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小学生の息子からの質問に答えられず質問させてください。

キリスト教の幼稚園に言っていた息子は神様を信じていたのですが、高学年になって
なにかうまくいかないことがあると『神様なんかいらない!』とか『神様のせいでこうなった』とか
怒って言います。
話を聞くと、神社などでいつもお祈りするのに神様はぜんぜん僕の願いを聞いてくれないと。
主に勉強などのミスしたときに神様に暴言を言うのですが・・・
『あなたのミスは自分の責任で神様は関係ないよ』と言うのですが、
『じゃあ、神様にお祈りする意味はあるの?』とか、『どうしてみんな神様を敬うの』とか
言ってきて、上手く答えられません。
どなたか、いい答えをください。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (24件中1~10件)

このような答え方をしてみてはいかがでしょうか。



「神様は願いを叶えてくれるわけじゃないよ。
 神様は願いを叶えるチャンスをくれるの」

「神様は幸せにしてくれるわけじゃないよ。
 神様は幸せになるチャンスをくれるの」

つまり、
今ある命は、神様がくださったチャンス。
今ある自分の手も足も頭も神様がくださったチャンス。
今いる家族も友達も神様がくださったチャンス。
今行っている学校も授業も神様がくださったチャンス。
家があるのも食事できるのも神様がくださったチャンス。
たとえ親や親戚に買ってもらったものでも、
そういうものを買える環境に生まれたのは、
神様がくださったチャンスなのです。
1つ1つのチャンスをきちんと大切にして、
自分は生きているのかな。
そういう視点に持っていってはいかがでしょうか。

チャンスを活かせば活かすほど、
神様はもっとチャンスをくれます。
チャンスを粗末に扱えば扱うほど、
神様はチャンスをくれなくなります。

「あなたはチャンスを本当に大切にしてるの?
 面倒くさがってなげだしたり
 粗末に扱ったりしてしまったんじゃないの?
 そうでなければ今、
 チャンスから得た幸せ、感じてるはずだよ。
 そして、
 神様が新しいチャンスをくれてるはずだよ」

欧米では、子供のこと、才能のことなどをギフトと言います。
神様から「与えられた」という意識で使う言葉です。
与えられた命、与えられた能力、与えられた環境を活かすことが、
人生の仕事であり、幸せへの道だと思います。

何でもお願い事を叶えてくれる存在は神様ではありません。
自分のミスを誤摩化してくれる存在も神様ではありません。
それは、悪魔です。
悪魔はお願い事を簡単に叶えることで、
人の頑張る力を奪い、
わがままを増長させて人々をケンカさせ、
人の才能を最終的にダメにします。
そうして、神様からのギフトやチャンスを次々壊すのです。
悪魔の陰謀に巻きこまれないこと、それが人生のチャレンジです。

「悪魔に負けて、
 神様からのチャンスを奪われてないかな?」

「言い訳しても誤摩化してもダメ。
 神様はちゃんと見てるからね。
 あなたがチャンスをどう扱っているかを。
 自分でチャンスを捨てておきながら、
 神様のせいにして怒っている姿も、
 神様はちゃんと見てるからね。
 お母さんやお父さんをだませても、
 自分に言い訳して自分をだませても、
 神様だけはだませないからね」

人が神様にお祈りをする理由はいろいろあります。
「チャンスをありがとうございます」という感謝。
「チャンスを活かせました/ダメでした」という報告。
「さらなるチャンスをください」というお願い。
「神様を感じています」という心強さと喜びの確認。
それらは全て意味深いものですが、
本人が意味を感じないなら意味はありません。
「神様が自分を見守ってくれている」と感じないなら、
無意味に思えても仕方ありません。

人が神様を敬い、大切にする理由、それは、
神様が苦しいときも悲しいときも必ずチャンスをくれて、
人を幸せへと導いてくださるからです。
幸せな人と一緒にいることは簡単なことです。
苦しむ人と一緒にいることは難しいことです。
自分も苦しくなるからです。
それでも、どんなに絶望しても苦痛にあえいでも、
神様は人と一緒にいてチャンスをくれるのです。
そして本当の幸せを感じさせてくれるのです。

チャンスが見えなくなるまで心を曇らすと、
神様のことも感じられなくなるでしょう。

「もしチャンスが見えないなら、
 心が曇ってるんじゃないかな?
 自分にどんなチャンスがあったのか、
 今はどんなチャンスがあるのか、
 もう一度よく考えてみたらどう?」

「神様なんかいらないって思うなら、
 それでもいいよ。
 神様をもう感じないならそれでもいい。
 でもね、
 チャンスを見る目だけは持ち続けてほしい。
 あなたには幸せになってほしいから」

というように、お子様に話してみてはいかがでしょうか。

宗教・宗派によっても、個人の価値観によっても、
神様についてはいろいろな考え方があります。
お子様もいつかは自分なりの神様を見つけるかもしれません。
それでもひとまず、このような理解の仕方はいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

soyokazespringさまをはじめ、悩みにこ答えてくださった24人のみなさまにあらためてお礼を申し上げます。幼稚園はキリスト教でしたが、家は仏教徒で、特に深く考えることもなく今まできてしまい
わたし自身が神様に対する考えがはっきりしなかったもので、大変参考になりました。この機会に考えてみたいと思いました。他にも、ベストアンサーにしたいお答えがたくさんありましたが、息子にもわかりやすそうなお答えをくださったsoyokazespringのお答えをベストアンサーにさせていただきたいと思います。

お礼日時:2014/08/01 17:00

神様はもう一人の親だと思うのはどうでしょう。


親も子供の願いをかなえたりしますよね。
だけど、正しくないことは叶えません。

親なら、勉強をするための環境は整えてあげますが、勉強のミスをカバーしてあげたりはしないですよね。神様だって同じ。

神様が勉強のミスをカバーしていたら、いつまでたってもミスはなくなりません。

もし、息子さんが勉強をミスしないようにするにはどうしたらいいのか?
を考えたら、神様が閃きという方法でそっと教えてくれるかも。

神様は本当に本人のためになるのかどうか、ちゃんと考えてくれていて、安易に助けたりしないんです。だからこそ、みんな神様を敬うのです。

そのうち失敗したり、傷ついたり、神様を恨むときもあるかもしれないことが起こります。
だけど、後になって考えたら、あれは必要なことだったな、あれがあったからこそ自分は成長できた、と思えるときがきたりするのです。
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この回答へのお礼

たくさんのご回答を本当にありがとうございます。24人もの方々がお答えくださり、驚きとともに感謝いたします。高学年にもなると急に痛いところをついてきて、しどろもどろになり自分でも答えがわからなく困っていましたので相談して本当によかったです。みなさまのお答えを参考に息子に話してみたいと思います。

お礼日時:2014/08/01 16:01

聖書から完全に削除された言葉があるといわれています。


それは、「神とは人間のことである。」
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神様はぎりぎりの時にしか助けない・・・。

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はじめまして



以後、呪縛から解放されたければ、
「神様なんていないよ。サンタと同じだよ。」
と言ってあげてください。
大人になればわかります。実際わかりましたよねサンタの意味。

恐らく、ここで気の利いた答えを見つけて、子供に言ったところで、
たぶん、見抜かれますよ。この人の言葉じゃない・・・って。
だから、「お母さんもわからないから、一緒にかんがえましょうね。」ってのが答えかなぁと思います。
子供に見せるべき・教えるべき事は、正解ではなく、答え・理解を導き出す過程だと思いますがどうでしょうか?


神様とは?で、この夏休み、お二人でそれぞれ作文をされることお勧めします。
宗教系の高校とかで、ほんとにある宿題ですよ。
出来たら、それをお互いに読みあい、話し合うってのが理想ですが。。。
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自身の理解力や判断力が整わない幼い時期に、


最初に触れたのがキリスト教 (一神教)だと、そうなりやすいのかもしれませんね。
(それでも、テストの結果について小学校の高学年でその思考は少々珍しいとも思いますが…。中学受験を考えていらっしゃれば、神社に文句を言うほど切実に祈るのも少しはわかりますが…。)

もし最初に縁したのが仏教の幼稚園なら、少しは違ったかと思います。
仏教にも大乗経・小乗教、様々ありますが、因果(応報)を説いている事は共通しているので
自身の努力の結果がテストの点数であり、神仏は関係ないという事も、
質問者さんが教える前に理解できたのではないでしょうか。

神仏には神仏の視点があるという事は、息子さんに伝える大切なことですね。
そして、仏も菩薩も神も、人間の努力が及ばない事に対して助けてくれるのだと教えましょう。
「人生を大きく左右する、大事な場面で力を発揮してくれる」と言えばわかってもらえるでしょうか。

例えば、不慮の事故や天災・旅の安全・健康・就職などです。
大きな事故に巻き込まれても、幸い掠り傷で済んだとか、事故の起きる1本前の電車に乗っていたとか、そういうケースもありますよね。
神仏の視点では、第一志望校に不合格となったものの、第二志望校で後の人生の支えとなるような素晴らしい縁に触れたとか、時間が経ってから気が付くような色んなケースがあるでしょう。

また、神仏を敬う理由についてですが、これは日常の感謝が元になります。
日常に感謝する心をどう教えるのか、ご両親にかかっていますね。

健康に恵まれている事、病気をしていても、医療費に困らずに済んでいる事
ご両親が健在で、仕事があり、安定した生活ができている事
きちんとした医者に巡り合えている事、今日一日を大事なく過ごせる事。
そう、ご飯を美味しく食べられるという事も有難いのです。
テストで100点を取る事より、今日一日を大事なく過ごせる事の方が大切であるという事。
それらが当たり前に思えているとしたら、それこそが幸せで、守られている証拠であるという事。

そういった感謝の元に、敬う事となるのです。
昔なら農業を営む家も今より多かったですし、現代よりも生活が不便なだけに
もっと生活に直結していて、敬う理由もわかりやすかったでしょうね。

また、上記とは別に。
息子さんの質問は、キリスト教と言うより宗教全般に対してという感じですが…。
処刑台を拝むような宗教は、先祖代々農耕民族である日本人には激しすぎます。
事実、「(愛を)与えるだけでは、枯渇する。気力がなくなるのです」と言って、
長年牧師をやっていた高齢の男性(幼稚園の経営者や、看護大学の経営者など)が
何人か私の所属する日蓮正宗のお寺へ改宗に来ました。

また、人間は同質の原理と言いますか、祈る(崇拝する)対象に似てくる事があります。
何かを拝む時には、それがどんな対象であるか、よく見極める(調べる)事が大切です。

もちろん、息子さんの疑問が「宗教全般」である事はわかっておりますので、御参考までに。
成仏や生き方の意味では宗派の選択は非常に大切ですが、
息子さんの段階では、宗派以前の問題に見えますので…。この辺で。
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お子さんは、神様と言うのを取り違えてると思いますので


それを理解させては?

お子さんは神様を人のようなもの、世界を支配してるようなもの、と思ってると思います。
でも神様とは、光のようなもの、太陽のようなもの、空気のようなもので、
世界のどこにでもあり、私の内部にもあるものが神だと思います。

お子さんには難しいので、神様とは光や空気のような貴方を包んでくれてるもので、
願掛けしてお願いしたらかなえてくれる存在ではない、

お祈りはお願いしても無駄で、今日うまく行ったことを感謝するものだ。
それによって、貴方の気持ちがきれいになって暮すことが出来るんだよ、

そういうことだと思うのですが・・・
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聖書はもっと自由な読みもので、四角四面に文字通り直訳して読むものではないと思っています。

私自身はカソリックですが、息子もカソリック教育で受ける宗教の時間も”面白い解釈のひとつ”として小学校の間に受けさせました。最後は選択の自由ですし、そういうものが存在していると知らないと逆に信者のトラップにかかります。(あの宗教は正しい、この宗教は正しくないなどの細かい宗教内での観念の論争)信じてさえいれば助かるという間違った認識にしがみつく必要はないですし、自分の力だけで火事場の馬鹿力を発揮するのも実際は徒労が多いこともわかります。最終的には実社会と照らし合わせ解釈すべきと教えるべきでしょう。

実際は(聖書ではない)Heaven helps those who help themselves 天は自らを…という有名なフレーズですが、馬鹿みたいに自分ひとりだけでは孤軍奮闘ですから、努力をするもの同士のコラボで共存共栄が助かる道だろう、息子にはそう教えました。これが多くの人々が実際に感じたからこそ有名なのです。つまり多くの人はおそらくあなたの息子さん同様に感じ、その後このフレーズにたどり着き納得して指示してきたのではないでしょうか。私もこのフレーズを指示しています。

神様が助けてくれるという典型的なトラップは捨てることです。神様が見ていようがいまいがそれも神の自由、最後は自分だ、が求められます。ぜひこの有名なフレーズを教えてください。聖書の一説のように誤認され、認識されているという事は妥当性を感じる人が多いということです。これを見ても自分で努力するしかありません。神の存在を否定するのではない(それは自由)しかし多くがそう感じている事実を持って納得させていくのが良いと思います。英訳で読むと少し印象が変わるかもしれませんね。
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「息子と神様」という部分に話を限定してますよ。

問題はそこではないのに…。

息子さんの悩みに、両親が本気で向き合って来なかったのですよ。神様がどういうものであるのか、親であるあなた方が考えたことがほとんどなく、それについて息子さんと会話することがあまりに少なかったのですよ。神仏がどういうものであるか、親としてその程度のことは知って下さい。どういう信仰を持つかは問題ではありません。神仏に対する考え方が定まっていないことが問題なのですよ。

別にどこぞの宗教の「神」を持ち出した議論をする必要はないのです。要するに「お天道さま」と一緒です。いつでも見守ってくれているんです。そして、お天道さまに顔向けできないような恥ずかしいことはしてはいけないということです。お天道さまが人の言うことを聞いてくれるものですか?お天道さまに見返りを求めるものですか?自分がお願いをすればお天道さまは願いを聞いてくれるですって?

ひどい思い上がりです。神様を「自分に益をもたらすもの」と錯覚しています。今までの会話から、息子さんが誤解していることはわかったはずですよ。こうなる以前にその危険信号は出ていたはず。見て見ぬふりをしてきたのではありませんか?だって、幼稚園~小学校の高学年って何年ありますか?こんなに長い時間神様を信じていたというのなら、息子さんが神様に対してどんな考え方を持っていたか、それを知る機会は充分にあったはずです。

両親のコミュニケーション能力に問題があるとしか、私には思えませんでした。少なくともあなたは、このサイトであっても、付いた回答のほとんどを読み飛ばし、お礼も返答もろくにしていません。それがそのまま家庭内に表れているのではないでしょうか?
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キリスト教なのに神社でお祈りするのですか…?


なんだそれって思うんですが。

たぶんそういう理屈を言ってくる人は世界中に山ほどいると思うのでうまい返しは用意されてるんじゃないでしょうか。
つまり行っていた幼稚園の牧師さんあたりに聞けばいいと思います。
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