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日本語は。人称代名詞は沢山あります。例えば、一人称では、私・俺・自分・手前・あたし・あっし・僕などが挙げられます。沢山あるということは、状況によっては、必要であり、用意されている、と思います、
 しかし、人称代名詞を使わない場合が多くあります。たとえば、英文の“I love you”に相当する日本文は、普通、“私はあなたを愛します”とは言いません。”私”や”あなた”を使わず、“愛している”が自然です。
 質問したいことは、折角、人称代名詞がきめ細かく数多く確保されているにも係らず、なぜ、使わない場合が多い、のでしょうか?

A 回答 (8件)

>使う場合は、私・僕・俺などはっきりさせているのはなぜでしょうか


使う場合は・・・・だからです。
使ってはいけないことはありません。
余談ですが、全然・・・・・。
NHKで取り上げていました、年配者の多くは、全然+否定形が普通、では全然+肯定形はありうるのか。
全然+肯定形で例に挙げたのは、「寒くないですか」、「全然、ちょうど良いです」
でも、私の解釈では、全然(寒くないです、どうどお気遣いなく)、(暑くもなく)ちょうど良いです。
会話では()部分が省略されているが、その場の当事者では十分理解しあえるのです、全然+肯定形の例には不適当と思いました。
オリエンタルミステリアスと言ってしまうと語弊が生じますが・・・・・。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
<会話では()部分が省略されているが、その場の当事者では十分理解しあえる>
ですね。私も、「部分が省略」ということがあります。あることに関して、一つ目の文と二つ目の文を、全部しゃべれば何ら問題が無いのですが、気がせいていたりすると、一つ目の文の前半に二つ目の文の後半を続け、中間部を抜かしてしまいます。聞いている方は、何を言っているのかわからない、と思います。当然ですが、
<オリエンタルミステリアス>
とは全く関係がありません。

お礼日時:2016/02/12 19:47

> 普通は、主語や目的語を使わない(使わなくても分かりやす)日本語で、もし使う場合には、しぶしぶと例えば”私”1種類のみを(英語の”I”のように)使えば良いのに、とこれも即断しました。



固有名詞(ジョニー、ジャック、ジェイ)があってもジョンと呼んだりします。愛称やお父さん、息子よ、おばさんのような呼び方をしたり、運転手さん、駅員さん、課長、店長、ボス、キャプテン、チーフ、坊さん、先生、教頭、学長、看護婦さん、守衛さんのような呼び方をします。自分に関しても、文書などでは小生、小職、愚生、本官と書いたりもします。
言いたいことを表現する場合、数学の記号ではなく、ある社会で文化的な中で意味を持っている言葉があれば、それを利用するのは自然な行為でしょう。 行為行動者や対象者を表現しなくても、意味は通じるとしても、"先生はどうお考えでしょうか"、"あなたはどうお考えですか"、"お前はどう考えるんだ"、"課長はどうお考えでしょうか"を使い分けることが出来るなら、それを上手につかってコミュニケーションをしっかりとろうと思うのは、ごく普通の行為だと思います。 官公庁で担当公務員の一人として返事するとき、本官は、小職としてはという場合も同じでしょう。 コンビニのアルバイト店員でも、"私は"とは違う用語があるなら、店員自身も、あるいはマニュアルでもその用語を使うようになると思います。
状況次第、口調にもよるのでしょうが、"私は~~~が適当だと思います"などと、家族の中で言われたら、「何か、ヤバイ心的事情が(あいつには)起きてるな」と感じることが多いと思います。 どのような語を選ぶか、どんな口調で述べるかは、コミュニケーションでは重要なことと思います。 個人を特定出来れば、単語は1つで十分だという発想をもつ民族は少ないのではないかと思います。

前に示したURLですが、代名詞主語の表現の仕方が英語・イタリア語・Chemehuevi 語・Longgu 語・日本語のどのタイプに属するかを世界 711 の言語について調査し、6種に分類しています。 これだと、英語タイプが圧倒的に多いということではないようです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%AA%9E …
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございました。
私は、ネィテブとしては日本語、外国語としては英語しか、知りませんので、言語を見つめる際に、片寄っているように思われてきました。
<個人を特定出来れば、単語は1つで十分だという発想をもつ民族は少ないのではないか>
ですね。また
<英語タイプが圧倒的に多いということではないようです。>
ですね。視野をもっと広げなければ、と自戒しています。

お礼日時:2016/02/12 19:24

> 2つの疑問が湧きました。


➀、英語でもはっきりと分かっていると思われるのに(すなわち、愛しているーI love youを対比して)Iとかyouを使っています。したがって、英語圏に比べて、日本語圏では、傾向としてはっきりしている程度が高いのですか?(すなわち、英語圏では日本語よりはっきりしていないのですか?)
②.日本語では、傾向としてはっきりしていることが多いのであれば、たとえば一人称をきめ細かく沢山作る必要がなく、英語と同じように、“私“一つで済みそうですが?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
➀ 英語圏に比べて、日本語圏では、傾向としてはっきりしている程度が高いのですか?
⇒ 何を質問されているのでしょうか。"日本語圏では、英語圏よりも、「誰がとか誰をとかが、はっきりしている」”かどうかを疑問に感じているのでしょうか。そのようなことがあり得るとは思えませんし、そうしたことに疑問を持つこと自体がわかりません。AとBの二人しかいない場面で、AがBに、"愛してる"、"馬鹿やろうー"、"出てけ"、"うるさい"、"新聞もってこい"、"メシ"、"Shut up(シャラップ)"、"Run for it"と言った場合、どこの言語圏にいようが、話者と聞き手が不明確であるというようなことはあり得ません。

② 日本語では、傾向としてはっきりしていることが多いのであれば
⇒ 何を言おうとしているのでしょうか? "日本語では、傾向としてはっきりしていること"="主語を述べないで済むことが、英語よりも、日本語が多いという傾向"ということでしょうか。
主語や目的語を省略するする構文が多いということと、多彩な表現をもつと言うこととは、全く,関係がないです。 色の蒼、青など https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92#.E3.80.8 … 色を示すいろいろの表現、用語があることと、物や布、服装、生物、景色、心情をなどを述べるとき、色に触れないで表現することが多くあるということは、何ら関係がないです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%AA%9E …
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
①についての言訳け
<どこの言語圏にいようがどこの言語圏にいようが、話者と聞き手が不明確であるというようなことはあり得ません。が不明確であるというようなことはあり得ません。>
ですね。ただし、日本語では、英語に比較して、話者と聞き手をが明確に指さないことは、英語に比較してして、状況が分かりやすいため、と即断しました訳です。
②についての言訳け
<主語や目的語を省略するする構文が多いということと、多彩な表現をもつと言うこととは、全く,関係がないです。>
未だ、この説明を乗越えることができません。普通は、主語や目的語を使わない(使わなくても分かりやす)日本語で、もし使う場合には、しぶしぶと例えば”私”1種類のみを(英語の”I”のように)使えば良いのに、とこれも即断しました。
以上、独断やら屁理屈かもしれません、ご容赦下さい。

お礼日時:2016/02/11 19:40

日本語は述語中心の言語なので、主語や目的語はしばしば省略されます。

「省略される」と言うより、「基本的にはなくていいが、特に必要なときにだけ、主語などをつけ加える」と言う方が、より正確かもしれません。
一方英語では、(どんなにわかり切っている場合でも)主語は必要とされています。文法上、主語がないと文章が成り立たない仕組みになっているからです。
http://shouyouki.web.fc2.com/shugo.htm

たとえば英語では、"rain" という単語だけで「雨が降る」という意味ですが、主語を省略できないので "It rains" と、無意味な主語(it)をつけたりもします。どの言語にも一長一短はありますが、英語(インド=ヨーロッパ系言語)のこうした特徴はアジア人からみて、特に不便そうなところの一つでしょう。

ただし英語でも、"Fuck you" や "Nice to meet you"、"See you later" などには、主語がありません。こうした例からすると、実は英語圏の人たちも「できれば主語など省きたい」と、薄々思っているのかもしれません(長い歴史をもつ文法をいまさら変えるのは無理でしょうが)。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<日本語は述語中心の言語なので、主語や目的語はしばしば省略されます。>
<英語では、(どんなにわかり切っている場合でも)主語は必要とされています。>
ですね。
ところで、日本語は、一旦使う(省略しない)場合は、多様な人称が用意されているのに対して、 英語では”I”のみというのは、どういうわけですしょうか?

お礼日時:2016/02/11 17:37

相当に抽象的で申し訳ないが、西洋合理主義、とオリエンタルミステリアス?、未知のものに対する恐れを知る、の差では。


デジタルとアナログの違いです、デジタルは正確ですが、その分わずかの違いでも止まります、穴ろぎはどうでしょう・・・・。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
英語―西洋合理主義―デジタル
日本語ーオリエンタルミステリアス―アナログ
という構図なのですね。すなわち、英語では。“I”を表現しはっきりさせてるのに対し、日本語では、”私”を隠しミステリアスにしているのですね。ただし、日本語でも一旦使う場合は、私・僕・俺などはっきりさせているのはなぜでしょうか?

お礼日時:2016/02/11 14:54

実は、日本語の中で一人称の代名詞が「たくさんある」ということと、主語で「一人称を省略する」ということは、同じことなのです。



日本語での一人称は、英語のIなどと違い「相対的」です。英語のIは「Iという人物がそこにいる」というところから始まります。この「I」が父親だろうが、部下だろうが、子供だろうが関係なく、独立した一人の人間と言う意味で「I」とおかれます。

しかし日本の場合、父親の立場で話すときは「父は=私は」になりますし、部下なら「ワタクシは」になることもありますし、子供なら「ボクは」とか「オレは」と言ってもかまいません。大人でも私的な会話なら「オレは」と言う人も多いでしょう。でもそういう人も仕事のときに「オレは」と言う人はまずいないでしょう。

つまり日本語には英語のような「厳然として独立したI」というものはなく、常に相手との関係性によって一人称がへんかするのです。

では、変化しない本当の自分のことを表現するときに、どのようにするのか、それが「主語の省略」なのです。
つまり「オレ・私・ワタクシ・拙者という立場を超えた自分=I」と言いたいときに主語の省略を行ないます。主語を省略することによって、立場を超越した(または立場を考えなくてもよい)自分の気持ちなどを伝えられるのです。

「(わたしは)あなたのことを愛しています」と言いたいときに、誰かの息子であって・どこかの部下であって・先輩後輩と言う関係性があっている自分、ではなく「わたしそのもの」があなたを愛しているから、主語を省略するのです。
逆に「お父さんは、お前のことを一番愛しているよ」と子供に言った場合は「愛」が恋愛感情ではなく、家族愛であり、それが「父親と言う立場でお前と言う子供への家族愛」ということを表現することになります。
もちろんこの場合も「お父さんは」という主語を省くことは可能ですが、それは話しても受けても「お父さんは」という前提で会話していることは明白だからです。

日本語には英語と同じ意味での「一人称」は存在しません。どうしても同じ意味での普遍的な一人称にしたいなら「他人との立場・関係性」を排除する必要があり、そのために主語の省略をするしかないのです。
主語を省略した場合が、英語の「I」と同等なのです。
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この回答へのお礼

早速のお回答ありがとうございます。
<主語を省略することによって、立場を超越した(または立場を考えなくてもよい)自分の気持ちなどを伝えられるのです。>
なのですね。沢山ある一人称の一つを使ったときは、それぞれの独自(個別・特殊・相対)の立場になるのですね。思いもかけなかった・切れ味の良い・含蓄に富んだご説明でした。

お礼日時:2016/02/10 22:00

人称代名詞に多くの種類があろうが、固有名詞、芸名、筆名、ハンドルネーム、ニックネーム、あだ名などがあったにしても、「A」が「B」に対してメッセージする場合、「愛してます」で十分で、あなたとか、お前とか、お父さん、私の娘、一郎、ジョンなどと相手を示す語を使用する必要はないし、私、あっし、手前とか発言者を示す語を使用する必要がないからでしょう。


「危ない!」でも、「あなたは危ない」「あなたが危なくなる可能性が30%以上ある」という言い方よりは、マシでしょう。
人称代名詞や固有名詞でなく、ソバを前にして、「これ食べる」「それ好きですか」などのように指示代名詞や種類を指す蕎、盛りそばなどを言わずに、ソバを前にしているなら、「食べますか」「お嫌いですか」でも十分です。安倍首相がその蕎を食べるか、アレルギーや食傷気味でダメかを質問しているとは思わないし、発言者でもないオバマ大統領が質問しているとは思わないから、固有名詞もニックネームも、人称名詞も、役名や親族関係を示す用語も使う必要がないのです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
各カテで、いつもお世話になっています。
誰がとか誰をとかが、はっきりしている場合は、それらをわざわざ使わない、ということですね。
ただし、2つの疑問が湧きました。
1、英語でもはっきりと分かっていると思われるのに(すなわち、愛しているーI love youを対比して)Iとかyouを使っています。したがって、英語圏に比べて、日本語圏では、傾向としてはっきりしている程度が高いのですか?(すなわち、英語圏では日本語よりはっきりしていないのですか?)
2.日本語では、傾向としてはっきりしていることが多いのであれば、たとえば一人称をきめ細かく沢山作る必要がなく、英語と同じように、“私“一つで済みそうですが?

お礼日時:2016/02/10 19:33

日本人は主語を省くことが多いからだと思いますよ。


また、それで十分に通じますし。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
なぜ、主語が無くても
<それで十分に通じ>
るのでしょうか?  同じ状況で、たとえば、英語では通じないのでしょうか?

お礼日時:2016/02/10 08:51

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