~~~~
「大道があったのだ。
ピダハン語を操る民族のwiki。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 気持ちは分からないでもない。
>けれども 前者は その先を尋ねている。ことは 当たり前。
>後者は 現在時称で表現した言い回しが 完了相から過去時に 意志相かつ推量相から未来時にとそれぞれ意味合いと用法の幅を広げて行った。ピダハン語のみに特有の現象ではない。
別にピダハン語だけが特別だという意味で上げた訳ではないよ?
大道を尋ねられたから、実例を挙げただけだ。
君が理解出来ないという意味でなら、了解した。
大道が廃れる前には大道が在ったに決まっている。
君は哲学をしたいのか?
其れとも政治学か?統治学か?歴史学か?社会学か?民族史か?etc,etc・・・・
軸をずらしてしかケチの付け様の無いレベルの低さには辟易するよ。
ケチを付けたいなら反証しなさい。
No.4
- 回答日時:
こんばんは、ANo1です。
御免なさい回答が無意でした。
>
大道の回復を目指すべきではないか?
大道は もはや完全に廃れてしまって手遅れなのか?
↑
こういった問題点については先人が3千年をかけて
答えを既に出し尽くしてしまって居ませんか?
ワタシ用の回答を求めては無意に生きて居ます。
こんばんは。ご回答をありがとうございます。
えっとですね。わたしはこの質問の前身でのやり取りの中で 要するに道教は 日本人とその思想にとっては打っちゃっておいてよいという扱いをして来ていると述べています。つまり 勉強はしていませんという意味です。(勉強するなら 問い求める問題とは別に趣味で読むというかたちになるという意味です)。
ですから 要するに 道教・老荘思想については まるっきり無知です。
しかも 恥ぢをさらすなら 知らなくてよいと感覚的に決めたその判断が間違ってはいないという信念すら持っています。(いままでにおいて 裏切られてはいないという意味です)。
今回は その信念がゆらぎはしないのですが 確認は必要だと考えた結果の質問です。
ぶっちゃけた話をしました。
★ こういった問題点については先人が3千年をかけて / 答えを既に出し尽くしてしまって居ませんか?
☆ 考えてみれば そうだと思います。中国を専門にする学者が少ないとは思いませんから。
わたしは でも 知らないのです。《純粋な》質問です。あしからず。いっしょに問い求めて行きましょうか。
No.3
- 回答日時:
>今回も 中身がゼロ。
もういいよ。「大道があったのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%80% …
ピダハン語を操る民族のwiki。
ロジックを理解出来るかい?
ついでに先の質問の礼文中の返信をあげる。
>★ 此の世は限りがあるのだから、永遠の成長は有り得ない。
☆ これは あいまいであるように受け取られます。
地球の大きさは無限か?
>★ 成長を望まなかった時代には、大道に沿って生きていた。
☆ 自分たちの分限に応じた成長を望んだとしても 大道(?)からそれほど逸れてしまうとも思えない。といった感覚もあり得るように思えて来ます。
「自分たちの分限」を誰が定義するのだ?
全世界の人間の分限を完全一致させられるのか。
誰が自分「たち」なのだ?」
中身がゼロだと思うのは勝手だが、反証してから其の台詞を吐きな。
君は何時もやたらと長文を書くくせに、随分と聞き分けが良すぎるよw
勝とうと思っている人生で負けるのって虚しいだろ?
★ 中身がゼロだと思うのは勝手だが、反証してから其の台詞を吐きな。
☆ その段階はもうとっくに過ぎて来ている。
物忘れがはげしくなったね。
★ ~~~~~~~~~~~~~~
「大道があったのだ。
ピダハン語を操る民族のwiki。
~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 気持ちは分からないでもない。
けれども 前者は その先を尋ねている。ことは 当たり前。
後者は 現在時称で表現した言い回しが 完了相から過去時に 意志相かつ推量相から未来時にとそれぞれ意味合いと用法の幅を広げて行った。ピダハン語のみに特有の現象ではない。
これも このあとの展開を自分で書き込まねば 話にならない。
もうお礼の言葉も無しで済ますよ。
No.2
- 回答日時:
大道があったのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%80% …
ピダハン語を操る民族のwiki。
ロジックを理解出来るかい?
ついでに先の質問の礼文中の返信をあげる。
>★ 此の世は限りがあるのだから、永遠の成長は有り得ない。
☆ これは あいまいであるように受け取られます。
地球の大きさは無限か?
>★ 成長を望まなかった時代には、大道に沿って生きていた。
☆ 自分たちの分限に応じた成長を望んだとしても 大道(?)からそれほど逸れてしまうとも思えない。といった感覚もあり得るように思えて来ます。
「自分たちの分限」を誰が定義するのだ?
全世界の人間の分限を完全一致させられるのか。
誰が自分「たち」なのだ?
君は自身の解釈が浅いと言う事を自覚したまえ。
反論の為だけ、否定の為だけに言を労しても、其れが通用するのは君と同レベル以下の底の浅い連中だけだ。
私には通用しない事実をもう少し理解したまえ。
君は自身が理解出来ない事実を棚に挙げて、反論では無く、説を否定している。
反証も出来ていない状態で、何故に反発出来るのか?
其れは自身の感情に従って発言しているからだ。
理論・理屈・真実に寄り添っていれば、此の様な行いはしなくなる。
自分を知らないからこそ出来る、見苦しい行為なのだ。
先ずは守から行い、己を知りなさい。
私が何故に「守破離」をしつこく説いているのか位は考えた方が良い。
★ 私には通用しない事実をもう少し理解したまえ。
☆ とっくに承知の助ぢゃわい。
武士のなさけで つきあってやっているに過ぎない。
今回も 中身がゼロ。
それでもありがとうございました。
もういいよ。
No.1
- 回答日時:
こんにちは。
>
(老子 18章) ~~~~~~~~~~
大道廃(すた)れて仁義あり。
智慧出(い)でて大偽(たいぎ)あり。
六親和せずして孝慈あり。
国家昏乱(こんらん)して貞臣(ていしん)あり。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
↑(貧子 1章)
本当は有るのかもしれない人の正しい生き方を見かけない。
そこで、仁と義を持ち出してみたけど、おおいに嘘くさい。
親子親族とさえ仲良く出来ないのに、親孝行や慈悲を言うし、
国王も国を治められ無いし、それを諌める忠義の臣下は居る。
しら~と読めば無意に生きると言う事なのかもしれません。
★ 無為に生きる
☆ ですね。
いど‐かわずさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
そうですね。
大道とは 無為自然なる生き方に――人間に即してみれば――なるのではないかとは思っていました。
ですから:
その無為自然なる人がいる社会があったのか?
それが どうして廃れるようになったか?
廃れたとすれば なるほど倫理の規範に頼るというようなかたちで仁義なら仁義が説かれて来る。のだけれど それでも 無為自然を説き続ければよいではないか?
大道の回復を目指すべきではないか?
それとも 大道は もはや完全に廃れてしまって手遅れなのか?
こういった問題点について明らかにして欲しい。
こういう質問なのですが なかなかむつかしいようです。
ありがとうございます。
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