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回答者:psytex1 さんが、よく、下記のような回答をくださるのですが、
難しすぎて、意味がわかりません。
どういうことでしょうか?
簡単に説明お願いします。

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観念論によれば、自我とは環境認識の事であり、全宇宙は自己の内にある。
「労働する意味はない」という時に、既に素朴唯物論的な「自我とは独立
して“外”に物体はあり、そこからの影響によって二次的に認識が生じている
=自己とは肉体」という考えが先入している。

一般の生活における“実感”である、「自分の外に独立した先入的&確定的な存在
があり、二次的に意識を生じている」という素朴唯物論は、否定されているのだ。
無=不確定性無限=カオスの潜在的認識可能性(感受表面の量子相互作用=現在
(光速)=仮説的時空への無の射影)からの、自我仮説(記憶=過去(超光速)=時間
の流れ)と空間仮説(予測=未来(光速下)=空間の広がり)の相補分化として、
この世界は得られているのだ。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率
の山が平らになって、無と等しくなる。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識体の仮定断面
(潜在的認識可能性)の運動(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=
宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(感受
表面(潜在的認識可能性)での量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完
(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのだ。
自我仮説(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説(予測=空間の広がり
=未来=光速下)の相補分化。
つまり、自己存在成立のための必要として(不確定性原理の相補性に基づく)
環境は認識されるのだ。

「他人」とは、その「潜在的認識可能性」を時系列化するプロセスの射影と
しての、時系列外の「認識可能性」である。
そうした原理的な時系列化において、本当は昨日の自分も遠くの他人も量子的
に不連続であるにもかかわらず、「他人の痛みを自分のように感じる」という
精神疾患の一種として、過去の異なる認識可能性(宇宙膨張=物体収縮=プラン
ク定数hの収束)を自己=過去(自我仮説)とする事で、意識(空間仮説)を
派生させているのだ。
自我成立のための相補的な環境性において、先に触れたように他人も必要の一環
(社会生命的自覚)であり、また環境との物質循環も伴い、自己の生命性の拡張
としての自覚化=愛による自律的社会行動において、肉体的有限性も寿命の有限
性も超えられる(真の生きる目的たる最大充足の達成)。

「時間、空間、他人?この回答を簡単に解説し」の質問画像

A 回答 (4件)

一言で言えば、存在や意識とは宇宙という概念の揺らぎである。



極端な喩えで言えば、桶に張った水を宇宙だとしてその水に起つ波紋が存在や意識である。というようなこと。

…かな?(´ω` )
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「時間と空間とは何か、及び私はどうして私であり他人ではないのか」について、下記ホームページをご参照下さい。


http://www42.tok2.com/home/catbird/zikannoyobiku …
http://www42.tok2.com/home/catbird/watasihawatas …
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 私がいるのはあんたのおかげ。あんたがいるのは私のおかげ。
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宇宙って、一説には無限ってことですよ。


無限は無し(0)と結局人間から見た結果は何の差も感じないということです。
無し、も無限も、無いものは、いくら説明しても、無い、でおしまいですね。
無縁は、いくら説明しても、その先は?、それ以外の場合は?が無限ですね。
もし、人類がそれを解明した、とするなら、すでに無限の時間が経過してから・・・・かも。
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