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面接では 死刑制度は必要か否か と問われた時、必要と思っても人間性が疑われるのを恐れて、 国が人を殺すのはよくないと思います!!
っていうことが多いようですが、
実際、その人たちは自分の家族や親しい親友が残酷な殺し方をされた時に犯人に牢屋で十数年過ごしてもらうだけで気がすむものなのでしょうか?

裁判官もそうですが、あの人たちは自分とは全く関係ない人の不幸を聞いて、淡々と、遺族の気持ちも汲み取ろうともせずに判決を下すようですが、
裁判官は自分の家族が肢体バラバラにされて校門に首を置かれるようなサイコパスな殺され方をされても死刑にしたいとは思わないのでしょうか?


死刑は駄目だと言っている人はこういうことまでちゃんと考えて言っているのでしょうか?

A 回答 (9件)

いいえ、Gooにも反対者の意見が過去に出ていましたが


海外と比較して
とか
自分に降りかかっても  許す  とか
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この回答へのお礼

自分に降りかかっでも許す
ホンマかいなw

お礼日時:2015/10/26 11:17

テレビなどでインタビュー受け放映されているものは編集されています。


テレビ局側が「死刑に反対している印象の映像がほしい」と台本を元にインタビューするのです。誘導質問もします。
撮影したインタビューした中でさらに希望に叶う人のを採用し編集します。

ですので、それをみて「みんな思ってる」「みんな言ってる」と判断してはいけません。

死刑賛否に関しては内閣府調査
http://www.moj.go.jp/content/000053168.pdf
などを参考に。

ちなみに死刑反対を叫んでいる人の中には「社会を乱す」目的で言っている人もいます。
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死刑制度は必要か否か・・を問う面接って何の職業?



そんな会社って あるのかなぁ・・?
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この回答へのお礼

会社って誰が言ったの?

お礼日時:2015/10/26 17:50

私は現状として、死刑反対です。


その理由は、国が人を殺す事の是非では、なく。冤罪による死刑判決が事実としてあり、それを回避する機能が現在の司法制度には、ほぼ無いからです。
この国の現在の司法制度で死刑を維持するという事は、全国民が、自分とは関わりの無い事件の犯人とされ、絞首刑になる可能性を、義務として引き受けるという事です。勿論、あなたやあなたの家族もです。自分や自分の家族がそうなっても、構わないなら、現行の司法制度に満足なさって下さい。
死刑が賛成だという人は、どこまでも他人事として、それを考えているんですよ。
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この回答へのお礼

死刑になるような犯罪に何もしていないのに巻き込まれて、しかも証拠と全てが揃ってそのどれもが辻褄が合うようなことがこの先あるとは到底思えませんね。(宝くじって一等に当たるよりも難しそうですね。)
その可能性があるということ自体が駄目だと言っているようにも思いますが、完璧社会を目指すならそう考えるのは当然ですね。

罪刑法定主義に則っている以上……
っていうので少し腑に落ちました。
日本がそういう政策をとっているなら仕方のないとしか言えないよね。
問題は一人一人が殺人に巻き込まれないようにすることだね。

お礼日時:2015/10/26 17:59

そもそも、死刑制度を問う面接はあり得ないと思いますが、それは置いておいて・・・


反対を唱えている人は、冤罪の可能性と諸外国では廃止の流れということ、それと人道的な理由を挙げますが、個人的には日本は法治国家で罪刑法定主義をとっている限り、人が人を裁くのではなく、法律が法律に則って裁くということで、それが死刑であっても“死刑相当”となった場合は、受け入れるべきであると考えます。
日本がそういう制度をとっている限り、受け入れるべきでしょう。
ただし、自殺願望のある人が自分では死ぬ勇気がないので、国の力=死刑で死にたい・・・そのために人を殺すということについては、別途死刑制度そのものについて考えなければいけない重大な問題だと思います。
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何故死刑が良いの?



痛みも殆ど無く、恐怖にさえ打ち勝てばたいしたことはありません。

ひどい加害者には拷問か良いと思います。

発狂するほどの痛み、罪を後悔するほどの苦痛を与えるべきです。

死刑を望む加害者もいるくらいなので、苦痛を与えるべきです。
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この回答へのお礼

まぁそれはこの先もないでしょうね

お礼日時:2015/10/26 17:47

そもそも人を裁くのに「遺族の気持ち」をどれだけ推し量る必要があるのでしょうか。


元々「人が人を裁く」ということ自体に疑問はないのでしょうか?

死刑賛成の方は、このあたりからちゃんと考えて言っているのでしょうか。

勘違いしてはいけないのは、裁判官にしても私たちにしても「第三者」である、ということです。私も過度に遺族の気持ちに同情するのは必ずしも正しいことではありません。つねに公平に冷静に事実を確認する義務があります。特に裁判官は「公平さ」を知識と経験から導き出し、多くの判例から過度に量刑したり、逆に過少に量刑したしないようにしているプロであるといえます。
彼らから「第三者」としての目を摘んでしまったら、結局だれも「法律の公平性」を信じなくなります。その結果は、今よりももっと悪いものでしょう。

死刑賛成の方はこのあたりもちゃんと考えたほうがいいと思います。

>裁判官は自分の家族が肢体バラバラにされて校門に首を置かれるようなサイコパスな殺され方をされても死刑にしたいとは思わないのでしょうか?

思いますよ。「犯人を殺してやりたい」「死刑にしてほしい」と遺族なら思いますよ。裁判官じゃなくても死刑反対論者でも、そう思うでしょう。それは誰でもそうです。

しかし、それは当事者の感情であって「第三者」の視点ではありません。私たちは有権者であり国民主権の国に住んでいる者として、常に客観的な視点を忘れてはいけないのです。ちなみに、裁判官は身内の犯罪について裁判に関わることはできません。「第三者」であることができなくなるからです。

また、当事者感情と関係のない赤の他人が勝手に同情することは同じではありません。
したがって、当事者が「殺したい」「死刑にしてほしい」と思うのは何の問題もありませんが、赤の他人が冷静な視点を忘れて感情移入するのは危険であるといえます。

死刑賛成の方はこういうことまでちゃんと考えているのでしょうか。

死刑は「国家が人を殺すこと」です。日本は国民主権ですから、国家は国民の総体です。死刑が行なわれるということは、主権者である私たち一人一人が人殺しを許容している、私たちが人殺しをしている、といっても過言ではありません。

たまたまですが、今日大坂女児焼死事件の元被告2人が裁判所の判断で釈放されることになりました。今となっては検察のごり押しの捜査と起訴が、2人の人生を狂わせ、また息子さんの人生も狂わせたことになります。

権力というのは怖いものです。改める力・反省する力を失うと容易に庶民を不幸にします。死刑裁判にだって冤罪や誤認はあるでしょう。
そのようなリスクをどこまで許容するのか、死刑賛成者はちゃんと考えているのでしょうか。

先ほど、国民主権である以上死刑執行は国民の総意であり、国民が殺人を行なっているに等しいと書きました。それでも、罪を犯した人の執行なら許容される部分もあるでしょう。でも冤罪が100%無くならない以上、私たちは「無実の人を殺してしまったかもしれない」というリスクを常に考える必要があります。
そいういうことを、死刑賛成者はちゃんと考えているのでしょうか。
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死刑制度にはこれからも賛成です。


過失は別ですが、理不尽に人の命を奪ったら、自らの命で償うのは当然なことです。
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すみませんが、何を質問したいのでしょうか?


面接時で、死刑制度を聞かれた時にどう発言すれば良いのか
死刑制度について、聞きたいかがはっきりしません・・・。
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この回答へのお礼

まぁ2つ質問しているわけになりますね。
あえてわけて書きますと、
・面接では死刑制度について綺麗事を言う方がいいのか。

・死刑制度は国による殺人だ。だから良くない。と言う人は自分の家族が殺されても同じことが言えるのか。
ですね

お礼日時:2015/10/26 17:42

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