アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

価値観とは自分の宗教でしょうか?
強靱な意志を持つ無宗教の人間も、自分の宗教の熱心な信徒と言えるでしょうか

質問者からの補足コメント

  • >宗教というのはそれが他人になっても普遍的価値を保持するものだからです。
    宗教は本当に他人とっても普遍的な価値を持っているでしょうか?

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/03/14 20:31

A 回答 (13件中1~10件)

宗教学や哲学、インド哲学を学んだ人に聴くべきかと!

    • good
    • 0

自分の宗教を立ち上げた方は多くいますが、成功した方もいれば、そうでない方もいます。



おっしゃっていることは何となくわかりますが、貴方が強靭でなくなって、弱々しくなり…それでもついてきてくれる方(自分)がいれば宗教でしょう。

人間いつかは死ぬんです(今健康でも) あと何日かで死ぬときに、強靭な意志が持てれば、それを信じる自分がいるかも?

そんな自分に熱心に信仰をもてれば、素晴らしい信徒では(貴方が)

素晴らしい自分の宗教をもてればいいですね!
    • good
    • 1

宗教は普遍的な価値を持っていると思います。


なぜなら、人を形どる道徳や宗教から派生する信仰心がそうです。
しかしながら、宗教を信じないからといって、価値観が多様化しないとは限りません。
ましてや、宗教を信じない人も大勢いますから、一概に信仰心がないとは断定できません。

価値観の中に宗教心を入れらた訳は、何だったのでしょう。
宗教を信じないのに、価値観の中で統制されるものは何なのでしょう。
少し根拠がないようにも思えますが・・・。

熱心な信徒というのは、宗教を信じている人のことを言うので、
今回、宗教にご興味がない場合、価値観の中での宗教とは言いにくいでしょう。
    • good
    • 1

価値観といっても、


私を監視して、攻撃した奴らが全員死ねばいいと思っても、
実際に行動するわけにもいきませんからね。

それが弱さであり弱者の恨み
ルサンチマンだというのなら宗教の起源としての感情であり、
まさに宗教であり、キリスト教なのでしょう。

いちいち言いたくもないですが、教会にも行きましたので、
いまさら幻だのなんだのいっているやつらは精神の起源が身体ならば身体が異常なのでしょう。
異常が価値判断であれば、細胞分裂にエラーでもあったのでしょう。
    • good
    • 0

>宗教は本当に他人とっても普遍的な価値を持っているでしょうか?



そうでなければ、『宗教』とは呼べません。

宗教はその不変性を持たせるために、本尊を定め教義を明確に説いているものです。
これが変わってしまったら、別な宗教という事になります。

ユダヤ教から、キリスト教が生まれた様に。
キリスト教についても、カトリックがあり、プロテスタントがあります。
イスラム教についても、シーア派とスンニ派があります。
事仏教においては、その末端として存在する宗派は数を知れません。

しかし、それらは創始者(覚者、悟りを持った者)が分け隔てたのではなく、その後の信者による解釈の違いや、理解の方向性の違いにより起きている事なのです。
    • good
    • 0

>価値観とは自分の宗教でしょうか?



・『宗教』とまでは言えません。
何故なら、宗教というのはそれが他人になっても普遍的価値を保持するものだからです。
自分ひとりの、自分だけにしか通用しないものは、宗教ととらえる事はできません。

>強靱な意志を持つ無宗教の人間も、自分の宗教の熱心な信徒と言えるでしょうか

・“自分の宗教”と言ってしまえば、『無宗教』とは言えないはずだ。
しかも、人間の意志にいたっても、永遠に不変であるということはありません。
そうした移ろいやすい人間(自分自身)そのものを信じてしまう事はある種の危険性も伴うでしょう。
また反面、最終的に判断をくだすのは自分自身なのだから、自分が信じられないというのも困ったものだと思います。
矛盾したような話ですが、、、。

要は、物事を深く学ぶ事だと思いますよ。そして、自分自身が得心する事です。
この回答への補足あり
    • good
    • 0

価値観は、意志(欲求、本能etc.)と環境認識(世界観)とから成る。


自己の意志の発揮=最大限の充足を果たすためのルートを環境上に
敷衍したもの、それが価値観だ。
宗教や信念など、様々な発露をなす。
    • good
    • 0

本質的には、その通りだと思います。



これに反対する人は、要するに、宗教というものの本質が
見えていないのだと思います。
    • good
    • 0

トルストイのアンナ・カレーニナにそのことは記されている。


    • good
    • 0

哲学的には、価値観自体は、「自由意思」の範疇だと思います。


「宗教」に関しては、最近の哲学者はあまり触れる事は無いような感じですね。
哲学的な「宗教」の定義自体は、かなり広範なので、特定するのは難しいでしょう。
補足で、どのような事が「宗教」なのかを限定した方が良いと思いますよ。
    • good
    • 3

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!