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死の床にあって枕元に置きたいと思うのは、聖書でもエジプトの書物でもピュタゴラスの書物でも、プラトンの書物でもない。アリストファネスの作品なのだ。一人のアリストファネスがいなかったなら、プラトンはどうやって人生を、プラトンが否定したギリシアの人生を過ごすことができたろうか!
(ニーチェ『善悪の彼岸』第2篇28 中山元訳 光文社文庫 83ページ)

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ニーチェは、重大な内容を軽やかに記述するマキアベリとペトロニウスの文章を褒めたのちに、アリストパネスの喜劇こそが「死の床にあって枕元に置きたい」書物であると述べました。ニーチェによると、プラトンはギリシアの何を否定したのですか。そして、アリストパネスによつてどのやうにプラトンは恩恵を得たのですか。

A 回答 (1件)

イデア界に比べたら現実世界なんてどうしようもないものだ。


そのどうしようもない世の中を笑ってごまかしながら
生きていかざるを得ないのが我々人間の宿命。
みたいなことなんだろうと思います。
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この回答へのお礼

今回は優等生的な回答ですね。哲学カテゴリではプラトンといへばすぐにイデアが出てきますが、私はおもしろくないので、プラトンの本を手にしてもそこは飛ばして読みます。そのほうが読書がはかどります。最初から最後まですべて飛ばして読了した本もたくさんあります。

プラトンのイデアをキリスト教にあてはめたのがアウグスティヌスだとされます。魂の不滅は、ギリシャではプラトン哲学に始まり、キリスト教に導入されました。私はその愚行を正したのがニーチェだと考へてゐます。一般にはキリスト教を否定したやうに解説されますが、私は聖書への撞着を感じとります。ニーチェは批判的同調者です。『ツァラトゥストラ』で新約聖書のパロディをつくつたのは、その良い例です。

ニーチェを語る際にだれもアリストパネスに触れないのが不思議です。『雲』の中でさんざんソクラテスをからかひますが、読み終へてみると、ソクラテスに親しみがわきます。プラトンもアリストパネスには好意的です。批判はしますが、人間と世界を肯定します。ほとんどの人の見解とは違ふのでせうけれど、私はニーチェは聖書の世界が純粋に好きだつたのだと思ひます。

>そのどうしようもない世の中を笑ってごまかしながら

プラトンにとつては、さうだつたのかもしれません。正直なところ、このニーチェのプラトン評はよくわかりません。御回答ありがたうございました。

お礼日時:2015/12/01 20:49

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