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恋人が学会員です。
自分で言うのもなんですが私は非常に偏見の少ないタイプで、それ故にいわゆる普通の人つまり学会を否定しつつお盆や葬式にはわりと厳格な人からは変わり者扱いされかねないタイプなのですが、恋人に連れられて会合などに参加したり人を紹介されたりする中で、今ではどう考えても学会員の方たちのほうが愛があり信頼に値するなと感じています。
 でも『お題目を意味もわからず唱えても幸福になれる』とは到底思いません(彼女や周りもそんな感じのことをよく言います)し、意味がわかったとしてもだったらその重要な意味をこそ唱えるべきで、その意味に代名詞的につけた南無妙法蓮華経を唱えてもいちいち心の中で毎回翻訳するのは無駄だし、翻訳が不要なネイティブに近い状態まで慣れ親しめば良いのでしょうがそれって本末転倒だと思いますし、結局今のとこ『題目を唱えれば幸福になる』は信じるに至っていません。
しかしながら、題目は信じていないけどその題目を信じている学会員さん達をもうだいぶ信じています。ならば彼らの求めどおり学会員になってあげたいと思いますが題目が信じられません。正直学会員さんは非常に良い人ばかりですが題目の話になったとたんにチンプンカンプンな会話になると感じます。それを凌駕するほど良い人達だとは思いますが。
『題目を信じてなくても入信できるよ』と言われるかもしれませんがそれは私の正義感には合いません。
学会員さんは何を信じていますか?そしてそれは何故ですか?
共感できたら幸いです。
よろしくお願いします。

A 回答 (14件中1~10件)

私も、すべて実体験を元に話しています。


最初は、創価がそんなヘンな団体とは思っていませんでした。
むしろ、最初はマジメな雰囲気を感じていましたが、だんだん「どうも様子がおかしい」と感じるようになりました。
時々トゲトゲしい言葉遣いになり、どうにもしつこく強行な雰囲気になってきたのです。
ご存知とは思いますが、その様子と似たような雰囲気の動画が、youtubeにたくさんアップされています。

というか、そういうことよりも・・・、

彼らには「敵」が必要なのだろう、と思います。

彼らは、アフリカ・中東・北朝鮮、のような、荒れた独裁国家の国々で活動するほうが、活動しやすいのでは?
そのような国々であれば、明確で分かりやすい「敵」が存在しますので、簡単に「敵」を特定できます。

折伏を好む彼らには「敵」が必要なのであって、どこかに明確な「敵」が存在している必要があるのだろうと思います。

「折伏」とは必ず「オマエが間違っている」から始めるものです。
そうでなければ「折伏」とは言えないでしょう。
「折伏」に出かけて行って「素晴らしい人物に出会って、相手の話しに夢中になりました」と言って帰ってきたら、
「彼は極悪人にダマされた」とか、「彼は極悪人に迎合した」と言われることになるでしょう。
だから、どんな人物に出会っても「オマエが間違っている」から始まるものと思われます。
天動説の宗教であり、「人を見たらドロボウと思え」の宗教なのだと思います。

その点、上に書いたような荒れた国々であれば、戦う相手が明確で分かりやすいので、
創価学会員は「水を得た魚」のように嬉々として活発になるのかもしれません。

日蓮の時代は鎌倉時代であり、やがて戦国時代がやってくるという時代背景でした。
そういったサムライのいた時代には、
創価学会のような団体は、ある一定の効果があり、社会には受け入れられやすかったのかもしれません。
しかし、少なくとも現代社会にはなじまないでしょう。
ベルリンの壁も崩壊して、ソ連はロシアになり、いわゆる「昭和のドサクサ」も過去のものとなり、
世界の遠い国々とも活発に貿易をしているような今となっては、
創価学会員にとっての明確な「敵」がいなくなってしまったように思います。

しかし・・・、
創価学会員には「敵」が必要なのだろうと言っても、
ワザワザ私が「敵」のフリをしてあげるというのも、なんだかメンドウで、疲れそう・・・。

私としては、疎遠に保っておくのが一番良いだろうと思い、実際にそうしています。
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この回答へのお礼

私は同じような疑問をこれまでの在来宗教にも感じております。
伝統を一蹴することは失礼かとも思うのであまり主張はしてきてませんでしが、お葬式その他で僧侶に来ていただきお布施との『名目』で多額の金品を渡し、形骸化しているとわりきるならまだしも心のどこかで本当にそれをしないとバチが当たると信じておられるかたがまだだいぶ残っていらっしゃいます。
もちろんバチがあたるなんて在来宗教の教義にもないでしょうがそれを放置し、まるで間違って恐れてくれてる愚民のおかげといわんばかりに集金を続け、本来の教えを説いて回る努力をわざとせずにいる、それをしてしまったら集金ができなくなるからではないのでしょうか?
お墓の管理費という形で生活していこうという発想が嘘の発端だと思います。もっと正々堂々と対価を得られるサービスを提供すべきです。
崇高な正義感を日々鍛えているからこそ提供できるサービスといえばそう、例えば揉め事を率先して解決するなどつまり政治ですね、やるべきだと思います。私はいまどき政教分離だなんてナンセンスだと思っていますので。DNA操作でクローンもつくれるこの時代に霊や神やおばけのようなオカルトを本気で信じている人ってあとどのくらいいるのか、私はあと50年くらいでゼロになるかなと思っています。
オカルトを取り除いたら宗教は物理や哲学にほど近いものになるでしょう(そもそも経典そのものは最初からオカルトなんて煽っておらず全ては高度な比喩だと思っていますよ。宗教にオカルトを持ち込んだのも他ならぬ無知な愚民だと思っています)。
そしたら僧侶は学者、学者は政治やっても何もおかしくないですよね?

お礼日時:2015/09/05 17:09

日蓮さんの教えの中に、他の邪悪な宗教と戦い、論破しなさい。

というのがあります。

これが、元凶ですね。

自分たちだけが正しいとして、他の宗教を認めない。
これって、戦争の原因じゃないですか。

私の目の前に、日蓮さんがいたら、切腹覚悟の上で猛抗議します。
あなたの考えは間違っています。と
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この回答へのお礼

論破をディベートと捉えてはいけない気がします。
長ーい時間そばに暮らして、言葉でなく体現するかたちで手本を示し、
いつか共感を得よう、ということを自戒をこめて表現すると論破に
なったりしませんか?(私考えすぎ?)
会社で私は後輩を一切しかりませんけど、後輩をビシビシ育てなきゃだめだと言ってる同僚より私のほうがたくさん後輩をうまくみちいびいてると思うんですがね。
古来の経典はすべて壮大な比喩表現のかたまりだと思っています。そしてどの経典も真摯な気持ちで書かれたもので、わざわざ人を陥れようとそんな下らない動機であんな長い文章書く暇人はそうそういないでしょう。ならば比喩表現の解釈間違い、知ろうとしない気の短かさが全ての元凶かと思うのです。

お礼日時:2015/09/05 08:37

お礼、ありがとうございました。



お題目を唱えるということが、義務になったら
自分の宗教活動が、間違っていることの証です。

唱えたくてしかたなくなるのが、ほんとうですから。

先祖に対する感謝の気持ち、全人類の幸福を祈る気持ちが湧かないのなら、やる意味がありません。

また、困ったときにだけ、一生懸命お題目を唱えるのも、ルール違反です。


「団体対団体の戦いには率先して巻き込まれてる感じがあるのでやめさせたいと思うし馬鹿だなぁとも思いますが。」

これは、古典的洗脳手法のひとつです。
私も納得がいきません。
そもそも、宗教が団体であることも、私は納得していません。

プロレスのように、悪者を仕立て上げて鬼畜あつかいし、そいつと戦うことで会員同士の団結をはかっているのです。
太平洋戦争時の鬼畜米英と同じです。

これは、池田大作さんに抗議文を出しましたが、相手にされませんでした。
闘うべきは、自分自身の弱い心です。
それに負けないようにと、声を出して自らを奮い立たせるのが、お題目です。
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この回答へのお礼

こちらこそありがとうございます。
hyakkinnmanさんだけは陰口は言わないタイプとお見受けしました。
意見の合わない相手にもさん付けして呼んでらっしゃるあたりも尊敬致します。
ところで私は他で記したとおりお題目は内なる正義への決意表明なのではと解釈しています。これは間違っていますか?
それでも決意表明したくてしかたなくなることは正直ありません。やっぱり失格ですかね?
私は自分の中の弱い部分も他者の中の弱い部分も忌み嫌うことはありません。かわいいと感じます。それは弱い部分が他者への攻撃に繋がると考えていないからです。無知こそが全ての対立のもとなんじゃないかなとぼんやり考えています。以前『あなたにとっての人生の喜びとは?』の各国統計をテレビで見てアメリカでは『知らない事を学ぶこと』が上位に入っていたことに驚愕しました。日本には当然入っておらずあぁアメリカに勝つなんて永久に無理かもと思ってしまったぐらいです。アメリカも戦争ばかりしてますけどね。でも知ろう知ろうとする人といつまでも敵対したためしは私にはないのです。たまに何度も想像してしまうんですが、もしもっと情報化社会が進んで、旧型ターミネーターよろしく対峙した相手の情報が目の中のモニターに現れるどころか、脳に直接インプットされるだとか、もっと新型で頭の中で対峙しただけの相手の背景も手に取るようにわかることになれば相手に悪意がないことが実感できて喧嘩にはならないのではないかな〜なんて思ったりします。文章がリカーシブになっていることにお気づきでしょうか、つまり相手のことを知ることができれば悪意というものは生まれないと考えているからです。よく知る相手なら攻撃しないなんてことは犬にだってできることです。それができないなら人間なんて欠陥品もいいとこだからとっとと滅んでしまえとさえ思います。
私は全人類の幸福は望んでいません、知ろう知りたいと思う衝動が中途半端になった人には淘汰されて欲しいと願います。せっかく人間だけが強い想像力をもつのに実際は猿程度にしかその想像力を使っていないなんてそれこそ人間じゃねぇ、と。学会が問題を起こしたから学会員すべてを忌み嫌うのは知ろう知りたいの衝動が弱いです。忙しい?そうですかね?

お礼日時:2015/09/05 08:22

「自分で言うのもなんですが私は非常に偏見の少ないタイプで」とか、


「今ではどう考えても学会員の方たちのほうが愛があり信頼に値するなと感じています」と発言したら、
非難ゴウゴウになるのは目に見えるように明らかだと思いますが・・・、

もしかして、非難ゴウゴウにしたくて、ワザとこのように書いたのでしょうか?

つまり、ご質問者さまは実のところ、創価学会が大嫌いであり、
創価学会への非難をあおりたくて、ワザとこのようにご質問されたのでは・・・!?

「この状況だと、そう考える方が自然なのかもしれないな」とも思いますが・・・。
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この回答へのお礼

いえ、本心ですよ。
少なくとも私の知り合いの学会員さんが個人に対する誹謗中傷どころかうわさ話すらしているのを見たことはありませんし、聞けば『失礼だもん』とごく真っ当な答えがきましたよ。
団体対団体の戦いには率先して巻き込まれてる感じがあるのでやめさせたいと思うし馬鹿だなぁとも思いますが。

お礼日時:2015/09/04 07:28

創価学会に関する話題の場合・・・、



創価学会員の人が非学会員のフリをして質問や回答していると思われるケースも有れば、
逆に、非学会員の人が学会員のフリをして質問や回答していると思われるケースも有り、

もう、何が何だか分かりません。

創価学会に関する話題は、いつも戦いと混乱があって、
なんだか戦国時代の雰囲気を彷彿とさせるような感じがありますね。
コレは侍の時代の宗教であって、今の時代(または、これからの時代)には合わない宗教なのでは?

今となっては、人付き合い(人間関係)が極端に下手な人たちが、失敗ばっかり繰り返しているだけのような。
「失敗だらけの、お先真っ暗な宗教」と判断するのが妥当かと。

「元気のないお年寄りの人たちによって成り立っている」という話しもあるようですし・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お先真っ暗感でいうと今の宗教そのもの全部に私は感じます。
神だとか霊だとか極楽だとか地獄だとかそれら言葉を何かの比喩で使ってるのではなく物理的に存在してるなんてもし考えているのならば、ですが。
比喩であるならば共感できます。神に等しい善意や運命が自分もしくは宇宙そのものの中に存在する、ってことですから。あったり前のことを堅苦しく言っているだけですよね。
コンピュータで例えれば魔がバグにあたりますかね。バグを露呈しないように頑張ろうというのが哲学や宗教の目指すとこだと勝手に解釈しています。ウィルスバスターです(w)
お布施を出したら新しいパッチを配布してくれないといけないですよね。
 物理学も哲学も宗教も真実を知りたがりますが、真実を知ったあとにポジティブでいられるように今から準備を始めているのは哲学か宗教なのではないかなとも感じます。
 コミュニケーションが苦手な人、私は大好きです。何を思ってか裸になれずにいますが私が先に裸になればすぐ仲良くなれます。営業マンが一番苦手です本音と建前の鎧が厚すぎて。なるべく避けています。

お礼日時:2015/09/04 07:21

専門家などによって、教団の事件史や偽者本尊の鑑定結果、教団の本音や裏側を解説した良書を紹介しているページがあります。


一度ごらんになってみてはいかがですか?
「新興宗教を斬る:出典」
http://ameblo.jp/worldwordpress/entry-1205873883 …

おまけ(動画)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
教団が問題を起こしているかいないかは知らないのですが、私が知りたいのは教義の本質のところなんです。
そしてとても素晴らしい教義だったとしても私が身も心も捧げるのは日々の眠気や食欲だったりします。ただ、信じられる教義を『知っている』ことは重要で、何かに迷った時、いや無意識ではあるが常に、それを基準に判断するのでしょう。
イスラム原理主義がテロを繰り返してもイスラム教(内容知りませんが)を否定しようと動きませんし、
どんな立派な信条をえたとしても『まあまあ、みんな争うぐらいなら信条なんかひっこめようよ、最悪釣りして魚食ってれば生きていけんじゃん。人間も動物だよが地球で暮らせない筈ないじゃん』という生来の性格をオーバライドすることはないと思っています。

お礼日時:2015/09/04 07:02

というわけで、信じているのは「日蓮さんが御書に綴られた、人間らしく生きていくための知恵」です。



わけもわからず、お題目を唱えれば幸せになれるというのは、間違っています。

信じ、行じ、学ぶことを日々怠らず、自分自身だけでなく全人類の幸福を願い、先祖供養のような感謝の気持ちを持ちつづけなければ、幸せにはなれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
非常に共感します。というのは、私個人として誰に教わるでもなく勝手に自分で考え勝手に自分でモットーとしてきた内容とほぼピッタリ重なるからです。
重ならないのは題目を唱える点ですが、同じかどうかはわからないですが私もやはり声にだすことは大事だと自然と感じ、あいさつをする、あいさつをしたくなる人でいる、ことを自然と心がけてきました。
題目をあまりにも習慣化するのは自分への決意の念押しを義務化する感じですよね?ちょっとストイックすぎて一般化しずらいだろうなぁと思ってしまいます。

お礼日時:2015/09/04 06:30

続けます。



御書には、南無妙法蓮華経の意味も書かれていますので、その素晴らしさがわかれば、教えそのものを信じることができるようになるでしょう。

【行】についてですが、

毎日、お題目を唱え続ける(声を出す=大切です)ことと、周りの方達にこの教えの素晴らしさを語っていくこと(自分自身が、他者に称賛されるような人間らしい振る舞いをしつづけることであって、けして押し付けであってはなりません。)です。

それを、日常的に続けていけば、信じることができるようになると思います。

けして間違ってはいけないのは、御本尊はあの掛け軸ではなく、自分自身の心の中にあるということです。
素晴らしい仏壇や、多額のお布施は、一切必要ありません。

さらに言うならば、闘うべき相手【魔】は、「自分自身の弱い心」であって、けして「反逆者たち」ではありません。

反逆者たちを、鬼畜呼ばわりしたことがあり、徹底的に闘うとしていますが、私は人として間違っていると思っています。
もし、日蓮さんがそれを正しいと言うのなら、私は日蓮さんに抗議します。
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こんにちは。


以前に同僚だった会員と宗教に詳しい知人からの情報をもとに回答します。

>でも『お題目を意味もわからず唱えても幸福になれる』とは到底思いません。
お察しのとおり、なれるはずがありません。
その証拠に、会長の息子は20代で病死しています。
以下のような新聞にも記載された世間を震撼させた事件や訴訟も非常に多く、他の宗教団体との紛争も同様に非常に多いです。
創価は元仏教の信徒団体でしたが、トラブルから破門されてからは仏教団体を攻撃対象にして、盗聴、脅迫(金銭要求)、お寺の破壊、住職の身代金誘拐を行い大きな事件となり創価幹部が逮捕されました。(大石寺事件)
他の回答者からも出ていますが、本尊とされるものは、偽者を本尊を加筆改ざんしたものであるとの調査結果も出ています。
※ 宗教学者の島田氏の書籍に偽者本尊の解説があります。参照ください。
会員は教団からの指示に従って、機械的に拝み、教団に寄付をしている、ただそれだけです。
これではいくら唱えても幸せになれるとは思えません。本当に幸せになれるなら、みな入会しています。
本来の宗教は、宗教オブジェ(本尊など)に向かって願掛けをしたり、会長を崇拝するものではなく、教団に寄付をすることで願いがかなうという考え自体が誤っており不健全なものです。歴史の浅い新興宗教に特有の宗教を商売道具とした営業活動であるといわれても仕方ないでしょう。

>学会員の方たちのほうが愛があり信頼に値する
いい言い方をすれば、新興宗教の信者は熱い人が多いですよ。念のためですが、、マイナス面があることを忘れてはいけません。
教団に否定的な態度をとれば、批判されたり、攻撃の対象にされることもありますし、過去に教団とライバル関係にあった団体や教団に批判的な議員や作家に対して常識を逸脱した嫌がらせ、脅迫、営業妨害を加えたため、創価が解体に瀕したこともありました。(言論出版妨害事件など)
盗聴や中傷などを日常的に行い、最規模な個人情報窃盗事件を数回おこしたため、高等裁判所は「盗聴体質で中傷などの不適切な行為を繰り返す異常な団体だ。事件に会長が関与していることを認める。個人の独断で犯行を行っているとする主張は無理があり荒唐無稽だ。」といったような内容で糾弾し、大学教授も「大きな犯罪を起こしえる技術と良くない思想を持つ団体であると」警鐘を鳴らしています。(NTTドコモ通話記録窃盗事件、YahooBB個人情報漏洩および恐喝事件、共産党盗聴事件、立正佼成会の盗聴、日蓮宗中傷盗聴事件)

他にも、大手芸能事務所(創価系)での女性への暴力・自殺事件、池田レイプ事件、大阪事件、選挙替玉事件、投票所襲撃事件、集会所幹部刺殺事件などの有名な事件もあります。

それらに加えて、教団の会計の不透明さ、政教分離違反、会員数の水増し公表などもあり、不健全な暴力的な団体であるとして敬遠している人も多いようです。

どの事件も、新聞、雑誌、Wikipediaなどで容易に確認することができます。ご興味があれば調べてみてはどうでしょうか。

お金や政治などの欲が先にあり、教義や活動内容などは後付けでつくったもので、それを論じることが無意味であると評論家などに言われていても仕方ないかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
悪い噂がここまである団体にはやはり入ってあげることはできないですね。
教義の理解に留めようと思います。
そもそも団体に属する事を嫌って生きてきたことを彼女を好きなあまり忘れていました。
思い出させてくれてありがとうございます。

お礼日時:2015/09/04 07:35

学会二世の幽霊会員で、こちらでは今の学会の批判をしている者です。



しかしながら、正しく宗教活動をされたいとのことならば、よろしければアドバイスさせてください。

学会には「信・行・学」という三本柱があるのは、ご存知ですか?

まだ、信じることが出来ないとおっしゃるなら、まず学んでみましょう。
【学】です。
あの、日蓮さんが書かれた手紙【御書】のなかに、この教えを信じて生きていくことの大切さ素晴らしさが書かれています。
それで得た知識を、日常生活の知恵として活かして行くのです。
わかりづらい内容かもしれませんが、多くの参考書がありますよね。
彼女さんといっしょにやっていくのがコツです。
学会員さんたちは、わかりにくい言葉で説明しようとしますので、あまりオススメではありません。
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