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【共働き世帯】江戸、明治、大正時代の共働き世帯の割合を教えてください。

専業主婦が生まれたのは昭和時代だけで、江戸時代には夫婦共働きが普通だったそうですが、国の統計グラフは専業主婦絶世期の昭和時代から(わざと?)グラフが始まっており、専業主婦は昭和時代の特異な仕事だったと言われても信じられません。

どのくらいの割合で江戸時代、明治時代、大正時代は共働き世帯だったのか教えてください。

本当に専業主婦って昭和時代特有の一時的な特殊な女の仕事だったのでしょうか?

A 回答 (2件)

江戸、明治、大正時代じゃ、一夫多妻も認められているし、丁稚奉公や使用人制度もあるし、農民はみんな共働き。


共働きというのは、外部に給料で雇用されないと、自営や自給自足じゃ成り立たないのです。

江戸時代が共働きなのは、日本全国で8割が農民で、城下町には農地がないので、製造業とサービス業しかなかったのです。
一夫一妻で核家族で構成され、金本位制度が普及してサラリーマンが大多数になるまで、一家に複数の女性がいるんだから、明治末期以降じゃないと、専業主婦や共働きって仕事はないし、職業階級を絞らないと変化の割合をカウントできません。

昭和を振り返る、サザエさんのような家族揃ってちゃぶ台を囲むような昔の日本家庭って、戦後が30年、戦前にも30年くらしかない。
ちゃぶ台自体が、江戸末期に箸のことであるチョップスティックから名付けた輸入された文化であって、日本人の食事は膳や囲炉裏で食べてたんですから。食事なんて家長から順番に片手間にしていたのです。
和服は簡単には洗濯できないし、夏服冬服で質屋に入れて数枚しか持っていないので、日々の洗濯はふんどしと腰巻きと手ぬぐいしかないし、
掃除は、日中家に人がいない時間がないので、朝に終わってしまいます。そもそもほうきや雑巾やはたき自体から作らないと売っていない。
冷蔵庫もないし、市場も毎日は開かれないから、毎日の買い物は売り子や御用聞きがやってくる。
農家は現金収入がないから、買い出しもめったにできず、毎日一つの鍋で足し足し雑炊です。
布団だって公家のもので、武士以下は掻巻か筵で、布団干しだってなかったのですから。

主婦業の家事の多くが、近代文明の工業製品化の中で家事道具のオペレーターとして発生し、自動機械化でなくなっていったのです。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2015/11/22 00:13

士農工商のうち、9割の「農」は共働き。

「武士」は建前上専業主婦。下の方は家族総出で内職のパターンもあり。「商」女将さんが仕切ってる店もあるし、共稼ぎがほとんど。「工」上州のほうでは、女性の機織が盛ん。逆に専業主夫になってもよかったのだけど、昼間っからバクチに手をだしちゃって。

明治大正と、ほぼ同じ状況。
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