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自己責任、不寛容社会の行き着く先を憂いて嘆く方々がいますが、
根本的に「なぜ良くないのか」を説明しているサイトをあまり見かけません。

なんとなく、
刺々しく穿った社会になっていくんだろうなーと予想はできますが、
そういう社会であれば、それはそれで別にいいのではないでしょうか?

むしろ寛容さを推し進めたほうが危険な気がします。
他人の親切や慈悲の福祉制度にタダ乗りして、我が物顔で振舞う人達が、きっと出てくると思うんです。

A 回答 (3件)

自己責任と付される方達にはある程度共通点が存在します。


危険を承知で戦地に赴き図らずも拘束され命を落としてしまわれた方や、周囲の忠告や先人の教訓を省みず
救世主然として事を成そうとした結果、しくじった方etc...

ただ、その失敗自体は大きな問題ではありません。(人命が失われていることは別にして)
人間は間違えからも学ぶ生き物です。では何が良くないのかというと自分の尻拭いを出来ない人達が
そのような行動に安易に出ることです。

本人は屍を晒すつもりでも遺された家族や周囲の友人はどう思うだろうか。
結果を出せば批判していた連中は黙るに違いない。失敗を恐れるな。人生は一度きりだ。
こうした想像力の欠如や独りよがりの結果主義が失敗する人達を突き動かしているのです。

一般社会で言うところの「けじめ・落としどころ」、ヤクザ映画などでよく聞く「オトシマエ」などの
根回しや覚悟の無い人間が時に大きな事件を引き起こすのです。特に戦後日本人はそういう責任の取り方が
大の苦手と言えます。子供を叱れない大人が増えているように、学校や親からその手の道徳教育を
受けていなければ尚のことでしょう。

したがって社会はもう少し冷たくてもいいんじゃないかと、言うよりはそれこそ他人の親切や慈悲に対し
感受性が高い人達を厚遇し、養成出来るといいですね。
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楽したいだけなのでしょう。



自分が奉仕する側だとは、ちっとも認識していないせいですね。
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この回答へのお礼

そんな気もしますね。

お礼日時:2015/08/27 11:40

私は、個人レベルで使う「自己責任」と、国レベルで使う「自己責任」は、全く重さが違うと思います。



国が「自己責任」という言葉を多用しだしたら、かなり危険信号です。

なぜなら国が使う「自己責任」=「あなたに何かあっても国が助ける義務はない」だからです。

例えば、失業を例に挙げてみます。

Aさん: 毎朝に出勤するのが面倒で会社をサボりまくっていたら解雇された
Bさん: マイナス思考なタイプで鬱になってしまったため辞職した
Cさん: 日頃のお酒の飲み過ぎで重い病気にかかり、働けなくなった
Dさん: ブラック企業に勤めていたが、過労で倒れて解雇された

さて、どこまでが自己責任ですか?
国は誰に失業手当を渡して援助すべきでしょう?

ひと昔前は、A〜D全員に手当が出ていたことでしょう。
今はおそらく、Aさんはもちろんのこと、Bさん辺りから手当が出るか怪しくなってきていると思います。

「自己責任」という言葉は恐ろしいもので、どこまでが自己責任かというボーダーが曖昧です。

「自己責任」という言葉がむやみに使われる不寛容社会は、
国が「自己責任」の名の下に、本来手当を受けるべきBさん・Cさん・Dさんへの手当をケチることを許してしまいます。

どうしようもない理由で社会から零れ落ちた人々の、社会復帰への道を摘み取る。
それが不寛容社会なのです。

そういうわけで、不寛容社会というのはよろしくないと私は思います。

誰もが一度落ちたら這い上がれない社会よりは、誰もが一度落ちても這い上がれる社会の方が、
より成熟した社会と言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

不寛容も度合いの問題ですね。
救済は是としても、甘えは却下。
そこの匙加減は難しいですねえ。
誰彼も無条件で救済してたら、支える側が疲弊しますしね。

お礼日時:2015/08/27 11:38

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