アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

これは架空のお話です

あるところに正しく在ろうとする人間がいました、けれどその人間は生まれつきの異常者でした。
異常者認定されたその人間は絶望し、幼い頃から無意識からきた夢は決して叶うことはないと悟りました。
死んでこの世の苦しみから逃げたいと思いましたが、正しく在りたいという願望のせいで身勝手な自殺はでききませんでした。
死ぬ前に課せられた義務と責任を果たさなければならない、すなわち普通の人間のように生きるということです。
人間は怒りのあまり神様に悪態をつきました、なんて意地悪なんだと。

・さてこの正しく在ろうとする人間はどうして神様に怒ったのでしょうか?
・またこの人間はいったいどうしたら救われるでしょうか?

この2つの問いに対する回答をお願いします。
趣旨にそぐわない回答は無視します、関係ない自己主張はメモ帳にでも書いてください。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    これといった正解は定めてないので気楽にご回答ください、何か質問があれば受付ます。
    ただし神様に怒るのは筋違いだとか本文の内容にケチつけるなど、趣旨にそぐわない回答はおやめください、迷惑なだけです。

      補足日時:2015/07/25 21:15
  • 本文の異常者は自分すら含めた客観的な視点で以って正確に物事を捉える才能があると思われます。
    これはほぼ間違いないと思われます、根拠は会社で受けた自己分析テストの結果に「自分すら含めた客観的な視点で以って正確に物事を見ようとする」とありました、
    ある事情で2回受けて信憑性が高いとされた2回目にもありました、これまで意識して客観的になっていたわけではありませんからこのときに初めて自覚しました、
    特に感慨は浮かびませんでした、不思議と腑に落ちていたからです。それが自身の才能だと自覚したのはもっと後になってからのことでした、
    しかし才能を自覚しても本人は全く嬉しいとは思いませんでした、たぶんこれが何の役に立つのか皆目見当がつかなかったからだと思われます。

      補足日時:2015/07/26 03:11
  • その後色々あって異常者にとって比類のない最上級に好きなものを親に説明する機会を経て、あるときに頭の中で点と点が結びつき腑に落ちることで、自らの内に秘めた潜在的な願望に初めて気がつきました。
    異常者はこれまでいくら考えても、自分の人生には楽しいこと好きなものはあっても夢も欲しい物も何も思い浮かばず、何物にも執着しなかったので常に空虚を感じていたのです。
    しかし気がついてすぐに悟りました、その願望は決して叶わないと。そして薬の力を借りて後日にようやく落ち着きを取り戻し、一見ボーっとしてるかのように見える異常者からふと呟くように一言、
    「惨めだな」と。

    それは初めて自身の人生を評した瞬間でもありました。異常者はこれまで自身の人生を省みることはあっても評したことはありません、常に等身大の自分を見据えてどうしたら自身の未来をいかによりよいものにできるかを考え実行してきた人間が吐いたとは思えないもの

      補足日時:2015/07/26 03:37
  • 異常者はこれまで幾度も辛くて苦しいと時には弱気になってもネガティブな弱音を吐くことはありません、どれだけ失敗しても反省だけをして常に前向きに未来を考えてきました。
    例えば異常者は社交的な人間ではなかったので気をつけて社交的な行動を取るようにしました、
    他人に自慢できるような過去でなくても話のネタとして円滑なコミュニケーションを取るための手段としてそれを笑いながら話せる堂々とした人間になりました、
    何ら他人に自慢ができるようなものを持っていなくても、誇れるようなものを持っていなくても、自身の人生には何も恥じることはないと常に前を向いて堂々としていました。
    元々異常者はシャイではあるものの、昔から人と接することに臆せず、理不尽なことには怒って抵抗し、喧嘩を売られたのなら買ったりとネガティブとは無縁な人間でしたのでこれらのことは簡単でした。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/26 03:56
  • 宗教の影響力が衰えたのも人の認識できる世界が広がったからでしょう、昔は世界(認識)の外であった宇宙でさえ今では世界(認識)の中にあります。

    昔の人々は世界の外におおいに興味があったから星座を作ったのでしょうね、だから宗教も今よりずっっと影響力があった。けれど宇宙の存在が一般的になることで、人々は世界の外に関心を持たなくなりました。
    そういえば認識の外といえば自然にも当てはまりますね、雷や地震に噴火と神の怒りに神の恵みの雨と神の恵みと怒りの両方を持つ大海原とどれも神に例えられてきました、人々は皆例外なく認識の外にあるものは神に例えられてきたのです。

    しかし全てその仕組みが解明されることで人間の認識の中に入ってしまいました、自然の驚異を目の当たりにすることで、かつてその偉大な存在を身近に感じることにできた多くの神様達はいなくなってしまいました。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/26 05:23
  • 今まで意識したことなかったけど神様かぁ、こうして考えると新しい発見ばっかりだ、やはりこうやって他人と交流するのは良い物ですね。
    そうだなぁ神様に願うとしたら決してくじけない心が欲しい。

    異常者ゆえに決して真摯で正しい行動は取れない、行動が伴わなければ決して真摯で正しい在り方にはなれない。
    けれどこうして真摯であろうとする在り方は変わらない、呪い(願望)は失わない。
    それゆえにこれからも最後まで現実と理想のギャップに苦しみ続ける。

    もしも最後までくじけずに義務と責任を果たしてから人生を全うしたら、その時は今際にでも自分を誇ってあげられないかな、褒めてあげられないかなぁ。
    とんでもなく出来が悪い奴だから褒める機会がなく人並みのことは出来て当然、できなければ無能としていたものだから自慢も誇りも持てなかった、
    また本人がそれを望んだこともない、ただ全てに対して納得したかっただけなんだ。

      補足日時:2015/07/26 06:11
  • つらい・・・

    異常者は独りよがりです、本人にその気がなくてもそうなるのが嫌でいくら気をつけたくても結果的に独りよがりになってしまう天性の独りよがりです。
    こいつは下手に喋らないほうがいい、喋ればそれだけ異常性を発揮して他人を不快にさせる。
    ある意味生まれついての悪といっても過言ではない、悪とは秩序を乱すものを指す。
    こいつの異常性は本人にその気がなくても表に出るだけで秩序を乱し不和をもたらす、生まれついての悪と言える。
    こいつが正しい在り方を望むだなんて思うだけでも許されない、至極ふざけていると言える。
    こいつはただ存在してるだけでも許されない、それでも存在したいというのならその異常性を極力表に出さない為にも薬で修正するのは当然であり、人との交流も極力避けなければならない。
    妥協点としてネットだけは許す、しかしリアルでは口を極力噤み人と仲良くなることを避けろ。

    義務と責任とやらを果たしたら即座に去ね

      補足日時:2015/07/26 18:42
  • 今まで仲がよくなった人達と地理的に離れた途端にことごとく何気なく自分から縁を切ってしまっていて、それを自分でも不思議に思ったことがありました、けれど今その理由がようやくわかりました。
    無意識に人との縁を断ち切りたかったのでしょう。そしてそれは結果的に正しかった、おかげで嫌われずに済んだ、綺麗な思い出として永遠に残った。ただ寮で同室になった同僚の人には申し訳ないことした、あれだけ意気投合して仲良くなったのに、仕事が合わなくてすぐに辞めてしまった。
    見るからにふさぎこんでいてまともなお別れも言えなかった、自分でもそれを名残惜しいとは思わなかった、結果的にはあれが最善だったと思う、たぶん嫌われずに済んだ。

    親は異常者に心底呆れて果てているだろうけれど、物理的に一人でどうしようもできなくなって初めて相談したら助けてくれると言った、異常者には勿体無い出来過ぎる親だった、だから決して裏切りたくない

      補足日時:2015/07/26 18:56
  • 客観的に見ると生まれついての悪であっても、自身を肯定できない様は哀れだ。
    生まれついての悪性が明らかになった以上は、自身を肯定する日は何があろうと決してやってくることはない。皮肉なものだ、正しく在りたいと、真摯な存在になりたいと心の底から願うもの自体が悪性の存在だったのだ、
    この様子だと以前にも願望に気づいたと同時に己自身が最も嫌悪する悪性だと悟ったのに忘れていたみたいだな。
    あまりのショックで防衛機制が働き忘却してしまったのだろう。もしかしたらまた忘れてしまうかもしれない、自身が悪性だとは認められないかもしれない。

    研鑽が足りないからこの先どうすればいいのかはわからない、このまま研鑽を続ければいつかははっきりするかもしれない期待しよう、まだ27だしな。平均寿命の半分もいっていない、せめて生きてるうちに救いがあって欲しかったな、どんなものでも死ねば救われる、不死でなくて本当によかった。

      補足日時:2015/07/26 19:26
  • >救われるかどうかは、死んでみないとわからないのです。

    詳しく書くと反論がくると言ってますが、反論を恐れるのならそもそも書かないで欲しい、
    私として「なんで?」と聞くしかありません、私はすでに「死ねば救われる」という答えを持っているのですから。死は苦しみから解放されるのだから数ある救いのひとつです。

    親御さんを安心させたいから自分の意思でその約束を守ることを決めた、それは異常者にとっての幸せの形だと思います、
    以前の異常者は気づかなかったけれど意思を通すことが異常者にとって幸せだと思います。そうでなければ他にどんな幸せがあると思いますか?

    後はよくわかりません、あなたがそう思ったのならそれでいいと思います。
    ただ確かなのは異常者にとって幸せは意思を通すことで、不幸は心がくじけることです。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/07/27 19:26

A 回答 (19件中1~10件)

人間はそのルーツを解る人が居ない訳ですから、神が居ても、居なくても、全て自分が、考えた様に生きる事だと思います。



従って、考えても解らない事に時間を浪費するより、自己責任と覚悟で
生きて行けば良いという事ではありませんか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

異常者だから考えたように生きられないのですよ、正常な人間は凡骨であっても努力すればするだけ夢を叶える可能性を上げられます。
凡骨は才能ある者に劣るわけではありません、凡骨ゆえに様々な方面に対して無限の可能性を持ちます。

しかし異常者は異常ゆえの特別優れた才能があっても、その才能が異常ゆえに叶わないのであれば夢は叶えられないのです。
例えば精神障害者とされるアインシュタインは学校で落ちこぼれでも、自分にとって興味ないことはとことん集中しない怠け者であっても、
数学にだけは異常に興味と執着を見せて、異常者ゆえに持つ特別な才能を開かせました。
もし彼が数学に出会わなければ一生怠け者として馬鹿にされていたでしょう。

異常者は決して怠け者ではありません、ただ興味のある事柄にしか集中できないだけです、周りの説得も無意味です、本人でさえも集中したくても集中できないのです、それも異常者の特性であり、呪いのようなものです。
異常者はその呪いのような特性により自由がありません、凡骨のように様々な可能性がありません。自分で選んで努力ができません、持って生まれた才能でもって、ただひとつの道を歩くことしかできません。
異常者は暇さえあれば才能を研鑽します、頭でやりたいと思うからやるのではなく無意識に研鑽し行使するのです。
異常者にとって才能の研鑽と行使こそ人生の全てと考えます、アインシュタインも数学こそ我が人生と考えるでしょう。

お礼日時:2015/07/25 21:10

>何か質問があれば受付ます。


なんのための質問ですか?
架空の話で、これに回答したら、あなたは何を得るんですか?
以前にも同じ質問を見ましたが、質問の意図わからないので、回答は控えました。
そういう方が多いんじゃないかな?
思うような回答を得られないのも質問の意図がわからないからでは?

>趣旨にそぐわない回答は無視します、関係ない自己主張はメモ帳にでも書いてください。
回答する人は要はボランティア(仕事ではないという意味で)です。喧嘩腰に主張してもはじかれるだけだと思いますよ?

例えば、こういう本を読んで、自分はこう思ったけど、疑問が残った、皆さんならどう捉えますか?
なら答えが集まりやすいのでは?

ちなみに
>さてこの正しく在ろうとする人間はどうして神様に怒ったのでしょうか?
自分の苦しみは神様のせいだと思うから。

>またこの人間はいったいどうしたら救われるでしょうか?
考え方を変える。
逃げたいと思うのも、正しく在りたいという願望も本人の考えで、普通の人間のように生きなければならないと思うのも、また本人の考えです。
自分で自分を追い込んでいるだけ。
普通の人間じゃないのに、普通の人間のようには生きられないです。
例えば、右手がない人に右手があるひとと同じようにしろと言っても無理です。残った左手や足や補助具などを駆使・工夫するしかありません。
異常者なので、考え方を変えられないと、もしも言うなら、救われるのは無理です。
この回答への補足あり
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、あなたの考えは理解できます。ボランティアだというのは重々承知して利用しています、以前から何度も利用しているのですが、望んだ回答が得られなかった失敗例から、初めてこのような形にしてみました。
以前の質問は架空と銘打ってるにも関わらず、趣旨である問いには答えずに質問者の意図を察して求めてないアドバイスと、訪問勧誘のような押し付けがましい自己主張をされたからです。
以前のようなことを防ぐために今回はこのようにしました、次の機会にはその例を参考にします。

>自分の苦しみは神様のせいだと思うから。

なるほど、しかしどうして神様のせいだと思ったのでしょうか?
お願いします、あなたの考えを聞かせてください、あなたの意見は私にとってとても価値があります。

>異常者なので、考え方を変えられないと、もしも言うなら、救われるのは無理です。

はい、まことに残念ながらその通りだと思われます、他の異常者が何を考えて生きてるのかは存じませんが、自身の命よりも願望を優先する歪な在り方では決して救いはありません。

客観的に見ながら書いたのでわかるのですが、これは願望だなんて生易しいものではありません、呪いに近いです。
潔癖症が強迫観念によって行動を強制されるように、自らのうちから沸くモノによって行動させられるのです、しかし強迫観念とは違ってその自身の行動に全く疑いを持ちません、
ただ当然のように自分のやりたいようにやってるだけと思うのです。前から気分が悪くても我慢して何時間もかけて何度も文章を見直して「、」の付け方まで納得いくまで何度も修正して。
何度も何度も時間をかけて書いた数百文字を見直した時に納得いかなかったらあっさり消して、また初めからやり直す。

全ては自分を納得させるために行われます、何のためにこんなことするのか、それは願望の成就のためです。
子供の頃から知らずのうちに願望の成就のためにジャンルを問わずに本と活字を読み続けていました、あらゆるモノの存在意義と価値と意味を考え続けました。
もう書き始めてから5時間か・・寝たいとは思うけど終わらせてからでないと納得できないので寝れません。

お礼日時:2015/07/26 03:32

・さてこの正しく在ろうとする人間はどうして神様に怒ったのでしょうか?


自分の思い通りに生きる事ができないから⇒独りよがりだから

・またこの人間はいったいどうしたら救われるでしょうか?
神様に悪態はついても良いでしょう。
苦しい現実を訴える事から始まるからです。
その後、希望している事柄を常に神様に祈り求め、
続ける事によって必ず闇の中に光が見えてきます。
祈りを聞いてくれる神様は沢山の試練と共に
最後には普通の人間の生活というものを
取り戻してくださる方です。
何故なら「神は愛」だからです。
罪(独りよがりな考え)を悔い改め、神を信じ、従う事によって
門をたたいた人には開かれる、と言われています。
それによって救われた人は限りなくいます。
すなわち、奇跡のような事柄でも神様には可能だからです。
絶対に出来ないことはありません。
異常者をも普通に戻す力がおありになります。

すみません。クリスチャンなのでこんな回答しかできませんが。
信じる者は救われます。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なぜ思い通りに生きることができないのですか?
申し訳ありません独りよがりって言葉が聞きなれなくてよくわかりませんでした。

異常を持って生まれたのも呪い(願望)を持って生まれたのも全部神様とやらのせいじゃないの?
神様がいるとか思ってないし神頼みなんてしたことはないけど、持って生まれたものに怒りを持って悪態つくとなったらふと神様このやろうってなったと思いますたぶん

奇跡を起こすだなんてまた大それたことを望むんですね、しかし矛盾してませんか?奇跡はいつも後になってから気づくものです。
奇跡とは人の手にあまるものを指す、ゆえに人が望んだところで起きないし起こせない。
また、人が神を利用したところで人の持つ可能性を広めたり高めたりはしても、決して人の領域を超えることはない、人が何を利用しようが奇跡は起きない。

奇跡とは人の認識を超えるものであることが絶対条件であるならば、人類が神になることを夢見てどれだけ科学を発展させて認識の範囲を広げようが、決して奇跡と神には届かない、
奇跡と神は常に人類の認識の外にあるもの。ロケットで念願の世界の外、星座のある世界の外に飛び出たが神はいなかったように。

私の考えでは神様は頼るものではない、あれは人の理想とされた存在であり目指すもの。教典は教科書で教えは心がけ、その目的は理想とする神様のような在り方になることだと思います。

まぁ私自身は教典も教えも聞いたことない宗教はど素人ですが、なんとなくそう思うのです。

お礼日時:2015/07/26 04:49

独りよがりもご存じない?


自分勝手、自己中心、という意味です。

>しかし全てその仕組みが解明されることで人間の認識の中に入ってしまいました、自然の驚異を目の当たりにすることで、かつてその偉大な存在を身近に感じることにできた多くの神様達はいなくなってしまいました。

神様に関して何も知らない貴方が神を語る事はできません。
いなくなった、と何故言い切るのか?知りもしない貴方が
さも知っているように持論を振りかざす事はおかしいことです。
神はいないと思うならばここに神という言葉さえも入れるべきでは
ないと思います。

凝り固まった持論を持っている貴方は自分と同じような価値観の
回答者としか同調できないのなら、ここで

>これといった正解は定めてないので気楽にご回答ください
などと書かないでいただきたい。
全然思い通りの回答が得られないとめったくそに打ち負かしたような
事を書きなぐって満足ですか?
お礼の一言もないですし。

思い通りに生きられないのはその価値観のせいです。
人の意見を受け入れられずに反論ばかりしているから
何度質問を変えても「何も得られない」のです。
無駄なことはもうおやめなさい。。。
貴方に神の憐れみがあるように。

「神に逆らうものは・・・・・」
この先は是非聖書を読破してみなさい。
できるものならね。貴方には絶対に無理です。

神を怒っているのではなくてそういうあなたに対して
神は怒りを覚えているのです。
これに対しての謝罪、お礼以外は受け付けません。
どうぞお幸せに。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

申し訳ありません、回答ありがとうございますと書き忘れてしまいました。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/07/26 17:09

「正しくあろう」とはなんでしょうか?


そもそもそれが正しくないから、その人は苦しんでいるのかもしれません。

人はみんな生まれながらにして不平等です。
スポーツカーに乗っている人もいれば、ぼろい自転車に乗っている人もいます。

しかし、幸せはどんな車に乗っていても平等に得ることができます。
ぼろい自転車でサーキットを走ろうとすればボロボロになりますが、
田舎道をのんびり走れば素敵な景色が見られます。

神を恨むというのはお門違いです。
うまくいかないストレスをどこかに八つ当たりしたい気持ちはわかりますが、そうしていても先には進めません。

質問者様のおっしゃる「異常者」は世の中にたくさんいます。
いろいろな物差しで見たときに、平均から外れる人はかなりの割合になると思います。
なんでも平均から外れない「正常な人」は少ないかもしれません。
だから、異常とか正常とかどうでもいいことなのです。
みんなそれぞれに個性があるということです。

発達障害があっても、精神障害があっても、幸せにはなれます。

幸せになるためには、自分で自分を苦しめていることに気付いていかなければいけません。
自分を理解し、ありのままの自分を欠点も含めて受け入れることから始めなければいけません。


もし神様がいるとしたら、「さぁこの難題をクリアして幸せになってみなさい」と笑っているかもしれませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

肝心の問いに答えてくれないので礼はしません。
あなたの言ってることは当然のように存じているでしょう、あと勘違いしています、異常者は神様を恨んでいません、そもそも本気で神がいると思ってるわけでもなし、また何かを誰かを恨むことも憎むこともなし。

人の持つ「普通」とは人がそれぞれ持つ物差しで計ります、それから外れたものを「変だ、おかしい」と思うのです。そしてその物差しは外部からの影響により価値観が変化することで物差し自体も変化します。なので自分から見てもおかしいと思うことは他人から見ればなんでもない「普通」に見えるのは当然です、「物差し」は人それぞれであり、影響を受けることでいくらでも変化します。

あなたもおっしゃる通り、どんな障害者も幸せになれます、幸せとは相対的なものです、障害という要素は関係ありません、本人の心次第で今すぐにでも幸せになれます。

しかしこの異常者は自身の幸せを望んでいません、自身の幸せよりも呪い(願望)を優先したいのです。
異常者は以前に薬の力で、しばらく異常者を悩ませていた常に満たされない悩みと欲求が消えました、それを自覚した時に何もしていなくても確かに幸せを感じました、この幸せなまま死んで終われたらどんなに楽だろうと思いました、この幸せはすぐに終わりを告げ、また新たな苦境に立たされ苦しむだろうということはわかっていても本気で死のうとは思いませんでした。

この時に幸せを自分の手で放棄してしまいました、この時に死ねたら確かに救われたはずなのに、自身の幸せよりも普通の人のように生きるという親との約束を守りたかったのです。
神を信じてる人には申し訳ないですが私の世界には神はいません、下記のクリスチャンの方には申し訳ないことをしました、私はどうしても社交が下手なのです。
人を怒らせたくないのに怒らせてしまうのです。私は意図せずに他人を不快にさせてしまうことが少なくありません、どうしようもない救いようのない独りよがりなのです。

お礼日時:2015/07/26 17:46

今の私がそうかも知れません。


と言いますのも病の後遺症により車椅子ユーザーになってしまったからです。
発症するまで一生懸命会社に尽くしてきました。
何度も表彰を受けるほど成果を出してきました。
しかし病気になったら、ハイさようならですよ。
怒るというより捻くれた方が近かったですね。
そんな私を見かねたのか神様がこう問うてこられました。
「今まで何のために働いてきたのか?」
考えた結果、出た答えは「自分のため」でした。
尽くした気になっていた自分の傲慢さに気付いた時、胸のつっかえが消えていました。
後日談があります。
私が障害者になったことで、単身赴任だった夫が5年ぶりに地元に戻ることができました。
世の中捨てたもんじゃありませんよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですか、それはよかったですね、お幸せに。

お礼日時:2015/07/26 17:48

>・さてこの正しく在ろうとする人間はどうして神様に怒ったのでしょうか?



自分は被害者だと思ったから。
自分が世界の主人ではなく、神の奴隷だからですね。

>・またこの人間はいったいどうしたら救われるでしょうか?

サバンナの野生の王国で腕一本で生きられるだけ生きたらいいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>自分が世界の主人ではなく、神の奴隷だからですね。

ふむふむ、その発想はありませんでした実に面白い回答です、たぶんですが本質を突いてると思います。

>サバンナの野生の王国で腕一本で生きられるだけ生きたらいいと思います。

なるほど!それは実に楽しそうですね!誰の手助けも必要なく一人で生きられる人間は本当にすごいと思います、心の底から尊敬します!
ふと思いました、ゴルゴ13みたいになりたいなぁ、彼の生き方は何物にも縛られないし、そのあり方は実に単純明快だ。

お礼日時:2015/07/26 19:36

>自身の幸せよりも普通の人のように生きるという親との約束を守りたかったのです。


勘違いしていませんか?その異常者さんは幸せを放棄したのではなく、「親との約束」を果たすことが幸せであると思っているのです。
親に認められたい気持ちが強いために、自分の人生を歩むことができないのではないでしょうか。

おそらく異常者さんは客観的に自分を見ることが苦手で、しばしば自分が思う自分と他者から言われる自分が違っておりイライラすることがあるのではないでしょうか。
また、異常者さんは他者の気持ちを感じ取ることや共感することが苦手で、さらに自身の感情を正確に感じ取ることが苦手ではないでしょうか。

そのため、社会の中ではしょっちゅう軋轢を生じてしまう。認められたい気持ちが強い異常者さんは強いストレスを抱えてしまうのではないでしょうか。

自分は悲劇のヒロインであるかのように思い込むことで特別な自分を演出し、誇大化した自己愛をなんとか保っている。
・・・と勝手に想像してみました。

質問者様が求めている回答からズレているようでしたら申し訳ございません。

まずは独りよがりではなく、謙虚に聞く姿勢をもたなければ、たくさんの金言も馬の耳に念仏ですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なぜ問いに答えてくれないのですか?問いに答えてくれないなら礼はしないし無視もするとありますよね。まぁ気分が悪いわけではないので答えてあげますが

>質問者様が求めている回答からズレているようでしたら申し訳ございません。

??問いに答えてくれない回答は全て私の望む回答ではありませんと前にも言ったでしょう。あなたがそう思ったのならそれでいいと思います、私の感想とあなたの感想のどちらが正解か、なんてのはありません、確かなのはどちらも正しくて間違っているのでしょう。

>「親との約束」を果たすことが幸せであると思っているのです。

ただこれは同感ですね、異常者は気づいてなかったのです。意思を持って前に進むこと自体が異常者にとって幸せであることを。
異常者にとってくじけそうになることが何よりも恐れる不幸であり、希望はなくても意思を持って思ったとおりに前に進むことが幸せの証なのだと。

お礼日時:2015/07/27 18:01

>なるほど、しかしどうして神様のせいだと思ったのでしょうか?


この苦しみは自分のせいではなく、ましてや周りにいる誰かのせいでもない、でも誰かのせいにしたい。だからでは?
でも私は、異常者次第で苦しみからは解き放たれると考えます。

>自身の命よりも願望を優先する歪な在り方では決して救いはありません。
そういうことではなく、それがあなたの言う異常で、変えられないことなら、それとうまく付き合う方法を考えればいいのです。
異常がダメだというのではなく、異常も含めて自分であり、それでOKなんです。
自分に与えられたもので工夫したり努力したり、今よりよりよく生きる、それだけです。

>自らのうちから沸くモノによって行動させられるのです
それが異常と呼んでいるものなら、その異常とうまく付き合う方法を考えればいいのです。
受け入れるだけです。

誰もが自分では認めたくない欠点があり、なかなか変えられません。
その欠点が直せないなら、うまく付き合っていけばいいのです。
何が何でも直さなければならない、そういう欠点が無いかのように取り繕わなければ、と思うから苦しいのです。

>この時に幸せを自分の手で放棄してしまいました、この時に死ねたら確かに救われたはずなのに、
他の方へのお礼の横レスですが・・・。
まず、死ねば救われると思うのは私は違うと考えています。いろいろ反論も来そうなので詳しくは書きませんが。
少なくとも死んだことがないので、救われるかどうかは、死んでみないとわからないのです。

>自身の幸せよりも普通の人のように生きるという親との約束を守りたかったのです。
親御さんは、普通の人のように生きることがあなた(?)の幸せにつながると思ったから、そういう約束をあなたとしたのでしょう。

でもそれであなたが幸せでないなら、その約束には意味がないのです。

問題の取捨選択が必要です。
あなた(?)の中の「~しなければならない」というものをがいくつか捨てなくてはいけません。
でもあなたは何一つ捨てたくないんでしょうね。
自分を苦しめるものも含めて。

苦しんでいるとい嘆く人の多くは、その苦しみを手放そうとしていないのは自分自身なのだ、ということに気付いていないんです。
その苦しみを手放すことでくる新たなる現実への不安に負けてるんです。
この回答への補足あり
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます
>誰かのせいにしたい。だからでは?
異常者はなぜ生まれ持ったものを誰かのせいにしたのですか?生まれ持った遺伝する要素は親か爺婆のせいであり、またはただの偶然とも言えます。それなのになぜ神様が出てくるのかわかりません。ただの八つ当たりだとしても神様を選ぶ理由はなんでしょう?

>それとうまく付き合う方法
いいえ、異常者はこの呪い(異常性)に抗うと決めています。幾度となく現実に打ちのめされようと諦めず、自身の望んだ未来のために今できることが何かを考え、そして行動しているのです。あなた自身はOKとしても異常者はOKとしません、この呪われた特性を弱めて社会に適応しようとすでに行動しています。

>誰もが自分では認めたくない欠点があり、なかなか変えられません。

そうなんですか!?私はNO1へのお礼で言ってる通り、凡骨には才能がない変わりに努力次第でなんだって本人の望むものになれる無限の可能性を持ってると思っていましたが、それはあなたからすれば間違いなのですか?それはまぁ環境や運に左右されることもありますが、
ほとんどは努力で夢を叶える機会を巡らせて鍛えた実力でそれをモノにするものだと思っていましたが違うのですか?

>欠点が無いかのように取り繕わなければ、と思うから苦しいのです

それは違います、本人の望んだ結果がでないから苦しいのです。そもそも取り繕うですって?外見を飾り、体裁をよくするっていう意味ですよね?異常者がそんな些細でくだらないことを気にしてるとあなたは本気で思うのですか?
なぜそう思ったのかわかりませんがそれは勘違いというものです。異常者はマイペースゆえに周りから変だと責められようと、「なんで??結果を出してるんだから問題ないでしょ」と胸を張る天性の独りよがりなのです、そんな天性の独りよがりが何を取り繕うというのでしょうか。
きつい言い方になったかもしれません気分を害したら謝ります、申し訳ありませんが私は天性の独りよがりゆえに、まず自分が納得しない限りは他人に合わせることはありませんし、体裁を取り繕う発想さえしません、ただ納得すればお世辞も言うし空返事もしますので上辺だけは問題ありません。
結果だけを見れば体裁を取り繕ったのと同じように見えるでしょう、しかし何に従って行動したかが異なります、体裁は体裁に従い私は私に従うという
補足続く

お礼日時:2015/07/27 19:10

お礼をありがとうございます。


ついひとつの補足で憤りを感じてしまいましたが
すぐに悔い改めをさせていただきました。
強いことを言い、ごめんなさいね。

昨日は礼拝があり、教会で特別賛美の奉仕をしました。
祈り時間もたくさんありましたので貴方のために
心から祈りました。貴方が必ず生きているうちに救いがあるように。

>せめて生きてるうちに救いがあって欲しかったな、どんなものでも死ねば救われる、
何故27歳にして過去形で話すのでしょう?
死ねば救われるという根拠は?何故そう決めつけますか?
本当にそれが間違っていないと立証できますか?
救いというものは生きているうちにしかありません。
救われないまま死んだ人は想像もできないほどの苦しみに
永遠にとらわれ続けて死の世界で生き続ける。
そのように神は言われます。だからこそ生きているうちに
一人でも多くの人が救われる事を心から望んでいます。

私の娘も異常者という中に入ると思います。
家庭もめちゃくちゃにしました。
高校を卒業したあと父親に追い出されてしまいましたが、
その後も救急車、警察、病院、アパートの取り立て屋。男。
何度も連絡が来て迎えに行ったり、お金を支払いました。
そして更に自分で自分を追い込み続け、ネットで知り合った人を
頼って遠くの地へ逃げ、そこで騙され、急性アル中、
リストカットのやり過ぎでまた救急搬送。常習です。
すぐに頼った人に追い出され、荷物も返してもらえず
洋服一枚でネカフェで生活、とうとう風俗行きです。

彼女もひどく苦しんでいます。まだ22歳です。人を怒らせるのは
天下一品です。でも私はもう手助けをしていません、
遠くへ逃げれば更に必ず地獄を見る、と言って大反対しましたが、
無視して行き、そして今本当に地獄の崖っぷちに立たされています。
言った通りになりました。
私は祈る事だけは欠かさず毎日祈っています。
今、本当に死んでしまいたいくらい苦しい日々だと
思いますが、娘は必死で乗り越えようとしています。
そして、異常者の性格も徐々に変わっています。
私は神様が変えてくださっていると「確信」しています。
人間が、ましてや自分の力で自分を変えたり、
人を変える事はできません。出来ているように見えているだけです。
勿論このようにしてくださいと神に願ってもその通りになる事も
ありません。正しい道に戻す為に辛い試練を与えますし、
苦しいいばらの道も歩かされます。
同時に乗り越える力もくださいます。
でも最後には神の義とされる正しい人間へと変化する。
これは話したところで経験しなければ理解できないので参考に。
それに人の苦しみには興味ないのでしたね、長々すみませんでした。

信じた者だけが救われる、信じない者は決して救われない。
これはどうしようもないことです。
この世を創られた方の決めごとです。
目に見えるもの、聞こえる事だけしか見ようとしないと
何もわかりません。真実は目に見えないものにあるからです。
実際私も軽い異常者でした。死ぬほど苦しみ死ぬことも
何度も考えました。死ねば救われると考えていました。
でも違った。私の祈りは完全に届きました。
奇跡を経験しました。これは確信できます。
異常者から脱出できました。
イエス・キリストは言います。
「疲れた者、重荷を負う者は誰でも私のもとに来なさい。
休ませててあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、
私の軛を負い、私に学びなさい。そうすればあなたがたは
安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いから
である」「求めなさい、探しなさい、叩きなさい。
そうすれば与えられ、見つかり、門は開かれる。
誰でも求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には
開かれる。あなたがたは悪い者でありながらも、
自分の子供には良いものを与える事を知っている。まして、
あなたがたの天の父は求める者に良いものをくださるに違いない。
だから、人にしてもらいたいと思う事は何でも、あなたがたも
人にしなさい。」聖書の中にはいくらでも癒され、救われる
神の言葉があふれています。恐ろしいこともありますが。
異常者を救えるのはただ、神様だけです。
人は愛をもって祈り続けます。知らない人の為であっても
祈ることができます。希望を捨ててしまった人に
もう一度希望を持ってもらえるように。
謙虚、謙遜、感謝を学び、人の為に尽くすことを実行し続けます。
正しい人になり続け、自分ではなく神様の正しさ(物差し)
を求め続ける。
それが「愛」を忘れないクリスチャンです。日本の悲しい所は
神様の存在を宗教という言葉に惑わされ、疑い、否定し、
絶対にいないと考える人間がとても多い人種です。
この残念な事実に世界中から一人でも救われるようにと
沢山の聖職者が来てくれています。
教会ならば異常者だとしても受け入れてくれます。
共に強く祈り、支えてくださいます。共に悲しみ、共に苦しみ、
辛さを分かち合う場所です。そういう罪人達の集まりだからです。
教会はイエスキリストがいるところです。行きたくなければ
良いのですが、ココよりも必ず希望の光を見ることができるでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

前回は改めて申し訳ありませんでした、お礼の言葉を欠いた上に神はいないなんてクリスチャンの前で言ってしまったのは私の過ちです、あなたの怒りと言葉は正しい、私は確かに天性の独りよがりです。
>心から祈りました。貴方が必ず生きているうちに救いがあるように。
ありがとうございます人の想いはとても素晴らしい物です、私の為に想ってくれたことは本心から嬉しく思います、そして私の謝罪が伝わって本当に良かったです、過ちを正せなければ負債として残り続けるからです。
>それに人の苦しみには興味ないのでしたね、

体験談を聞いたところでその苦しみは本人にしかわかりません、もし苦しみがわかるなんて言われたらふざけるなと思うでしょう。ただ人に話したことで少しでも楽になれるのなら聞くくらいで助けになれるのなら構いません、意見を求められると困りますが。
それに興味ないというか単純に不幸な話は嫌いなんです、ネガティブとか負の感情は嫌いなんです。

はい、あなたの私を案じる想いはきちんと理解しました、頭の片隅に留めておきます、気が向いたら訪れるかもしれません。
確かに夢を叶えるという希望は無くなりました、けれど私を想い助けてくれる人達もいるし、医療という便利な道具や国の支援制度もあるので絶望はしていません、楽しいこともきちんと身近にあります。
そして私には物凄く好きなものがあります、そしてそれは長い間気づかなかった私の目指した理想の存在です。その理想の存在になるという夢が叶うことはないけれど、それが存在するだけで見るだけで私は嬉しいし、元気になれます。
救いがないというのは呪いでもって夢に向かって研鑽しても願望(呪い)は叶わない、しかも呪いを持つがゆえに普通生きられないと悟ったところで、呪いゆえにそれを変えることも捨てることもできないからです。
しかし私は自分の意志を通すだけで幸せだということに気づきました、たぶん私にとっての救いは意思を通し続けることです、最後まで自分の意思でもって道を選びマイペースに歩きます。たとえその道が、歩き方が間違っていたとしても、その結末がどうなったとしても、自分の意思を通した結果ならば後悔はない。
私にとってその過程自体が幸せの在り方で、救いとは自分の人生に納得することだと思うのです。私の過去は良いものではなかったけれど、省みた時に後悔したことは一度もありません。

お礼日時:2015/07/27 20:24

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!