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私はアスペルガー症候群を医師より診断され、障害者手帳の3級を頂いているものです。
障害を前面に出しての質問であるため、不快な思いを感じられる方がおられると思いますので先に謝罪しておきます。
ただ、どうもアスペルガーを抜いてしまうと、今回の質問が成り立たないので、ご容赦願います。

批判の向きもあるでしょうが、私は自分のこれまで歩んできた道にそれなりに自信を持っています。何を成したといって、他人に誇れることは特に無いですが、
「まぁこんなもんだろう」
といえるくらいのことはしてきたつもりです。
悔いも後悔もありますし、失敗も山ほどしてきましたが、それを成功につなげたり、同じミスをしないように努力したりは、当たり前ですが続けています。
そんなに卑下する人生ではないと思っているのです。

でも、時々その考えや理解自体が「嘘」と思えて仕方ない時があります。
頭・理性では「こんなもんだ」と判断していても、心というか、うまく言葉にからめとれない深い部分から
「アスペにそんな判断は出来ない」
「それを立証できるか・もし出来たとしてアスペなお前の判断は正しいのか」
などと攻められます。

何となく、頭。理性という工場で受注書どおりに製造した製品を心という取引先に納品したら「いや、ほんとはこうだから」とか「お宅の商品信用できないから、私が信用できるもの作り直してよ」と無理難題を吹っかけられている気分です。

私自身は、現状はこれまでの積み重ねたものの代価として適当なものだと思っています。
心の側にもそれを説明して、毎回誤魔化しているのですが、このままではいつ、心が暴れだすか分からない不安があります。

出来れば心と理性の対立や否定と説得の関係を、上手く共存できるような関係にスライドさせて、楽になりたいのですが、どうすればいいのでしょうか?

なにぶん、自分の中のこととはいえ、意識や言葉でからめて対処し難い部分で、瞑想や放心してリラックスなどでも対応できないで困っています。

もし宜しければなにかアイディアをいただけないでしょうか?

よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

A 回答 (7件)

アスペルガーとは関係が無い部分で、性格として真面目なのでしょうね。


もちろん、というか、やはり影響がないといえば嘘になるとは思います。
言うなれば、心のなかに「定規」が無い、もしくは「果たしてこの定規は正しいのだろうか?」と思い巡らせるわけですからね。

工作の話が出てきたので例えますと、ご存知かもしれないですけど「図面と出来上がり」というのは、よく違ってくるものなんですよね。
最初の指定通りの(図面通りの)モノを作ると、組む側(現場)から「合わないよ!」とクレームが来たりします。
もしくは、図面通りに作っているはずで、寸法はあっているのに「これ駄目、使えない」と言われたりします。
設計のミスという可能性もあるし「現場合わせ」というか、図面からの変更を現場側で行って、設計以上にスムーズに動かすような改良を施す場合もあります。

あなた自身の中にある認識というのが「図面」です。
そして、それを実際にロードしてみて、組み上げながら合わせていく作業が、社会の中ではどうしても必要になってきます。
逆に言えば「図面通り」でなくても良い、ということでもあるし、または「だからこそ図面が要るんじゃないか」ということでもありますよね?。

ですから「とりあえずはこうしたけど、これでいいんですよね?」で構わないのです。
必ずしも自分の認識や常識が、完全に周りと合致していなくて良いのです。
社会というのはチームですし、互いが互いの考え方や認識や、または「行動」を補い合って進めていくものですから。
つまるところ「常識」というのは「有って無いようなもの」です。
一人ひとりが自分の常識を突き合わせて、これでいいのかな?と探りあいながら生きているのが実情です。

自分自身をあまり追求しないほうがいいですよ?。
自分一人だけでは生きられないのだし、どうしても他人の力を借りながら生きていくしか無いのですから。
センチでもインチでも、はたまた寸尺でも…好きなモノをみな使いながら生きているのですよ。
あなたには、あなたの尺度があり、それを使いながら生きていくしか無いのです。
だからこそ、自分の定規を疑うことには、あまり意味が無いのではないですか?。

あなた自身が、周りから見ての「定規」そのものなんです。
自分をあまり突き詰めないで、他人にあまり気遣わないで、自分が思うべき道を歩んでいけば良いのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今回の場合、理性と心の間で定規が決定的に違うことが問題でして…

仰ることはわかります。そうできればいいとも思うのですが、なんとも難しいことです。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/04 01:05

理想とする自分と現実の自分のギャップに悩んでいるだけです。


そして理想とする自分とはなにか?ということをよくわかっていないようです。
理想の自分に執着しても苦しむだけでしょう、自然体の自分を見つけましょう。
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この回答へのお礼

心の求める理想像は把握しています。現実の自分も同じです。すり合わせが出来ないのが問題なんですね。
自然体、目指せるようにしてみたいと思います。

お礼日時:2015/07/04 01:07

脳神経の構造の欠陥で、それができないわけだよ。


それを認めればいいだけなんだけど、認められずに言語化して自分や他人に論戦を挑むのがアスペだと気付けないかな。
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この回答へのお礼

アスペルガーだと、自身の心と頭のすり合わせも出来ないのでしょうか?
それだと、認めても認めなくても何も変わらない気がするのですが、難しいですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/04 01:03

アスペルガー症候群のひとがこんだけ長文書くかね。

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この回答へのお礼

書ける人もいますよ。人によるとしか…
ちなみにこれ、だいぶ削って短くしたものです。ゴメンナサイ。

お礼日時:2015/07/04 01:01

>「アスペにそんな判断は出来ない」



あとは、自分がアスペルガーであることを忘れてしまえばいい。
自分がアスペルガーであることに強いこだわりを持っているから、
「アスペだから」という発言が出てくる。
こだわりすぎ。
自分を苦しめるほどアスペルガーであることにこだわってるのは自分なので、自分でそれをやめればいい。

「アスペにそんな判断は出来ない」

と言ってはいけない。
アスペを「私」に置き換えて使ったほうがいい。

「私にはそんな判断はできない」

というべきです。
そうすればまるで自分がアスペの従属物であるかのような気分はやめられます。

今後はアスペと言いたくなったら「私」に置き換えることです。

「アスペにそんな判断は出来ない」
「それを立証できるか・もし出来たとしてアスペなお前の判断は正しいのか」

  ↓

「私にそんな判断は出来ない」
「それを立証できるか・もし出来たとして私なお前の判断は正しいのか」

正しかろうが間違っていようが責任を負うのはアスペじゃない。私です。


「私なお前の判断は正しいのか」

正しかろうが間違っていようが、私が私であることに満足していれば、人は別に苦しくはないのですよ。
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この回答へのお礼

仰ることはわかるのですが、同じことを心も言っているんですよ。で、無理難題を吹っかけてくるんです。

困ったものです。

お礼日時:2015/07/04 01:01

心の側に、「じゃあどうなったらお前(心)は満足するのか?」と聞いてみるべきです。


どうなれば満足なのか?
それがわかったら、心が満足することをすればいいです。
心の話をよく聞くことです。
心を満足させることをしてないから心が満足しない。
心を満足させることをすれば心が満足する。
そのためには、何をすれば満足するのか知る必要があります。
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この回答へのお礼

心の求めるものは明確にわかっています。ただ、それはどうやっても提供できない類のものでして…

ありがとうございました。

お礼日時:2015/07/04 00:58

只管打座

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/07/04 00:57

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